01.『死神が肩を叩く』
朽ちかけた家屋の暖炉の前で横たわりながら、ふうとため息をつきかけて、止めた。
すぐ横で規則正しい寝息がする。入り口ではヒューズが起きて寝ずの番についていて、窓の脇で壁に持たれてエレノアが寝入っている。これは珍しいことだ。エレノアはいつも見張りをしたがった。団長の責任が彼女をそうさせるのか、殺された騎士たちに対しての何かが、あるいはまだ生きている僕らに対しての何かがそうさせるのかは知らない。
けれど、エレノアのたおやかな白い頬は少し痩せた。ほんの少しだけだ。置かれている状態がこうでなかったら、もっとひどい痩せ方をしていただろう。その方がよかった。エレノアが心置きなく部下の死を嘆けるようになったらいいのに。
はやく、ならないかな。
そうすれば……エルザも。
そっと手を伸ばして、彼女の手を握る。そのまま胸元に抱え込んで目を閉じた。
あたたかな手。細くも剣を握る、少しだけ硬い手。この手は、あの乱暴で冷たい手とは違う。
でも、すぐそこには闇がある。
それは現実の暗やみでもあったし、心の闇でもあった。
冷たい闇の中、思う。この闇に死者は宿るのだろうか、と。
僕のために死んでいった騎士の魂は、いったいどこへいくんだろう。
切り捨てられて墓もなく、遺骸を野晒しにされて、弔いもされない彼らはどこへいけるのか。
もし、このまま墓も建てられなかったとしたら、彼らは永劫闇の中を彷徨うのだろうか。
天国にも、地獄にもいけないとしたら……せめて。
どこかにあるという、名前も知らない世界へいけたなら、いいのに。
願くば、この逃亡の旅の結末が、彼らの墓を建てられるくらいには平穏でありますように。
僕はそんなことを考えたが、先行きは依然、不透明なままで。嵐の予感だけは、止まないでいる。
ふっと目を覚ますと、なんだか温かい。
「…………ん……?」
もぞ、と動くと、「起きたか、イルザ」と囁く声が、至近距離で聞こえた。
ごしごし目元をこすって、目を開くと、赤い髪が目の前にある。
「んむ、エルザ……?」
「おはよう」
「……おはよう」
囁き声で会話を交わし、のろのろと身を起こしてみると、そこはエルザの背だった。つまり、おぶわれていると。
「重くないかい」
「べつに。きみはちいさくて軽いから」
「…………。ありがとう、もう起きたから自分で歩くよ」
よく分からないけど、うん、何か、男として情けない事を言われた気がする。いや、重くても困るけど。
それに、エルザにおぶわれるのは嫌いじゃないから流すことにした。
地面に下ろしてもらって周囲を見回すと、まだ薄暗い夜明け前の森の中だった。街道ではなく獣道をすいすい歩いていくエレノアが前方に見える。
「行こう、遅れる」
「うん」
自然に差し出された手を握って、少しだけ慣れた舗装されていない道を歩き始めた。
少しの優しさと、前を行くエルザの顔が見えないことに安堵して、落ち込む。ああ、なに安心してるんだろう、僕。
沈む気分を押し殺して、足を動かすことに集中しようとしたけど、頭の中は色んな事がグルグルと堂々巡りをする。
追っ手の事、死んだ人たちの事、まだ生きている騎士と、その精神にかかる重圧の事、時折エルザの目にちらつく狂気の事。
この歩みにまた追いつかれるのは、どのくらいか、とか。そうしたら今度は誰が殺されるのか、とか。そもそも全滅するんじゃないか、なんて。
決して口には出さないけれど、きっと皆が思ってる。
仲間の死を悼む暇もなく、僕を逃すために歩を進める彼女たちは……。
その胸に希望はあるのかどうか。
広大な冬の大地を抜けようと国境を目指して暗がりを進み、騎士の証を薄汚れたローブで隠し、転がる屍を踏み越えて、何を目指すんだろう。
(君はいったい、何を考えているの?)
分からない。
冬を抜けたその先に、屍を踏み越えたその道に、何があるというのか。
君という運命の歯車が、軋みを上げて壊れゆくのを目の当たりにするかもしれない。
エルザ、僕は君を信じてるけどーー君がいつまで正気でいられるかは、知らない。
人が壊れる時の脆さを、僕は知っている。