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街の中心から離れるにつれて、建物はこじんまりとしたものへと変わっていった。絢爛な街並みも嫌いではないが、こうした落ち着いた雰囲気は、記憶を取り戻したミレーヌにとって好ましいものだった。
馬車が速度を落とす。もうすぐ目的の店に着くのだろう――そう思った、その瞬間だった。
馬が怯えたように嘶いて、馬車に急ブレーキがかかる。
何事かと思う間もなく、馬車が激しく揺れた。
「あっ……!」
「ミレーヌ様……っ」
体勢を崩しかけると、エドワードの焦った声が聞こえた。
しかし、顔を見合わせる間もなく、馬車が激しく旋回。次の瞬間には、身体が外へと放り出され宙に浮いていた。
魔力の気配がした。誰かが自分たちを魔法で外へと引きずり出したのだ、と直感する。
(あれ、どうして私がこんなに簡単に、魔力の気配を感じ取ることができるの?)
突風が巻き起こり、プレゼントされたばかりの帽子がさらわれそうになるのを反射的に押さえながら、ミレーヌは眉をひそめた。
ミレーヌは魔力を捉えるのが苦手だった。だからこそ、学院入学後には、落ちこぼれと陰で呼ばれることになる。
得も言われぬ違和感を覚えたけれど、土埃が舞い上がる中で、自分の身体が宙に浮いていることの方を先にどうにかすべきだと判断した。
(風よ、体を浮かせて……!)
身を守るために必死に魔力を発動させようとする。
しかし――不発!
(そりゃ、そうだよね)
なんとなく、今なら魔法を使えそうな気がしたが、そう上手くはいかなかった。
(うわーん! このままじゃ断罪以前に、ボロボロになって終わりじゃんか……!)
(一体全体、どうなってるのよ⁉)
王女なのだから誰か助けてくれてもいいのでは、と思う。だがミレーヌはヒロインではない。世界はそこまで都合よくできていない。諦めて地面へ叩きつけられる衝撃に備え、目を閉じた、そのときだった。
別の魔法の気配が割り込んでくる。
(これは、エドワード様……? でも、まさかなあ)
瞬間、強い力に身体を引き寄せられ、分厚く弾力のあるものに包まれた。
従者が助けてくれたのだろう。ここで、「遅い!」と罵倒の1つも飛ばしているところが本来のミレーヌ流だが、絶体絶命の場面で助けてくれた相手にそれを言うなんてことはもうしない。
お礼を言おうと振り返り、ミレーヌは瞬きをした。
「あ、ありがとう……え?」
ミレーヌはエドワードの腕の中にいた。彼の胸に庇われる形で、地面に叩きつけられる衝撃から守られていたのだ。絶対に見捨てられると思っていた。だからこそ、はなから期待していなかった相手の登場に戸惑う。
「エドワード様が、どうして……?」
「どうしてとは心外ですが、王女殿下をお守りするのは当然の務めです」
緊急事態にもかかわらず、エドワードの声音は驚くほど落ち着いていた。瞬く間に防御障壁が展開され、二人を包み込む。
一時的にだろうけれど、安心感を覚えた。
そして、本来なら今が、ときめく場面なのだろう。
(だけど今の発言、エドワード様が言うと胡散臭いにもほどがあるんだよなあ)
ヒロインと結ばれる場面で、真っ先にミレーヌを切り捨てたあの絶対零度の表情を知っていた。
杏が「ここ最高!」と興奮気味に見せてきたスチルの冷たい眼差しが、まざまざと脳裏に蘇る。
だから、そんな甘ったるいセリフもミレーヌにとっては胡散臭すぎて、ときめきは霧散してしまった。
今さら足掻いたところで、かき集められるものでもなさそうだ。
「――ッ、ミレーヌ様、伏せて!」
突如――バリンッ、と音が鳴った。
エドワードがミレーヌに覆いかぶさった。
頭上から、防御障壁の欠片がぱらぱらと降り注ぐ。
思わず悲鳴がこみ上げるのを、ミレーヌは必死に飲み込んだ。
今は余計なことを考えている場合ではない。
エドワードの張った防御障壁に、攻撃魔法が矢のように降り注いでいた。
「お怪我は?」
「大丈夫よ。それより、一緒にいた従者たちの姿が見えないし……どういう状況なの……⁉」
あの攻撃の雨の中にいるとしたら、無事では済まないだろう。ミレーヌの身体は無意識のうちに震えていた。
「わかりません……ただ、かなり厄介なことになったようです」
エドワードの顔に初めて焦りが浮かぶ。大変なことになったとミレーヌは不安に思った。
このままでは命の危険がありそうだ。
もちろんミレーヌは死にたくなかった。こんなところで死んでたまるかと思っている。そして、生き残るためには理性的でいなければならないことは理解していたので、取り乱したりはしなかった。
王女として過ごしてきた年月の中で、いざという時の身の守り方は叩き込まれている。決して取り乱すな。防御に徹しなさい。
教師たちはミレーヌの資質を見抜き、複雑な攻撃魔法ではなく防御術を重点的に教え込んだ。要領の悪い自分には、1つの分野に絞る方が良いと判断されてのことだろう。
とはいえ、護衛に守られていた日々では実践機会もなかったし、実際にはミレーヌは、防御魔法もろく使いこなせなかった。
しかし、今は違う。
(……はず!)
違う人間がミレーヌの精神に入り込んだせいか、蓄積された知識が、脳裏で再構築されていく。絡まっていた糸がほどけ、一本の線として繋がっていくようだ。
「エドワード様。私が防御障壁を引き受けるので、その間に拘束魔法で襲撃者を捕縛することは可能かしら?」
「なにを言っておいでで……」
自分でも、なんて無謀なことを言っているのだろうと笑いたくなった。ぶっつけ本番で成功する保証などない。
でも、今は身を守るために、自分ができることをするしかなかった。
ミレーヌはエドワードの腕の中から抜け出し、立ち上がる。
「すぐに、交代できるわ」
握りしめた手が、まだわずかに震えていた。
「失礼ですが、ミレーヌ様にそんな高度な魔法が使えるのですか?」
(やっぱり、知っていたんだ)
エドワードはミレーヌの魔力が凡庸で、扱いも拙いことを見抜いていたようだ。学院入学後には世界屈指の魔法士になる人物なのだから当然だ。
「成功するかはイチかバチか、だけれど。でも、このままでは消耗戦になって、二人とも無事でいられる保証はないでしょう?」
襲撃者の目的は分からない。
だが王女と公爵令息を襲った時点で、彼らに退路はない。こちらが動こうが動くまいが、全力で襲いに来るはずだ。
(私は断罪を回避して、ユニ恋の中で悲惨な運命を辿るしかなかったミレーヌにはできなかったことをするんだから! ここで死んでたまるかってのよ!)
そもそも、前世でも若くして死んでしまったと言うのに、転生先でも、しかも転生初日に死ぬのは絶対に嫌だ。
魔力を込めた瞬間、圧縮された力が障壁を打った。警告の一撃だ。次はない、と告げているのだろう。
「エドワード様、決断を……!」
「僕は下手に相手を刺激することは反対ですが……ミレーヌ様に従いましょう」
エドワードは先ほどとは打って変わって、落ち着きを取り戻していた。
いや、落ち着きすぎているくらいだ。エドワードからは研ぎ澄まされた気配を感じる。
「王城にはすでに報が届いているはず。増援まで持たせればきっと……」
言葉の先を飲み込み、ミレーヌはエドワードをまっすぐ見た。
「……僕も消耗しています。ミレーヌ様の期待には応えられないかもしれませんが、いいのですか?」
「大丈夫。今できることをすれば、それでじゅうぶんよ」
なおも渋る彼から、ミレーヌは防御障壁魔法を引き継いだ。
魔法理論を必死に思い出しながら、どうにか現状を維持しているに過ぎないけれど、上出来だろう。
隣に立ったエドワードが攻撃魔法と拘束魔法を組み合わせて放つ。その制御は正確で、惚れ惚れするほど無駄がない。
(少なくとも、あと数分は耐えなくちゃ)
それくらいの時間があれば、王城の優秀な護衛たちはここにたどり着くだろう。
それまで、どうにかして持ちこたえたい。
そう思った瞬間、今日何度も覚えた違和感が、再び胸の奥に引っかかった。
相手は魔法の手練れだとしても、こちらには従者とエドワードがいた。それでも押されている現実をおかしく思ったのだ。
それに、消耗していると言ったわりに、彼の魔力の流れは乱れていない。
(そもそも……エドワード様が、こんな簡単に劣勢になるものなの?)
いくら学院入学前とはいえ、半年後には世界屈指の魔法士と呼ばれる人物だ。今の時点でも並の魔法士であるはずがない。
思考を途切れさせないよう注意しながら、ちらりと隣を窺う。
エドワードは障壁の内側から変わらず複雑な魔法を放っていた。ミレーヌの未熟な障壁に負荷がかからないよう補助魔法を重ねている。制御は無駄がなく、消耗している様子も――見られなかった。
では、なぜ押されているのか。
その瞬間、王宮の教師の言葉が脳裏をよぎった。
『アルシェント公爵家は、魔力を何よりも重んじる一族です』
(それなのに、魔力が平凡かつ、魔法が不得手なミレーヌとの婚約を進めた……?)
思考が乱れてしまった。
防御障壁にわずかな綻びが生まれる。
「あっ」
「危ない!」
一瞬の動揺の隙を突かれ、障壁の裂け目から攻撃魔法が滑り込んだ。
エドワードは反射的にミレーヌを庇い、光の刃が彼の頬を掠めた。




