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 自分自身を破滅へ導くかもしれない男を前にして、ミレーヌはワンピースのスカートを両手でぎゅっと握りしめ、唇を固く結んだ。

 そうでもしなければ、込み上げてくる感情を抑えきれず、声高々に叫んでしまいそうだった。


 異常な状況だということは理解している。

 けれど理性は薄靄に包まれたように働かず、胸の奥で衝動が膨れ上がっていく。


(もう無理! この衝動を抑えきれない)

(エドワード様の泣き顔が見たくてたまらない……!)


 ミレーヌは白旗を上げた。

 断罪を回避するために、彼から離れることが何を差し置いても重要だと考えていた。

 その考え自体は今も変わらない。

 だけど、それ以上に、断罪回避のチャンスを棒に振ってでも揺さぶってみたい、好みの腹黒系イケメンが現れたのだ。


 障壁の外がわずかに騒がしくなってきた。

 倒れていた従者たちが意識を取り戻し始め、王城から護衛が近づいてくる気配がする。


「エドワード様」


 呼びかけたときには、ミレーヌはすでに行動に出ていた。

 先ほどまで顎に添えられていた彼の手を取り、その掌に頬をそっと寄せたのだ。


 エドワードは凍りついたように、微動だにしなかった。

 

(あなたがこの世界で何を企んでいるのかは知らないけれど、でももし――)


 もし、その計画を自分が壊したら?


 その美しい顔はどう歪むのだろう。

 悔しさに歯噛みする?

 激昂する?

 それとも、すべての表情をさらけ出してくれるのだろうか。


(エドワード様は、どんな時に、どんな泣き顔を見せてくれるの?)


 恍惚とした笑みを浮かべたままミレーヌは口を開いた。


「どうやら私をいいように操る計画は、失敗してしまったようですね」

「……君は一体、誰だ?」

「貴方のことを愛してやまない、ミレーヌ・ユニヴェルですとも」

「まるで別人じゃないか……」


 言いよどむエドワードを見つめながら、だって別人だもの、と心の中で呟いた。

 こうなってしまえば、自分を押し殺すつもりも、それをするつもりもなかった。


 つい先ほどまで、断罪を回避するために彼から距離を取ろうとしていたはずの自分は、どこにもいない。

 気がつけば思考はすっかり塗り替えられていて――断罪されても構わないから、エドワードの泣き顔を見てみたい、という欲望に取りつかれていた。


「間もなく王宮から護衛が到着しますが――さて、今日のことをどう言い訳なさるおつもりですか?」


 わざと柔らかな声音で問いかける。揺さぶりをかけるつもりだった。


「なんのことだか分からないな」

「お惚けになると?」

「証拠はどこにもないだろう? 僕は身を挺して君を守った英雄だ」


 ミレーヌの揺さぶり作戦は失敗したらしい。

 元来のペースを取り戻したらしいエドワードが、不敵に笑った。

 

 が、ミレーヌにとって、それはむしろご褒美に近かった。


「まあ、まあ、まあっ!」


 興奮したミレーヌが距離を詰めるだけ、エドワードは頬を引きつらせ後退した。


「な、なんなんだ……」

「困惑したその顔! エドワード様の美しい顔を、私が歪ませているこの快感、言葉にならないッッ」


 叫んでしまっていた。どうやら完全にハイになっている。


「そうだ! この際、エドワード様の企みはひとまず置いておきましょう」

「……」

「貴方は何が目的でこんなことを? いくらエドワード様が公爵令息でも、私が貴方の罪を訴えれば泥仕合には持ち込めますよ」


 後に悪役令嬢となるミレーヌと、公爵令息エドワード。

 醜聞が広まれば、同情はエドワードに流れるかもしれない。


 だが、表向きは別人を装う男が、そんな騒ぎを望むとは思えなかった。


「ミレーヌ。僕は君のことを、少し見くびっていたみたいだ」


 そう言って、エドワードはミレーヌの手を取った。

 

「僕は、君との婚約を望む」

「……あれ、おかしいですね。私はずっとそれを望んで、貴方に懇願してきたはずなのに……」

「企みには目をつぶると言っていなかったか?」


 撤回するのが早いな、とエドワードが苦笑した。

 まるで、ミレーヌのほうに非があるような反応だ。


 ただ、疑問に思ったことを尋ねただけなのだが――どうやらまだ早かったらしい。

 

 けれどミレーヌにとって、それは些末なことだった。

 エドワードが何を企んでいようと、この衝動はもう抑えきれない。


(企みは、後々暴くとして……)

(この婚約が破滅への第一歩だと分かっていても……私は――)


 断罪回避と、腹に一物抱えた男の泣き顔を天秤にかけてみる。

 すると天秤は、勢いよく腹に一物抱えた男の泣き顔のほうへと傾いた。


 ミレーヌは天を仰いだ。

 こんな場所に転生させた神様を呪い、そして感謝した。


 それからエドワードの手を取り、「分かりました」と呟いて、そのハイリスクな婚約を承諾した。


「婚約しましょう! 喜んで!」


 ミレーヌの頭の中は、すでにお父様をどう説得するかでいっぱいだった。

 ゲームの中の、本来のミレーヌはどうやって了承を勝ち取ったのか。粘り勝ちだったのか。それとも――エドワードの同意1つで、あっさり認められるものなのだろうか。


(だけどまあ、私、ついにやっちゃったよ、杏……)


 本来の設定とは真逆の形になってしまったが、結果としてミレーヌは悪役令嬢ルートへと自ら足を踏み入れた。

 おそらくこの世界には、物語どおりに進めようとする強制力はない。


 それにもかかわらず、自分から、いちばん危険な道を選んでしまうなんて、おかしなものだ。そして、どうかしている。


 (でもまあ、前世では人生これからというところで死んでしまったし、今世こそ、悔いなく好き勝手に生きてみるのもいいかもしれない)




 

 こうしてミレーヌは理想の婚約者を手に入れ、当初の断罪回避の計画をすっかり放棄し――。

 これから待ち受ける、バラ色の学園生活に胸を躍らせるのだった。


 そして、この選択を、のちに後悔することとなる。


 脳内をお花畑にしすぎたせいで、あまりにも簡単なことを見落としていたのだ。


 エドワードが、そう簡単にミレーヌの思惑どおりに動く男ではないことを。

 あの男が、腹に一物抱えた悪巧者だということを。

 

 

 

 ミレーヌの隣、エドワードがいやに綺麗な笑みを浮かべ、ラピスラズリの瞳の奥に燃え盛る炎を宿していることに、気づきもしなかった。

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