122 やってきた神殿長
ミナト達が村の入り口へ向かって歩いて行くと、途中で神殿長に出会った。
神殿長は四人の冒険者と二人の神官と一緒である。
藪の中をゆっくり進んできた神殿長は、アニエスを見て泣きそうな顔になった。
「聖女様! よくぞご無事で」
「ご心配をおかけしました。コボルトさん達の村作りの準備を手伝っておりまして」
「神殿長、わざわざいらっしゃるってことは緊急の要件ですか?」
そう尋ねたのはジルベルトだ。
神殿長は、鉱山でのトラブルに対処していて忙しいと昨日言っていた。
鉱山からの収益は、今の神殿の収益の大きな部分を占めている。
いくら聖女が一晩帰ってこなかったからといって、神殿長自らやってくるのは不自然だ。
「そうなのです。実は聖女様に緊急でご相談したいことがありまして」
「そうですか。ならばここでは話しにくいでしょう。村の中心まで移動しましょう」
ジルベルトは怯えた様子の神殿長や神官達、緊張した様子の冒険者達に配慮したのだ。
このような場所では、神殿長は落ち着いて話ができないだろう。
全員で移動を始めると、冒険者がミナトに笑顔で声をかけてくる。
「ミナトとタロ。今日も元気そうだな!」
それは、以前冒険者ギルドで知り合った冒険者だ。
「えへへ~、元気だよ。あ、レックスさんも村にいるよ!」「わふわふ」
「レックスの奴、こんなところにいたのか? ギルド長が探してたってのに」
「なんかあったの? 神殿長さんが相談したいことと関係あるの?」
「ああ、関係ある。それも神殿長が話すだろ」
冒険者は困ったような表情を浮かべていた。
家が建っている場所まで到着すると、神殿長は魔獣達を見て腰を抜かした。
「ひ、ひぃぃぃ! 至高神様。お守りください」
神官達も神殿長と同様に驚いているし、冒険者達はすぐに武器を構えた。
「ご安心を。魔獣の皆は、村作りに協力してくれることになりました」
「……へ? なんと? そんなことが? そんなことが、ありうるのですか?」
「はい、皆さんとても賢い子たちで」
アニエスが笑顔で言いながら、魔猪を撫でると、
「なんと、さすがは聖女様です」
と神殿長は納得していた。
「……奇跡だ。……聖女様」
冒険者や神官達も感激している。
聖女には魔獣を手懐ける権能などない。だが、聖女ならあり得ると皆が考えている。
それほど、聖女というのは偉大な存在なのだ。
アニエスは、無言でミナトとタロを見て、こっそりと片目をつぶる。
「……ありがと」「わふ」
ミナトが魔物を説得したと言えば、使徒だとばれてしまい、大きな注目を浴びることになる。
だからこそ、アニエスはミナトの身代わりとしての役割を果たしているのだ。
「とはいえ、今回のことには氷竜さん達の協力を得られたおかげなのですが」
「氷竜の協力ですって! 氷竜って、あの氷竜?」
神殿長は驚愕に目を見開いている。
「私達が氷竜王の山に登っていたことはご存じでしょう? そこで仲良くなりまして」
「なんと……。聖女様には本当に……驚かされます」
驚いている神殿長に、アニエスは素早く草案を見せる。
「せっかく来られたのです。契約書の草案がありますので、サインをお願いします」
「ふえ?」
奇跡に驚き、そして感動している間に、サインさせてしまおうというアニエスの作戦だ。
「えっとですね。契約内容を簡単にまとめますと――」
アニエスは笑顔で契約内容を説明していく。
魔獣達は村の運営に協力する代わりに報酬をもらう。
氷竜は畑をコボルト達が使うことを許可し庇護する。
その代わりに、氷竜は村に屋敷をもらい滞在する権利と優先的に作物買い付けの権利をもらう。
「なんと、魔獣達と氷竜とも契約を交わすのですね……なんと」
「そして、コボルトさん達と神殿の契約内容は――」
アニエスの契約の草案を聞いて神殿長は固まった。
コボルト達が支払う賃料と税が、信じられないほど安かったからだ。
「いや、聖女様、……それはいくら何でも」
「あら? 元々収益をあげられなかったのでしょう? それに魔鼠が出たのだし」
収益を上げられなかったし、収益を上げる目処もたっていなかった。
「ならば、雀の涙ほどの報酬でも、プラスになるならかまわないのでは?」
「それは、いや、しかし……そうなると、他の者に示しが……」
「そうはいうがな? 人族の神殿長」
神殿長は見知らぬ少女に急に話しかけられて、一瞬固まった。
美しい青い髪に、人間離れした美貌。抱っこしているのは小さな竜。あふれ出る威厳。
そう、人型の氷竜王グラキアスである。
「あ、あなたは?」
自分より遙かに年下に見える少女の姿のグラキアスに、神殿長は丁寧に応対する。
グラキアスの醸し出す雰囲気が、そうさせたのだ。
「ん? 自己紹介がまだであったな。我こそが氷竜王であるぞ」
「…………」
神殿長も、神官も、冒険者達も固まって、言葉を失った。
氷竜とは敬して遠ざける存在だ。怒りに触れれば文字通り国が滅びる。
しかも、相手は氷竜王。リチャード王であっても頭を垂れるだろう。
「本来であれば、我ら竜は人族の縄張りになど気にせぬのだが……」
竜は人族など無視して、どこだろうと住みたければ住むし、畑にしたければ畑にする。
それは人族が家を建てる際に、野犬の縄張りに気を遣ったりしないのと同じことだ。
「まあ、アニエス達やコボルト達には世話になったゆえな。契約してもいいと思ったのだ」
グラキアスもミナトとタロの事情を聞いているので、あえて名前は出さない。
「問答無用で我の領地だと宣言してもよいのだがな。アニエス達の顔をたてることにした」
氷竜王にそう言われて、断れる人族はそういない。
もし勘気に触れたら、街どころか国が滅びるのだから。
「で、ですが、あなた様は本当に氷竜王陛下なのですか?」
「おお、そうだな? 疑うのももっともなことだ」
次の瞬間、グラキアスは竜の姿に戻った。
あまりにも巨大な体。周囲を払う大きな魔力。偉大な存在だと本能でわからされる。
「ひぃぃ」
『これでよいか? まだ納得できぬのであれば、我が力をさらに――』
「も、もう十分にございます! 氷竜王陛下! 不遜な物言い、誠に申し訳ありません」
するとグラキアスは人型に一瞬で戻った。
「そうか。我を氷竜王と認めてくれたようで何よりだ」
「ということで、認めてくださいますよね?」
すかさずアニエスが契約を迫る。
「あ、あの、聖女様、氷竜王陛下」
「なにか?」
何か言おうとした神殿長をアニエスは笑顔で見つめる。
アニエスの笑顔には、かなりの威圧感があった。だが、神殿長も負けていない。
「じ、実は、困ったことがありまして。新たな契約は結べる状態ではないのです」
「困ったこと? それは一体?」
「私が聖女様に相談したいことでもあるのですが……」
そう言って、神殿長はゆっくりと語り始めた。
「聖女様には、ここ数日、鉱山に魔物が出没し始めたことはお話ししましたでしょう?」
「そうだったわね。だから魔鼠退治の人手が足りないって聞いてはいたけど……」
「鉱山の魔物討伐にはまだ時間がかかりそうだという話でしたが、事情が変わったのですか?」
ジルベルトが丁寧に尋ねる。
伯爵家出身のジルベルトは育ちがいいので、偉い人と話すときは口調が改まるのだ。
「はい、実は魔物が一気に増えまして、冒険者達ですら鉱山の中に入れない状況です」
これまでは、採掘している鉱夫が、たまに魔物に襲われる程度だった。
魔物が出たら、怪我人が出るし、出没した付近では安全が確認されるまで採掘が止まる。
だから、安全に採掘するためにも冒険者を雇い鉱夫を保護しなければならなかった。
「それが昨日、突然魔物が大量に出現したのです」
鉱夫も冒険者も鉱山に入ることすらできず、鉱山の機能自体が止まってしまった。
「こうなると神殿の経営、いやノースエンドの街が破綻します」
新たに契約を結ぶ余裕などないと神殿長は言いたいのだろう。
「我らが、その魔物を討伐する代わりに――」
ジルベルトが交渉しようとしたが、それをアニエスが手で制した。
「そういうことでしたら、契約に関わりなく、魔物を討伐してきましょう」
アニエスは笑顔でそういった。