犀河原慧十郎の初恋(12)
本日2話目の更新
ぼんやりと意識が覚醒してくる。
何があったんだっけ。確か妖鬼に飲まれたんだよね。青色の世界に引きずり込まれた――。
……ダメじゃん。
めちゃくちゃダメじゃん。
あんなにも、もう二度と何も出来ずに大切な人を失わないと誓ったのに。
何が起きたのかはっきりと自覚をして、飛び起きる。
「……ダメじゃん!!」
絞り出した大きな声は、だけど暗闇の中に消えていく。
「どこここ……」
薄く青色を帯びた暗い世界が広がっている。誰もいない。まるで宇宙に放り出されたみたい。
だけど、知っている気がした。
10歳のあの日、沙羅姫にかけられたサイキの世界でもこんな風な世界にたどり着いた。
青のサイキの世界。
妖鬼はもともと私たちの一族の生み出したサイキが元になっているのだから、同じような場所なのかもしれない。
あの日私が見たのは――。
ちらりと、心の中で想像しただけでもいけなかったのかもしれない。
暗闇の中、私の目の前には、冷たく横たわる二人の大人の姿が浮かび上がった。それは最期の日に見た姿と何一つ変わらない。
何も知らずに過ごした子供時代に、たっぷりと愛情を注いでくれた両親の、死んで横たわる姿がそこにあった。
「――――っ」
がくりと両膝をつく。
大好きだった人たち。もう一度会いたいと、何度も何度も望んだ。望むことすら諦めた今、私のせいで死んだ二人の姿がここにある。
「――お父さんっ、お母さんっ!!」
声に出したら、涙が溢れてしまう。もう一度呼ぼうとしても嗚咽で声にならない。
「――っ、あ、うっ……」
縋り付いて、目を開けてと言いたかった。
助けられなかったことを詫びたかった。
許して、と、叫びたかった。
だけどそこまで考えてから、私はもう、それを二人に伝えていることを思い出した。
あの新緑の眩しい日。若君様にお会いする前に、私は二人に頭を下げたのだ。
「……たっ……助けられなくて、ごめんなさい……っ」
あの日にもそう伝えていた。
もちろん、返事なんてなかったけど、だけどあの時私は心の中でふと思ったのだ。
許してと、そんな言葉をもし口にした時、優しかった両親から、笑顔以外の何かが帰ってくることを想像出来ないって。
だからこそ言えなかった言葉。
私が背負って生きていく想い。
『許さないわ』
『憎い、憎いわ。あなただけ生き残るなんて!!』
両親の亡骸が人形のように立ち上がる。カクカクとした動きで私に覆い被ろうとする。
『助けられたのに』
『助けてくれなかった』
『見殺しにした』
『あなたが殺した!』
実際には見たこともない増悪の表情で二人は私を見下ろす。
そう、見たことがないのだ。
――『十、数えなさい』
おばあちゃんの言葉が心に蘇る。
ひい、ふう、みい……。
数えながら思い出す。
美味しかったお母さんの料理。一緒に海に行ったこと。疲れていても寝込んでいる私のベッドにやってきたお父さん。
思い出すのも辛いくらいの、楽しかった思い出。
――とお。
目を開けて、そっと手を伸ばす。
「……助けられなくてごめんなさい。だけど、あなたたちは、私の両親じゃない」
指先が彼らに触れると、ポロポロと形が崩れ、砂のように消えて行った。
「……」
二人の姿がなくなると、また誰もいない暗闇が広がる。ここはまるで、私の心の闇だ。
「……はぁ」
いくつになっても、小さな頃の心の傷を闇として抱えているのだって、自覚する。
まるで大人になれていないんだ。
こんなんじゃ若君様にも好かれないだろう。
『僕は人を好きになれない』
暗闇に子供の声が響いてくる。
『君のことも好きじゃない』
顔を上げると、少し遠くに、ぼんやりと青色に光る子供の姿があった。整った目鼻立ちの、綺麗な子供。どう見ても麗しの若君様の子供時代。
「……はい?」
しまった、考えるだけでもダメなんじゃなかったっけ。
たぶんここ、私の不安が具現化する世界。
若君様のことなんて不安だらけなのに。
『お前などいなくてもいい』
胸が痛い!
どうしよう心を無に出来ない!
『忘れてしまえ』
思い出したよ!何度でも思い出せるよ!だって大好きなんだもの!
小さな若君様はつまらなそうに私を見つめていた。
ふっと子供の若君様の姿が消えると今度は高校の制服姿の若君様が現れた。
『迷惑なんだ。側に寄らないでくれ。視界に入るだけでも不快だ』
ひいいい〜〜〜!!
聞いたこともない台詞だけど、実際に言われると心が壊れそう……!
『誰も愛せないんだ。お前に、愛が返されることはない』
……言われたことはないけど。
でもこれは、本当にそうなのだ。
先祖返りの若君様は、人よりも鬼に近くて、人の感情に疎いと言う。
私たちと同じように人を好きになることはないのだろうし、恋愛的な意味では私が心から満たされる日も来ないんだろうなって思ってる。
だけど子供の頃のように、抱き枕並みの愛情を私に持ってくれたら充分幸せだし、何より私が彼に優しくできるなら、それだけで満たされるのだ。
『俺にお前は必要ない』
若君様の声で紡がれる言葉は、心を串刺しにしていく。
私は彼に必要ないんだろうか。
『俺の人生にお前は少しの役にも立たない』
少しも役立てないだろうか。
『居なくなってくれれば、煩わしくなくなる』
私は煩わしいのだろうか――。
ふと顔を上げると、暗闇の世界から青色すら消え去り、黒い闇に飲まれそうになっている。
心が、闇に沈んでいく様子が見えるようだ。ああ、こんなんじゃだめだ。
――『十、数えなさい』
うん。おばあちゃん。
ひい、ふう、みい……。
心を落ち着かせていく。
どんなに若君様に拒絶されて求められなくても、私が諦めなかったのは、ずっと彼の行動に違和感があったからなんだ。
だってどうして、中学の頃にわざわざ私に会いに来たの?
そんな必要どこにもない。
しかも、好きになるなら私のような人がいいなんて言い残してる。そんなの変だ。絶対おかしい。
猪瀬くんの家で鬼退治をしたとき。
若君様は、わざわざ私に鬼の知識をレクチャーしたのだ。
一族の者として扱っていいのか了承まで取った。
後から考えても、そんな必要、どこにもなかった。
記憶を消して、一族から遠のけて、二度と自分や一族に近付けたくないのならば、そんな行動するわけないのに。
そうして言った、彼の言葉。
『俺を許してくれるときが来るならば、どうか俺を呼び捨てにして欲しい』
矛盾だらけの彼の行動は、私に期待を抱かせる。
本当は思い出して欲しかったんじゃないのかって。
――とお。
目を開けて、闇の中目を凝らして若君様を見つめる。
「お慕いしています。だけどそれは、あなたじゃない」
そっと指先が触れると、幻の若君様は砂のように消えて行った。
そうして闇が晴れていく。
眩しくて目を瞑ると、耳にいろんな音が飛び込んできた。叫び声、うめき声、物音。
目を開けるとそこは体育館で、たくさんの生徒たちが床に倒れ伏していた。




