犀河原慧十郎の初恋(15)
若君様の綺麗な瞳が私を見上げている。
吸い込まれそうなその眼差しから、目を逸らせない。
「木々に囲まれた裏庭で初めて会った日、同じ年頃のとても可愛らしい少女だと思った。素朴で素直な、普通の少女だ」
……うん?
初めて会ったのは高校でって設定を引き継いでくれたんだよね。でも今それ言う必要あること?また普通の人認定されたよ。
「けれど……俺には、その飾らない笑顔がなによりも眩しく思えた」
「……」
もしかして、もしかしてだけど。
また小芝居が始まってるんじゃないかと疑いはじめる。
「誰にも心が動かされたことのなかった俺が、毎日彼女のことを考えた。ほんの少しでも彼女と居たいと思う。その人から与えられる思いやりに心が安らぐ。手を繋げば離れがたく、ずっと共にいたいと願う。少しずつ、彼女が俺にとって他とは違う存在だと感じていった」
ほら、やっぱりなにか企んでるんだ。
訝しむような私の視線を受けて、若君様は少しだけ笑った。
「……お互いのサイキが混じり合えば、あまりの心地良さに抗えずに眠ってしまうほどに、俺にとって彼女は、世界でただ1人の特別だった」
「……」
確かに若君様は眠ってしまっていたけど……。
「ああ、これが恋かと、この歳になって初めて自覚した」
こい。
鯉。
……じゃなくて、まさか恋?
「彼女の泣く姿に共感し、また笑う姿にも共感した。閉じていた蓋が開くように、体の中の滞っていたサイキが巡り出した。彼女に出逢って初めて、俺は先祖返りの鬼ではなく、人として生まれたことを実感出来る、感情というものを知った」
私の泣く姿……墓地でのことだろうか、10歳のあの日のことだろうか。
「俺を、鬼ではなくただ1人の男にしてくれる……それが貴方だった」
本当に?
どこまで本気なの?
若君様は私を真っ直ぐに見つめて語る。
「けれど揺れていた。幸せになるために生まれた貴方の隣にいるのは、俺のような男ではない。死を迎えるその日まで見守るだけでいいと思っていた」
……これは、本心なの?
じっと見つめる私の視線を若君様は逸らさず受け止めてくれている。
「貴方のおかげで、体を蝕むサイキをいくらか解放できた。きっと思っていたより長く生きることも出来るだろう。貴方を守り共に生きていくことも可能だろう」
共に生きていく――
それは彼から聞けるとも思っていなかった台詞だった。
「望むことが出来るのなら……俺は貴方が……」
若君様は顔を伏せてから、苦しそうな声を絞り出した。
「貴方が、心から欲しい!」
「……」
冷静さを欠いた口調の荒さに驚く。
「俺にもただの人として生きることが許されるなら、貴方と共に生きていきたい。貴方が幸福になれる未来を守るべき者として、隣にいられるのであれば、俺自身がそれ以上に幸福なことはない」
紡がれる言葉が、透明な水のように心に染み込んで流れていく。
まだ信じられないけど、たぶん嘘じゃない。
だけど嘘じゃないんだろうことが、信じられない――。
いつから、若君様はこんな風に思ってたの?
だって子供の頃、私に対する恋慕はなかった。中学のときもそうだ。高校で出逢ってから?そうだ、さっき若君様は言っていた。少しずつ恋に気付いたって。
人の感情が分からないと言っていた慧くん。
今大人になって、私に恋をしたんだと言ってくれている。
「……お顔を上げて下さい。慧十郎様」
そう言ってから私は体育館の生徒たちを見下ろした。
彼らは食い入るように壇上を見上げている。
私は一族のみなが、若君様の幸福を願ってくれると、信じている。
「私は若君様のお手を取りたい。けれど若君様は迷っている様子。どうか、私たちが手を取り合って生きても良いと思う方は、起立をお願いします」
その結果は、思った通りのもので。
立ち上がった一族のみなに見守られる中、私は若君様の手を取った。
若君様はそっと私を抱きしめた。
「……本当に?」
まだ夢のように思っている私はぽつりと言う。
彼は少し笑って、小声で言った。
「溶け合って、混じり合って、一つになりたい」
「!?」
「あの時……同じ気持ちを抱えていることを知った」
セクハラ発言を蒸し返されて頭を沸騰させていると、陽奈たちがやってきて、私に抱きついた。
「美月ちゃん……良かった!良かったね!」
「写真撮っておいたわよ」
「後処理は任せておいて」
「良かったな」
猪瀬くんは沙羅姫の方に付いて行ってるそうだ。
っていうか写真!?なにそれ!?
頭が付いていかない。何から考えたらいいの?思考がぐるぐるぐる。
溶け合って……あ、一番考えちゃダメなやつ。
「美月」
若君様は少しだけ懐かしい笑顔をして言った。
「本当にいいのか?」
いつかどこかで聞いた台詞だなと思う。
なんて答えたんだっけな。
確か……。
「一緒にいて幸せで、家族になりたいと思うのが慧くん……慧十郎、なの」
言い慣れない呼び方に、どもりそうになる。
すると若君様は少しだけ楽しそうな表情を浮かべた。
「俺が家族になりたいのも美月だけだ」
子供の頃の口約束が、少し大人になった2人の間で、今、重みのある言葉に変わる――




