半歩先に、いつもあの方がいた
今夜も、あの方の歩幅は、わたくしより3歩速い。
シャンデリアの光の下で、エティエンヌ様の背中が、すうっと遠ざかっていく。
右手の手袋の先が、わたくしの指先からほどけて落ちるように離れて、それから床の大理石に音もなく沈んでいく感触があった。実際には手は離れていない。離れていないはずだ。けれどそう感じる。5年、ずっとそう感じてきた。
「ノエル様、お疲れでしたら扇をお使いくださいませ」
侍女のメナが、背後から囁く。扇を差し出す手つきが、ほんのわずか、わたくしの手の位置に合わせてくれている。
「ありがとう。……ねえメナ、あの方は今夜もお早いのね」
「ええ。お歩きになる速さだけは、誰にも追いつけませんわね」
メナは正面を向いたまま、唇をほとんど動かさない。
「他のことは、追いつけませんが」
わたくしは扇の陰で、ほんの少しだけ笑った。
「メナ、言葉が過ぎますわ」
「公式記録には残しておりません」
メナの口癖だ。この子は15歳のときから、わたくしの公式記録外の悪口を預かっている。公爵家の侍女として一流で、毒舌家として二流、と本人は言う。本当はどちらも一流だ。
舞踏会の真ん中で、エティエンヌ・ド・ヴェレシーヌ侯爵令息は、セレーヌ・ベル伯爵令嬢の腰に手を添えて、すでに3曲目を踊っている。わたくしと踊ったのは、最初の1曲だけだった。
◇◇◇◇◇◇◇◇◇
舞踏会の最初の1曲目、わたくしは、あの方の歩幅に、今夜も合わせられなかった。
ワルツの右足。ついていけない。左足。半歩遅れる。ターン。腰が置いていかれる。最後のポーズまでに、わたくしは4回、あの方の肘に手を残すか離すかを迷って、そして5年前と同じ結論になった。離せばよかった、と。
けれど離せない。離したら、侯爵家の次男と公爵家の三女の政略は、その場で崩れる。
「……ノエル様は、お疲れのようですね」
ダンスのあと、エティエンヌ様はそう言って、セレーヌ様のほうへ手を差し伸べた。
「セレーヌは、よく踊れる女性だから。少し休まれるといい」
ほら、3歩先だ。わたくしがまだ「はい」と言う前に、あの方はすでに3歩先にいる。
5年、ずっとそうだった。
舞踏会で。階段で。廊下で。王宮の回廊で。馬車の横で。庭園の並木の下で。5年、1度も、わたくしとあの方は、同じ歩幅で歩いたことがない。
それはおそらく、愛の問題ではなかった。背丈の問題でも、訓練の問題でもなかった。
あの方が、合わせようとしなかった。ただ、それだけの話。
◇◇◇◇◇◇◇◇◇
「ノエル・アルデンヌ公爵令嬢」
王宮の大広間の中央から、声が響いたのは、その夜の3曲目が終わって、会場の視線が音楽から人へ移ったときだった。
会場が静かになる速度が、今夜はいつもより速い。
エティエンヌ様が、セレーヌ様の腰から手を離さずに、片手だけをわたくしに向けて上げた。
「婚約解消を、ここで申し入れる」
ざわりと広間が揺れる。
「5年の婚約は、我々双方にとって有意義とは言えなかった。公爵家へは明日正式に書面をお送りするが、場の皆にも知っておいていただきたい。私は、セレーヌ・ベル伯爵令嬢と歩みを共にしたい」
歩み、と、あの方は言った。
わたくしはそのとき、自分の頬が熱くも冷たくもならないのを、少し不思議に感じていた。
ただ、ひとつだけ、遠いことを思った。
(歩み、の、歩幅を、あなたは1度も合わせてくださらなかったわね)
扇の陰で、わたくしはそう思って、それから静かに扇を閉じた。
閉じる音が、思ったより響いた。
「エティエンヌ様」
わたくしは、片足を引いて、正式なお辞儀の姿勢をとった。
「承りました。明日の書面を、お待ち申し上げます」
「……それだけか?」
あの方は、少しだけ怯んだ顔をした。5年の婚約のあいだで、あの顔は初めてだったかもしれない。
「それだけでございます」
わたくしは扇を開き、顔の下半分を隠した。これは公爵家の三女として、父に教えられた最後の防具だった。
「退出のお許しを、陛下に願えますでしょうか」
国王陛下は、玉座から、わたくしのほうを、ほんの少し、労わるような目で見てくださった。
「許す」
短いひとこと。
わたくしは頭を下げ、踵を返し、広間の扉へ向かって歩き出した。
◇◇◇◇◇◇◇◇◇
広間の扉までの距離は、ちょうど42歩ある。
わたくしは、なぜそれを知っているのか、と問われたら、5年間、そこまでの歩数を毎回数えていたから、と答える。エティエンヌ様が先に歩き出して、わたくしが取り残されるまで、ちょうど42歩。半歩ずつ、わたくしのほうが遅れる。毎回、同じだけ遅れる。
42歩目を、わたくしの足が踏んだ。
扉は、閉まっていなかった。
半歩前で、開いた扉の縁に手を添えて、誰かが立っていた。
警護騎士の白い制服。黒い腰帯。剣の柄に左手。右手が扉を押さえている。
その立ち姿は、わたくしの足が止まる前に、半歩だけ先にいた。
わたくしは、立ち止まった。
彼は、扉の縁から手を離さず、わたくしのほうを見なかった。見ないまま、扉を押さえていた。わたくしが通る、ちょうどその半歩先で。
わたくしは、扉を抜けた。
彼は、扉を閉める前に、わたくしに聞こえる声で、ひとこと、こう言った。
「――左足から」
わたくしは、自分が今、左足から扉を抜けたことに、そのとき初めて気がついた。
◇◇◇◇◇◇◇◇◇
「メナ、あの方はどなた」
馬車の中で、わたくしは侍女に尋ねた。
メナは、わたくしの膝に毛織の膝掛けをかけながら、あっさりと答えた。
「王宮警護騎士のクリフト・シャルラン様。階級は大尉。社交行事の王宮内警護を担当なさって、おそらく5年ほどになります」
「……5年」
「ノエル様が婚約者殿と初めて宮中舞踏会においでになった夜から、同じ配置を担当なさっているはずです。記録が残るお仕事ではございませんけれど、侍女の間では、たまに」
「たまに、何」
「……『半歩前の方』と」
馬車の車輪が、敷石をひとつ跨いだ。
「半歩前の方?」
「舞踏会の入場で、ご令嬢方が階段を降りられるとき。最後の段で転ばれないように、手すりの側を、半歩前で空けて歩いていらっしゃる方がいる、と。誰も気づかないほどに、ほんの半歩だけ」
メナは、窓の外のほうを見て、続けた。
「公式記録には残っておりませんが」
◇◇◇◇◇◇◇◇◇
公爵邸に戻って3日、わたくしは、父の書斎に呼ばれた。
「婚約解消の書面が来た」
父は、短く、そう言った。
「侯爵家は、慰謝の金額を提示している。数字は妥当だ。お前が受ければ、家同士の関係はここで終わる」
「お受けします」
わたくしは、扇も持たずに、そう答えた。
「父上、ひとつ、お願いがございます」
「言いなさい」
「次の舞踏会から、しばらくお休みさせてくださいませ」
父は、わたくしの顔を、少しのあいだじっと見た。それから、頷いた。
「良い」
「ありがとうございます」
わたくしは、頭を下げて、書斎を辞した。
扉を閉めるとき、わたくしは、左足から廊下へ出た。
これまで気にしたこともなかったはずのことを、わたくしは、もう、数えはじめていた。
◇◇◇◇◇◇◇◇◇
3週間後、宮中の月例舞踏会で、エティエンヌ様とセレーヌ様が、公式の同伴として初めて会場に入られた。
わたくしは、父とともに貴賓の席に呼ばれていた。婚約解消の後処理として、国王陛下がわたくしの立場を損ねないように、というご配慮だった。ただ列席するだけでよい、と父は言った。踊らなくていい、と。
玉座の左手、公爵家の席。わたくしはそこから、広間の中央を見ていた。
ワルツが始まる。
エティエンヌ様と、セレーヌ様。
1歩目。合っている。
2歩目。合っている。
3歩目で、広間の空気が、わずかに、止まった。
セレーヌ様の足が、半歩、遅れたのだ。
エティエンヌ様は、それに気づかずに、先へ進んだ。セレーヌ様は慌てて合わせようとする。合わない。エティエンヌ様はもう3歩先だ。ターン。セレーヌ様の肩が、遅れる。リフト。タイミングが、2拍、ずれる。
観客の誰かが、小さく息を呑む音がした。
5拍目で、セレーヌ様の靴が、床を擦った。
8拍目で、エティエンヌ様の手が、セレーヌ様の腰から、一度、滑った。
10拍目で、セレーヌ様の頬が、わずかに赤くなった。
音楽は、続いていた。
けれど、2人のダンスは、もう、続いていなかった。
◇◇◇◇◇◇◇◇◇
舞踏会の中央で踊る2人を見ているうちに、わたくしは、不思議と、何も感じなくなっていた。
ああ、と思った。
あの方は、わたくしと合わせなかったのではないのだ。
あの方は、誰とも、合わせられない方だったのだ。
わたくしは、扇の陰で、ほんの少しだけ笑った。
笑った自分に、少し驚いた。
5年、わたくしは、自分の歩幅が狭すぎるから、あの方についていけないのだと思っていた。自分が訓練不足で、自分が気遣いが足りなくて、自分の背丈が低すぎるから。そう思って、5年、お辞儀の練習をし、歩幅の練習をし、ダンスの教師を3人替え、姿勢矯正の帯を4本つくった。
全部、無駄だった。
あの方が、合わせる気のない方だった。
その事実を、広間の真ん中で踊るセレーヌ様の赤くなった頬が、5年ぶんまとめて、教えてくれていた。
◇◇◇◇◇◇◇◇◇
王妃陛下が、お声を上げられたのは、ワルツが終わって、次の曲が始まる前のことだった。
お声、と呼べないほど、小さな声だった。扇の陰から、ぽつり、と落とされた、ほんのひとこと。
「セレーヌ、あなた、踊れないのね」
それだけだった。
けれど、広間の半分の方々が、そのお声を、確かに耳にした。
広間の空気は、その瞬間に、変わった。
音楽は続いていた。
けれど、貴族の方々の視線が、セレーヌ様の肩と、エティエンヌ様の背中を、一斉に1段冷ましたのは、はっきりと見えた。
セレーヌ様は、そこから、1曲も踊られなかった。
エティエンヌ様は、セレーヌ様を広間の端に残して、別の令嬢に声をかけた。けれど、その令嬢は、ダンスフロアの中央で、1曲だけ踊って、2曲目は「疲れましたので」と、お断りになった。
その次の令嬢も、同じだった。
その次の令嬢も。
◇◇◇◇◇◇◇◇◇
メナは、後日、わたくしにこう報告した。
「あれから5回の舞踏会で、ヴェレシーヌ侯爵令息は、2曲以上続けて同じ相手と踊られたことが、1度もないそうです」
「……そう」
「セレーヌ様は社交をお休みになり、ヴェレシーヌ侯爵家は、次の社交期からは、令息の夜会出席を控える、とご挨拶状を出されたとのこと」
「……そう」
「公式記録には、当然、残っておりませんが」
メナは、毎回、最後にそう付け加える。
「残っていなくても、みな、存じておりますね」
わたくしがそう言うと、メナは、少しだけ、笑った。
「はい。王宮の侍女は、公式記録より、半歩前を歩いておりますので」
わたくしは、その言い方が、少しおかしかった。
「半歩前、ね」
「はい、半歩前」
2人で、少し笑った。
◇◇◇◇◇◇◇◇◇
わたくしが、クリフト・シャルラン大尉と、次にお会いしたのは、その翌月の、王宮の秋の園遊会だった。
あの方は、園遊会の警護として、噴水のそばに立っていた。
園遊会のあいだ、貴婦人の方々は、噴水の縁を時計回りに1周する慣習がある。石畳の縁を、水の音を聴きながら歩く。
わたくしは、その慣習に従って、1人で、縁を歩いていた。
半周したところで、わたくしは気がついた。
噴水の縁の石は、ところどころ、半拍ぶん、高くなっている。普通に歩くと、つまずく。5年前、わたくしはこの園遊会で、そこにつまずいた。あの日は、エティエンヌ様の3歩先の背中を追っていて、自分の足元を見ていなかった。
今日、わたくしは、つまずかなかった。
なぜなら、縁の石の高さが、途中から、1段、低くなっていたからだ。
新しく、貼り替えられた石のあとが、わかる。
わたくしは、立ち止まって、振り返った。
噴水の向こう側に、クリフト・シャルラン大尉が立っていた。
あの方は、わたくしのほうを見ていなかった。
見ていなかったけれど、噴水の縁のほうに、顔を、半分向けていた。
わたくしは、そのまま、石畳を1周した。
1周のあいだ、わたくしの靴は、1度も石に当たらなかった。
◇◇◇◇◇◇◇◇◇
「大尉」
1周を終えて、わたくしは、クリフト様のそばに歩いた。
クリフト様は、わたくしを認めて、胸に手を当てた。騎士の礼だった。
「ノエル・アルデンヌ公爵令嬢」
「お伺いしたいことが、ございます」
「はい」
「あの噴水の縁の石は、いつ貼り替えられましたの」
クリフト様は、しばらく、黙っていた。
それから、目を伏せて、答えた。
「……5年前の、春に」
「5年前の、春」
「申し上げてよろしいか、わかりませんが」
クリフト様は、まっすぐ、噴水のほうを向いていた。わたくしの顔を、見なかった。
「あなたが、5年前のこの園遊会で、そこでおつまずきになったことを、覚えております」
石畳の、水の音が、やけに近くに聞こえた。
「園遊会の警護の者が、石を貼り替える権限はございません。ですが、王宮の造営官の方に、半年かけてお願いをしました。他のご婦人方も、つまずいておられましたので」
「他のご婦人方も、つまずいておられました」
わたくしは、その言葉を、繰り返した。
「はい」
クリフト様は、そう答えた。
けれど、あの方の声は、その「はい」のあとで、ほんの少しだけ、遅れた。
遅れた間に、あの方は、続けた。
「……最初に、つまずかれたのが、あなたでしたので」
◇◇◇◇◇◇◇◇◇
あの方の声は、低かった。怒鳴るような声ではなかった。警護騎士の職務上、大きな声は出せないのだと、メナが後で教えてくれた。
けれど、そのひとことは、わたくしの耳のいちばん深いところに、しっかりと落ちた。
5年前のつまずきを、この方は、覚えていた。
この方は、わたくしの踏み出した足を、5年、覚えていた。
わたくしは、扇を開こうとして、やめた。
扇の陰に顔を隠すのは、もう、今夜はやめようと思った。
「大尉」
「はい」
「もうひとつ、お伺いしてよろしいですか」
「はい」
「あなたは、わたくしが、左足から扉を抜ける女だ、と、ご存じでしたか」
あの方の、喉が、ひとつ鳴った。
「……5年前から、存じ上げております」
◇◇◇◇◇◇◇◇◇
5年分の歩幅が、そこで、わたくしの中で、裏返った。
わたくしの歩幅は、狭くなかったのだ。
わたくしの左足は、遅くなかったのだ。
わたくしの背丈は、低くなかったのだ。
ただ、合わせる気のない方が、1人、前にいて、そして、合わせる方が、1人、半歩前に、ずっといてくださった。
広間でも、階段でも、廊下でも、園遊会の石畳でも。
公式記録には残らない場所で。
5年分。
わたくしは、息を、吸った。
吸った息が、胸のずっと奥で、ふるえた。
それから、わたくしは、クリフト様の、顔を、見た。
あの方は、はじめて、わたくしのほうを、まっすぐに、見た。
◇◇◇◇◇◇◇◇◇
「大尉。ひとつ、ご相談させてくださいませ」
「はい」
「わたくし、今夜、園遊会からの退出の扉を、どちらの足から抜けるべきでしょうか」
クリフト様の、口の端が、ほんの少しだけ、動いた。笑った、というよりは、笑いそうになって、それを抑えた、という動きだった。
「ご自由でございます」
「自由、とおっしゃいますと」
「左でも、右でも。……どちらでも、半歩前で、扉はお開けしておきます」
わたくしは、そこで、扇を閉じた。
「大尉」
「はい」
「5年前から、あなたは、わたくしの半歩前を、歩いていらっしゃったのですね」
クリフト様は、しばらく、答えなかった。
答えないまま、胸に、手を当てた。
騎士の礼だった。
けれど、その礼は、いままで受けたどの騎士の礼より、深かった。
「……追い越さないように、歩いておりました」
あの方は、そう答えた。
「あなたが追いついてくださるのを、ずっと、お待ちしておりました」
◇◇◇◇◇◇◇◇◇
わたくしは、そのとき、生まれて初めて、誰かの腕に、自分の手を、迷わずに、置いた。
クリフト様の、左の腕だった。剣を握る腕の、反対側。
わたくしの手が、置かれた。
あの方の腕は、わたくしの手の重さを、正確に、受け止めた。
園遊会の、石畳の、1歩目。
わたくしの左足が、踏み出された。
半歩、先で、あの方の左足が、踏み出されていた。
2歩目。合っている。
3歩目。合っている。
4歩目。
合っていた。
◇◇◇◇◇◇◇◇◇
「メナ」
わたくしは、公爵邸に戻って、侍女に尋ねた。
「ヴェレシーヌ侯爵家のその後は、どうなりまして」
メナは、扉のそばで、少しだけ、微笑んだ。
「ヴェレシーヌ侯爵令息は、来年の春までの社交期すべての同伴予定を、キャンセルなさったとのことです」
「……そう」
「侯爵家は、令息の結婚相手探しを、2年、繰り延べると、王宮に届け出をされたそうです」
「そう」
「公式記録では、『家庭の事情による社交休止』となっております」
メナは、言葉を切って、続けた。
「ですが、王宮の侍女たちは、みな、こう呼んでおります。『歩幅の合う方が、見つからなかった家』」
わたくしは、思わず、小さく笑った。
「公式記録には、残っていないのね」
「はい。残っておりません」
メナは、胸に手を当てて、侍女の礼をした。
「ですが、記憶には、残っております」
◇◇◇◇◇◇◇◇◇
それから1か月、わたくしは、公爵家の三女として、初めて、自分から、夜会の招待状を選んだ。
王宮ではない、小さな夜会だった。
同伴として、クリフト・シャルラン大尉のお名前を、書いた。
あの方は、警護騎士の職を、半年後に辞されることが決まっていた。叙爵の内示があり、領地つきの子爵位を賜ることになっていた。もちろん公爵家の三女との身分差は残るけれど、父は、わたくしに、お前が決めなさい、と言った。
わたくしは、決めた。
夜会の夜、玄関の前で、クリフト様は、半歩前で、わたくしを待っていらした。
馬車を降りた、わたくしの左足の、ちょうど半歩先に、あの方の靴があった。
「大尉」
「はい」
「参りましょう」
「はい」
わたくしたちは、玄関の扉に向かって、歩き出した。
わたくしの靴の音と、あの方の靴の音が、1歩目に、重なった。
重なったのは、たぶん、わたくしの人生で、はじめてのことだった。
2歩目。
3歩目。
4歩目も、5歩目も、重なっていた。
その先は、わたくしは、もう、数えなかった。




