ぐるぐる眼鏡とは決別よ
生徒会室を出た私は一般校舎とは別棟の研究室に足を向けた。
王族や貴族の子弟が最も多く通うこの学園は必然的に国との結びつきも強い。
学園の魔法学や魔法工学の研究室は国の研究機関の分家といっても差し支えない。
ここに来たのはそこの責任者と夏季休暇前に約束した事があったからだった。
「失礼します」
「おう、来たなエリゼ君! 待っていたぞ!」
「ラング先生。お久しぶりです」
私があいさつしたのは魔法工学のラング教授だ。
私ほどではないが分厚い眼鏡と白衣が印象的なこのおじいさんは魔具の権威でもある。
元々は国家魔法技研の所長という高い地位にいたが定年退官後も研究者としての情熱は消えず学園の研究室の客員教授になっていた。
研究一筋の変人評も付きまわっている人だけれど私は研究好きな普通にいい方だと思っている。
私は学園に入学早々、先生の元に押しかけて弟子入りしていた。
今から考えれば引っ込み思案な自分にしては凄い行動力だ。
その時は婚約者に私の容姿で引け目を感じさせたくない一心だった。
今となってはケヴィンの事は単なるきっかけに過ぎなくなったけれど。
「先生、例の物はどうでしょう?」
「ふっふふ。問題ない。試作品は出来ておる」
「まあ!」
「夏季休暇中に君の実家から送ってもらった鉱石が実に役に立った。
あの純度の物はこの王都では中々手に入らない」
「お役に立てて良かったです」
「うむ。我々の研究が正しければこれは君を悩みから解き放つ特効薬になるはずだ」
先生はそう云って私の前に化粧瓶の様な入れ物を出した。
中には無色透明の液体が入っている。
夏季休暇前に私達はある理論を完成させていた。
材料さえ融通が付けば教授から休暇明けくらいまでにその成果をまとめる事が出来ると云われていたのだ。これがその成果である。
私はアイデアを出すだけで技術的に何の助けも出来なかった事は申し訳なかったけれど。
「君の眼力が魔力によるものならば、単純な耐魔法防御力を眼鏡に付ければいい。
そこまでは誰でも思いつく。
ただ、耐魔法力をどうしても眼鏡のレンズなど透明の物に永久に施すのは難しい……」
「はい。普通は特殊生成された耐魔力石を砕いた物を対象に付着させる訳ですから」
「そうだ。しかし、君の意見は目から鱗ともいうべきものだった。
まさか物では無く目薬を作りたいとはな」
「素人の思い付きを実現したのは先生のお力の賜物ですわ」
「魔法媒介具の専門家である儂には思いつかなんだ。
まさか耐魔石の生成に使った水を利用して目薬にするとはな。
道具にこだわりすぎていた儂の盲を君は開いてくれたよ」
道具に施せないなら直接目に施すのはどうか?
私は目の魔力を抑えるための考察を論文に纏めて先生に渡していた。
常に悩んで色々対処策を考えていたからだった。
精神系の魔力に対抗する為に視覚情報を入れる目に耐魔力の防御幕を施す。
鎧とは違った防具の一つになりえる可能性がある。
一風変わった魔具?の研究テーマは先生の興味を引いてくれた。
「純度の高い魔石を研磨して魔力を取り除いた耐魔石ほど耐魔法力が逆に強くなる。
そしてその生成過程に使う水にも同様に同じ成分がいくらかは残る。
成分の上澄みだけを残して凝縮し物質的な不純物を徹底的に取り除いた物がこれだ。
後はどの程度の間効き目が持つかだが、それはこれから追々試すしかないな」
「ありがとうございます。机上の空論になるかもと思っていました。
私では魔道具に対する本格的な知識に乏しいですし伝手も無いし……。
専門家である先生のご協力を頂けてありがたかったですわ」
「それはこちらも同じだ。面白い研究テーマを持ってきてくれたんだからな。
幸いにして材料はいくらでもあったからのう。
君の実家の領地の山から取れる純度が高い鉱石も助かった」
「それにしても、さすが先生ですわ。
生成機材までご自分で用意できるなんて」
「いや? 今、軍が使っている物を使った」
「えっ?」
確か耐魔石の生成方法は軍事機密になっているはずだ。その機材も同様である。
日々魔法が発達していく様にそれに対する防御も同じく発達してゆく。
冒険者など一般人が手にする技術は民間向けに卸した旧世代の技術だ。
「なぁに、昔の知り合いに融通してもらってな。儂のコネを使えば簡単だ」
「そ、そこまでやっていたんですか?」
魔具研究者として元々持っていた機材などを利用していたものと思っていたのだが。
「機材を作る事もできなくもないが個人でやるには色々手間も時間もかかる。
始めから存在している機材を使ったまでだ。
それにやるからには常に現時点での完璧を求めなくてはな。
大丈夫、君の名前は出しとらん。あくまで興味から儂が勝手にやった事だ。
君は何も知らん。いいな?」
「ですが、それでは」
「大丈夫だ。いやまあ、国防に関する事だから本当はこんな事許されないんだがな。
知的好奇心が満たされるならそんな事は二の次よ。
おかげで検証に時間がたっぷりとれたぞ」
「……」
ホッホッホと笑って先生は重大事をあっさりと流した。
個人的な事から教授を犯罪に巻き込んでしまった。
「儂の技術は軍需品にも採用されているから色々な所に融通が効く。
実験の為と云うてな。普段の自分の評判も使いようじゃ。
連中も連中も儂がやる事に関しては大目に見てくれるさ」
「せ、先生のそういう振り切ったお考えは私にはありがたいですわ。
……ちょっと世間的には考え物ですけど」
「そんな細かい事はどうでもいい。さ、早速試してみてくれ!」
どうでもいい訳ないような気がするけど研究者としての興味の方が大事な様だ。
申し訳ない気持ちとはやる気持ちをないまぜにして眼鏡を外して点眼した。
自分では特に何も変化を感じない。
「……どうでしょう? 先生」
「どれどれ……確認するぞ」
先生はそう言って魔力の微妙な放出を感知する魔石を私の前に差し出した。
魔力放出を感知すると色が変化する検証用道具だ。
魔石は全く反応をしなかった。
念の為色々な角度に持って行って視線を動かして確認する。
「よし、大丈夫だな。一応魔力放出は抑えられている様だ」
「本当ですか!?」
「うむ。どうじゃ? 痛みや何か変化は無いか?
一応検証魔獣で前もって色々試しておるから大丈夫だと思うが」
「はい、全然問題ありません」
「よし。じゃあここからが重要じゃ。私の目を見つめてくれ。人体実験じゃ」
そう言われて気が引き締まる。
先生がいきなり変な気を起こすわけは無いとは思うが何らかの変化が無い事を祈る。
実際、役に立つか立たないかは結局対人で実験しないと分からない。
「何か儂に変化があるかどうか君の方も気を付けて見ていてくれ」
「は、はい」
私は先生の目を見つめ、そして強く念じてみた。
「……別に何の変化も無いな」
「……そうですね」
私は研究室を初めて訪れた時を思い出した。
私が作成した論文を読み終えた先生はあの時、私に眼鏡を外す様に言った。
先生としては自分で試してみないと気が済まなかったからだろう。
真面に自分の視線を受けた先生は表面上変化を起こした様には見えなかった。
しかし、ぐるぐる眼鏡を再び付けた私の研究への協力を了承してくれた。
やはり少し影響を感じたからだろう。
「前もって君の論文を読んでいたから意識できたんだがね。
あの時は確かに儂の思考は靄がかかったように感じた。しかし、今は無い。
個人差に関しても今後研究は必要だが、とりあえず当初の目的は達したと思う」
「と、いう事は先生!」
「ああ、耐魔力目薬の完成だ」
「ありがとうございます! 先生、後でこのお礼は……」
「ああ、いらんいらん。この数か月儂も楽しかったしな。ではこれを持っていきなさい」
「……ありがとうございます。恩に着ます、先生」
(やった! ついにやったわ! これでぐるぐる眼鏡とは決別よ!)
家の都合で婚約したケヴィンとの事など最早どうでもいい。
寧ろきっかけにして前向きに生きて行こう。