次期ご当主様と家族になるまで
夢を見ているような気持ちで、まだまだ現実が信じられないのに、若君様はその日のうちに我が家に挨拶に来てくれて、おじさんとおばさんにお付き合いすることを伝えてくれた。
その後の休日には、両親のお墓を二人でお参りし、そして小石の祖父母の家に報告に行った。祖父母は涙ぐんで喜んでくれた。
厳しい人だと思っていたおばあちゃんは、本当は幼い頃から私のことを見守ってくれていた人。怖い場所だと思えていた小石の家だけど、高校生になった今はもうそう思わない。
私は知らなかったことを知って、その上で色々な選択をしたんだ。変わらないのは、繋ぎ合いたいと思う温かな手のぬくもりだけだ。
おじいちゃんに呼ばれた若君様が席を外した隙に、陽奈がこっそりと言った。
「外堀埋められてるね」
え、外堀……?
「美月ちゃんまだ信じられなくてぼんやりしてるみたいだけど。若君様のあれは確信犯だと思う」
そうなのかな。そうなのかも……?
確かに二人きりになれる時間もまだほとんど取れてないのに、着々と挨拶回りが進んでいく。本家のお義父さまとお義母さまは結婚式の時期の話までしていた。
現実感がなくて聞き流してしまっていたけれど、若君様が18になったときに、卒業を待たずにとかなんとか言ってたような。本気かな……若君様も話を進めようとしていたみたいだったけど。
「陽奈ちゃん」
「うん?」
「夢じゃない?」
私の台詞に陽奈はニカッと笑う。
「夢じゃないよ!良かったね!美月ちゃん」
「う、うん。ありがとう……」
抱きしめてくれる陽奈を抱きしめ返して、言う。
「いつもそばに居てくれて、たくさん助けてくれてありがとう……」
「それは私の台詞だよ……美月ちゃん。今度は美月ちゃんが幸せになってね」
「うん」
両親を亡くした小さな頃に、幸せな大人になろうねと、言い合った双子の妹。
私たちは、もうすぐ、別々の道を歩んで行くんだ。
若君様が戻ってくると、陽奈はじゃあね、と行ってしまう。彼は微笑んでからそっと私の手を握った。
「どうかしたか?美月」
「ううん。挨拶にわざわざ来てくれてありがとう」
「当たり前だろう。家族になるのだから」
家族――。
まだお付き合い出来ている実感も湧かないのに、私たちはそうなることを決めた。
家族ということは、結婚して、夫婦になって、もしかしたら子供を産んだりすることだ。
……うぅ、そんな想像まだちっとも出来ない……。
だって好かれていないと思っていたのに。せいぜい親しい友人のように寄り添う夫婦になるのだろうと思っていた。
なのに若君様は私の手や腰を離さないし、甘ったるい視線を外さないし、幸せそうに微笑んでくれる。何もかもが信じられない。
「現実感がないの……」
ポツリと本音を言う。
今の若君様になら、思っていることを伝えても聞いてくれると感じていた。
「現実感?」
分かっているのか、わざとなのか、少し面白そうな表情をして若君様は微笑んだ。
「どうしたら分かるんだ?」
「ど、どうしたら……?」
若君様は、私の頬に手を当てると顔を近づけてくる。彼の影に覆われると、これから起こる事態を想像して思わず飛びのいてしまう。
若君様は少し驚いたように立ち尽くしていた。
いや私も驚いていた。
「あの、これはですね、その」
「……」
「身内の家なので、あの、その、まだ、まだ、そう準備が、あの……」
「……ふっ」
声を押し殺した彼は顔を隠すようにして心底おかしそうに笑い出した。
「……あ、あの、その、」
今の私はきっと顔が真っ赤だ。
「いや。分かってる。驚かせてすまない……ははっ」
え、笑うところなの?
そう思いながらも輝くような無垢な笑顔で笑う若君様を見るのは初めで、目が逸らせなくなる。
今彼は普通の少年のように笑ってる。
「とても可愛らしい反応だったので思わず。すまない」
「謝りながら笑ってますよ、け、慧十郎」
しまったどもってしまった。言い慣れない。だけど呼び捨てにすると決めていた。彼がそう呼ばれることを喜ぶと知っているからだ。
案の定若君様は破顔する。
「美月……」
若君様は私を抱きしめて、そうして言った。
「大事な話がある。今夜は本家に来てくれるか?」
「はい」
犀河原本家で夕食を食べ、そうして若君様の自室にお邪魔した。
ここに来るのは彼が熱を出して寝込んでいた日以来だった。
「やっと、君との時間が取れたな」
「はい」
学校もあったし、なにせ挨拶回りも多かったし、若君様と二人きりで話せる時間がなかった。実感が湧かないのもそのせいなのかも。
二人掛けのソファに隣り合わせに腰掛ける。
「沙羅は妖鬼には飲まれていなかったんだ」
「え……?」
「完全なる正気で起こした沙汰だった」
「……」
そうして話してくれた。沙羅姫は幼い頃から気性が荒く、また若君様のお誕生日会の日に『問題』を起こしていたから、長い間一族の監視下に置かれていたけれど、また子供の頃より大きな問題を起こしてしまった。
「彼女もまた、先祖の血の色の濃い者だ。彼女にはこの世界は生き辛いものなのかも知れない。けれど、生きる術を学んでもらわなくてはならない」
これから再び一族の責任を持って、彼女の再教育をするのだと言う。
「分かりました。私に出来ることがあればなんでもしますので言ってください」
自分に何が出来るのかもまだ分からないけど……。
すると若君様は考えるように、じっと私の顔を見つめた。
「……ああ。君になら、もしかしたら」
「……?」
若君様は言葉を選ぶようにしてから、語り出した。
「君に話さなくてはならないことがある」
若君様が話してくれたのは、とても衝撃的なことだった。
なんと彼の体の中に妖鬼がいるのだという。
正確に言うと、彼の力が妖鬼化したものが残っているのだという。それは肉体を攻撃するように蝕み、いつしか死に至らしめるものだと言う。
「な、なんで黙ってたんですか!?早く言ってください。いま!そこに!寝てください。私が消します。あなたを、死なせたりしません!!」
涙が浮かんで捲し立ててそう言うと、若君様は驚いたように固まった。彼の腕を引いてベッドまで連れて行き押し倒す。若君様はされるがままだ。
「あ、体が冷えたらいけませんから布団に入ってください!そうです。風邪を引いてはダメですよ!」
ポロポロと涙がこぼれ落ちる。
どうして言ってくれなかったのかと悔しかった。あんなにもやつれて見えたのにはちゃんと理由があったのだ。彼の悟るように静かさを湛えた瞳は死を見つめていたのだ。私は何も気付けなかった。
「……美月」
「なんですか」
「すまない。また君を泣かせた……」
彼は上半身を起こすと私の涙を拭う。
「すまない……」
「いいえ。私も。気付けなくてごめんなさい」
もっと力を感じ取れるようになれていればきっと分かったのだ。訓練を始める前の私にはなんにも感じ取れていなかった。
「君が消してくれたんだ。今はもうほとんど残っていない。慌てずとも、近く消えていく」
「……でも。嫌です。少しでも、あなたを脅かすものがあるのは、怖いです」
何度も思っていた。遠くを見つめるような若君様の瞳を見ていて、儚く消えてしまいそうな人だと。感じ取っていたものは間違いではなかったのだ。
「美月、俺は君を置いていかない」
「……」
「最後まで守り抜く。そして俺も生き抜く。決して、もう……あんな風には泣かせない」
若君様はきっと、10歳の時の話をしている。両親を亡くして、何も出来なかった自分を嘆いて、泣き叫んだ子供だった私。
「一人にしない」
彼の形の良い指がわたしの頬を撫でる。
触れた指先から熱が伝わる。彼のサイキが体に入り込む。気持ちがいい。あまりに心地よくて、途端に眠くなる。
私の体を彼のサイキが覆う。それはまるで、彼が私を守るのだと思ってくれていることの証明のよう。
「私も。あなたを一人にしませんよ」
一人きりで死を見据えていた、私の世界で一番大事な人。
長くそばを離れてしまっていたけれど、今度は、叶うならば死ぬまで隣で優しさを伝えたい。
私たちは別々の人間で、だからこそすれ違ってしまったけれど。二人のサイキが混じり合うこの瞬間のように、溶け合うように二人で生きて行きたいのだ。
言葉を尽くしてわかり合い、人生が交わるよう努力を繰り返しながら、最後には二人の道が一つに重なっていればいい。
「……ああ」
若君様は少し切なげな表情を浮かべてから微笑んだ。
そのままベッドの上で抱き合っていたらウトウトとしてしまい、なんと眠ってしまった。
目を覚ましたらカーテンの向こうが明るくなっていて、若君様の寝顔は麗しすぎるし、私まで何故か布団の中にいるし、頭が沸騰して爆発しそうになっていると、起きた若君様が言った。
「……体が軽い」
その後ご当主様に見てもらうと、妖鬼が消えているとのこと。私は何もしていない。ぐっすり眠っていただけだ。
「慧十郎、何か心当たりはあるかい?」
「……思い当たるものはあります」
思い当たるもの?
「なんですか?」
「……恐らく、妖鬼を生んだ理由が消滅したんだろうかと」
生んだ理由?
それはなんですか?と聞いたら若君様は意味深に微笑んだだけだった。
そうしてその後、ずっと保留にされていた後継者問題が解決された。若君様が跡を継ぐことを了承したのだ。もちろん私も相談されたけれど、悩む彼の望む方向へ背中を押した。少しでも彼を支えられたらいい。
若君様とデートをすることになった。
デートの前から大騒ぎだ。
瑠璃先輩と陽奈が服を選んでくれる。
あまり洋服に興味がなく、それほど可愛いワンピースも持っていないけれど、私も一応は女の子。若君様の前では出来れば可愛くありたい。そんな私の気持ちを汲んで二人は行きつけの洋服屋に連れて行ってくれた。
「美月ちゃんは白が似合うね」
「そうね、色が白くて、髪も目も少し色素が薄いからかしら」
二人は裾にレースの付いた可憐なワンピースを選んでくれた。
「お、おかしくない?」
「すっごく可愛い!」
「慧十郎も惚れ直すわよ」
そんなことあるだろうか。私はまだまだどこか今の状況を不思議に感じてる。
「ねぇ、剣、どう思う?」
「俺に聞くなよ……」
護衛にと付いて来てくれた剣くんはため息を吐いてからジロジロと私を見つめた。
「普通に可愛いよ。楽しんで来いよ」
「うん。ありがとう」
デートの当日は陽奈が髪を結ってくれた。緩く髪をまとめたハーフアップの髪型だ。
そうして迎えた日曜日の朝、若君様は私の家の前まで迎えに来てくれた。
ここまでは彼の家の車で送ってもらったようだけど、今日は運転手さんなしで二人きりで過ごしたくて、電車で出かける予定だ。
彼は家のチャイムを鳴らし、出迎えたおじさんとおばさんに挨拶をしていた。
今日の彼は白いシャツに夏用のグレーのジャケットを着ている。私服姿の彼はスタイルが良すぎてモデルさんのよう。普通の日本家屋の我が家にいると、美しすぎて違和感がある。
「美月をよろしく頼むよ」
「はい。本日はお許し頂きありがとうございます。夕方までには無事に送り届けます」
「行ってきます」
「気を付けてね、美月ちゃん」
「うん」
おばさんは泣き腫らしていたときの私のぶさいくな顔を見ていたから、話を聞いた時には、良かったね、と笑ってくれた。
「美月」
玄関を出ると、若君様はそっと私の手を繋いだ。
ふわりと、彼の体温が伝わってくる。
なんだか急に恥ずかしくなって、視線を伏せてしまう。
「どこに行きたい?」
予定をまだ決めていなかった。
私たちはきっとまだ、会話も足りていない。お互いの休みの日の過ごし方もわからない。行きたい場所も、何をしたら楽しいと思うのかも。
「慧十郎、とならどこでも」
呼び捨てもまだ慣れない。
「そうだな……」
彼は少しだけ微笑んで、海に行くのはどうかと聞いてきた。
「海?」
「覚えていないかもしれないが、子供の頃の美月はぼんやりといつも海の写真集を見ていた」
「……」
それは若君様の本棚にあった美しい風景を切り取った写真集。
あの頃、心が苦しくて、綺麗なものを見ると少しだけ楽になれるような気がしてきた。
だけど……あの頃の私が一番に綺麗だと思っていたのは、感情の薄いはずの彼の、澄んだ瞳だった。
先祖返りの彼は人より鬼に近いのだと言われていた子供で、苦しんで生きることになったけれど。
無垢な瞳は見ているだけで心が洗われるように美しかった。
彼に見つめられると私でも綺麗な何かになれるような気がしたのだ。
「……うん。よく覚えているね」
「忘れないよ」
「私も忘れない。もう二度と」
この人は私が出逢った人の中で一番の綺麗な人。写真集も、海も、代わりになどなれないくらい。
「慧くんのことも――慧十郎も」
大好きだよ、そう言って笑えば、目の前の美しい人ははにかんだような笑顔を浮かべた。
END
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