調子外れの歌でダンスを踊ろう
よくある設定だとは思いますが、少しでも楽しんでいただけたら嬉しいです。
とある国のとある場所にそれはそれは恐ろしい見た目をした男おりました。
熊のように大きな体。鋭い目付きに、牙のように生えた鋭い歯。無骨な手。
そして男はとても力が強く、小さい頃はいろいろなものを壊してしまうような男でしたが、今ではキチンと制御する事ができます。
ですが、その外見や強い力のせいで周囲の者達は男を化け物と呼び忌み嫌っておりました。
「近寄るな」
「なぜお前のようなやつが存在しているんだ」
「消えてしまえ」
毎日のように投げかけられる酷い言葉の数々。
しかし男はいつもそれを笑って聞いていました。
「ただでさえ恐ろしい見た目をしているのだから、仏頂面なんてしないで。せめて顔くらいは笑いなさい」
そう母親に言われ育ったからです。
その母もすでに亡く、男は一人ぼっちになってしまいましたが、母に言われたことを守り笑顔を忘れませんでした。
男は見た目は凶悪ですが、心根の優しい男。
しかしそんなことはわからないし、わかろうとしない者達は男に酷い言葉を投げかけます。
何を言っても笑うばかりの男に、いつしか人々は口だけでなく手も出すようになっていきました。
日々悪化する状況。
それでも男は笑っていました。
「あいつは何をやっても笑ってばかり」
「気味が悪い」
「恐ろしい」
「でも良い憂さ晴らしにはなる」
「あいつは何をやっても仕返しをしてこない」
人々は意地悪くわらいます。
人々の行動はだんだんエスカレートしていき男の体には生傷が増えていきました。
それでも男の顔から笑顔が消えることはありません。
ある日、そんな状況を見ていられなくなった青年が男に聞きました。
「なぜお前は笑ってばかりなんだ? なぜやり返さない?」
男は青年には答えず笑みを返すだけでした。
「お前がそんなだから奴らも調子づくんだ。少しは怒るなりなんなりしないと終いには死んでしまうぞ」
それでも男は笑顔を返すだけで何も答えませんでした。
「勝手にしろ」
青年は男に背を向け去っていきました。
とある国のとある場所にそれはそれは見目麗しい娘がおりました。
太陽の光に照らされ輝く黄金の長い髪。丸く大きな瞳に桜色の唇。
細く白い手は水仕事などで荒れてはいるが、娘の美しさを損なう事はありません。
特にその瞳は星々が煌めく夜空をそのまま閉じ込めたようだと絶賛されていました。
娘はとても気立がよく、みなに好かれる器量よし。
娘の周りにはいつもたくさんの人がいました。
娘はまだ若い。周りの男達はそんな彼女を放ってはおきませんでした。
娘へ求婚する男があとを絶ちません。
しかし、そんな状況を面白く思わない女が一人。
娘の次に美しいと言われている女でした。
女は好いた男が娘に惚れている現状が受け入れられません。
「あの女さえいなければ、彼は私に振り向いてくれるのに」
女は娘への憎悪を抑えきれず、ついに人知れず行動を起こしました。
「あんたが悪いのよ」
憐れ、娘は女のせいで顔に傷を負い、さらには目が見えなくなってしまいました。
夜空の星は落ち、月明かりもない闇夜となった娘。
娘に襲った犯人は誰かと聞くも、わからない、と言う。
娘は女の姿を見ていませんでした。
娘の他に女の姿を見たというものも出ず、女は自分の計画が上手くいったことにほくそ笑みます。
結局、犯人が見つかることはありませんでした。
顔を傷つけられ、嘆き悲しんでも良いはずなのに、娘は気丈に振る舞いました。
しかし娘の周りからは一人、また一人と姿を消し、ついに娘は一人ぼっちになってしまいました。
「顔の傷がなければ」
「まだ目がみえれば」
顔に傷がある。
目が見えない。
それだけの理由で娘の価値はなくなったとばかりに男達は娘への興味を失っていきました。
男達は娘の次に美しいと言われた女に群がります。
女はとても気を良くし、好いた男以外にも気があるように振る舞い男達の人気を独り占めしました。
とある国のとある場所。
とある村近くの森の中。
普段は人が立ち入らない森の中心付近。
ぽっかりとひらけ月明かりで照らされた空間。
ひっそりと静まり返り、少しひんやりとするそこは化け物と呼ばれた男のお気に入りの場所でした。
ここには男の他には誰もいません。
誰も来ません。
森の動物達がいるだけです。
動物達もはじめは男を怖がりました。
しかし男の心根が優しいとわかり、次第に距離を縮め、今では警戒を見せることすらせず、男を信頼しています。
とある国のとある場所。
とある村近くの森の入り口。
木の上で鳴く梟の声を聞きながら目の見えぬ娘が立ち尽くしておりました。
そこは化け物が出ると噂の森で誰も近付くことをしない森。
男達の口さがない言葉に少しばかりうんざりした娘は一人になれる場所を探し、この森へと辿り着いたのです。
化け物などただの噂。
もし本当にいたとしてもそれはそれ。
手に持つ杖で慎重に足元を探りながら娘は森へと足を踏み入れます。
どのくらい歩いたのでしょう。
森の中は月明かりに照らされてはいるが薄暗く足元も良くは見えない。
もとより闇を歩く娘には関係ないことですが。
その時、転ばぬように気をつけながらもズンズンと歩む娘の耳に不思議な音が聞こえてきます。
耳をすませて良く聞いてみれば、それはどこか調子はずれの歌声でした。
森の中。
しかも真夜中にも近い時間帯。
噂の化け物かと娘は身構えますが、それにしては声音が優しい事に気付きます。
お世辞にも上手いとは言えない歌でしたが、その低く楽し気な歌声に娘は心惹かれ声が聞こえる方へと歩いていきます。
とある国のとある場所。
とある森の中心付近。
まるでステージ上のスポットライトを浴びるように、ひらけた空間の真ん中。
その場所で化け物と呼ばれた男は大きな岩に腰掛け、月明かりの中歌っていました。
男は歌が好きでした。
聞くのも歌うのも好きでした。
でも歌う方が少しだけ上。
ですが男の歌はお世辞にも上手いとは言えず、どこか調子はずれ。
それでもいいのです。
だって聞いているのは森の動物たちだけだから。
動物たちも男の歌が好き。
上手い下手は関係ない。
歌いたいから歌う。
聞きたいから聞く。
そこに文句はいりません。
いつもと同じように自由に楽しく歌う男。
いつもと同じように静かに寄り添うように聞き入る動物たち。
いつもと同じ光景。
ただ一つだけ。
いつもと違う事があるとすれば、それは男から離れた場所に立つ人間。
目に包帯を巻き、杖を持った人間の女が男の歌を楽しそうに聴いていた事。
いつもと違う観客が一人増えている事に気付いた男は焦り黙ってしまいます。
自分の歌がけっして上手いと言えないことは男も重々承知しておりました。
以前、男が鼻歌を歌っていたときに暴言を吐かれたのを思い出したのです。
だから男は他人に歌を聞かせることを躊躇います。
男の事情を知らぬ目の見えぬ娘は首を傾げます。
先程まで聞こえていた歌が突然聞こえなくなってしまったからです。
娘は口を開きました。
「よろしければもっとあなた様の歌をお聞かせくださいまし」
娘の問いに返事はありませんでした。
そのかわりに何かがこちらへ近づいてくる気配を娘は感じます。
娘の目の前で止まった気配。
自分の頭より高い場所からわずかに聞こえる息遣い。
気配の主は娘よりもはるかに大きな存在だと気が付きます。
噂の化け物だと娘は思いました。
しかし娘の心に恐怖はありませんでした。
なぜならその気配の主からは、娘に危害を加えようとしているようには感じられなかったからです。
それどころか娘を気遣っているような気配を感じ、娘は微笑みを浮かべました。
男は目の前の娘が口元に笑みを浮かべたのを見て驚きます。
娘は目が見えてはいない様子でしたが、男を顔をしっかりと見上げていた。
つまり自分よりはるかに大きな得体のしれない存在が近くにいることを認知している。
なのに、怯えたり、泣いたり、逃げたり、しない。
目が見えていたら。男の姿をきちんと視認できていたら。もしかしたら男が思うような行動を娘はとっていたのだろうか?
男は初めての反応に戸惑い、どうしていいかわからなくなります。
どのくらいそうしていたのでしょう。
おそらくわずかな間だったはず。
娘が男の顔をまっすぐに見つめ先ほどと同じ文句を口にしました。
娘からは男に対する負の感情が感じられませんでした。
なので男は決めました。
そっと。本当にそっと。傷つけないように、壊さないように、花を愛でるように、そっと娘の手を掴みゆっくりと先導します。
娘は掴まれた手をそっと握り返します。
繋がれた手から目の前の相手の優しさが伝わってくるようで、娘は笑みを深めました。
声の低さ、背の高さ、そして、繋がれた手の大きさ。
それらの情報から娘は目の前にいる相手が化け物などではなく、人間の男なのだと確信を持ちます。
下心を感じない。憐れみも感じない。純粋な優しさに触れ娘の心は休まりました。
男はとても紳士的に娘を舞台へとエスコートし、適当な場所に座らせました。
そして自分は定位置に座り、口を開きます。
真夜中の森の中に調子はずれの歌が響きます。
男は歌を歌いつつ、不安げに娘へと視線を向けました。
男の視線の先の娘は笑っていました。
男がいつも向けられる嗤いではなく、心からの笑み。
男の心はほわほわと暖かくなりました。
自分の歌を楽しそうに、嬉しそうに聞いてくれる人がいる。
それだけで男はいままでの辛い事や苦しい事が全部どうでもよくなるくらい心が温まりました。
男は歌います。
それはそれは嬉しそうに、楽しそうに。
調子はずれの歌を奏でます。
男の歌を聴きていた娘はおもむろに立ち上がりました。
男の歌の邪魔をしないようにと思い静かに聞いていた娘でしたが、男の歌を聴いているうちに我慢ができなくなり体が動いてしまいました。
娘が立ち上がった際、一瞬止まった歌声でしたが、娘が催促をするように男の方向へ顔を向けると再び歌が始まりました。
娘は歌に合わせて踊ります。
軽やかとはいえない足さばきでしたが、それでも心の赴くままに体を動かします。
男の歌に合わせて踊りだした娘に驚きはしたものの、娘はとても楽しそうに踊るので男もさらに楽しくなってきました。
そうして二人の楽しい夜はあっという間に過ぎていきました。
娘は別れ際に男へと聞きます。
またここに来てもよいか、と。
男は肯定の意志を娘に見せ、二人はそれぞれの村へと帰っていきました。
とある国のとある場所。
とある村近くの森の中。
二人だけの発表会が開かれる。
一人は調子はずれの歌を。
一人はへたっぴなダンスを。
それぞれが楽し気に奏でます。
男にとっても娘にとっても、それはそれは楽しい日々でした。
ある晩に、娘が男をダンスに誘います。
踊ったことがないと断る男に、自分だってまともな踊りなんて踊ったことはないと笑って言い放った娘は男へ近寄りその手を取り舞台へと引っ張り上げます。
好きなように踊ればいいんだと男へと告げると、男の手を取りともにダンスを踊る。
初めは固い動きだった男だが、だんだんと緊張が解れてきたのか自分から娘の手を取りダンスを踊ります。
とても楽しい夜でした。
それからは二人で踊ったり、歌ったり、いつもの逆で男が踊り、娘が歌ったり。
二人はどちらもそれほど上手ではなかったが、それでも笑顔だけは絶えず和やかに時間は過ぎていきました。
いくつもの夜を二人で過ごしたある時、娘が言いました。
「私の目が治るかもしれない」
それを聞いた男は恐怖を感じました。
自分の姿を見たら、きっとこの子は自分の元から去ってしまう。
だってこんなに恐ろしい姿なのだから。
楽しかった日々が終わってしまうことに男の心は締め付けられます。
できることなら、このまま――
そう思ってしまう自分が浅ましく自己嫌悪に陥ります。
しかし、とても嬉しそうに語る娘の姿を見て、男は本心に蓋をし喜びました。
いつもは上手く笑えるのに、この時ばかりは自らの歌のように下手くそな笑顔しか浮かべる事ができませんでした。
でも大丈夫。
娘には男の下手くそな笑顔は見えていないから。
声音が震えないように、曇らないように細心の注意を払いながら、男は娘とのおそらく最後の会話をしたのでした。
それから二日経ちますが、娘は現れませんでした。
きっと目が治って忙しいのだろう。
もしかしたらもうここへは来ないかもしれない。
男は空を見上げ歌います。
その歌声はいつもとは違い、ひどく悲しげでした。
娘が来なくなって五日ほどが過ぎた頃、いつものように男が歌っているところへ誰かが近寄ってきました。
月明かりに照らされ段々と姿を見せたその人物は目に包帯を巻き、手に杖を持った、娘でした。
男は驚いて娘に駆け寄ります。
大丈夫か? どうしてここに? 目は治らなかったのか?
矢継ぎ早に紡がれる男の質問に娘は笑って答えます。
「目は治さないことにした」
驚く男を無視し、娘は男の腕を引いて大岩のそばに腰掛けます。
そして落ち着かせるように男の手を握り、ゆっくりと理由を述べたのです。
いわく――娘自身、目が再び見えるようになるのは嬉しい。でも、男を怖がらせたくない。自分は男の姿を見ても今まで通り平気だが、男はきっとそうは思わないのであろう。変な気を回して自分から離れていってしまう気がした。ならば、見えなくても構わない。そう思った。
男は娘の言葉を聞き涙が頬を伝う。
握られた娘の手を潰さぬように握り返す。
ごめんなさい。
男の口から出た謝罪の言葉に娘は優しい声音で返す。
謝らないで。
涙を流す男を見つめ微笑む娘は、流れる涙を拭い大きな男を抱きしめた。
――ありがとう。
その夜、とある二つの村から人が一人づつ消えました。
一人は化け物と呼ばれた男。
一人は目の見えぬ娘。
片方の村に住むとある女は娘は化け物にかどわかされたと吹聴していました。
片方の村に住むとある青年はそれはありえないと笑って否定していました。
人の噂も七十五日。
そのうちに人々の口から二人の話題がのぼることは無くなっていきました。
とある辺境の地にて。
恐ろしい見た目の大男が目の見えぬ娘を連れているのを見たという目撃情報がありました。
その地では夜ごとに調子はずれの歌を楽し気に歌う声と、こちらも負けないくらい楽しげに、少女が歌に合わせて踊る姿が見られるのだとか。
おしまい。