怪異を濡れたまま放置しないで下さい。
突然の土砂降りにうんざりとする。これがゲリラ豪雨というやつだろうか。
肌に張り付くシャツが重い。
慌てて駅前のタクシー待ち場に駆け込んで、屋根の下でシャツを絞った。
足元に小さな水たまりができる。
激しい雨だ。しばらく止みそうにない。
特に用事はないが、家に帰れないとなるとそれだけで気が重くなる。
仕方がないと駅の中に入る。
コンビニでタオルを買い、コインロッカーのコーナーに進む。
荷物の一時置き場代わりにコインロッカーにリュックを押し込みタオルで頭を拭く。
髪は絞れる程濡れていたせいでまた足元に水たまりができる。
うんざりする。
今日は朝からツイていなかった。
寝癖は頑固だし、シャツの袖に歯磨き粉がついた。靴下は穴が開いたし、昼食を買いに行ったら弁当が売り切れでカップ麺になった。
それにこの雨だ。
タクシーに乗るのはなんとなく負けた気がする。歩いて十分の距離だ。
外を見ても雨が止む気配はない。
ロッカーからリュックを取り出し、小銭を回収する。
中が濡れている。
あの雨で濡れたリュックを入れたから仕方がない。
そう思い、ロッカーの蓋を閉めたら下の段がドンと揺れた気がした。
蓋の衝撃か。
そう思ったのに、もう一度なにかがぶつかったように揺れた。
鍵は刺さったまま。つまり誰も使っていないロッカーだ。
さらにもう一度ドンと鳴る。
なにか生き物でも入っているのだろうか。
そう思った瞬間、嫌な単語が頭を過ぎる。
コインロッカーベイビー。
ずいぶん昔に流行った都市伝説だ。
こんなに監視カメラの多い現代じゃありえない。
また、ロッカーが揺れる。
なにかいる。
そう思わせる動きだった。
開けるな。
頭はそう思うのに、なにがあるのかという好奇心に耐えられなかった。
ゆっくり、ロッカーを開ける。
なんだ、これは。
よくわからないものがある。
包帯巻きにされたフランクフルトから串を抜いたようななにか。
ただ、包帯がヤケた色をしている。
そこにぴたり、と。水滴が落ちる。
リュックを入れていたロッカーが濡れていたせいだろうか。
古いロッカーだから板に穴が空いていたのかもしれない。
ぴたり、ぴたりと水滴が落ちる。
じわりと包帯に水が広がる。
誰かの荷物にしても変だ。しかも鍵がかかっていなかった。
忘れ物にしては、なんとなくここに置いたという感じがする。
考え込んでいると、包帯の隙間から糸のようなものが出ていることに気がついた。
本当に、これはなんだ?
気のせいだろうか。
糸が増えた気がする。
黒い糸がさっきより多い。
ぴたりと水が落ちると、糸が伸びている?
水が落ちて包帯に水が広がる度、うねうねと糸が伸びている気がする。
いや、違う。
糸ではない。
これは髪の毛?
うねうねとこちらに向かって伸びてきている気がする。
ぴたり。
水の音がする。
思わず、ロッカーを閉める。
あれはなんだ。
髪の毛が伸びて、こちらを認識しているようだった。
ぴたり。
音がする。
濡れた袖から水滴が足元の水たまりに落ちた。
ドンとロッカーが揺れる。
大丈夫。蓋は閉めた。
そう思うのに身動きが取れない。
どうなっているのだろう。
この音で誰か来ないかと辺りを見回すけれど、スマホに夢中な人や大荷物を転がして急いでいる人しか目に入らない。
清掃員か駅員は来ないかと視線を動かす。
ロッカー内に濡れたものを入れないでください。
故障の原因につながります。
貼り紙が見えた。
故障の原因?
また、ロッカーが揺れる。
なんだろう。ロッカーの隙間からなにかがうねうねしている。
黒い、髪の毛だ。
まさか、あのロッカーの中で奇妙な包帯から髪が伸びている?
ぞわりとする。
早くここを去らないと。
自分の足をパンと叩くと濡れたパンツから水が散った。
その時だ。
ロッカーの隙間から髪の毛。
一本二本ではない。
毛束が四つほど現れ、水が跳ねたロッカーを撫でていく。
水?
こいつは水に反応している?
あの妙な貼り紙。
駅はこいつのことを知っていて放置していたのか。
しまった。
息が止まりそうになる。
自分がずぶ濡れであることを思い出した。
あれが水に反応しているのなら、濡れた人間は餌食だ。
ぬるぬると蛇のように、毛束が床に降りる。
水を求めて。
そして足元の水たまりに先端を浸した。
まるで根のように水を吸い、毛束が分かれて増えていく。
思わず、声を上げそうになった。
咄嗟に口を押さえる。
気づかれる。
その瞬間、またぴたりと髪から水滴が落ちる。
毛束はそれを逃さないとでも言うように水滴へ素早く動いた。
ふらりと、後ろに下がる。
後ろのロッカーにぶつかって大きな音を立てた。
毛束は音を気にする様子はなく、小さな水たまりから次の水を探そうと蠢いている。
逃げなきゃ。
必死だった。
また髪からぴたりと水が落ちる。
それとほぼ同時に床を踏み、ロッカーエリアから飛び出す。
「おっと」
カートとぶつかりそうになった。
清掃員のキャップを被った中年の男がこちらを睨む。
「お客さん、急に飛び出したら危ないですよ。それに、このロッカーは濡れたまま使用しないでください」
注意というよりは不快そうな様子だった。
「すみません」
一応ぶつかりそうになったのはこちらだから口先で謝罪はする。
「あー、またか。貼り紙は誰も見ないから使用中止にしろって言ってるのに」
清掃員はうんざりした様子で、カートを漁る。
またか、とロッカーを見ていた。
ロッカーの方を見れば毛束が必死に水を求めている。
さっきよりも増えている。
「お客さん、そこ片付けるんでどいてください」
偉そうな清掃員は、なぜかドライヤーを手にしている。
「片付けるって……あれを?」
「水を吸うと増えるからドライヤーで乾かすんですよ。キリがない」
清掃員はそのままドライヤーの轟音を鳴らしながら毛束へ風を当てる。
毛束は温風が嫌らしく、シュルシュルと縮んで少しずつ元のロッカーへ戻っていった。
「あー、この段穴空いてるな」
清掃員が、上の段のロッカーを開けて確認する。
それから「故障中」と書かれたマグネットを貼り付けた。
「あれ、なんなんですか?」
あまりにも慣れた様子の清掃員に訊ねる。
「さあ? オバケ? とりあえず出たら乾かせって言われてるんですよ」
めんどくさそうに答えられる。
「だからロッカーに濡れたものを入れないでって書いてるんですけどね。特に雨の日は誰も見なくて」
清掃員はため息を吐き、またドライヤーをロッカー付近に向ける。
あれがなにか気にならないのだろうか。
窓の外は雨が止んだようだ。
ふと、貼り紙が目に入る。
ロッカー内に濡れた物を入れないで下さい。
故障の原因につながります。
雨の日は東口側のロッカーをご利用下さい。
市のゆるキャラがお辞儀したイラストが添えられている。
どうして先に見なかったのか。
そう思ったが、結局あれを見る前は気にせずにこのロッカーを使ってしまっただろう。
リュックを背負い、駅を出る。
なるべくこの駅には近づかないようにしよう。
特に、雨の日は——。




