女性として失格なのかしら
「お嬢様、おかえりなさいませ」
王都にある伯爵邸に帰った私に留守を守っていたもう一人の侍女が声をかけた。
アルマと同じく燃える様な赤毛だがこちらはロングではなくボブカットである。
「ただいま、マルタ。悪いけどお茶をお願いできるかしら」
「かしこまりました」
そう言ってすぐにマルタは厨房へ去っていった。
「アルマには悪いけどまた出てもらわないとね」
「はい。では、お嬢様だけでもお着替えを」
私は自室に行ってアルマに手伝ってもらって室内着に着替えた。
そして早々に机の前に座る。
出掛けた時はただの買い物の筈だったのに必要以上に疲れていた。
しかし今、早急にやらなければいけない事がある。
重い気持ちを振り払ってペンを取った。
♦
「それであいつはそのまま置いて来たんですか、お嬢様?」
「そうよ。他にどうしろっていうの」
「私がその場に居たらただでは済まさなかったものを。今からでも……」
「止めなさい」
私が大方の事情を話し終えるとマルタは無意識に太もものあたりに手を伸ばす仕草を見せた。
太ももだけでなく彼女の仕事着には刃物が多数仕込まれている。
私の護衛を兼ねているマルタとアルマは実はかなりの武闘派だ。
「でも、お嬢様」
「もういいの。ありがとう、私の代わりに怒ってくれて。
そういえば渡すのを忘れていたわ。はい、お土産」
私はマルタに流行りのお菓子を渡した。
本当はあのお店のケーキも買って帰るつもりだったのだが出来なかった。
庭師のデニスに用に買って来たお土産だったが多めに買っておいて良かった。
「こんなものでは騙されませんよ」
「騙されたのは私よ。いい経験になったと思う様にするから。
お互い婚約者の肩書程の愛情が無かったというだけよ」
「お嬢様……」
その時、玄関扉が開く音が聞こえた。
用事を済ませたアルマが再び外から帰って来たらしい。
急遽父宛に書いた婚約破棄に関する手紙を送りに再度外出してもらったのだ。
「お嬢様、旦那様へ速文を送りました。
丁度ランベルト領へ行く装甲馬車便があったので1週間かからずに届くと思います」
「ご苦労様、アルマ。こうなったからには1秒も早く婚約解消したいわね……。
ここが王都なのがもどかしいわ」
「逆に考えましょう。王都に早めに戻って来ていたからあの男の不実がわかったのですから」
「確かにそうね」
王立学園の夏季休暇中の帰省を早めに切り上げて私達は王都に戻っていた。
あまり長く空けているとすぐに日常生活が送れないからだ。
なにせ王都の屋敷の維持管理に当たる人数は少人数なのである。
私は眼鏡を外してケヴィンの言葉を思い出した。
確かに牛乳瓶の様な醜く分厚い特注のぐるぐる眼鏡だ。
掛けているのには視力以外の理由があるのだが限られた人達にしか公にはしていない。
「それにしても、やっぱりダメね。この不細工な眼鏡」
「お嬢様……」
「普通の眼鏡なら全く問題ないのでしょうけどこれじゃあね……。
好きでしているわけではないのだけれど、女性として失格なのかしら。
こんなものを身に着けるのは」
私の眼鏡は特別に用意された物で目から出る魔力が周囲に漏れない様にする為に異常に面積が大きくて分厚い。
私は頬杖を突いて溜息を洩らした。
「お嬢様の本来の魅力が分からない様なボンクラは綺麗さっぱり忘れましょう。
世の中には屑な男は多くとも素敵な男性も掃いて捨てる程おります」
「掃いて捨ててどうするの。でもお嬢様、マルタの言う通りです。
それに、例の研究はそろそろ実を結ぶのでしょう?
そうすればその眼鏡とも縁が切れますよ」
「そうね……」
確かにその通りだ。
今行っている研究が実を結べばこの忌々しい瓶底眼鏡から解放される。
身も心も軽くなって心機一転して前向きに生きられる気がする。
その為にも何が何でもこの長年の研究を成功させたいところだ。
喫茶店で会話を聞いて以来、落ち込んでいた気持ちが少しだけ明るい気分になる。
「では、夕食のご用意を致します。お腹を満たせば気分も晴れますよ」
「ええ、お願い」
台所に向かうアルマと入れ替わりで今度は庭師のデニスがやって来た。
彼はこの屋敷の門番も兼ねて貰っている王都在住の雇人だ。
私達一家が領地に居る時は爵位に反して小さいこの屋敷の簡単な維持管理を任せていた。
「お嬢様。ケヴィン様がお嬢様にお会いに来ておりますが……」
大方、私が自領に居る父に婚約解消を言いだす前に止めに来たに違いない。
今更どんな言い訳をするつもりなのか。上がりかけた気分がまた下降を始める。
そんな私を見て、マルタが私とデニスに答えた。
「お嬢様、私が行きますから。デニスさん。奴はどこ?」
「一応、門の所で待たせてありますが」
「わかりました。聞いてあげましょう、戯言を。体にね」
慌てて私は一言言った。
マルタの場合、冗談にならない。
「意味が違うわよ、マルタ。もう面倒は沢山。やりすぎないでね。
追い返してくれるだけでいいから」
「はい。分かっています」
そう言ってマルタは立ち去った。
そして私はまた一つため息をついた。