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(失敗してしまった……)
エドワードの白い肌を伝って落ちる血を見た途端、視界が歪む。
「エ、エドワード様……! 血が……」
「これくらいは問題ありません。……それより、防御障壁の修復を」
エドワードの的確な指示を受け、なんとか防御障壁を修復しながらも、だんだんと気分が悪くなるのと同時に、遠くから杏の声が蘇った。
『エドワードが婚約を解消できない理由の1つにね、学園入学前の二人が出かけた先で馬車が襲われて、ミレーヌが身体に傷を負った事件があるの』
ミレーヌははっと息を呑んだ。
今起きている出来事は、その〝出来事〟そのものではないのか。
エドワードの腕の中から周囲を見渡す。土ぼこりが落ち着いたのか、視界が良くなっていた。
本来なら身を挺してミレーヌの護衛に当たる従者たちは地面に倒れている。しかし、心配したほどの酷い外傷はない。ただ意識を失っているだけのように見える。
彼らが生きていてくれたのは嬉しい。
だけど。
(…………どうして殺さないの?)
もし目覚めれば戦力になるはずの従者たちを、襲撃者はわざわざ生かしている。
もしかすると、襲撃者たちにミレーヌやエドワードを必要以上に傷つける意思はないのではないか。
これはただのパフォーマンスで――。
(何のための?)
再び、先ほどの杏の声が、記憶の底から浮かび上がる。
『ミレーヌが身体に傷を負った事件があるの』
もしエドワードと出かけた先で傷を負えば。
あのミレーヌならどうしただろう。
(……絶対に、それを盾に取って婚約を迫った)
エドワードの放った魔法が放物線を描き、ミレーヌの横をすり抜ける。
巻き起こった風が帽子をさらい、頭の中で靄がかかっていた視界を開いた気がした。
(あ……)
脳裏に浮かんだのは、ついさっきの光景だった。
王宮へ戻るよう従者に命じたミレーヌに、エドワードは「もう少しご一緒しませんか」と微笑んだ。
そして、以前ミレーヌが行きたいと騒いだ王都外れの有名店へ――半ば強引に馬車の行き先を変えたのだ。
ぞわりと背筋が粟立つ。
(すべて、エドワード様が仕組んだことだったとしたら?)
動揺がそのまま魔力に伝わり、防御障壁が揺らぎ始めた。
(まずい、崩れるっ――もう、これ以上、障壁を維持できない……っ)
必死に制御を立て直そうとするが、指先が震える。
動揺を悟られてはいけないのに、思考が乱れるとコントロールが効かなかった。ここでも練習・経験不足がミレーヌを苦しめる。
完全に防御障壁が崩れる、そう思った次の瞬間には、障壁は完璧さを取り戻していく。滑らかで、無駄のない魔力制御。エドワードの力だ。
ミレーヌは恐る恐る、ゆっくりと隣を見た。見てはいけないと頭の中で警報が鳴る。しかし好奇心がどうしても抑えられなかったのだ。
(あ……)
瞬いていた。口が半開きになっている気がする。
隣にいるのは、まったく知らない男だった。
違和感の正体に確信を持ってしまった。そしてその確信は、どうやらエドワードにも伝わったらしい。こちらを見据える視線が細まり、視線の温度が下がる。
「からくりは分からないが、僕の計画がすっかり狂わされたようだ」
エドワードは、独り言をつぶやいていた。
「あまり使いたくない手だけど、言うことをきかせた方が早そうだな」
今度は身体中の肌が粟立った。エドワードの声が、聞いたこともないくらい冷え切っていたからだ。感情の欠片もない、そして、こちらの感情さえことごとく凍てつかせる、悪役が真の姿を見せたときの声だった。
(これは……)
甘やかな微笑みの奥に潜んでいたものが、顔を覗かせたのだ。
気づけば、障壁を攻撃する魔法は止んでいた。襲撃者たちの気配が消え、静寂だけが落ちる。なにか、彼が合図を送っていたのかもしれない。
その沈黙の中で、エドワードが一歩踏み出す。
「大丈夫。何も怖くないさ」
冷えた指先が顎をすくい上げる。逃げ場を塞ぐように距離を詰められ、ラピスラズリの瞳が至近で揺れた。
「僕の目を見て」
瞳が闇を深くし、美しく煌めいた。視線を絡め取られ、意識が引きずられそうになる。
(やばいやばいやばい!)
ミレーヌは頭をフル回転させて、瞳に防御魔法を集中させた。
(お願いだから上手くいって。じゃないと、たぶん断罪ルートが確定しちゃうから!)
ミレーヌが当初から抱いていた違和感は正しかった。そして距離を取ろうとした選択も間違っていなかった。
だけど、少しばかり遅かったようだ。そもそも、エドワードに対する認識が間違っていたのだ。
必死に瞳に魔力を込めていると、急に身体の内側がざわついた。これまで感じたことのない感覚だ。ぼやけていた魔力の流れが、はっきりと輪郭を持って掴めていく。
もうエドワードの瞳を見ても、先ほどのような違和感は覚えなかった。
「一体……どういうことだ?」
それはミレーヌが感じるだけではなく、エドワードにもわかるほどの変化だったのだろう。エドワードの声音には、これまでになかった警戒が滲んでいた。
思わず、ミレーヌは身震いし、真顔になった。
エドワードには、家庭環境の複雑さと婚約者との関係に疲れ切った末に、その退廃的な魅力が形成されたという設定――表の顔とは、別の顔があったのだ。
そう考えるとつじつまが合う。
ユニ恋における悪役令嬢ミレーヌは、元来の性格に難があったとはいえ、破滅するほど狂った人間ではなかったのかもしれない。
もし、背後で巧妙に誘導されていたのだとしたら。
エドワードの本当の顔は、退廃的な公爵令息などではなく――。
悪巧者、と言うのが正しかったとしたら。
それはとても甘美な響きだとは思わないだろうか?




