1話 泡沫
__ピピピ、ピピピ
目覚まし時計の音が鳴る。普段なら新しい一日が始まってしまったと軽く鬱になる音としか認識していない。
でも今日は違う。
眠気眼を擦りながら起き上がる。
今日はお兄ちゃんとお出かけをする日だ。
あいにく雨の日となって、空は今の時間でも既に濃い灰色に染っている。でも私の気分はとても晴れやかだ。
そう、お兄ちゃんとのお出かけだからね…!!
私はお兄ちゃんの事が大好きだから、楽しみで昨日なかなか眠りにつけなかったのも無理はないと思う、うん。
洗顔と歯磨きを終わらせ、お気に入りのワンピースを引っ張り出し、そこまで長くのない栗色の髪を高く結ぶ。お兄ちゃんから誕生日プレゼントで貰った、星が散りばめられたペンダントをつけれれば準備はほぼ終わりだ。
…あ、女子高生ともあろう者が!メイクしてないじゃん!!
せっかくのお出かけだもん、少しでも可愛くいたいよね。
ふぅ、あぶなあぶな…。
最近少しずつメイクをやり始めているため、まだぎこちない。そんな手つきで自分に魔法をかける。
「うん、悪くないんじゃないかな?」
最終的な仕上がりは、まぁ悪くないだろうと言う出来栄え。
これで私も少しは可愛くなれたはず。
ふと時計を見ると、約束の時間に迫ってきているのに気付いた。
「やっばい!朝ご飯朝ご飯!!」
軽く散らかった自室を出て、急いでリビングへと向かう。カバンはまた後で取りに来たらいいだろう。
リビングには、丁度朝食を準備し終えたお兄ちゃんがいた。
「お兄ちゃんおはよう!」
私の言葉に反応して顔をあげる。
少し驚いた顔をした後、すぐ微笑んでくれた。
はぁああああ今日もお兄ちゃん尊い…好き…イケメンで頭良くてスポーツ出来て非の打ち所のないハイスペお兄ちゃん…まじで前世でどんな得積んだの?ってレベルだわ…。
てか私もそんなハイスペお兄ちゃんの妹として産まれてるし、私も得積んでたのでは?
前世の私ナイスすぎ…。
「おはようセツ。そのワンピース、やっぱりすっごく可愛いね。似合ってる」
「えへへ、でしょ?お兄ちゃんがくれたペンダントとも合うし、お気に入りなんだ!」
「はは、セツ前からそのワンピース気に入ってたもんね?俺も似合ってて可愛いって思ってたから、似合うペンダントを選んで贈ったんだよ」
「そうだったの?!えへへ、嬉しい…!!」
眩し。
まじ眩しすぎるよ、お兄ちゃん。それはずるいって。
泣かせた女の数やばそう…尊いの国からやって来たんじゃない?
こういう事をさらっとしてさらっと言っちゃうんだから、モテるのも頷けるよね。お兄ちゃんの妹で本当によかった。
お兄ちゃんが用意してくれた朝食を食べる為、食卓につく。
ついでにテレビもつけておこう。ニュースを見ながら朝食を食べるの、結構好きなんだよね。
テレビをつけると、丁度天気予報が流れていた。
朝から大雨だって、やだなぁ…。
外を見たら、起きた時は降っていなかった雨がいつの間にか降り始めていた。
つられて外を見たトワ兄さんは、見るからにしょんぼりしてしまった。
「せっかくてるてる坊主作ったけど、やっぱりダメだったかぁ…。大雨には勝てないよね」
「え、てるてる坊主作ったの?」
「うん、これ。晴れますようにって、ちゃんと楽しそうな顔も描いてみたんだよ」
そう言って取り出したてるてる坊主の表情は確かににっこりしていて、楽しそうだ。
お兄ちゃん、どれだけ尊いを披露すれば気が済むの?ってくらい尊いで朝から私を元気にしてくれるじゃん…?ありがとう好き。
尊いって叫ばなかった私を褒めてほしいよ。
「もしかして、一個じゃダメだったのかな。大雨の予報の時は十個くらい作った方がよかったのかな?」
「うーん、どうだろう。もしかしたら十個だと効果あるかもね!今度次の日大雨だって時、一緒にてるてる坊主いっぱい作ろ!それで本当に晴れてくれるか確かめてみよ!」
「いいね!やってみよう!」
私の提案を受けて、しょんぼりしていたお兄ちゃんの表情はみるみるうちに明るくなった。
はい、尊い。
朝食を食べ終え、いよいよお出かけ。
今日は大きなショッピングモールでお買い物と、映画を観る予定。
雨の中二人で傘をさして歩く。
「あっ」
家から目的地まで半分を少し過ぎた頃、お兄ちゃんは何かを思い出したかのように立ち止まった。
「どうしたの?」
「ごめんセツ、家に忘れ物しちゃった…。すぐに取って戻るから、ここで待ってて!」
「分かった!急がなくて大丈夫だからね!気を付けてね!」
「ありがとう、なるべく早く戻るから!」
駆け足で来た道を戻っていく。
急がなくていいって言ったのに。もう、転けちゃったらどうするの。
でもそんなお兄ちゃんが誰よりも大好き。世界で一番私がお兄ちゃんを好きな自信ある、両親よりもだ。
お兄ちゃんが行ってから少し経ったくらいだろうか。次第に雨はどんどん強くなっていく。
この雨のせいか、周りには誰もいない。川を見てみると、まだ水かさは高くはないが、帰る頃には橋のギリギリまで増しているだろうことが分かる。
__ミシッ
大雨で橋や傘に打つ雨音が大きいにも関わらず、何かの音が聞こえた。
?なんの音だろう。
不思議に思い、橋の丁度中央辺りから聞こえた音の原因を近付いて探る。見た所、特にそれといったものは見つからない。
なんだ、ただ私が歩いた時に木が軋んだだけか。
??
音がした時、私は歩いただろうか。
いや、その時私は川を見ていただけ。
周りには誰もいないから、誰かが歩いた時に軋んで鳴った音ではない。
「あれ、じゃあなんで」
口に出した瞬間。
まるでその言葉がトリガーであったかの様に。
足元が浮いた。
正しくは、立っていた橋が壊れ、着く足場がなくなっただけ。
すぐに状況が飲み込めないまま、口の中に泥水が入って来る感覚がした。
「かはっ、」
慌てて出しても、すぐにまた押し寄せる。溺れまいと藻掻くも、崩れた橋が身体にぶつかり、それを許さんとする。
上手く息も吸えないのもあり、体力はすぐに尽きてしまった。
もう藻掻く力もない。水が肺に入ってしまったのだろうか、とても苦しい、痛い。鼻からも水が入り、ツンとする。水の流れに押されて行く。
あぁ、お兄ちゃんにあそこで待っている様に言われたのに。あそこに居なきゃいけないのに。行かないと、行かないと。どうして、どうして私の身体は言う事をきかないの。
私、死んじゃうのかな。
まだやりたい事がいっぱいあった。家族や友人ともっと一緒に過ごしたかった。
苦しい…苦しいよ。お兄ちゃん、お母さん、お父さん……助けて。
あぁ、ダメだ。酸素が足りない。
肺に残っていた最後の空気がコポッと泡を浮かせたのを最後に、私の意識は暗闇へと引きずり込まれた。
それから一体どれくらいの時間が経っただろう。
数分かもしれないし、数十分かもしれない。一人の少女を飲み込む原因となった大雨は役目を終えたかのように止み。
そこには曇天の空と、崩れ去ってしまった橋と、運が良かったのか偶然端に引っかかった赤と黒の傘が一つ。
そして、泣き叫ぶ青年が___。