墓標とお茶会
『光の画』というものがある。
世界を四角く映し出す不思議なもので、たいていは偏屈な芸術家が稀に生み出し、そしてそこで終わり、数枚だけが世に残る。
作り方も定かではない旅人の置き土産の中に、灰色の髪の紳士がいる。
美しい碧眼を細めて、彼はずっと前にいなくなった。
おかえり、と出迎えたのは、またもや仮面の人だった。
彼と同じ仮面を被ったその人は、彼のお父さんだった。
ぼくを見つけると、にっこりと仮面を動かしたまま、どうぞ、とだけ告げて引っ込んでしまった。
「ごめんね、父様は子供が少し苦手なんだ」
苦笑する仮面を被って、彼はぼくを家に上げた。
端っこの竃から香ばしい匂いがしている。その上ではポッドが置いてあって、湯気が立っていた。
ボウルをテーブルに置かしてもらいつつ、勧められた木製の椅子にぼくは座った。
彼は不思議なカンテラを持ってきて、少し狭い丸テーブルの中央に置いた。
カンテラの中身は青い花で、ぼうっと光る白い光の粒をこぼしている。
「……花が光ってる」
「変だよね。でも、ここの唯一の光源なんだ」
やっぱりあの世なんだなあ、なんてことを思っていると、彼がティーポッドから苦労してお茶を淹れるのが見えた。慣れない手つきで彼がティーカップを運んでくるのを見ると、落っことすんじゃないかなあなんて思ったが、そうでもなかった。
「どうぞ」
「どうも」
彼が対面に座ると、なんとはなしに緊張した。
けど、それはすぐに解けた。
ぼくが紅茶に口をつけた瞬間、彼はあっさり仮面を外した。あんまり無造作に外すものだから、ぼくはしばらく仮面が外されたことに気がつかなかった。
彼が紅茶を飲み下した時、やっと気がついた。
「あ、仮面」
ぼくはちょっとした衝撃を受けたが、彼はなんでもないように頷いた。
「うん。さすがに仮面を被って紅茶飲むのはね……」
あはは、と笑う顔はやはり見えにくい。けれど、見えにくくとも整っていることは分かった。
輝くような緑の瞳が、カンテラの光を映し込みながら瞬いている。何かに似てるなあ、と思う。
「…………」
沈黙が降りる。
なんとなく家を見回すと、月明かりの差し込む窓際に花が揺れていた。
「あれは、母様が好きだった花だよ」
ぼくの視線に気づいた彼が説明を付け加えた。
「そうなんだ。……お母さんも、一緒なの?」
そうだとしたら、少し羨ましかった。
ううん、と彼は首をふる。
「僕と父様だけだよ。母様はね、天国」
かすかに嬉しそうに微笑む。
「そっか。天国かあ……」
父さんもいるかな、という呟きは、彼に聞こえてしまったらしい。
「父さん?」
「うん。ぼくの父さんは、ぼくが小さな頃に風にさらわれたんだって」
「…いるんじゃないかな、天国。風が連れて行ってくれたさ」
明るく笑う気配がした。
そうか、風か。だとしたら、いいな。
「そうだね」
一口、紅茶を飲んだ。さっきはよく分からなかったが、不味くない。美味しくもなかった。
「きみって、坊ちゃんだったの?」
淹れ方もぎこちないし、服装も高価そうだ。
「あ、不味かった?」
「ううん、不味くないよ」
「美味しくもないけど?」
ふっと彼は吹き出した。
「まあね。僕はさる国一番の坊ちゃんだったよ。姫君みたいに大切にされていた」
彼は懐かしそうに目を細めて笑う。
「おかげで紅茶ひとつに苦労してるよ。お菓子作りは何でかましなんだけどね」
「へえ。でも、死んでいるのに、食べないといけないのかな」
「いいや」
月が雲に隠れて、緑の目がほとんど見えなくなった。
静かな声音だけが聞こえてくる。
「僕らはね、ただ、眠ることだけを求められているんだ。時々起きるけど、それだけ」
「……眠る?」
「そう。こう聞いてないかい、『おやすみの夜』だって」
かた、とティーカップがテーブルに置かれる。中身は空だった。
「ああ……聞いてるよ」
「ここはね、弔いの場なんだよ」
「弔い……」
「僕らは……お墓も、葬送もなく、消えていったものなんだ」
お墓も、葬送もなく。
それってどんな気分なんだろう、とぼくは思った。彼は少し、ため息をついた。
「僕らはね、本当の意味では死人じゃない。墓標なんだ」
「墓標?」
「そう、墓標。魂が眠るのを待ってる、いわば墓場なんだよ、ここって」
墓場。それを聞いて、やっとぼくはぞっとした。
ぼくは墓場でティーカップを握っている。死者の墓標と向かいあって。