小さな若君様と繋いだ手
夢を、見ている。
夢の中でそんなことを思うなんておかしなことかも知れないけど、私はこれを夢だと知ってる。だってこの夢を毎日見ていたのは、子供の時だけだから。
繰り返し見た夢。
8歳の時の事故の夢。
暑い夏の日だった。おばあちゃんの家にいる陽奈を、家族で車で迎えに行くところだった。大好きなハンバーグ屋で皆で夕食を食べる予定だった。
車に乗っていたら、急に視界が『真っ赤』になって、お父さんとお母さんが何か叫んでいた。体に強い衝撃があって、次に目を開けた時には、お父さんとお母さんが『真っ赤』になっていた。
声が出なくて。
お父さんお母さん。
どうしたの?大丈夫?助けなきゃ。陽奈を迎えに行かなきゃ。
体が痛い。お父さんお母さん。助けて。お父さんお母さん。
意識を失って、目を覚ましても声が出なくて。何度かそんなことを繰り返す。
お父さんお母さん。泣きながらずっと口を動かしていたら、おばあちゃんが言った。『二人は亡くなった』と。
ここは病院で、私だけ2ヶ月ほど入院するんだって。
体も心も痛くて、泣きながらまた眠って、眠ると夢を見た。
視界を染める、赤。赤。赤。
家族の悲鳴。強い衝撃。
お父さん。お母さん。助けてお父さん。お母さん。
次第に、真っ赤な世界が真っ黒に染まっていく。どこまでもどこまでも続く闇に。
『二人は亡くなった』
手を伸ばす。だけどそこには触れたい人がいない。
『二人は亡くなった』
陽奈ちゃん。
そう、双子の妹を呼んでみるけれど、暗闇にぼんやり浮かぶ彼女の姿は、おばあちゃんに抱きしめられている。
するとまた、私の世界の暗闇が増す。
全身がすっぽり闇に覆われて、息が出来なくなる。
お父さん。お母さん。
泣きながら、それでも、手を伸ばす。
会いたくて、会いたくて、ただ求めることしか出来ない。
お父さんお母さん。
泣きながら、夢の中で、私はただ手を伸ばし続けているのだ。
(この夢は終わる)
小さな私は、病院のベッドの上で目を覚ますと、片手に温もりを感じた。
小さな私の手に、小さな手が握られている。
繋がれた手を見つめて、そしてその腕の先の、小さな男の子を見つめる。
黒髪の、瞳の大きな男の子だった。色が白くて、綺麗な子だった。
「父さんの付き添いで来たんだ。父さんは今外に出てるけど……」
その子はそう言って、気遣うように私を見つめた。
「眠って。嫌じゃなかったら、このまま手を握ってるから。大丈夫。飲まれない。僕がいるから」
私はとてもぼんやりとしていて、その子の言葉を聞いてまた眠ってしまう。目を覚ましたらその子はいつも居なくなっていて、だけど、また夢にうなされて目を覚ますと、その子は私の手を握ってくれていた。
不思議だった。夢は繰り返されるのに、伸ばした手の先には、いつもその子の温かさを感じるようになった。
何度かそんなことを繰り返してから、目を覚ました私は聞いた。
「あなたはだあれ?」
「僕は――――」
その子の形の良い唇から紡がれた大事な名前を、私はどうして忘れていたんだろう。
「美月ちゃん、慧十郎」
体が揺さぶられる感覚に、目を覚ました。
瞼を開けると、電気の点けられた、見慣れない部屋の中だった。
(病院じゃない……?)
夢の記憶に引きずられる。子供の頃の夢。男の子と手を繋いで眠っていた。
今の私は、誰かと手を繋ぎながら、誰かのベッドにつっぷして眠っていた。
(誰か――?)
冷や汗が流れる。
誰かとはただ一人。このお部屋の持ち主である、犀河原慧十郎様だけである。
おそるおそる顔を上げて、まずは繋がれたままの手を確認する。うう。汗、かいてる。そして熱い。若君様も、私の手も。そしてその体温に心も体も満たされる……好き。
さらに顔を上げて、若君様のお顔を見上げる。
若君様は私より先に起きていたみたいで、ベッドの上に半身を起こしていた。視線が合うと、少しだけ気まずげにそらされる。
「そろそろ暗くなってきたから起こしに来たけど……大丈夫か慧十郎」
累先輩の言葉に、若君様は「ああ」と答える。
そして握った手をそっと離して、言った。
「美月さん……そんな姿勢で眠らせてしまってすまなかった。体が冷えただろう。累、何か体を温めるものを」
「分かった」
「すまない。俺は送れないが。累任せてもいいか?」
「もちろん」
二人の会話を聞いていて、やっと目が覚めてきた。
「慧十郎様……短い時間しかいられませんでしたけど……」
「そんなことはない。もう少し休んだら、回復するだろう」
若君様は優しく微笑む。
「大丈夫だ。荒れていた力の流れが落ち着いたのを感じる。美月さんのおかげだ。助かった」
本当に役に立ったんだろうか。
けれど若君様は感謝の言葉と笑顔を向けてくれる。
「お大事にしてください、慧十郎様」
「ああ、ありがとう」
「それと……」
私は言おうかどうか悩んで、そして、伝えることにする。
「子供の時、病院で……手を繋いでくださってありがとうございました。あれは慧十郎様だったんですね」
私の言葉に、若君様は目を見開く。
累先輩も驚いた表情をしている。あれ?
「違いましたか……?」
「いや、俺だ。そうか、覚えていたか」
8歳の時の話だ。事故があって、生活が大きく変わって、私はきっと忘れてしまったんだろう。あれから8年だ。
「礼を言われるほどのことじゃない」
「いえ、本当に助けられたんです。また改めてお礼を言わせてください。よく休んでください。慧十郎様」
「ああ……ありがとう。美月さん。今日は助かった。心から感謝する」
累先輩は車で送ってくれる道中で、たくさん質問してきた。
病院のことを聞かれて、最後に初恋の男の子のことも。色々聞かれた。
「あいつ、何も言ってなかったのにな」
病院で会ったこともあるし、10歳の若君様のお誕生会にも来たことも伝えると驚いていた。
「え、10歳……?」
「はい」
「……それは、気が付かなかったな。美月ちゃんは、全く一族と関わりがなかったわけじゃないんだね」
「そうですねぇ。おばあちゃんの家はどっぷり能力者の家だし、子供にその教育をしてますから、私も少しはさせられたことがあるんです。才能なかったんですけど」
「そうなんだね」
ふーん、と累先輩はそのあと何か考えるようにしていた。
その夜布団に入るときに、小さな男の子のことを考えた。
まだ8歳の子供だ。その子は、事故にあった同じ歳の女の子の手を握る。両親を亡くしたばかりで悪夢にうなされている。
あの時――
あの小さな男の子は、一体、どんな気持ちで女の子の手を握っていたんだろう。
(そう言えばあの子は眠っていなかったけど……握ってたら眠る訳でもないのかな)
今度、若君様に聞いてみよう。そう言えば今日、若君様は手を繋いでても目を覚ましてたな、と思い出す。
そんなことを考えながら眠りについた。