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(だめ、これ以上は――)


 背後から伸びてくる手に、思わず体が跳ねた。


「もう少し、力を抜いてくださいませ」


 背中に熱い息がかかり、「ひっ」と喉が鳴る。


(そんなに強くしないでっ……!)


 内臓を締め上げられるような圧迫感に、視界が揺れる。

 さっきからずっと、胸や胃、どこもかしこも苦しいせいで、息が上手に吸えていない。


「さすがに、いつもみたいにスムーズにはいきませんね……」

「次は、もっと勢いをつけていきましょう」


 背後から困惑した声が重なって聞こえ、息を合わせる気配がした。


「「せーのっ」」


 重なった掛け声に、慌てて制止を呼びかける。


「まって、もう、本当に無理だから……!」


 しかし懇願もむなしく、容赦なく体が引き絞られた。今日一番の苦しさが体を襲う。

 酸素が脳にまで回っていないのか、頭がくらくらする。


(――ああ、もう無理、限界。死んじゃうってば……)

(あれ、だけど私は、どうしてこんなに苦しい思いをしているんだっけ……?)


 朦朧とする意識の中でそんなことを思った。

 それと同時に、死ぬだなんて大げさな、とあざ笑う自分の声が聞こえた。

 だってこれは、婚約者に会う前の身支度の最中で……ものすごい力技を駆使して、無理やりコルセットを締め上げているだけの、何度も経験してきた日常の一コマで……。


 

 けれど、今日はひとつだけ、いつもと違うことがあったはずだ。


 

 婚約者を確実に落とすため、いつもよりワンサイズ小さいコルセットを用意させた。

 そのせいで、締め上げられてすぐに意識が混濁するような苦しさを覚えて――。


 

 そこからはあっという間だった。

 呼吸がままならなくなって、苦しくなって、やがて苦しさは輪郭を失い、代わりにとろりとした眠気が意識を包み込む。抗おうとしても、身体のどこにも力が入らない。

 

(――あのときも、同じだった)

 

 そんなことを思った瞬間、頭の奥で何かが弾けた。


 走馬灯のように流れ込んでくる、見知らぬはずの記憶。

 前世の記憶が一気に蘇る。


(私は、あの時、一度死んでいるんだ……)


 荒く息をつきながらドレッサーに手をつき、どうにか顔を上げた。つるぴかに磨き上げられた鏡に映っていたのは、青ざめた少女。今にも倒れそうな顔色をしているくせに、金に近い亜麻色の髪は艶やかで、肌は陶器のように滑らかだ。エメラルドグリーンの瞳は宝石のように煌めいていて、どこか人形じみた美しささえある。


「ミ、ミレーヌ様、ご気分はいかがですか?」


 鏡越しに侍女が心配そうに覗き込んでくる。


(ミレーヌ様……)


 薄靄のかかった思考を必死に働かせ記憶を手繰り寄せると、これまでミレーヌとして生きた細かい生い立ちや日常が浮かび上がる。

 

 ミレーヌ。ミレーヌ・ユニヴェル。

 ここはユニヴェル王国。


(そして私は、ユニヴェル王国の第一王女で……)


 どうやら、いわゆる異世界転生をしてしまったらしい。



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