婚約までした人だから
お父様に連れられて王都に来た事は何回もあったけどお城に入ったのは初めてだった。
私達は謁見の間を進んで国王陛下に謁見した。
にこにこと笑顔を浮かべた優しそうなおじ様だった。
謁見が終わるとお父様と私は別の部屋に移動した。
広い王宮の中をどう歩いたかまるで覚えていないけれど会議室の様な場所だったと思う。
そこにはお父様よりもずっと偉そうな人達が居た。
真ん中の席に座る人が洗礼の儀の時に私に起きた事について色々質問をしてくる。
私は感じた事を正直に話した。どうでもよさそうな細かい事も全て。
洗礼を受けた瞬間、瞳の奥で何かを感じた気がして目を瞬いた事。
そして、すぐ後に熱い何かが目に集まる様な感覚があった事を。
いずれも体感的にはそんなに長い間では無かったので気のせいかと思っていた。
お父様も私の瞳を覗いたけど特に変わった所は無いと言った。
しかし、結局その日から私はお父様に連れられて連日お城に通った。
毎回似た様な質問をされた後、違う人が代わる代わる私の目を覗き込む。
中には私の目を見た途端変な表情をした人もいたけれど。
(何で私だけこんな事をされるんだろう?)
そう思った事を覚えている。
エーベルハルト殿下と会ったのはそんな事がしばらく続いていた時だ。
あまりにも何回も見た光景なので、私はこれを夢だと気が付いた。
私はお城の広い庭に居た。
せっかくお城に何回も来ているのに何か聞かれたり調べられたりして全然楽しくない。
帰りに「お花が沢山咲いているお庭に行きたい」と父に駄々をこねたのだ。
廊下を移動する時に低い石壁の向こうに見えていたそこは王族の為の庭だった。
この事は後で知ったのだが、特別に許可をもらった父は大変だったと思う。
そんな考えに至ってなかった幼女の私は無邪気に庭を散策した。
綺麗な花々に見とれていた私はふと視線を感じた。
振り向くと金髪で青い目の綺麗な男の子が私を見ていた。
年齢は私とそう変わらない様に見える。
(絵本で出て来る王子様ってこういう人なのかしら)
胸の奥が飛び跳ねた様な感じもしたが慌ててすぐにカーテシーをして名乗った。
慣れていなかったし、多分顔が上気していたはずだ。
しかしその後男の子にある言葉を言われた私は直ぐに泣きたい気分になってしまった。
確か、「近づくな」だったはずだ。
それ以外何を言われたかは覚えていない。
全て思い出すのを拒否しているかの様に。
ただ、いきなり嫌われた事だけは覚えている。
(あの時、私なんて言われたんだろう。何でこんなに悲しいの……)
そこから急に場面が変わった。いつもと違う。
子供の筈のエーベルハルト殿下がいつの間にか今の姿になっていた。
この夢は初めてのパターンだ。
だってあの殿下が私を抱きしめている。
目尻に涙を溜めている。あの殿下が? 絶対ありえない事だ。
意地悪だけど本当は多分私が大好きな人。
なぜ泣いているのですか、殿下。
♦
「お嬢様!」
「お嬢様! 気がつかれましたか?」
「……アルマ?、マルタ?」
「遅くなってすみませんでした。お嬢様」
「私、一体……」
まだはっきりしない頭で呟いた後、慌てて体を見る。
そこには男性物の白い上着がかけられていた。その下に手を回して確認する。
制服のスカートの腰のあたりが裂けていた。
しかし身体的には異状は無さそうだった。
「殿下がお嬢様を助けて下さったんですよ」
「……殿下? 殿下がここに来たの?」
するとこれは殿下の服だろうか。
あの事は夢では無かった?
……わからない。
ふと傍の壁を見たら血しぶきが飛んでいて思わず震える。
しかし、そこに怪我人はいなかった。
「殿下は、どこ?」
「エリアス様と入り口前で警戒してくださっています」
「後、ローラント様がお嬢様を乗せていく為の馬車を手配して下さっています。
……アイツらを連行する為の警備兵も」
そう言ってマルタは部屋の隅に視線を送った。
そこの床には既に戦闘力を奪われているならず者達が沢山転がっていた。
後ろ手に手を縛られて項垂れて何かをぶつぶつ呟いているケヴィンも居る。
服は所々血が付いているがその様子を見ると重症では無い様だ。
こんな卑劣な男が婚約者だったなんて。
「……あなたがここまでの事をするなんて思わなかったわ、ケヴィン」
そう声をかけた私の声にケヴィンの頭が跳ね上がるように起きた。
そして私を怒鳴りつけた。
「お、お前っ! 本当はお前こそ僕をたばかっていたんじゃないのかっ!」
「何を……」
「わざわざ貧乏伯爵の娘ごときに王子殿下が自ら救いに来ることなんてありえないだろうっ!?
……そうさ、そうに決まっている!
お前こそ、いや、お前の家と王家が一緒になってうちの商会を潰そうとして初めから僕らを騙したんじゃないのかっ!」
「!?」
何を言っているのか。
そもそも私たちの婚約自体はそちらの方から申し込んできたものだ。
そして私はケヴィンと彼の実家の目的を知らずに婚約を結んだのだ。
それとも婚約破棄宣言した後で私がケヴィンを陥れたとでも言いたいのか。
私は貴方に攫われて来てここに居るというのに。
言っている事が意味不明でケヴィンが大分取り乱しているのがわかる。
そうとでも言わなければ精神的に耐えられないのだろうか?
絶望的な今の境遇を受け入れられないのかもしれない。
自らもアンブロス商会も、全てを失い全てが終わったという現実に。
支離滅裂なケヴィンの言いがかりに絶句して私は固まってしまった。
そんな私と違って侍女二人の反応は早かった。
「黙れ、屑野郎」
マルタがケヴィンのお腹を蹴った。
あれでは内臓破裂だ。
ケヴィンは悲鳴を上げて芋虫の様に壁にたたきつけられた。
「お嬢様を傷つけた罪、万死に値する」
アルマが激しくせき込むケヴィンの手首を踵で踏みつぶした。
骨が砕ける音とすさまじい絶叫が室内に響く。
入り口を見張っていた殿下とエリアス様がその声を聴いて部屋に飛び込んできた。
悲鳴を上げたのが私でないのを見て二人がほっとした表情を浮かべる。
というか、若干引いている感じだ。
殿下はいつもと違う感じだった。
あのからかう様な雰囲気が無い。
目が合って胸が締め付けられた気がした。
あんな夢を見たからだ、きっと……。
「お嬢様と殿下の手前、大人しくしてりゃつけあがりやがって……」
「生まれた事を後悔させてあげましょうか……文字通り、死ぬまで」
氷の様な二人の言葉にケヴィンの唸り声が止まる。
アルマはともかくマルタは完全に地が出てしまっていた。
戦闘民族と呼ばれた山岳民、ギード人の末裔だ。
二人が本気で怒ると怖い。
「もういいわ、二人ともやめて」
「お嬢様?」
「でも、こいつは」
「いいの。本当に、もういいのよ。婚約までした人だから……」
ケヴィンをこれ以上責めたら今度はそんな男と婚約していた自分自身が惨めになってくる。
勝手な気持ちだけどその言葉で二人の殺気が萎んでいくのがわかった。
そして表に馬車の到着する音が聞こえた。