若君様と昼休み
特殊能力持ちが居る、現代風の異世界です。
うららかな春の午後。
昼休みの教室には生徒たちのざわめきが広がっている。
私はそんな生徒たちの喧騒から逃れるように、ランチバッグを持つと立ち上がった。
(良い天気だなぁ)
廊下から見下ろす校庭には眩しい日差しが降り注いでいる。暑くなりそうだと考えた私は、裏庭を目指すことにした。
学食横の出口から外に出ようとして、人にぶつかった。
「あっ!」
「……うわっ」
背の高い男の子が友達と話しながらやってきて、こちらを見てなかったのだ。
とっさにランチバッグを離してしまい――床に落ちる、と思ったその瞬間。ガチャンという衝撃音は聞こえてこなかった。
ランチバッグは空中で止まっていた。まるで時間が止まったように。
「わりー!ほんとごめん」
男の子はぱっと腕を伸ばし、なんでもないようにランチバッグを手に持つと、私に渡してくれた。
「あ、いえいえ、わざわざありがとうございます」
「悪いな」
にこやかに笑みを交わし、男の子と別れる。
こんなことは、よくあることだ。他の学校ではあまりないことも途中であったけれども。
私、小石美月は、普通の高校生だ。
特別何かが出来るわけでもなく、特段容姿が良いわけでもない。成績だって平均的だ。
あえて言えば、双子として生まれた。
二卵性の双子なので、そんなに似ているわけでもない。
妹は小石陽奈。
彼女は、いわゆる、超能力的なものが使えた。異能力と言うらしい。
異能力。
どんなものかと言えば、さっき男の子がランチバッグを空中で止めてくれたのも、異能力の一つだ。
この学校は、そんな能力者ばかりが集められた特殊な学校らしい。
どう言うわけか、というか、わけあって、この学校に1週間前に入学したのだけど、私はと言うと、なんの異能力も使うことも出来ない、平凡な人間なのだった。
(ここはなかなか)
裏庭の先、奥深い場所に、新緑の木々に囲まれたベンチがあった。ほどよくまばらな日差しが差し込む、居心地の良さそうな場所だ。座ってランチバッグを開け、飲み物を置くとおにぎりを食べる。美味しい。
(平和だなぁ)
入学したばかりの学校で、一人でお弁当を食べる女子高生の姿が果たして平和なものなのか疑問ではあるけれど、やっぱり平和だと思う。
入学するまでは、もっと怖いところなのかと思っていたのだ。
だって、異能力……サイキ、と呼ばれる能力らしいのだけど、そのサイキの能力者なんて、陽奈以外にほとんど見たこともなかったし。
普通の家に育って、近所の公立の中学に通ってた。
陽奈はおばあちゃんの家で暮らしていたから、一緒には住んでいなかったし、一般人には、なじみの全くないものなのだ。異能力なんて。
(こんな学校で、私やっていけるのかなぁ……)
春の午後の、幸せを感じさせるそよ風を頬に受けながらも、真逆のように憂鬱になる。
(陽奈のおまけで入学しただけだもんなぁ……)
本当に本当。私自身に、異能力者ばかりが集う学校に通う理由なんてない。なんたってこの学校で唯一の、無能力者なのだから。
一つ目のおにぎりを食べ終わった時、がさり、と音がした。
振り返ると、そこには見たこともないような美丈夫がいた。
……嘘だった。入学式ですごく遠目にお目に掛かっていた、新入生代表を務めた青年だ。
高校一年生なのだから、ここは少年と言うべきなんだろうけど、10歳は上なんじゃないかと思うような空気を纏った彼に、そんなことは畏れ多くて言えない。
綺麗なのに、切られるように鋭い、ただものではない雰囲気を醸し出している人。
色の白い、整い過ぎた顔立ちは精悍だ。切長の瞳が私を見つめていた。
黒髪は、普通の高校生よりずっと長い。軽くすいた髪が肩の下まで流れるように伸びている。
背が高く、均整の取れた体付きをしている彼は、学校指定のブレザーをモデルのように着こなしている。
もう一回言うけれど、かなりの美丈夫がそこにいた。そして品がある。別の世界の人のように、なんだか高貴な気配が漂う。イケメンと言う言葉を使いたくなかった。そんな洋風で気安い言葉使いは彼には似合わないのだ。だって彼は。
「若君様……」
一族のみんなに、そう呼ばれているのだから。
思わず漏らした私の台詞に、彼はふっと笑った。
「俺のことを、知っているのか?」
彼はそう言うと、私の元に歩いて来て言う。
「座っていいかな?」
「はい、はい!」
二度言ったのではなく、二回返事をしたのだが伝わっているか分からない。私は少しテンパっているらしい。
ベンチの隣に、若君様が座った。冷や汗が流れる。座ってもらって良かったのだろうか。こんなところに。高貴な気配漂うお方が、汚れていそうな屋外のベンチに座るんだろうか。いや、座ってるけど。
「初めまして、じゃないかな。小さな頃に会ってるね」
わぁお、若君様は下々のことまで覚えているらしい。
10歳の歳に、一度だけ若君様のお屋敷にお邪魔し、一族の会合ですごく遠くからお目に掛かったことがある。顔もよく分からないくらい遠くからだ。ちなみにお屋敷はまさにお城だった。すごかった。
「俺は、犀河原慧十郎。一族の者に、順番に挨拶をしてるんだ」
「それはそれはわざわざ……ご挨拶が遅れまして、私は小石美月です」
……ん、順番に挨拶?本当にわざわざ?
いくらなんでも仰々しいような……そんなハテナを頭に浮かべていると、彼は瞳を細めて微笑んだ。美しい人が微笑むと、それだけであたりが光り輝くのだと、生まれて初めて知ってしまった。
きっと近くの木々も光合成に勤しめるだろう。そんな気がする。木々は嬉しそうにさわさわと揺れている。
「小石さんは、一族の事情をどこまで知っているのかな?」
一族の事情、という、滅多に聞かない言い回しが出てきた。正直ピンと来ないけれど、ここは相手に合わせてみよう。
「事情というとあれですね。犀河原家のことですよね。そうですね何も知りません。あ、うちが分家だとは知ってます」
合わせたところでほとんど知らなかった。
けれど若君様は真面目な顔で頷いた。
「ならば最初から説明するが。俺は、一族を統べる犀河原家の長男だ。知っているかな」
「はぁ……それは存じております」
なにせ若君様と呼んでいるしね。
「中等部時代は留学をしていて3年ぶりに戻って来たんだ」
「左様でございますか」
そう答えると、若君様はおもしろそうに笑った。
「口調が硬いな」
「はぁ……」
「同級生なのだから、普通に話して欲しい」
「善処を心掛けます」
ちなみに私にとっての彼は『なんだか分からないけど偉い人』枠だ。なんだか分からないから平和な日常のために出来るだけ距離を置きたい感じの人だ。
じっとわたしを見つめる眼差しに、心を見透かされているのではないかとヒヤリとした。
「君は、三年間、どんな風に過ごしたい?」
「……え?」
真剣な表情で見下ろされていたから、ただのアンケートでは無さそうだと感じる。
「君の事情を少々伝え聞いている。学園にいる間、可能な限り、苦労することのないよう便宜を図ろう」
私の事情と言うと……。
能力無しだから一族から追い出されて、一般家庭で育ったことだよね。若君様はなんでもご存じのご様子だ。
ふむ。と思う。そこまで知られていて、気にしてくださるのなら、ここは本音を伝えておいた方が良いのかもしれない。
「まずは卒業したいです」
「……そこは君次第だな」
「双子の陽奈と一緒に通いたいです」
「把握している。改善を試みよう」
陽奈は今不登校中なのだ。把握されていらっしゃるとは思わなかった。
「平和に、過ごしたいです。普通に、平凡に、むしろ平均以下で良いので、穏やかに勉強したいです」
美味しいランチを食べていたこの時間のように。
春の日差しが眩しいように。
ただ、普通に学校に通って卒業したい。
その想いは、この学校では、難しいことなんじゃないかと思えるのだ。
若君様は黙って私の台詞を聞いていたけれど、少し考えるようにしてから「分かった」と言った。
「要望は出来るだけ叶えるので安心して欲しい」
微笑む若君様のお顔を見ていたら、やっと少し緊張が解けた。そうだ緊張していたのだ。この学校に入学した日からずっと。
「邪魔をして悪かったな。また何かあったらいつでも言ってくれ」
そんな風に言う彼に、もしかしたらこの人は良い人なんじゃないかと思えてきた。
だってこんなヒヤリングを、若君様がしてくれるなんて想像もしていなかったのだ。
彼は立ち上がり去っていこうとする。昼休みはあと15分しかない。
「……若君様」
声を掛けると彼は振り向いて「ああ」と言った。
「同級生なのだから、慧十郎でいい」
「え……慧十郎様?」
「様もいらないが。なんだ?」
「お昼は食べられました?」
「いや」
なんでそんなことを聞いたのかと言うと、まっすぐここに来た私にすぐに追いついた若君様が、これから戻ったところでお昼を食べてる時間などどこにもないことが分かっているからだ。
「おにぎりを一つ食べませんか?」
「……おにぎり?」
「食べるのが遅い私にはもう、おにぎりを食べ切る時間がありません。もし何もお腹に入れていないようでしたら食べて頂けるとありがたいのですが」
暖かなこの気温の中で、教室に置きっぱなしにするおにぎりは夜まで持たないだろう。
若君様は少し考えるようにしてから隣に座った。
「悪かったな。食べる時間を割いてしまった」
「いいえ、お気になさらず。慧十郎様こそ、貴重な時間を割いて頂いてありがとうございました」
そう言うと彼の手におにぎりを渡した。
渡してから、不躾だったかもしれないと思う。中学の部活でサッカー部のマネージャーをしていた。おにぎりの差し入れを男の子に渡すのは慣れたことだったけれど、今対面しているのは、そんな気安い関係の人ではなかった。
「良いのかな?」
「あの……ごめんなさい。やっぱりご迷惑でしたよね。持って帰ります」
「いや、実は嬉しいんだ。昼にまともなものを食べるのは久しぶりでね」
手作りおにぎりはそれほどまともなものではないと思う。
彼は時計を気にしてからおにぎりを食べ出した。やっぱり、男の人の一口は大きい。
「これは食べたことがない味だ」
「えっと……今日はツナマヨですが」
はっとする。
ツナマヨ……ツナマヨネーズ。
果たして、若君様のお屋敷で、ツナ缶の中身をマヨネーズであえておにぎりを作る人がいるだろうか。かと言ってコンビニのその辺で売っている大衆的なおにぎりを若君様にお渡しする人はいるだろうか。
その答えは否!想像することも出来ない。可能性は著しく低い。あるとすればマグロの切り身から作り始める見たこともないような本格的なツナだろう。
「缶詰のツナをマヨネーズや出汁で和えたものです……」
動揺を隠すようにごく客観的に説明をする。
「話には聞いていたが美味しいな」
「それは良かったです」
「ありがとう」
あっという間に食べてしまった若君様は、立ち上がってから私に手を差し伸べてきた。
握手かと思い手を握ると、そのまま引っ張って立ち上がらせてくれた。ここに紳士がいた。
少しどきまぎして若君様を見上げると、逆光の日差しが彼の背にあって、彼の漆黒の色の黒髪を薄い茶色に見えるように透かせていた。
ドキン、と心臓が跳ねた。
心拍数と体温が上がる。顔に熱が集中する。
軽く微笑むように口角を上げた若君様のお姿。
遠い存在の、『若君様』と呼ばれる彼に一線を引いてしまっていたけれど、今風の茶髪に見える彼の容姿を垣間見て、気付いてしまった。
――最高に私の好みのルックスをしている。
賢そうで、だけど優しそうで、微笑めば甘くなるその眼差しに、全身がキュンとする。正直、死ぬほど好みだ。初恋の男の子にも似ている。当たり前だ。好みの顔なのだ。
……うわ。
どうしよう。まずい。これは、非常にまずい。
そう思い慌てていると、彼は穏やかな笑みのまま言った。
「昼休みが終わる。急いだほうがいい」
「は、はい!」
ランチバッグを持つと小走りに教室に向かった。頭の中は真っ白だった。
これはとある平和な高校生活の、崩壊の始まりの日。
……に、なるかと思ったけど、ならなかったそんななんでもない日。
普通の女子高生の私が、同級生の男の子に恋をした。そんな、誰にでもある、当たり前の青春の1ページだ。