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黒髪の冷徹騎士が唯一動揺するのは、のほほん令嬢だけでした

作者: 棗 月雫
掲載日:2026/04/09


 王都の社交界には、決して笑わないと言われている男がいる。



 近衛騎士、エズラ・ブラックウッド。


 黒髪に鋭い目つき、長身、無口。


 戦場では鬼神のごとく、舞踏会では氷像のごとし。



 令嬢たちはこっそり彼をこう呼んでいた。


 ――冷徹騎士と。




 そんな男が、今。

 庭園の東屋で、ぴたりと足を止めていた。


「……何をしているんです、ヴェルメイユ嬢」



 問われた伯爵令嬢ノンシャラン・ヴェルメイユは、ふわりと振り返る。


「あら、エズラ様。お茶会ですわ」


「見ればわかります」


「まあ、では問題ありませんわね」


 にこり、と微笑む。



 彼女の前には丸いテーブル。湯気の立つ紅茶。焼き菓子。


 そして――小さな籠の中で、ぴょこんと座る蛙。



 エズラは無言になった。


「なぜ蛙がいるんです」


「プレゼントですって」


「どう考えても嫌がらせです」


「元気で可愛らしいでしょう? お庭に帰してあげようと思いまして」


 何でもないことのようにノンシャランは答えた。



 エズラはこめかみを押さえる。


 やはりだ。


 彼の嫌な予感はたいてい当たるのに、彼女だけはそれを少しも深刻に受け取らない。



「誰にやられたんです」


「メイヴ様からのプレゼントですわ」


「…………」


「わたくしに珍しいお友達を見せたかったのですわね」


「絶対に違います」


 断言すると、ノンシャランはきょとんとした。


「まあ。では、蛙さんのほうが自主的に?」


「そういう話ではありません」



 今日も調子が狂う。


 エズラは戦場で敵陣を崩すより、この令嬢を相手にしているほうがずっと調子を狂わされると思っていた。



「とにかく、こんなところで一人は危険です」


「一人ではありませんわ。蛙さんもおりますもの」


「そういう意味ではなく」


「今はエズラ様もいらっしゃるでしょう? これで三人ですわね」



 さらりと言って、彼女は紅茶を注いだ。


「よろしければ、お茶をご一緒にどうぞ」


「……仕事中です」


「では五分だけ」


「なぜそうなるんです」


「お疲れのようでしたから」



 その一言に、エズラは言葉を詰まらせた。


 他人にどう見られるかなど、気にしたこともない。


 けれど彼女だけは、いつも当たり前みたいにこちらを気遣う。



 そのくせ、自分がどれだけ人を振り回しているか、欠片もわかっていない。



「座ってくださらないのですか?」


「……五分だけです」


「まあ、うれしい」


 そう言われると断れない自分が、ひどく情けない。



 ノンシャランのお茶会は、不思議と人が集まる。


 最初は少し顔を出すだけのつもりでも、気づけば誰もが席についているのだ。



 向かいに腰を下ろした瞬間、ぱたぱたと足音がした。


「ノンシャラン様……っ、あ、あの……わたくしもご一緒して、よろしいでしょうか……」


 控えめに現れたのはアリア・ローズウェルだ。


 細い声でうかがう彼女に、ノンシャランはぱっと顔を輝かせた。


「まあ、アリア様。もちろんですわ。どうぞどうぞ」


「で、でも、わたくし、お邪魔では……」


「いいえ? 今ちょうど三人でお茶会をしていたところですの」


「蛙を数に入れないでください」


 即座に突っ込むと、アリアが小さく吹き出した。


「ふふ……」


 その笑みに、ノンシャランも嬉しそうに微笑む。


「ほら、エズラ様のおかげでアリア様が笑ってくださいましたわ」


「俺の功績ではありません」


「謙虚ですのねえ」


 違う。そういう問題ではない。




 そこへ、さらに二つの影が近づいてきた。


「へえ。楽しそうですこと」


 勝ち気な声の主はメイヴ・アシュベリー。


 隣には、涼しい笑みのエララ・フォンティーヌ。


「ずいぶん気楽なお茶会ですのね、ノンシャラン様。招かれない方でも座れるなんて」


「まあ、ではお二人もぜひ」


 ノンシャランが即答した。


 エララが一瞬だけ目を丸くする。


「……ご一緒するつもりはありませんの」


「でもおいでくださったのでしょう? お茶菓子、少し多めに焼いてきてよかったですわ」


 毒にも棘にもまるで気づかない。



 メイヴが眉をひそめた。


「わたくし、あなたへのプレゼントに蛙を入れたのよ」


「ええ。元気でしたわ」


「そういう話じゃなくて!」


「お名前をつけたほうがよろしいかしら。メイヴ様がくださったのですし」


「名前なんてつけなくていいのよ!」


 思わず大きな声を出したメイヴは、はっとして顔を赤くした。


 アリアがびくりと肩を揺らす。



 するとノンシャランは慌てるでもなく、のんびり首を傾げた。


「メイヴ様、少しお疲れですか? 甘いお菓子をどうぞ」


「……なんでそうなるのよ」


「疲れているときは甘いものがよいと聞きましたわ」


 差し出された焼き菓子を見て、メイヴは完全に毒気を抜かれた顔になった。



 エララがため息をつく。


「あなた、本当に気づいていないのね」


「何にですの?」


「わたくしたち、あなたに意地悪をしていたつもりでしたのよ」


「まあ」


 さすがに今ので気づいたか、とエズラは思った。



 だが次の瞬間、ノンシャランはやわらかく微笑んだ。


「では、これから仲良くなればよろしいですわね」



 場が、しんと静まる。


 アリアが目を潤ませ、メイヴがあからさまに目を逸らし、エララは額に手を当てた。


「……敵いませんわね」


「ええ、本当に」


 珍しくメイヴとエララの意見が一致した、そのときだった。



「失礼。こちらの席は使用予定がありますの」


 通りがかった令嬢たちが、わざとらしくそう言った。


 明らかに嫌がらせだ。


 しかも椅子を一つ、勝手に持っていこうとする。



 アリアが青ざめる。


「そ、そんな……」


 メイヴが顔をしかめ、エララは冷えた目を向けた。



 だがノンシャランは、やはりのほほんとしたまま言った。


「まあ。でしたらわたくし、少し立っておりますわ。お庭がよく見えますし」



 その瞬間、エズラが立ち上がった。


「戻しなさい」


 低い一言に、空気が凍る。



 令嬢たちがびくりと震えた。


「ブ、ブラックウッド様……」


「彼女が困るようなことはするな」


 それだけだった。


 けれど、戦場を知る男の声には、それだけで十分な圧があった。



 令嬢たちは顔を青くして椅子を戻し、そそくさと去っていく。



 沈黙が落ちたあと、最初に口を開いたのはメイヴだった。


「……本当に、ノンシャラン様だけには甘いのね」


「ええ。丸わかりですわ」


 エララまでうなずく。


 アリアもおずおずと小さく続けた。


「す、素敵だと思います……」



 エズラは眉を寄せた。


「違う。俺はただ――」


「まあ、エズラ様」


 ノンシャランが、きらきらした目で彼を見上げる。


「わたくしをかばってくださったのですね」


「……当然です」


「どうしてですの?」


 無邪気な問いだった。



 けれどエズラにとっては、それが一番厄介だ。



 社交界でも騎士団でも、彼は感情を顔に出さない。


 そうして生きてきた。



 だが彼女の前では、その鉄壁が簡単に崩れる。


 観念して、エズラは息をついた。


「あなたのことになると、冷静でいられないからです」


「まあ」


「泣いているんじゃないか、困っているんじゃないか、傷つくんじゃないか……いつも気になる。目が離せない」


 そこまで言ってしまってから、しまったと思った。


 だが、遅い。



 メイヴはにやにやしているし、エララは楽しげに扇で口元を隠し、アリアは頬を赤らめている。


 ノンシャランだけが、きょとんとしていた。



 そして、少しだけ考え込んで。


「……つまりわたくし、エズラ様にとって特別なのですか?」


「今さらですか」


 思わず漏れた本音に、周囲が吹き出す。



 ノンシャランは目をぱちぱちさせたあと、ふわりと笑った。


「まあ、それはとてもうれしいですわ」


「…………」


「では今度は、二人だけでお茶会をいたしましょうか」


 戦場でも眉一つ動かさぬ冷徹騎士が、その場で固まった。



 メイヴが噴き出し、エララが肩を震わせ、アリアが「よ、よかったです……!」と小さく手を合わせる。


 ノンシャランだけが不思議そうに首を傾げた。


「あら? エズラ様、どうなさいましたの?」



 どうもこうもない。


 この令嬢はきっと、この先もずっとこうして、彼だけを簡単に動揺させるのだろう。



「……そのお誘い、謹んでお受けします」


「まあ、よかった」


 うれしそうに笑う彼女に、エズラはようやく少しだけ口元を緩めた。



 その変化を見た令嬢たちは、そっと顔を見合わせる。



 王都の社交界で決して笑わないと有名だった冷徹騎士が、唯一表情を変える相手。



 それはどうやら、のほほんと紅茶をすすめてくる伯爵令嬢だけのようだった。


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― 新着の感想 ―
特に裏とかないけど一定ののほほん感が面白かったです。 後、個人的には主人公の名前は長いけど他の令嬢は短めのため、主人公がより際立っているように思えました。
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