若君様と部活棟
世の中には身分差があるらしい。
……間違えた。分不相応な恋をしているから身分差と言ってしまった。
この学校には、能力差による差別があるらしい。
なぜなら、遠い親戚がわざわざそう教えてくれたからだ。
「小石美月。お前なんか本当はここに通えるような人間じゃないんだからな」
授業が終わりに帰宅の準備をしていたら、爆弾のような言葉を落とされた。
その男の子の台詞で、クラスメイトたちはギョッとしたようにこちらを振り向き、だけど私と目が合うとさっと視線を逸らせた。
入学してから2週間。
朝の挨拶くらいはしてもらえる関係を築いていた。
なのに簡単に、静かに目立たず通おうとしていた私の穏やかな高校生活は刺々しい言葉で壊される。目の前の配慮なしはそれを分かっているのだろうか。
私の机の前に立つ見知らぬ男の子は、腕を組んだまま、のけぞるようにして言った。
「だから、俺が、色々教えてやる」
「……はぁ。それはそれは、わざわざ」
要らぬお節介を……と思ったところで、この態度をどこかで知っているような気がした。
「ところであなたはどなたですか?」
「……は!?」
顔を引き攣らせた彼は、小柄で幼い顔立ちをしている。黒髪を短く整えて、黒目は大きい。
「……俺を覚えていない?」
「……?」
「犀河原 剣だ」
「はじめまして。小石美月です」
挨拶をすると、また表情を固まらせている。なんだ?
「会っているだろう。慧十郎様の10歳のお祝い会だ」
「……ああ!それは失礼しました。あのときですね」
「……」
小さな頃に、親族の子供たちに囲まれて、散々無能だと罵られたような気はする。あの中にいた子なんだろう。
「……部活棟に案内するように言われている」
「わざわざありがとうございます」
今日は陽奈は学校を休んでいる。きっと慧十郎様が言いつけてくれたのだろう。
憮然とした表情で黙り込んだ彼は何も言わずに歩き出したので、私も鞄を持つと彼に着いていった。
校舎を出て、裏庭を突き進んだ後に、彼は言った。
「この学園では能力が全てだ」
「……はぁ」
「能力の無いものに人権など無いだろう」
え、人権ないの?
「分かりやすく言うとスクールカーストの最下位だ。学園にいる限りリア充など無縁の生活になるだろう。お前なんてミトコンドリア扱いだ」
なんだろうこの、おじさんが無理やり横文字使って語ってるような感じ。それにミトコンドリアに例えるのは陳腐過ぎるし、語彙が少ないと思う。さらにミトコンドリアに失礼だと思う。
「だから俺が教えて守ってやる」
「……守……?」
「親戚だから仕方がない」
うむうむ、と彼は満足そうに頷いている。
いやこの学校の人たち、元を辿れば大体遠い親戚だと思うけど。
「だから俺の言うことを聞け」
「え、いやです」
「……」
彼は思わぬことを言われたように、ポカンと口を開けた。
「なんだよ!言うこと聞けないのか!?」
「そう言われましても……」
言うことを聞けと言うような危ない人と関わりたくない。
「お前……痛ってぇ!」
「何馬鹿言ってんだよ、お前」
後ろに、背の高い男の人が立っていた。この学校の生徒にしては珍しく茶髪だ。スタイルが良くて緑色の石のピアスをしている。丸めた本で、もう一度ポコンと彼の頭を叩いた。
「痛てぇな!」
「ほら謝って。ごめんね、こいつ言い方なってなくて。謝らないと中に入れないよ」
「悪かったよ!」
茶髪の男の人は、にっこりと人好きのするような笑顔を浮かべて私を見た。
「俺は、犀河原 累。宜しくね。学年は一つ上。同じ部活動だよ」
「小石美月です。宜しくお願いします」
「美月ちゃん、こっち、入って。この棟まるまる、うちの部活の棟」
まるまる部活の棟?
三階建てくらいの、大きな木造の棟が立っている。累先輩は扉を開けると私を中に促した。
「部屋がたくさんあるけど、それぞれ違う研究をする部屋なんだ」
「は、はぁ」
一つの部活の場所としては大きすぎる建物だ。圧倒されていると、2階の奥の部屋にたどり着いた。
「今日はとりあえず、慧十郎の説明を聞いて欲しい。後日みんなにも紹介するから」
「はい」
累先輩は扉をノックして言った。
「累です。お連れしました」
「入れ」
そこは書斎のような部屋だった。
本が壁にたくさん並んでいる。奥に大きくて古そうな机。
手前には応接間のようなソファとテーブルが並んでいる。
机の椅子に座ったまま若君様は、理知的な笑顔を浮かべて言った。
「ご苦労だった。累だけ残ってくれ」
「はい」
「失礼します」
部屋の中に残された私たちは、勧められてテーブルを挟んだ別々のソファを座る。なんだかとても緊張していた。
ちらりと若君様を見ると、窓から差し込む逆光を受けて、少し髪の毛を茶色に彩っている。
ぐはっ。心臓がドキドキする。カッコいい。美しい。
「良く来てくれたね、美月さん」
み、みつきさん!下の名前呼びの日が来ました。まぁ双子なので私たちを知ってる人からはだいたい下の名前呼びになるんだけど。
「は、はい。こちらこそ、お迎えまでして頂いてありがとうございました」
ちょっとテンパる。そう言えば変な人が呼びに来たけど。
「これは、みんなに、初めにしてもらっていることなんだが」
「はい」
「俺自身に、君の能力を測らせてもらいたい」
「はい……」
測る?
「どんな能力値があるのか、俺自身に感じ取れる力があるんだ」
「そうなんですね」
さすが若君様!想像も付かないことが出来てしまうらしい。
「少し手に触れさせてもらうが、良いだろうか」
すこしてにふれさせてもらうが、いいだろうか
「……」
「美月さん」
「は、はい!」
「大丈夫かな?」
「もちろんです!」
顔を熱くさせてテンパっているのがいけなかったのかもしれない。向かい側で累先輩が心配そうにこちらを見ている。大丈夫です。安心してください。若君様を襲ったりしません。そんな度胸はありません。
若君様は歩いてくると、私のソファの隣に座った。
ソファが沈み込むと、なんだかいい匂いが漂ってくる。なんだろうこの匂いは、香水なんだろうか。
「失礼するよ」
「は、はいぃ」
若君様はそっと私の右手を取った。
もう一度言うと若君様は、私の手を握った。
(生きてる……)
若君様が生きてることをダイレクトに感じるもの。それは体温。
体温。
それはつまり、若君様の御身の温かさ。
沸騰しそうな私の心を知らない若君様は、少しだけ私を見つめた後に、両手で右手を包み込んだ。
「やはり、高いな」
「高い……?」
「陽奈さん以上の力を感じる」
「……」
向かい側の累先輩も私の近くに歩いてくる。
「陽奈ちゃんと同じ光?」
「いや……微かな光も感じるが……それだけじゃないな。万華鏡のように、色々な色が輝いて踊っている」
累先輩は目を見開く。
「それはすごい」
「俺も、見たことがない色だな……いや……?」
そんな二人の会話をぼんやりと聞いていた。
私は、なんの異能力も使えない。
小さな頃から、一族の落ちこぼれだ。
『恥ずかしい子だよ!』
そうおばあちゃんにいつも言われていた。両親が亡くなってからは、一族から離れて暮らした。
そんな私の中にも、彼らと同じ力があるのだと言う。けれど、そう言われてもまるでピンと来ない。
「明るくて、温かくて……まるで、桃源郷のような……」
そう言ったところで、若君様はがくりと脱力し、私の方に倒れ込んできた。
ソファの上で、まるで若君様にのしかかれるような体勢になる。
「……はっ、はいっ!?」
「慧十郎!? 美月ちゃん、大丈夫!?」
累先輩が若君様の肩を掴むと起き上がらせてくれたけれど、若君様は意識を失ったままだ。
「な、な、な、にが」
私は知らぬ間にあの世にたどり着いてしまったのでは。
「まさか……寝てる?」
目の前には、瞼を閉じ長いまつ毛を伏せた美しいご尊顔がある。
ソファの隣の背もたれに若君様を寝かせると、累先輩は若君様を揺すりながら声をかけたけれど、目を覚ましそうになかった。
「何が起きたんだろ?」
「わ、私は何も」
「分かってる。疑ってないから安心して」
累先輩は私に少しだけ微笑んだ。
「失礼だけど、部活に入ってもらう前に調べさせてもらってあるんだ。我々に害をなす者も、裏がありそうな者も、ここには入れない」
「え、え!?」
なんだか普通じゃないことを言われたけれど頭に入ってこない。
累先輩が繋いだままの手に気付いて、そっと私たちの手を離し、肩を揺するとやっと若君様が瞼を上げた。
私と累先輩の顔を見比べて考えている。そうして、自分の手を見つめた。
「……累、何が起きた?」
「急に眠った。二分くらい。それだけだ」
「……眠った?」
信じられないように、じっと私を見つめた。
私も信じられなかった。
頭が真っ白で、この肌に感じた若君様の全身の体温を、味わっている余裕なんてなかった。
「どうやって目が覚めた?」
「繋いだ手を離したらだな。体調は?」
「おかしな点はない。もう一度試そう」
「……うぇ!?」
若君様は私の右手を掴んだ。今度はそのまま眠っても大丈夫なように、背もたれに体重を預けたまま。
「まだ、能力を感じ取ろうとはしていない」
「触っただけなら、何も起こらないのかな」
「要検証だな」
二人の会話が頭にはいってこない。
ソファに体重を預けた若君様から向けられる流し目のような眼差しに、ドキドキしすぎて体温が沸騰しそうだった。
「……さっきのように感じ取ってみよう」
「ああ」
「やはり、この世のものに思えないほど、美しい光が……」
そう言うと若君様は、すうっと寝息をたてた。
「……眠ったな」
「……は、はぁ」
「こんな顔、初めて見た。慧十郎が別人みたいだ」
とても安らかな寝顔に見えた。
まるでいい夢を見ているときのように、穏やかな、いつもよりも幼く見える美しい寝顔だ。
「提案なんだけど」
「はい?」
「このまま少し寝かしてやってくれないかな」
「……?」
累先輩を見上げると、彼は困ったように笑う。
「10分くらいでいい。慧十郎は、長い間、ほとんど眠れずに過ごしている。こいつがこんな顔出来るなんて初めて知ったんだよ」
「……」
「少しでも嫌なら、無理しなくていい。きっと後で慧十郎に怒られる。これは俺の我儘だから」
もちろん少しも嫌ではないし、むしろ幸福で死んでしまいそうだと思う。
それに、いつも張り詰めたようなオーラを放つ若君様が、こんな風に安らかな表情をしているのを見ると、なぜだか泣きそうな思いが湧き上がる。
この気持ちは、一体なんなんだろう。
「嫌じゃないです。私で良かったら」
「……ありがとう。心配しないで。俺もいるから」
「はい」
そうしてきっちり10分後。累先輩は私たちの繋いだ手を離してくれた。10分経っていることを知った慧十郎様は表情を失くして累先輩を見つめていた。「後で話そう」と言っていたけど、累先輩大丈夫だろうか。
その日。
迷惑を掛けた詫びだと言い、若君様のお車で家まで送ってもらった。
(……)
狭い空間の中で、隣に若君様が座っていることが信じられなかった。若君様も二酸化炭素を吐き出すのだろうかと現実逃避のようにぼんやりと考える。
ずっと、嫌な思いをしなかったかと気にしてくださっていたけれど、大丈夫だと伝えた。大丈夫じゃないのは動悸と息切れと多すぎる煩悩だった。
「もし嫌でなければ……また部活動に来て欲しい」
「はい。明日も伺いますね」
若君様はほっとしたように微笑んだ。
その夜。陽奈とのメッセージ。
『私は桃源郷のありかを知りました』
『どこにあるの?』
『この手の中です』
『良かったね。面白そうだから明日も学校行くよ』
不登校の陽奈が、また登校することになった。