若君様の花嫁探し(1)
若君様は私に教えてくれた。
私が長い間、小さな頃の記憶を失くしていたこと。
そして無能だと思っていた私は、普通の人のわけでもないんだってこと。
彼にそう言われてみると、その言葉はしっくりと私の心に馴染んでいく。不思議なんだけど、ずっと気付けていなかったことにやっと気付けたように。
失くしていた記憶は、とても辛いものだった。
怖くて恐ろしくて悲しくて。
今でも、考えるだけで、立っていられないような恐怖と身体中を激痛が駆け巡るような辛い感情に飲まれそうになる。
溺れそうに苦しくて、だけど……。
『大丈夫だよ。僕がいる』
小さな私の手を握ってくれていた、小さな男の子がいたことを知っている。
彼の手の温もりが、私を繋ぎ止めてくれていた。
子供の私には耐えられなかった激しい感情を、大人になった今の私は、きっと受け止められる……そんな気がしている。
私はきっと、たくさんのことに気付かず生きてきたんだ。
一体私は、何を忘れて生きてきて、どれだけのことを見過ごして来たんだろう。
私は私を知りたい。そしてそんなことに気付かせてくれた……彼のことを、もっと知りたい、そう思うのだ。
土曜日になり、学校はお休み。
私は陽奈の住む祖父母の家に向かった。けれど陽奈は不在だ。猪瀬くんのお見舞いに行くんだって。
久しぶりの祖父母宅を前にして、深く深呼吸をする。
広くて古い、日本家屋の家。良い思い出はほとんどない。
両親が亡くなったあと、2年お世話になった。
犀河原の血を引く能力者たちの教育を、少しだけしてもらった。だけど私にはなんの能力もなくて、おばあちゃんをがっかりさせていた。
『力なきことは恥ずかしいこと』
おばあちゃんから言われ続けたそれは、私をずっと苦しめた、呪いのような言葉だ。
私はその言葉通りに、一族の中で弱く、恥ずかしい存在なのだと思っていた。何もできなかった子供だった私はどんどんと体を壊していき、結局叔父さんの家に引き取られて、普通の人たちの暮らしの中でやっと健康を取り戻していった。
『お前の父親は弱くて亡くなった』
おばあちゃんのその言葉も思い出す。
けれど昔とは、意味合いが違って思える。
今思い返せば……お父さんは、能力者たちの中で力が弱く、おばあちゃんたちとはそれが理由で折り合いが悪かった。出来る限り一族から離れるように暮らしていた。そして結局……真実、能力が足りなくて、亡くなったんだろう。
ずっと苦しんできた言葉だけど……それでもあれは、実の息子を亡くしたばかりの母親の言葉だったのだ。
とても悲しい、台詞だったのかもしれない。
弱い力ゆえに息子が亡くなり、孫に、厳しく教育をしようとした祖母を思う。
私は家族のことも、いろんなことを見過ごして来ていたのかもしれない。
「ご無沙汰してます。おじいさま、おばあさま」
出迎えてくれた二人に私は深くお辞儀をした。懐かしいと思った。もう、怖くはない。この家で、私はかつて叔父に引き取られるまで少しだけ、サイキの力のことや、一族のことを教わっている。
顔を上げると、にこやかな表情の祖父と、真面目な顔付きの祖母が立っていた。二人とも和服姿だ。
「よく来たね。いつでも来ていいんだよ」
おじいちゃんは私の頭に手を乗せると、優しく撫でた。おじいちゃんは、いつも優しかった。そしておばあちゃんは、いつでも厳しかった。
「何があったの……美月」
おばあちゃんが言う。この人には、なんでもお見通しのようだ。
「事故のときのことを思い出しました、おばあさま」
「そう……」
するとおばあちゃんは、顔を顰めて私を見つめた。私は何を言われるのかと体を緊張させる。
おばあちゃんはゆっくりと――笑った。
顔に笑い皺が深く刻まれ、幸福そうな笑みが広がる。
「良かったわ……」
息を呑む。
どうして、あの厳しかったおばあちゃんが、こんな風に微笑むの。
「上がりなさい。話があります」
通された客間で、思い出したことを話しなさい、と言われた。事故のことと病院のことを話すと、二人は顔を見合わせて不思議そうに聞いた。
「慧十郎様のことは?」
「病院で会ったことを知ってます」
「……」
心臓がどきどきと音を立てる。
二人の様子を見ていて、もう気づいてしまった。薄々そうじゃないかと思っていたけれど、私にはまだ思い出していないことがきっとあるんだ。
「おじいさま、おばあさま、私は全部を思い出したいのです」
二人の真剣な眼差しが私に注がれる。
「宜しければ教えて下さい」
そう言って頭を下げると、二人は考える時間を置いてから話してくれた。
「あなたは病院を退院した後、犀河原本家に引き取られました」
そう語られた内容は、想像もしていなかったものだった。
犀河原……本家!?
先日お邪魔したばかりの……あの?
慧十郎様のお部屋のあった……あの?
一族皆が崇拝し、神のように崇め奉っている、あの一族本家の……あの、お屋敷に?え、本当に、あの?
いや、なんで!?
頭をぐるぐるとさせているとおばあちゃんが言った。
「あなたは、慧十郎様の、婚約者候補筆頭でした」
婚約者ってなんだっけ。
一瞬呆けて、心の中で噛み砕く。
「婚約者!?」
「そうです」
なぜだかおじいちゃんが吹き出して笑っている。そんなにまぬけな顔をしているのだろうか。
いやいやいや、でもでも、だってだって。
「婚約者!?」
「そうです」
2度目の台詞にも律儀に返事を返してくれる、そんな祖母の優しさを感じとれるほど、私は大人になっているようだ。
「……なぜですか?」
「それは私たちからは言えないわ。自分で思い出しなさい」
思い出さなくてはいけないことがたくさんあるらしい。
無能の私。
だったはずなのに、一族の、次期ご当主様の婚約者候補筆頭だった。
いやいやいやいや、そんな人、無能力なわけないじゃん!
一体子供の自分に、何があったの……?
ここまで来ると他人事のように思えてしまう。
「今は、陽奈が婚約者候補の筆頭なことは、知っていますか?」
「……いえ。でも、そうじゃないのかと思ってました」
陽奈も若君様も否定していたけれど、周りが、二人の関係を放ってはおかないだろう。陽奈は、それだけの能力を持っている、特別な能力者なのだと言う。
「後は、瑠璃さんね。けれど、彼女は自由を望む人。卒業後は国内に居ないかも知れないわね。一族から抜けてもおかしくないわ」
部活動での瑠璃先輩を思い出す。
明るくて、賢そうで、とても美しい人だ。
「……抜ける?」
「そう。女はね、結婚して、違う一族に嫁いで、子に力を託して能力者ではなくなることも出来るのよ」
「……」
「とはいえ、子供に能力者が生まれれば、その子は一族の庇護下に置かれますが」
前に累先輩が言っていた。
『妖鬼は、サイキの力に寄ってくるんだ。だから、僕らの一族は狙われやすいし、一族に生まれたものは、子供の頃から、一族皆で守りながら生きていくんだ』
でも大人になるまでに、普通は妖鬼を祓うことができるようになるんだって。能力が著しく低かったり、よほどのことがない限りは。
「慧十郎様にはお会いしましたか?」
「はい」
「あの方をどう思いますか?」
「どう……」
若君様のことを考えると、いつも真っ先に寂しそうな瞳が頭に浮かぶ。
理知的で、強くて、魅力的で、みんなに尊敬されているあの人は、けれどいつも孤独を湛えた瞳をしている。
「あなたは、どうしたいですか?美月」
「……え?」
「あなたは、一度一族を抜けたもの。妖鬼に襲われることのないあなたは、一族の庇護下にもいなかった。卒業後、再び生き方を問われるでしょう」
おばあちゃんは私をまっすぐに見て言う。
「一族のものとして生きるのか、それとも、一族を抜けるのか」
そうなのだ。私は、おじさんの家で暮らしてから、ずっと普通の子供として育っていた。一族のことをほとんど考えることもなかった。
でも……陽奈が身体を壊して、家から出られなくなったあの時やっと、目を背けていた自分を恥じたのだ。
「私は、犀河原の一族のものです。長い間忘れていたことを今は後悔しています」
偽りのない気持ち。
学園に通い出して、一族のことを改めて知った。
そして若君様に出会った。
何も出来ない私は、どんなに好きになっても、彼の役に立つことはないんだろうと思っていた。
けれど違うのだと言う。
私たちは初めての出会いじゃなかった。まだ分からないけど私は何も出来ない無能でもないらしい。
「私は、一族の……いえ……慧十郎様のお役に立ちたいのです」
倒れそうなほどに神経を張り詰めて、あの人は独り立っている。
あの人がほっと息を吸える、そんなひと時を過ごせるだけの手伝いでいいのだ。そのためだけに、私はなんでもしたい。
「私は、あの方が、好きです」
小さな時、どう思っていたのか分からない。
初恋の男の子が彼だったのかも……分からない。
だけど予感がしてる。
眼差しひとつで、私の心を鷲掴みに出来る人。
あの人になら、私はきっと、出逢う度に恋をするんだろう。
出会う度に幾度も、私は彼への恋を繰り返す。
そんな気がするのだ。




