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三十分遅れて、ミレーヌはエドワードの待つ応接間へ足を踏み入れた。
身に着けているのは飾り気のないシンプルなドレス。以前、手違いで王城に運び込まれたものの、趣味に合わないとクローゼットの奥へ押し込んでいた一着のようだ。侍女が埃まみれになりながら、慌てて探し出してくれた。
「大変お待たせいたしました」
ミレーヌは、遅参の詫びを述べ、頭を下げる。
「あ、ああ……」
顔を上げると、目の前に立つエドワードはわずかに目を見開き、口元を引きつらせていた。
どう反応していいのかわからない……というより、化け物でも見たような表情だ。
侍女たちと同じく、彼にとってもミレーヌは、この程度のことで頭を下げる人物でなかったので、無理もない反応だ。
ただし、前世の記憶を取り戻した今、これまでのミレーヌと同じ振る舞いを続けることには限界がある。断罪を回避するつもりなら、性格ごと変えてしまうのが手っ取り早いと、元のミレーヌを演じることはしないと決めた。
さて――。
〝ユニ恋〟に登場する攻略対象、エドワード・アルシェント公爵令息。
濃紺の髪に、ラピスラズリを思わせる瞳。杏に見せてもらった画面の中の姿よりも、いくらか若いが、それでも近寄りがたい気高さは変わらない。
王国一番の美を持つ男として作られたその肩書きに違わず、息を呑むほど美しかった。
そしてなにより、他を圧倒する、その魔力保有量。
ユニヴェル王立魔法学院の一年生にして、世界で五本の指に入る魔法士と謳われただけのことはある。現実で対面すると、魔法の才がないミレーヌでさえ畏怖の念を抱いた。
しかしエドワードは、ヒロインを翻弄し続ける捉えどころがない人物、家庭環境の複雑さと婚約者との関係に疲れ切ったことで、その退廃的な魅力が形成された――と聞かされたはずだけど。
(すでに退廃美は完成されているような……)
むしろ、これ以上成長してしまったら、一国を滅ぼしかねない気さえする。
そんなことを思いながら、ミレーヌは内心で呻いた。
(それにしても、まずい)
なにがまずいって、どうしようもなく、エドワードの顔が――タイプだったのだ。
すでに一国の王女が、その退廃美の虜になりかけている。
この美貌を目の当たりにしてしまえば、ミレーヌが婚約を迫り、のちに嫉妬に狂う気持ちもわからなくはない。
たとえばもしここに、もう1つ決定的な要素が加わっていたら、自分も同じ道を辿っていた――いや、もっと最悪な形になっていたという確信すらあったから頭が痛い。
そして、その決定的な要素というのも……。
腹に一物抱えたイケメンの泣き顔が見たい、という前世からのどうしようもない性癖だった。
ちなみにもともとのミレーヌも、エドワードの顔は好みだった。
次いで、公爵令息という身分が、自分が降嫁しても差し支えない条件だと上から目線にも考えていたせいで、断罪ルートに片足を突っ込むきっかけになってしまった。
多少の差はあれど、同じ穴のムジナ。
その言葉が頭をよぎり、ミレーヌはこの関係を早急に断たなければならないと改めて決意した。
幸いエドワードの退廃的な美貌は好みでも、それだけの要素しかない男の涙を、自分自身の身を滅ぼしてまで見てみたいとは思わなかった。
だからこそ、ここで婚約に至らず関係を終わらせることができれば、ユニヴェル王立学園入学後の破滅は回避できる。
いっそ国外の学校へ進学するのもいい。ヒロインと顔を合わせる機会そのものを断ってしまえばいいのだ。
よし、と小さく息を整え、再びエドワードを見上げる。
彼はすでに表情を取り繕い、完璧な微笑を浮かべていた。
「どういった心境の変化があったのです……?」
(やっぱり、そうなるよね……)
問いたくなる気持ちはわかる。けれど、貴方とのデートを心待ちにしていた最中にコルセットで圧死しかけ、あまりの苦しさから前世の記憶を思い出した――などと言ったところで、信じてもらえるとは思えない。
頭までおかしい女だと思われて、関係が即終了するのなら万々歳なのだが、その話が両親の耳に入ってしまえば厄介だ。のちのち自由な行動に制限をかけられるのは、どうしても避けたい。
(なので、目指せ、円満に、婚約前の始まってもいない関係を終了させる!)
そもそも、ユニ恋におけるミレーヌは、王女とはいえ問題行動の多い人物だった。
王家に次ぐ権勢を持つアルシェント公爵家ほどの家であれば、気難しい王女との縁談を断ることも難しくはなかったはずだ。
それでも話が進んでいたということは、何か別の事情があったのかもしれない。
だが、ミレーヌの中にある記憶と、前世で杏から聞いた断片的な情報だけでは、その答えには辿り着けなかった。
だからこそ、うかつな行動は取れない。短絡的に関係を終了させるのではなく、時間をかけて距離を置く。
慎重に立ち回る必要があると、この部屋に向かうまでの時間で判断したのだ。
「ミレーヌ様……?」
「……っ」
考えに更けていたら、名を呼ばれ、顔を覗き込まれた。
いつの間にかエドワードがすぐ目の前まで来ていた。
あまりの美しさに思わず目を細めたが、何の効果もなかった。
「……ごめんなさい。少し考え事をしていて」
「気分がすぐれないのですか?」
「いえ、そんなことは……」
思考が乱れるから必要以上に近づかないでほしい、とは言えなかった。
「そう? なら安心しました。僕は、貴女に会える今日という日を、心待ちにしていましたので」
すっと離れていったエドワードに、「う、うそだあ……」と反射的に返しかけて、どうにか頭文字を飲み込み事なきを得る。けれど表情までは隠しきれなかったらしい。
エドワードが訝しげに眉を上げ、しかしすぐに疑念を振り払うように微笑んだ。
「それで、その可愛らしい服装はどうしたのです? いつもと趣向が異なるようですが……」
甘ったるい響きを伴う声音に、心臓が破裂しそうになった。
あと少しで、「ぎゃぁー」と悲鳴を上げてしまうところだった。
「……もうすぐ学院生になるので、趣向を変えてみようかと思って。ああいうのは、少し派手すぎたなと反省しているの」
過去の自分の、奇行ともいえる姿を思い出したら頬が熱くなる。
「……そうですか。しかしどちらの服装も、よくお似合いだと思います」
ものすごく怪しまれている気がする。そんな視線をビシビシ感じる。
それに、エドワードの態度がいつもと違うような。
しかし、エドワードに追及をするつもりはないのか、あっさり話題を変えられてしまった。
「それで、本日はどちらへ?」
「えーと。……街までドレスを見に行きたいなと思っているの」
以前もミレーヌは、同じことをエドワードに言った。
その時はたしか、城に外商人を呼べばいいとにべもなく言われ、結局はミレーヌが騒いで街へ下りることになったはず。
だから今回も同じように断られて、あっさり話を切り上げお引き取りいただく――そのつもりだったのに。
「構いませんよ。ご一緒します」
「え……?」
「もしや、僕はお邪魔でしたか?」
「い、いえ……別に、そんなことは」
「本当ですか? それに今日は、まだ婚約の話を進めるようおっしゃってくれていない。いつもは、僕の顔を見ればすぐにその話をしてくださったのに」
「うっ……それは……今日は、その。……そういう気分じゃなくて」
計画は失敗するし、何よりその言葉は手ひどい響きがあった。
(触れないでくれるかと思ったのに……!)
思わず顔を覆って叫びたくなる。以前までのミレーヌはエドワードに夢中で、会うたびに婚約を迫り、両親にも話を進めるよう頼み込んでいたのだ。
だが、娘を溺愛する国王……お父様は、十六歳の王女に婚約者などまだ早いと首を縦に振らなかった。一国の王女としてはむしろ遅いくらいなのだけれど。
過去の自分の振る舞いを思い出して羞恥に沈んでいると、エドワードの表情がわずかに曇った。
「ミレーヌ様との間に、今日は距離を感じています」
エドワードが、物理的に距離を詰めてくる。
「僕には、飽きてしまった?」
「え……?」
「あれほど愛を囁いてくださっていたので、本日は貴女のお気持ちにお応えするつもりで登城したのですが」
そう言うと、エドワードは膝をつき、ミレーヌの手を取った。
長い睫毛に縁取られたラピスラズリの瞳が、真っ直ぐにこちらを見上げてくる。
(これは一体、どういうことなの⁉)
この関係も、ずっとミレーヌの独りよがり、片思いだと思っていた。あんな服やこんな服で現れては地位をひけらかし、婚約を迫っていた相手のどこに好意を抱く余地があったというのか。
(やっぱり王族という身分が魅力的だった? それとも私の容姿? 自分で言うのも悲しいけれど、選ぶ相手の趣味が悪すぎない?)
悪役令嬢として造られたミレーヌの美貌も確かなものだが、同じくらい美しい令嬢は探せば他にも見つかるだろう。
色々考えてみたところで、エドワードの考えが分かるわけもなかった。
(まさか……本当に私のことを好いてくれていたなんてこともあったりして?)
言葉を失ったまま跪くエドワードを見下ろしていると、指先に触れる彼の手の感触がやけに生々しく意識されて、思わず引きつった悲鳴が漏れた。
「ひぅっ」
慌てて手を引き、半歩後ずさる。エドワードの眉がわずかに動いた気がした。
「婚約もしていない相手に、このような振る舞いは控えるべきでは?」
「……いつもは貴女から強請ってこられたのに?」
「…………」
(そうだった……! 過去の私のバカ……!)
ミレーヌは、瞳をじっと見つめてくるエドワードから目を逸らす。本当は今すぐ「もうお会いしないので!」と告げてこの場を逃げ出したい。それほどまでに、彼の瞳には人の思考を奪うような力があった。
(さすが乙女を虜にするため生まれたキャラ……恐るべし)
触れられた手をさすっていると、不意に腰を支えられ、滑らかにエスコートされる。
「ここで話していても仕方がありませんね。まずは、ミレーヌ様の望むドレスを見に行きましょう」
「い、いや、ちょっ……」
「そして王宮に戻ったら、僕からも国王陛下に婚約のお許しをいただくよう伺いを立てさせてください」
「え、いや……」
(余計なことをしないで……!)
絨毯にヒールを突き刺すように踏ん張ってみるが、ちっとも効果はなかった。
ミレーヌの抵抗もむなしく、温かい眼を向ける従者たちに見送られるまま、あっという間に馬車に押し込まれてしまう。
扉が閉まり、車輪が動き出した。
馬車に揺られながら、ミレーヌはため息を隠さず吐いた。
積極的に街へ出ることを選んだエドワードは、まるでミレーヌと二人きりになる時間を望んでいるかのようだ。
エドワードがこんなに強引な一面を隠し持ったキャラだとは思わなかった。記憶の中の彼は、嫌々ミレーヌに付き合わされていただけで、ミレーヌのことを邪険に思っていたはずなのに。
杏にチラッと見せてもらったある場面では、腕に縋りついたミレーヌのことを突き飛ばしこそしなかったが、軽蔑の色を隠そうともしない目を向けていた。
エドワードとミレーヌの学園入学まで、あと半年。その間に二人のあいだに何が起こるというのか。
自分の曖昧な記憶を恨みながら、ミレーヌはひどく気まずい馬車の時間を過ごすことになった。




