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 前世、最後の日。

 それは親友の杏と、大学の講義が終わったあとにカフェへ寄り道した帰りだった。


 店を出てからも話は尽きず、昨日のドラマの続きがどうなるとか、来週から始まる試験はどこを山に張るべきかとか、取り留めのない話をだらだらと続けていた。

 けれど会話の大半は、ここ半年ほど杏が夢中になっている乙女ゲームの話だった。


 杏がハマっていたのは、『ユニヴェルの恋物語』という乙女ゲーム。

 通称〝()()()〟。


 ユニヴェル王国の王立魔法学院を舞台に、複数の攻略対象と恋に落ちる王道の乙女ゲームだ。

 恋愛模様も様々で、どのルートも最高なのだと、杏は目を輝かせながら語っていた。


 中でも一番の売りはキャラクターの〝顔〟だという。

 信じられないほど美形がそろっていて、立ち絵を見ただけで課金を決意した、と力説されたぐらいだ。


 カフェにいた数時間、ほとんどそれを聞かされていたはずなのに、語る話は尽きないらしい。

 杏が身振り手振りを交えて説明する横で相槌を打ちながら、夕暮れの交差点で足を止めた。信号は赤。立ち止まる女子大生二人の姿は、どこにでもある日常の一コマのはずだった。


 けれど突然、耳をつんざく急ブレーキ音が鳴り響いた。


 何かを思う間もなく、強い衝撃に襲われ息が詰まった。

 薄目を開けると、身体が壁と車の間に挟まれていた。

 痛くて、苦しくて。やがて意識が遠のいていく、そのさなか。


「ねえ、これってユニ恋の世界の冒頭と一緒だね」


 隣から、杏の、やけに楽しそうな声が聞こえた。


 こんなときに何を、と思ったけれど、こんなときだからこそ出てきた言葉だったのかもしれない。


「交通事故に遭った女の子が、目を覚ますとヒロインになってるんでしょ」


 幾度となく聞かされた冒頭の設定を、律儀になぞった。

 隣の杏が、やや苦し気に、「そうそう」と反応した。


「ちなみにアンタだったら、どのキャラと恋に落ちたい?」

「私は別に……」


 プロフィールを見聞きした限りでは、好みのタイプはいなかった。

 

「えーつまんないの。……どうか神様、うら若き乙女の命を刈り取るんだから、代わりにユニ恋の世界に転生させてください」

「それじゃあ、死神では? ていうか、私たちまだ死んでないし」

 

 ふっと笑みがこぼれる。

 コンクリートの冷たさを背中に感じながら、意識を繋ぎとめるようにくだらない話をポツリポツリと続けていた。

 やがて救急車のサイレンが近づき、慌ただしい声が飛び交い始める。

 

 ふいに、身体を押しつぶすような苦しさから解放された。


「一名軽症、もう一名は……」


 その先は、うまく聞き取れなかった。


(けど、よかったね、軽症だって)


 笑ったつもりだった。


 杏が馬鹿なことを言うから、神様が助けてくれたんだよ。願いを叶える方が面倒だ、なんて言ってね。

 だんだん瞼が重くなって、杏は何か言っていた気がする。


 でも、その声は聞き取れなくて、周囲の音は次第に遠ざかり、やがて何も聞こえなくなった。





 ミレーヌ・ユニヴェルは、ドレッサーの前で立ち尽くしていた。


(全部、思い出した……)


 突然蘇った前世の記憶。盛大にフラグを立てて死んだ自分の最期。

 ここが、杏が熱弁していた乙女ゲーム〝ユニ恋〟の世界であるという現実。


(そして、自分がこの世界のヒロインに……転生できていないことにも!!!!)


 がくりとドレッサーにもたれかかり絶望する。



『ミレーヌ・ユニヴェルって、ほんっとに嫌な女!』


 唐突に杏の声が蘇り、頭が痛くなった。

 


 


 ミレーヌはユニ恋における、いわゆる悪役令嬢だった。

 攻略対象の一人、エドワード・アルシェント公爵令息の婚約者で、束縛魔、悪趣味、超ヒステリックに泣き叫び癇癪を起こす最悪の王女(杏談)。

 学園ではどのルートに突入しようがヒロインを虐める性格の悪い女であり、優秀な魔法士を多く輩出する王家に生まれながら、魔法を上手く使いこなせない落ちこぼれ。

 徐々にその事実が露見し、ゲーム終盤では彼女の立場は悪化の一途を辿る。


 そして、そういう女の末路は決まって、断罪だ。


 ヒロインがエドワードルートに入れば、ミレーヌは最も悲惨な未来を辿る。ルートに入らなかった場合は知らないが、少なくとも幸せな結末は用意されていないだろう。


 もう一度、鏡の中の自分を見つめる。背後では侍女たちが顔を見合わせ、戸惑いを隠せない様子だ。コルセットを締め終えたあと、黙り込んで動かなくなった主人を心配しているのだろう。


「ミ、ミレーヌ様……そろそろお着替えを済ませませんと、エドワード様が到着されてしまいます」


 おずおずと口を開いた侍女の言葉に、視線が自然と部屋の奥へ向く。用意されているのは、これでもかというほど派手なドレス。胸元は大胆に開き、昼間の外出にも、十六の少女が着るに相応しいドレスなのかも疑わしい。

 ミレーヌにとっては勝負服なのだろうが、正直、こんな格好で現れた女に好意を抱く男性がいるとは思えない。誰か一度、真面目に助言してあげてほしかった。もっとも、ミレーヌが聞き入れたかどうかは別として。


(あれを着るだなんてありえない……)


 深く息を吸い、ゆっくりと背筋を伸ばす。息苦しさが多少緩和され、ごちゃまぜになっていた記憶が少しずつ整理されていく。


 今日は、婚約前のミレーヌとエドワードがデートに出かける日。

 つまり、ユニヴェル王立魔法学院への入学前の時期にあたるということ。


 とるすと確実に、ゲーム本編は始まっていないとみていいだろう。開始前に転生できたのは、せめてもの救いだった。

 ……と前向きに物事を捉えることにしないと、正気を保てそうになかった。


 今は、細かいことを考えている余裕も、立ち止まる時間すら命取りになる可能性がある。


「それに今なら……」


 思わず零れた呟きに、侍女たちが顔を見合わせ、不安そうにこちらを窺った。

 いくらミレーヌのわがままに慣れているとはいえ、どんな無理難題を申し付けられるか恐れているのかもしれない。


(エドワード様との婚約を不成立にさせて、断罪回避に向けて動くこともできるんじゃないの?)

(悪役令嬢に転生したからって、決められた通りの人生を生きる必要なんてない)


「まだ、間に合うかもしれない」


 その言葉に、侍女たちはぱっと表情を明るくする。


「間に合いますとも! さあ、こちらへ」

「エッ」


 励ましを求めているのだと勘違いしたらしい侍女に促され、ミレーヌは用意されたドレスの前に立った。

 前世の記憶を取り戻した今のミレーヌには、もうこんな格好で外を歩く勇気はないというのに。


「待って……!」


 思わず声が大きくなり、侍女たちの手が止まる。

 せっかく整えてもらった髪も、死ぬ思いで締め上げたコルセットも惜しいが、仕方がない。


「今から別の服に替えると言ったら、手伝ってもらえるかしら? たとえば……そう! もう少し清楚で、日中の外出にふさわしいものに」


 言いながら、自分でも分かるほど眉尻が下がった。

 急にこんなことを言い出して不審に思われないだろうか。


 案の定、侍女たちは目を丸くして顔を見合わせる。無理もない。ミレーヌが侍女に伺いを立てることも、自ら装いを改めようとするなど、これまで一度もなかったのだから。


 けれど、たった今、決意したのだ。


 断罪される未来を変えるために、エドワードとの関係を終わらせると。

 そして、少なくとも昼間の街中を、この悪趣味なドレスで闊歩する自分とは決別することを。


 やがて侍女たちの表情がぱっと輝いた。


「お任せください!」


 部屋の空気が一気に弾む。

 その勢いに押されるよう、ミレーヌは侍女たちの腕に身を委ねることにした。


 


 ……かくして、そのような経緯で、ミレーヌは未来の婚約者(仮)、エドワードとのデートに挑むことになったのだった。

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