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若君様と鬼の気配(2)

 私はかつて、一人の男の子に恋をした。


 その子はとても爽やかに笑う子で、誰にでも優しくて、カッコ良くて、みんなの人気者だった。でも一人になると大人びた表情をしていた。


 どこか遠くを見つめるようなその瞳は何を映しているのだろうかと、私は気になって仕方がなくて、その子のことが忘れられなくなった。


 初恋の人の面影は、そのまま若君様に引き継がれた。あの子とは名前が違う。別の人なんだって、思う。だけど心の中では、あれは若君様だったんじゃないのかと思ってる。


 だって、表情が似てる。眼差しひとつで、私の心を鷲掴みにする。そんな人他にいない。大きなものをたった一人で背負っているような、その瞳に輝く暗い深淵が、私を惹きつけてやまない。


 愛したくなって、優しくしたくなって、守りたくなる。


 こんな人他にいない。

 似てるなんてものじゃない。

 きっと本人じゃないかと思ってる。


 ううん――私は、『気付いてる』。


 小さな頃の、病院での若君様。10歳の時にお屋敷で遠目で見た若君様。そして中学の、初恋の男の子。


 若君様に関してだけ、私の記憶はいつもおぼろげになる。こんなのおかしい。私は何かを忘れてる。若君様のことだけ思い出せない。


 ――そんな気がしている。









 猪瀬くんのおうちの呼び鈴を鳴らした若君様はゆっくりと振り向くと真っ直ぐに私の瞳を見つめた。


 酷く真面目な顔つきで、何か覚悟を決めた後のように、今までと違う表情で私を見つめる。


 風が吹く。

 春の気持ちの良いはずの風は、気まずげな空気を洗い流すように私たちの間をそよいでいく。


「美月さん」

「はい、慧十郎様」


 そんな表情が不思議で、若君様がなにか大切なことを伝えようとしている気がした。


「君を、一族の者だと思ってもいいだろうか」

「もちろんです、慧十郎様」


 即答すると、若君様は少しだけ訝しげに私を見つめる。


「けれど君は、妹さんのために入学したに過ぎない、普通の暮らしを望む者だ」

「いいえ、私はとっくに覚悟を決めてます。妹を守ると決めたときに。私は、逃げていたんだと気付いたんです。両親の事故から、妹の能力から、サイキの力から、無能だと恥だと言われる自分から。気付いた時、自分が恥ずかしくて仕方がありませんでした。もう2度と逃げないと決めて入学したんです。だからどうか私を、犀河原一族の者としてお使いください」


 へらりと笑顔を浮かべてそう言うと、ほんの少しだけ若君様の表情が歪んだ。


 平凡に、普通に卒業したいと言う願いは今も思っているけど、それは落ちこぼれなりに一族の者に付いて行き、平和に卒業したいということなのだ。


「……ならば君に、俺は全てを学ばせる」

「宜しくお願いします、慧十郎様」


 ぺこりと頭を下げて少しして顔を上げると、陽奈がびっくりした顔のまま固まっていた。


「みみみ、美月ちゃん何言ってるの!?」

「ずっと思ってたことだよ」

「そんなつもりじゃなかったんだよ!?」

「知ってるよ。でも、たくさん考えて決めたの。事故のことも、子供のときのことも、いろんなこと思い出して、決めたことが間違ってなかったって思えたの」


 陽奈は泣きそうになりながら、両手を広げて私に抱きついてくる。


「美月ちゃん……」


 世界でたった一人の、私の妹。

 温かな体温はこの腕の中にある。ぼろぼろに心も体も壊して、ずっと寝ていた頃を思い出す。そばに居て、力になりたい。もう、何も出来ずに、何も知らずに家族を失うことには耐えられない。


 若君様は私たちを見つめてから、視線を門に移した。


「返事がない。行くぞ」

「はい」

「はい、慧十郎様」


 若君様は立ち止まると、私に手を伸ばしてくる。


「美月さん、こちらへ」

「はい?」

「俺の側から離れないように」


 若君様の形の良い指が、私の手の平に触れる。大きな手が私の手を包み込むと、強く握る。


 あわわわわ。


「ね、眠ってしまわないですか?」

「ああ……」


 若君様から向けられる笑顔が眩しく輝く。


「力を感知することを意識しなければ大丈夫だ」

「そ、そうですか」

「君たちは俺が守る。それを信じて欲しい」

「はい……慧十郎様」

「はい!」


 陽奈は慣れたように、明るい笑顔で答える。


「早く……助けに行きましょう。あの、頑固な捻くれ者を!」










 門をくぐり抜け、木々に囲まれた道を歩き進むと母屋に辿り着いた。大きな日本家屋の家。犀河原本家ほどじゃないけど、立派な建物だ。


 用心深げに中の様子を確認しながら、若君様は扉を開けていく。人の気配がない。静か過ぎて不気味なくらいだった。


 若君様の手の平の温かさが、心を穏やかにする。ただ手を繋いでいるだけなのに、不思議なくらい、優しい気持ちになる。これは私の感情なんだろうか。それとも、若君様から伝わる、彼の優しさなんだろうか。


「猪瀬の部屋に行こう」


 若君様に促されて廊下を歩き進むと、着物を着た若い女性が廊下に倒れていた。若君様が様子を確認する。


「大丈夫だ、気を失っているだけだ」

「妖鬼に当てられてますね。浄化しておきます」

「頼む」


 陽奈が体から白い光を放ち、女性を包み込む。すると、苦しそうだった女性の表情が緩んで、穏やかな眠り顔に変わった。


 繋いだ手を見下ろすようにして若君様は言った。


「この家の女中だ。妖鬼の強い力の影響を受けて気を失っている」

「はい……」


 と言うことは、妖鬼がどこかにいるってことだよね。


「女中は一族のものではない。妖鬼に襲われることはないが、こうして影響を受けることもある。美月さん、サイキの力が漏れていない君も襲われることはないが、こうして影響を受ける可能性があるのを覚えていて欲しい」

「分かりました、慧十郎様」


 若君様は、本当に私に知識を学ばせてくれるつもりのようだ。


「終わりました慧十郎様」

「よし、行こう」


 私たちは廊下を先へと進み、長い廊下の突き当たりにある引き戸を前にして立った。


 ごくりと息を呑む。


 ピリピリと空気が震えるような感覚があった。この中に『何か居る』。どうしてそんなことを思うんだろう。この間校庭の妖鬼を見た時だって何も思わなかった。だけど、今は何かを感じる。これはなんだろう。もしかして、繋いでいる、若君様の感覚……?


「妖鬼――そう呼ばれる存在がある。だが、あれらは本当に鬼な訳ではない。俺たちの目には邪悪な鬼に見えるだけなんだ」

「……え?」


 ぽかんとした顔でそう答えたのは陽奈だ。

 え?なんで陽奈が驚くの?


「鬼のわけじゃない……?」


 陽奈の呟きに、若君様は苦笑する。


「君たちがそれを学ぶ場が、あの学園なんだ」

「え、ええ……?」


 陽奈と一緒に話について行けない。

 妖鬼が、鬼じゃない……?


「あれは、俺たちの持つ異能の力、犀河原の始祖から受け継いだサイキの力の成れの果てだ。過ぎた欲望、願い、命を賭けた想い、かつて人から生まれ出でた力が暴走し、還る場所を探し求めるように彷徨っている。強すぎる妖鬼は人を喰う。人を乗っ取り、かつての想いを叶えようとする。文字通り、人が鬼のようになる」


 化け物みたいなあれが、私たち一族の異能の力の成れの果て……?

 サイキの力の塊が、鬼のように見えるってこと?


「美月さん」


 漆黒の瞳が私をまっすぐ見下ろしている。


「は、はい」

「怖がらないで。あれらは君を害せない。君が心を恐怖で染めない限りは、君を認識することもない」


 心を恐怖で染める……?


 扉を前にして緊張していた自分に気付く。そうだ、私は怖かったのだ。だけど若君様が隣にいる。守ってくださる。手を繋いでいる。私を害せない存在だと教えてくれている。


「ありがとうございます、若君様」


 笑顔でそう言うと、若君様は少し変な表情をした。


「君は」

「はい?」

「心の中ではいつも、『若君様』と呼んでいるんだろうな」

「……え?」


 うっかり、若君様と口にしていたことに気がつく。

 請われて慧十郎様とお呼びしていたけど、確かに、心の声では若君様だ。一族の次期ご当主様の、住む世界の違う尊きお方だ。


 若君様はじっと私を見つめてから、ふっと笑う。

 楽しげな、少年のような表情は初恋の男の子を思い出させる。


「美月さん」

「はい」

「俺を許してくれるときが来るならば、どうか俺を呼び捨てにして欲しい」

「え……許す?」


 そして呼び捨てってなんだっけ??


 と思いながら陽奈を見つめると、興奮したように瞳を輝かして私たちを見つめている。


「さて……」


 若君様は手を離すと、今度は私の肩を抱いた。

 密着度が高くなり過ぎて、幸せで気が遠くなりそうになる。全身が暖かくて優しい何かに包まれる気がする。


「これが最後にならなければいいが……」


 若君様はまっすぐに私だけを見つめている。これは一体なんだろう。こんな時なのに顔がホットで恥ずかしい。


「猪瀬の妖鬼を祓う。君には俺の守りを授ける。大丈夫だ。見ていてくれ。何を思い出しても、怖くはない。俺が守っている」


 何故だか懐かしい気がする、若君様の優しい笑みが私を見下ろしている。


 何を思い出しても……?


 なにかとても大切な話をしている気がする。だけど私にはそれがなんだか分からない。


「陽奈さん、準備は?」

「いつでも大丈夫です!」

「……久々に、猪瀬の顔を拝めるな」


 若君様はそんな台詞を少しだけ嬉しそうに呟いた。

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