若君様と鬼退治
自習時間である。
各々勉強をしているはずの教室の中は、生徒たちのおしゃべりの声で溢れている。監視人の居ない教室の中など、休み時間と変わらない。
(楽しそうだなぁ……)
クラスに友達のいない私は、まるで勉強熱心な生徒のようにノートに向き合っている。
(……友達を作ろうと思ったのは、やっぱり無理だったなぁ)
普通の私は、この学校では普通じゃないらしい。能力者たちばかりの学校の中で、なるべく関わらないように、遠巻きにされている状態だ。
(剣くんが迎えに来たときにとどめを刺された気もするし)
悪びれた様子のない剣くんを思い出してムカムカとしていると、女の子たちの声が聞こえた。
「……若君様よ」
「わ、ホント」
若君様!
反射的に顔を向ける。
すると、窓際の少し前の席の女の子たちが校庭を覗いていた。
校庭では体育の授業中のようだ。
ジャージ姿の男子たちが校庭を走っている。
(え、この中にいらっしゃるの……?)
ドキドキと胸を高鳴らせながら、さりげなく目立たないように、じっと校庭を見つめて若君様を探す。すぐに見つけた。私の若君様探知能力凄い。一際背の高い彼は、姿勢良く校庭を走っている。
長めの髪を靡かせながら、均整の取れた体躯が颯爽と駆ける。
(……ぐぅぅっはっ!カッコいい……!!)
まるで生きる芸術品。
遠目でもカッコいい人なのが伝わって来るってすごい。若君様すごい。
「お帰りになってから、一段と素敵になったわね」
「とても大人っぽくなられたわ」
そんな女子たちの声に心の中でうんうんと頷く。
こんなに遠くにいるのに、見つけるだけでドキドキするって恋も凄い……。
「ねぇ、聞いた?」
「……あれでしょ」
「そう若君様の……」
若君様のあれ?
さりげなく視線をノートに移しながら、全神経を耳に集中させる。あれってなんだろ。気になります。
「戻られた理由でしょう?」
「本当かしら、ね」
「でも確かに、まだ決められていないのは、遅いくらいよね」
くすくすと笑いながら、女の子たちは楽しそうに話している。ああ、仲間に入りたいよぅ!
今なら人生の1番の目標が女の子と恋バナがしたい、だ。
「卒業までにって話よ」
「そうなの?」
「ええ」
気になって、視線を上げて話している女の子を見つめてしまう。
「この学校の生徒から若君様の花嫁を選んで、パーティーで発表するって」
――え?
『この学校の生徒から若君様の花嫁を選んで、パーティーで発表する』
頭が真っ白になりながら、頭の中で台詞を反復する。
若君様の花嫁――
花嫁
はなよめ
……ってなんだっけ?
どれくらいぼんやりしていたのか、急に教室に悲鳴が響いた。
「きゃああ」
「嘘でしょ」
「妖鬼よ!!」
「うわぁぁ……」
びくりと体を震わせて立ち上がる。教室の生徒たちがみんな外を覗いている。みんなと一緒に窓から外を覗いた。
逃げまどうジャージ姿の生徒たちを追い掛けるように、何か動物のようなものが見えた。
黒っぽくて足の短い丸型の獣は、猪のようにも見える。勢いよく生徒にぶつかりそうになるのを、防ぐように若君様が正面に立っている。
「若君様よ」
「大丈夫ね」
「あの方なら鬼退治なんて簡単よ」
そんな会話から若君様が生徒たちから信頼されていることが伝わってくる。
若君様は腕を振り上げて動かしている。すると丸型の獣はひっくり返り動けなくなる。
校舎から誰かが駆けてくるのが見える。若君様の後ろに累先輩と剣くんがたどり着く。彼らも腕を動かすと、赤や青の不思議な色合いが獣を包み込んだ。
長い黒髪の女生徒が彼らの元にたどり着く。
「まぁ、小石さんよ」
「来られていたのね」
「良かったわ」
陽奈だ。今日も保健室登校をしていた彼女が学校に来ていることは、まだあまり知られていない。
「光のサイキで消してしまうのね」
「さすがね」
「あの人なら任せられるわ」
私は少し不思議に思う。
クラスメイトたちの会話から、陽奈への嫌悪など感じなかったからだ。
若君様の隣に陽奈が並び立つと、陽奈はその体をぼんやりと白く光らせた。
「サイキよ」
「凄いわね」
サイキと言うのは、一族のものが使える異能力のことだ。犀奇と書くらしい。サイキックではない。
その光が膨れ上がり、目前の獣を包み込むと、その獣は空気に溶けるように消えて行った。
教室中に安堵のため息がこぼれた。
「鬼が消えたわ」
「よかった」
「あいつやっぱりすごいんだな」
「花嫁は、あの子かな」
ざわざわとした、さっきまでの教室の喧騒が戻っていく様子を見つめながら、私は初めての鬼退治をこの目で見たことをやっと理解したのだ。
「うん?そうあれが妖鬼だよ。初めて見た?」
放課後、部室で陽奈はなんでもないようにそう言った。
「そうだよね、普通の人は出会わないよね」
累先輩が言う。
「妖鬼は、サイキの力に寄ってくるんだ。だから、僕らの一族は狙われやすいし、一族に生まれたものは、子供の頃から、一族皆で守りながら生きていくんだ」
そんなことを、初めて知った。だから陽奈は子供の頃からおじいちゃんの家に引き取られていたんだ。能力を持っているからだけなのかと思っていた。
「美月ちゃんは大丈夫だよ、サイキが漏れてないんだって」
「へ、へええ」
漏れるってなんだ。だけど聞いても理解できる気もしない。
「学園には高い能力者も警備してるし、卒業する頃には普通の妖鬼ならば自分で退治出来るようになるんだ。でも慧十郎がいる時はあいつが倒しちゃうのが一番早いんだけど」
「そうなんですね……」
なんと言うか相槌しか打てない。
そんなこんなと妖鬼について教えてもらう。
色んな種類の妖鬼が存在していて、彼らを消滅させることは、それなりの能力者ならば出来るようになれるらしい。
陽奈だけはちょっと特別で、消滅させるのではなく、存在自体を消せるのだと言う。説明を聞いても意味は分からなかった。
「今日のは、赤鬼って奴だな」
「赤鬼?」
「物理的な攻撃に特化した鬼」
「そうですか……」
やはり相槌しか打てない。
「まぁ、心配しなくても、そんなに現れるわけじゃないから」
累先輩が、ぽんぽんと私の頭を叩きながら言った。
私はそんな深刻そうな表情をしていたんだろうか。
その時、ガチャリと扉が開いて若君様が現れた。
若君様は、私たちの様子を見て一瞬、動作を止める。
「今、妖鬼について説明してたよ」
「そうか」
苦笑しながら累先輩が手を引っ込めていく。
若君様をじっと見つめると、やっぱり今日も、疲労の色濃い疲れたような表情をしている。
もしかしてなんだけど、若君様は能力を使うとみんな以上に疲れてしまうのだろうか。
私の視線を受けて若君様は微笑んだ。
美しいお顔が輝いてドキリとする。
「生徒たちを襲うことは稀だ。能力のない美月さんが襲われることもないだろう」
私はそんなに心配そうな顔をしているのだろうか。
思わず両手を頬に当ててしまう。
「あ、あの……」
「なんだ?」
「若君様は?鬼退治を毎日されているのですか?」
「俺は特別だが。それでも日に数回くらいかな」
え、日に数回!?
驚いていると、若君様は隣の椅子に座り言った。
「そうだな……これでも少なくなった方だな」
「そうですよね、初等部の頃はもっと多かったですよね」
「陽奈さんのおかげかな。数を減らしてくれたからね」
陽奈と若君様は親しげに話す。
二人は、そんな昔から鬼退治をしていたんだ。
「鬼退治というのは、とても疲れるものなんですか?」
「え?」
陽奈がキョトンとした顔をする。
「別に疲れないよ、ちょっと怖いから少し緊張するけど」
「そうだね。能力を使うこと自体は、軽い運動をしたくらいの疲労度かな」
累先輩も答えてくれる。
(それなら……どうして若君様はこんなにやつれて見えるんだろう?)
視線を若君様に向けると、どうしたのかと言うように見つめられる。
そのお顔は、やっぱり少し疲れて見える。
(朝も夜も、鬼退治に駆り出されてるとか……?それとも、疲労度が違うとか……?)
「少し……休まれませんか?」
今は私たち四人しかいないから、遠慮なく言わせてもらった。累先輩も陽奈も、寝ている若君様の姿を知ってるから。
すると若君様は驚いたように私を見つめる。陽奈が頬を赤く染めた。
「……うん。俺もそれがいいと思う」
累先輩がニヤッと笑って若君様の腕を掴むと席から立たせる。
「おい、累」
「お前は、自分の顔色を分かってないんだよ。血の気が引いたみたいな顔をしてるぞ」
「……え?」
累先輩にも若君様の顔色の悪さが分かっているようだ。
「いいから大人しく来い」
累先輩に引っ張られて私たちは若君様の部屋に向かった。
「今日は寝ませんから……」
「いや……それはいいんだが……」
無造作にソファに座らされた私達を置いて、累先輩は部屋を出て行ってしまった。
自分で言い出したこととは言え、累先輩は心配じゃないんだろうか。
こんなにも美しい若君様を、邪なことしか考えていない女生徒と二人きりにしてしまうなんて、よく考えたらあってはならないことに思える。
「美月さん」
「は、はい」
若君様は私を振り向くと、真面目な顔付きで見下ろした。
すぐ目の前に、吸い込まれそうな瞳がある。
黒い宝石のようで、聡明な輝きに満ちている。
「この部屋には、本来俺が望んだ者しか入れない」
「……はい」
「結界……と言って分かるかな。俺の力で、部屋の鍵を掛けてあるような感じなんだ。合鍵を累には渡してある。あいつとその同行者はいつでも入って来れる」
「はい」
「君に、この部屋の鍵を渡す」
「……はい?」
若君様は軽く私の肩に触れると、小さな声で何かを呟いた。すると触れられた肩が熱を持った。一瞬で、その熱も消えた。
「……部屋の鍵を、君に渡した」
「は、はぁ」
「いつでも出入り可能であるし、君が望む者もここに入れる」
「……え、えぇ!!いいんですか?」
若君様の特別室の合鍵を貰ってしまったってこと!?
「ああ。君が思い浮かべるだけで、誰でも入って来れる。その方が良いだろう。俺の意識がない間に、何があるか分からないのだから」
「な、なるほど?そうですね」
そう言われてみるとその方が良いのかもしれない。けれどよく分からない。
「あれ、でも、やっぱり、よくなくないですか?」
だいぶ日本語が変になってしまった。よくなくなくない?
「なんだ?」
「私が誰を招き入れるか分からないじゃないですか。危ないですよ」
そう言うと、若君様はなぜだか嬉しそうに微笑んだ。
花が咲くようなその笑みに、一瞬息が止まる。
「この部室には、そもそも部員しか入れない。君が招き入れられるのも部員だけだ」
「そうなんですね」
ならば危ない人は入って来れないと言うことか。むしろ1番の危険人物は私だろう。
「今日は、明日の予習をします」
あえてキリッとした表情を浮かべてそう言うと、若君様はそんな私をじっと見つめてから、おもむろに顔を背けて肩を震えさせた。
……え。
まさか……笑ってる?
「あの……」
「いや、寝てても構わないんだ。好きなようにしていて欲しい」
「は、はぁ」
そんな面白いことを言っただろうかと考えていると、ちょこんと、私たちの肩が触れ合った。
若君様は座り直して、私を見つめていた。流し目のような眼差しを受けてドキリとする。
「……すまないな」
「いいえ」
「正直を言うと、このところ、ほとんど眠れていなかった」
「……」
「こんな風に強制的に休ませて貰えるならば、だいぶ助かる」
それは、初めて聞く、若君様の本心の言葉に思えた。
誰かの前で弱音を吐いている姿が、想像できない人だったから。
「……お役に立てるなら、嬉しいです」
伝えてくれたことが嬉しかった。
「情けないな、累にも見透かされていたし、君にもな」
ため息を吐くように言う若君様の姿は、年相応の男の子のようにも見えてしまう。
「慧十郎様、私は何も迷惑じゃありません。こうしてお話し出来るのは楽しいですし、お眠りになってる間も勉強してるだけだから、無理してません。毎日!休みましょう!出来るだけ、たくさん」
意気込んで言うと、若君様は驚いたように私を見つめる。
「毎日?」
「そうです!一体どれだけ眠れないのか分からないですが、ご病気になってしまいますよ。そんなの心配です。放課後のほんのちょっとじゃ足りないでしょうけど、それでも、休んでくださると嬉しいです」
若君様は真意を探るように私を見つめていた。
「だが君には何もメリットがない」
「ありますよ。誰かの役に立てること。無能力者の私には、それは嬉しいことなんですよ」
若君様は、子供の頃に役立たずだと祖父母に言われて育った私のことなど知らないだろう。
本当は、若君様のお役に立てることがなによりも嬉しいのだけど、そこまではちょっと伝えられなかった。無理。告白になってしまう。
「私は役に立てませんか……?」
「……立っている。これ以上なく」
しかし、と若君様は続ける。
「それでは俺は、君の気持ちに甘えてしまう」
「甘えてください」
と言いきってからはっとする。
甘えるってなんだ。あま、あまえび……。いや現実逃避してる場合じゃなくて。
立派な若君様が私などに甘えるっておかしな表現になっちゃうけど、少しでも頼って貰えるのは本当に嬉しい。
「良いのだろうか?」
「も、もちろんです」
どんと甘えてください!なんてとても言えないけど。
「おやすみなさい、慧十郎様」
誤魔化すようにそう言うと、優しい声で返事をしてくれた。
「ああ……おやすみ。美月さん」
……ぐはっ。眠る前に呟かれる私の名前の破壊力!
心臓がバクバクと鳴って、とても勉強をするどころじゃなくて、またしても若君様のお顔をじっと見つめてしまう。
長い睫毛が伏せられて、鼻筋がまっすぐ長くて、形の良い唇が閉じられている。安らかな寝顔は、この上なく美しかった。
だめだどきどきする。
正直勉強なんてどうでもいい。
でもここで目を瞑ると、きっとまた頭が真っ白になったまま眠ってしまう気がする。
私は机に向き直ると、頑張って意識を教科書に集中させた。
勉強するぞー!!
いやまじで。するぞ。たぶんだけどこれで成績悪かったら、若君様が心配してしまう気がする。
勉強に集中すること30分。若君様の腕時計のアラームが鳴った。
起こすタイミングだと思い肩を離すと、若君様は瞼を開けアラームを止めた。
「慧十郎様」
「ああ……ありがとう美月さん」
「今度から1時間、いや2時間にしませんか?」
「……」
「足りてませんよ、全然」
若君様のお顔の色も悪いままだ。
「……良いのか?」
「もちろんですよ」
ニコニコとそう言うと、若君様は少し困ったような表情をしてから微笑んでくれた。
夜。陽奈とメッセージのやりとりをした。
『今日若君様の噂話聞いたんだけど』
『噂?』
『花嫁がどうって話聞いたことある?』
『ああ。花嫁探しのために留学から戻って来たって噂でしょう。たぶんただの噂だよ』
『そうなの?』
『だって一族の人みんな初等部から一緒なのに、そんなの今更だし』
『そっか』
あれだけの方だから色んな噂話が出るんだろうな。
あの人は一族を背負っていて、眠れなくなるほどの何かを抱えている。
陽奈のように隣に並び立つことも、力になれることなど何も出来ない私には、ほんの少しの時間寄り添うことくらいしか出来ない。
今夜、若君様が少しでも眠れていますように。
そんなことを思いながら、布団にはいった。