悪い予感がするの
ランベルト領に手紙を送ってから10日後、お父様が王都にやって来た。
私の手紙を見て婚約解消の手続きの為に急遽来てくれたのだった。
留守中に領地の事は執事長に任せたとはいえ多忙の所無理をさせてしまって申し訳ない気持ちになる。
「お父様!」
私は思わずお父様に抱き着いてしまった。
領地を出てひと月も経っていなかったのに心細かったのかもしれない。
この短い期間に気持ちの浮き沈みが激しかったから。
「エリゼ、手紙は読んだ。つらい思いをしたな」
「すみません……こんな事になって」
「お前のせいではない。私が金に目が眩んだのがいけなかった」
お父様はそう言って自分を貶めた。
私とケヴィンの縁談は元々向こうの方から来た話だ。
ケヴィンが私を見染めたと言って。
アンブロス商会はランベルト領に商売で出入りしていた大口商会の一つである。
領地の大水害の後始末もあってランベルト領の経済は芳しくない状態だ。
商会としては上級貴族に顔が効く家格の標的として狙いやすかったのかもしれない。
そして彼らの狙い通り私はケヴィンと婚約した。
多額の援助金の約束と共に。
「しかし、婚姻する前に分かったのが不幸中の幸いだ。
すぐに婚約解消の手続きを取るから安心しなさい」
「よろしくお願いします」
「すまなかったな。お前に不名誉な経験をさせてしまった」
「いいえ、お父様、謝らないでください」
♦
翌日、幾分軽くなった気分で学園に登校した。
教室に入って親しい令嬢と挨拶を交わして席に着く。
伯爵令嬢のコリンナ様と子爵令嬢のエミリア様だ。
二人共入学した時からすぐに気が合って仲良くなった友人である。
変に気を遣わずに普段通り接してくれている事がありがたい。
そんな二人の振舞いが周りの雰囲気と私の気持ちを軽くしてくれて助かっている。
雑談に花を咲かせていたら私達のすぐ近くに居る男性も加わって来た。
コリンナ様の婚約者である伯爵令息のアルトゥール様だ。
この二人は幼馴染でとても仲がいい。
話しながら時折コリンナ様の髪を触るアルトゥール様を見て幸せな気分になる。
入学した時から二人にあてられてきた私はこの様な婚約関係に憧れていた所があった。
「しかし、エリゼ嬢がこんなに変わるとは思わなかったなあ」
「あなた達殿方こそ態度が極端に変わりすぎじゃなくて?」
コリンナ様が周りを見渡して手厳しい意見を言う。
この二人の間だと全然悪意のある言葉に聞こえないから不思議だ。
「そうですわ。エリゼ様の内面は元から何も変わっていませんわよ。
男性方が勝手に品定めをして決めつけているだけなんですから」
エミリア様も同調して意見する。
ツインテールの髪形がとても可愛らしく見える令嬢だ。
私が眼鏡を外して登校した時に真っ先に色々褒めてくれた。
「まあそう手厳しい事は言わないでくれよ。
俺が言いたいのはつまらん事は眼鏡と一緒に捨てちまえって事さ。なぁ?」
そう言ってアルトゥール様が近くに居る男子生徒に声を掛けた。
「あ、ああ。そうだね。落ち込んでいる感じでしたから」
そう言って答えた男子生徒は確か平民であったはずだ。
とても優秀な成績で平民なのにAクラスに所属している数少ない一人である。
今の会話の中で極力忘れていたケヴィンの事がまた思い浮かんでしまった。
日が落ちた頃にお父様が帰宅して来た。
しかし、その顔には普段私が見た事のない怒りの表情が浮かんでいた。
私の頭が嫌な予感で満たされる。
「奴らめ、開き直りおった!」
「一体何が?」
「ケヴィンの奴め。浮気なんぞしていないとほざきおったのだ」
「そんな!」
普段温厚なお父様がこれほどまでに怒りをあらわにしたのを見たのは初めてだ。
聞いた所、ケヴィンはここ数日登校せずに自宅にいたらしい。
恐らく学園で醜態をさらさない様、父のアンブロス商会長が指図したと思われる。
道理で顔を見なくなった訳だ。
お父様だけでなく執事のカステンも苦い表情をしている。
領主不在の間、領地は執事長に一任しているので代わりの補佐役として父に同行して来ている。
二人の様子を見るとどうやらかなり醜い言い訳をした様だ。
「それどころか、喫茶店ではお前が勝手に激高して席を立ったことにされておる!
お前へのプレゼントを見立てる為に男爵令嬢に意見を聞いていただけなのに、何も聞かないで婚約破棄を宣言して去って行ってしまったと」
「……」
私が悪い事にされているという事か。
何処まで私を貶めるつもりなのだろう。
「浮気していた証拠はあるのかとまで言いおった。
あちらとしては破談になったとしても自分達の有責にはさせないつもりだろう。
あの調子では平民娘もアンブロスに買収されているか協力するのは目に見えている。
勿論こんな事は許されん」
「では、一体どうしたら……」
「平民同士ならいざ知らず貴族であるお前との婚約を破棄するのだ。
解消に貴族院の証明ももらう正式な手続きであるから我々貴族側の主張が認められる筈だ。
時間は多少かかるが。
貴族を謀りお前を傷つけた罪はその後で必ず償ってもらう」
普段、貴族風を吹かす事なく領民と触れ合う父だがさすがに腹に据えかねている
様子だった。
私はというとあまりの往生際の悪さとアンブロス一族に、今では怒りを通り越して
呆れを感じていた。
部屋に戻るとアルマとマルタが私を慰めてきた。
すんなりとはいかない事をすぐに察知したのだろう。
私は二人にも事情を話した。
「お嬢様、ご心配なさらない様に」
「そうです。旦那様に任せておけば大丈夫ですわ」
「ええ、分っているわ。心配かけるわね二人にも」
そう答えたものの不安はぬぐい切れない。
二人に対してはついつい本音が出てしまう。
「勿論お父様を信じてない訳ではないわ。
ただ、これだけじゃ治まらない様な悪い予感がするの……」