4. クローハルの小鳥~橋の上の取引
北西支部クローハルの若い頃の思い出恋話。
夏も半ば。
北西支部の執務室。扉を開けて中から出てきたのは、クローハル。満足そうに食堂へ行き、夕食を受け取って、広間で食事をする。
一人で食べるのは普通でも、顔つきを見抜き、のらりくらりと近づく余裕のある輩がいるのは、今の時期が暇な証拠か。
「クローハル。横に座るぞ。どうした、どこか出るのか」
片目の騎士が、真横の席に夕食の盆を机に置くと、許可も待たずに座り、早速質問。クローハルも食べながら、特に彼を見ることなく『南』とだけ答える。
「お前は、毎月休み取るな。先月も」
「毎月って言ったって、まだ3度だぜ。あいつらが動く前に一回と、その後。明日からの休暇で3度。大した回数じゃない」
焼き釜で焼いた、ブゾー(※チーズ)のかかる芋を口に運び、クローハルはちょっと片手の指を折りたたむ。
「うーん。だよな。そう、3回だ。定期的に行かないと忘れるから」
「名前か。女の」
他に大事なことないだろ、と笑うクローハル。ブラスケッドも笑って、芋を口に頬張ると『こんなの食べると、イーアンの料理が食べたくなるな』と呟いた。
さっと横に並ぶ友を見た、胡桃色の瞳は『それは何年も先だ』と、短く切る。
彼らの旅は、始まったばかり。遠征じゃあるまいし、半年・一年程度で戻らない。忘れていたのに、思い出させた友達の言葉に、嫌そうに眉を寄せた。ブラスケッドは続けて質問。
「吹っ切れたのか」
「イーアンのことか。そうだな。吹っ切れるも何も。
自分でも分かってない、って・・・前に話しただろ。分かった時点で『違う』って知ったから、旅立つ前に、彼女にも正直に伝えている(※本編704話参照)。
彼女は・・・彼女相手の俺は、いつもの俺じゃない。それは『違う』ってことだろ」
お前は?ブラスケッドに、質問を返す。片目の騎士は、食事を続けながら首を振った。
クローハルはその態度に、少し後ろめたい気持ちを抱く。会話を避け、頬張るように詰め込むと『明日早い』と挨拶して席を立つ。
「クローハル。かなり昔にも。お前、そんなこと言ってたな」
「覚えてねぇよ」
口悪く、振り返りもしない返事を捨てて、急ぐ背中を見送る、ブラスケッド。
「お前の純に好きな相手は。今も昔も、どこか似通う」
フフッと笑って。小さな独り言を落とした。
翌朝早くに、馬を出して南の町へ向かったクローハル。
南とは言え、行き先はウィブ・エアハ。まぁ、遠くもない。南西の支部で一泊するつもりで、のんびり馬を進める。
「ブラスケッド。余計なことを」
最後の質問として逃げた、夕食の会話。ブラスケッドの無言の返事は、同時に質問でも、確認でもあった。それを感じて逃げたのに。逃げる背中に『どうでもいい一言』を投げられたため、寝付くまで意識した。
「ブラスケッドは年上だからな。あんな余計な世話したがるんだろうが。あんまり見透かされるのも気に食わん。
だが。俺が逃げたのは確かだな。妙な態度の餌にされるのを、しおしお受け取る俺じゃない」
クローハルは、馬上で水筒の栓を開け、水を一口飲むと苦笑い。
「イーアン。そうだな。吹っ切れたばっかりだぞ。
変なところでブラスケッドは突いてくる。昔の話なんかしなきゃ良かった」
世話になることも多い、先輩のブラスケッド。彼と一緒に、酒を飲んだ回数はどれくらいかなんて、数え切れない。
酒の上の話なんて、彼だって酔っ払っていそうなのに、どういうわけか覚えているブラスケッド。後々、苦手な話題を素面で出されれば、クローハルは逃げるだけ。
「支部の連中の過去は、大体がブラスケッドの『記録帳』の中だろうな」
笑いながら、南へ向かう道を進むクローハル。雲の流れる青空を見つめ、イーアンのことも、昔の誰かのことも、少しずつ重ねて考え始める。
「俺が俺らしくいられない相手は。手が出せないんだよな。いや、出そうとは思うけれど。
出したら、いつもの相手と変わらない存在に変えてしまいそうで」
そんなの、望んでいない。自分らしくいられない、そんな貴重な相手はそのまま、そのままが良い。『小鳥ちゃんもね』フフッと笑った相手、思い出の人。
*****
クローハルが騎士修道会に入って、初めて異動が決まった時。今から10年前。
移動先が『田舎(※北西の支部)』と知って、クローハルは嘆いた。『町が遠退く』夜毎、遊びに通った町の女から、引き離される現実に耐えられず、本当に辞めようかと悩んだ、あの時の話。
異動が決まった、その夜。クローハルは業務終了と共に、町の花女屋(←この世界の通称=女性と○○行為のある店)に駆け込んで、可愛い女達に泣きついた。
彼女たちの3人ほどは、本気でクローハルが好きだったのもあり『私といれば』と真剣に、相談に乗ってくれたが、クローハルはそれも即答で『頼む』とは言えなかった。
クローハルは当時、20代も前半。まだまだ遊んでいたい年齢で、いきなり一人の女性に落ち着くなんて、考えたくもない。
確かに騎士修道会を辞めても、彼女たちの誰かと暮らせれば、食わせてもらえるだろうし、金を使うことなく生きても行ける(※10台半ばでジゴロ確立した男)。
実際。ほとんど金も使わずに、この町で遊べていたわけで、騎士修道会の給与も毎月溜まる一方の、クローハル。
する気もなかった貯金は結構あったので、その金で、辞めた後に自由に暮らそうかとも考えたが、食い潰すのも懸念にはあり。そうなると、次の仕事を探すわけだが、遊び人の自分に、普通の仕事が務まる気もせず。
女達に勢いで泣きついたまでは良かったが、真剣に未来を考えてくれる数名の女性に、若干引きつつ、クローハルはその夜、長居もせずに店を出た。
次の店は、女手一つで切り盛りする、酒飲み処。
そこの店主の女性は、自分に会えば『泊まるか』と誘い、泊まって楽しむと小遣いをくれ、クローハルがどこの誰と同じことをしていようが、全く気にしないという、素晴らしい相手ではあった(※ジゴロ王道)。
で。ここでもクローハルは、少々勢いが落ちたものの、泣き言を打ち明けながら酒を飲んで。同情した女主人に『うちで暮らしても良いのよ』と。思ったとおりの返事をもらった。
女主人は、情けなさそうに自分を見上げたカウンターの色男に、『良いじゃないの。私と暮らして。この町で、他の女と仲良く続けて。そんな人生も』と、非常に理解ある前向きなジゴロ人生を推奨してくれたが、クローハルはここでも悩んだ。
「俺があなたに・・・そこまでさせるのもね」
「今だって、似たようなもんでしょ」
言い返しはしなかったが、酒を一口飲んで、クローハルはそっと席を立ち、彼女にお礼を言ってキスをした後『今日は帰るよ』ぎこちない笑顔を向けた後。
何か悪いことを言ったかと、気がついた彼女の引き止める声に、さらっと手を振って、店を出た。
若かりしクローハル。女の金で楽しむどうしようもない男・・・なんて、自分のことを考えたことはない(←人には言われる)。
これは、俺の特権と思うし、自分が楽しむことも相手が喜んでいるなら、何も悪くないと認めていた。
その内容が、人の言うところ『女の金で~』というだけ。
でも騙してもいなければ、嘘も言っていない。お互いがそれで良いなら、それは普通じゃないのかと、自分に眉を寄せる説教臭い相手には、いつも決まり文句のように言い続けた。
だけど、あっさり女の方から『私が養ってあげるから平気』『今だって似たようなもの』とまで言われて、『そうだね』の返事を、笑顔で言えるほど大人でもない。それは、ちっぽけな・・・どうでも良い意識のせい。
「俺は曲がり形にも騎士なんだ」
そんな呟きが、とぼとぼ歩く夜の道に落っこちた。
『騎士だしさ』と言えないのは、『じゃあ。泣き言なんか、持って来ないでよ』と呆れられそうだったから。自分でもそれは分かるが。
「だけど。慰めてもらいたいじゃないか。打ち明ければ、別の解決法もあるかも知れないし(←出来れば、最高に都合良い方法)」
誰にも聞こえないから、ぼやく弱音。
好きな日常が消えると思ったから、泣きついた。続きは想像通りだった。こぞって、女は自分を世話しようと意識を切り替えた。
とはいえ、結婚なんて冗談じゃないし、結婚しないまでも、誰か一人に世話になるのも、また別の意味で嫌―― それは、本当に無力な男のような気がした。
「仕事していて。気持ちに余裕があって、ジゴロ・・・と。無職でジゴロ。全然、気持ちが違う」
クローハルは支部に戻る道のりで、町から出たすぐの、橋を渡り切る前。立ち止まって闌干に両手を預け、黒く流れる夜の川を見ながら、力なく凭れかかる。
「騎士ったって。暇なもんだ。剣の稽古や遠征見回りがあるくらいで。それらしい場面もないし、平和な治安は結構だが。
騎士らしいこともしてないのに、女の世話にまでなっちまったら・・・誰の役に立ってるんだか。男なのに、情けない気もしてくるってもんだ」
そりゃ、食わしてもらったら最高だけど。でもなぁ、と・・・揺れる『男らしさ』への諦めつかず。
紅顔の美青年クローハルは、夜の橋の上で悩み続けた。
長い橋の途中で、うーんうーん悩む青年。1時間ほどそうしていたか。
人の往来も消え始めた時間に、ふと目端に何かが見えた。橋の中ほどにいたクローハルから、少し遠く。星の明かりで何となく見える程度、橋の上に何かがいる。
怪訝に思ったクローハルが体を起こし、剣の柄に手を添えて、目を凝らしていると、橋の上に人がうずくまっていると知る。
『何だ?』いつから居たのか。それも分からないが、ゆらゆらと動いているので、クローハルは少しずつそちらへ近づき、確かめようとしたその時。
突然、その影は立ち上がり、闌干の上に飛び乗った。
ハッとするクローハル。身投げかと認識した一瞬で、体が勝手に動いて走り出し、影が川に向かって落ちる、既のところで、抱きかかえた。
勢い付けて、バタンと橋に投げ倒した、相手と自分の体。
急いで相手を見て『何してるんだ』と叫ぶと、振り向いた顔は泣いていて、よく見ると、子供のような女だった。
器量が良いとは言えない顔に、涙がびっしょり覆っていて、クローハルは何が何だか分からないなりに、彼女がとにかく『死のう』としたことだけは確かだと理解した。
起こした体で彼女の肩を掴み、『何があったか知らないけど』と言いかけると、彼女はその手に怖がって倒れた体を縮ませる。その反応にすぐに手を離し、両手を挙げて『何もしない』それを先に伝える。
「何だって言うんだ。死ぬ気だった?」
「あなたに。関係。ない」
「関係?そうだろうけど、飛び下りようとしているのに、平気でいられないだろう」
「誰も。いない。と思っ。た」
先にいたはずのクローハルの姿さえ、見えていなかったのか。泣き声が祟ったような、しゃがれたか細い声で、どうにか聞き取れるくらいの返事を返す女。
「じゃ。俺が見なかったら、そのまま死んで良かったのか?今、俺がいなくなれば、あんたもう一回」
問い詰めるような口調に、この言葉は最後まで言えず。クローハルの言葉に、女は小さい体を一層丸めて、泣き始めた。
クローハルはどうすれば良いのか、急いで考える。
こういった場合、支部には連れて行けない。町に届けようにも、誰に言えば良いのか。女達に頼るのも違う気がするし、放っていけるほど冷たくも出来ない。
泣きじゃくる女を前に、どうしようかと、続く動きを考えている最中。ふと、鼻を突く臭いに気付く。この女の臭いか?顔をしかめるほど、脂臭い。
暗さに慣れた目で、落ち着いてじっくり相手を見ると、髪の毛は、洗ってるんだかどうか分からないくらいに縺れて固まり、着ている衣服は、袋でも分解したような生地。
縮こまった体は、よく見れば骨ばっていて、時々しゃくりあげて上下する顔に見える口は、歯が何本か無い。嫌な予感がして、顔を覗きこむと、顔は痣と裂傷の跡があった。
それを見て、ぞっとしたクローハルはもしやと、彼女の手足に視線を移す。
暗さではっきり分からないが、付いたばかりの傷があるように、嫌な染みが粗い生地に浮んでいた。
「あんた。酷い目に」
「私。私は、生きてる意味。ない。ないから。いるだけ。邪魔で。だから、もう」
「言うな。そんなこと言うな」
「でも」
クローハルは自分の上着をすぐに脱いで、彼女の肩に被せる。それからそっと両肩に手を置いた。きっと、さっきは怪我をしていたところが痛んだんだ、そう見当をつけて。
「どこでそんな目に遭ったのか、言いたくないなら、訊かない。だが、そんな目に遭わせるような場所へ帰るなよ」
「でも。行く場所。ない。から。誰の役にも。立たない。もう、死ぬしか」
「言うなっ。言うな、もう。おい、こっち見ろ。俺を見ろ」
泣いて声が続かない女の顔を、思いっきり下から覗きこむクローハル。驚いた女は、自分の見た目が恥ずかしいのか、顔を伏せようとするが、クローハルはその頬骨の浮く頬に手を添えて、自分を見させた。
「こっちを見ろ。役に立たない人間なんかいない。あんたは、俺の役に立て。今、約束しろ。
役に立てたら、生きていられるってなら。俺を助けろ。良いか、やり直せ。最初の手伝いだ、分かるか?
もう一度言うぞ、やり直すんだ。やり直して、誰かの役に立つ、最初の仕事をしろ。
俺はあんたを死なせたくない。どこの誰か知らないが、でも死のうとする人間を死なせるほど、バカにはなれない。
やり直すんだ、それを俺が望む。必要なら手伝ってやる。だから俺の役に立て、俺の望みを助けろ」
クローハルも勢い。言った言葉は引き受ける。この時、異動のことはすっかり忘れていた。
そんなことより、目の前で命を捨てようとする人間に、自分のすべきことを、急いで頭の中で決定する。
もう一度町へ戻って、普通の宿屋を取ること。とにかく、保護しかない。
腰袋に手を突っ込み、騎士修道会の認証を引っ張り出しながら、ざっくばらんな自己紹介をする。
「どうする。俺・・・俺は、騎士修道会の騎士だ。
身元を疑うなら、確認しても良い。これ、これそうだぞ。これが俺の認証だ。見たことあるかな、これは騎士修道会の騎士の証だ。
俺はシンリグ・クローハル。今から、あんたを保護して、あんたが俺の役に立つために、手伝う」
言うべきことは、全部言った。
しっかり『騎士修道会の保護』と覚悟を決めた瞬間。
女は戸惑う目を彷徨わせて『知らない人に。迷惑』と呟いた。クローハルはもう一度言う。それは自分のためでもある。
「名乗ってくれ。迷惑なんて考えるな。あんたは俺の役に立つのが、最初の一歩だ。分かるか、生きてやり直すんだ」
「ナウホ」
「ん?」
「ナウホ。名前」
戸惑いで一杯の取り乱した気持ちを、どうにか押さえ込んだ女は、名乗れと言われたことで、名を教えた。
その名前は、クローハルの耳に届き、同時に同情が湧く。『ナウホ』は『鳥肉』の古い呼び名。
「ナウホ。そうか。名前もやり直せ。ナオファンだ、それなら良いだろ?」
「ナオファン。私」
「そうだ。ナオファンなら、変じゃない。これから、あんたはナオファンだ」
ナオファン・・・呟く声は、泣き過ぎてひくついているが、少し希望を生んだように見えた。新しい涙の一滴が、彼女の頬に落ちた。
「ナオファン。『小鳥』だ。あんたは小鳥だ。飛べるんだ」
そう言うと、クローハルは彼女の手を取って、ゆっくりと立ち上がらせる。
落ち着き始めたか、どうなのかも分からない彼女の様子を心配しながら、来た道を戻り、これからどう行動するかを伝え、宿を取ると彼女に金を持たせた。
宿屋の主人は、支部の騎士で、この町では有名なジゴロと知っているクローハルの、意外な保護に目を丸くしながらも、彼女を受け入れてくれた。
「明日。また来る。ここで待ってろ。絶対に来る」
しっかり目を見て約束した後。クローハルは急ぎ足で支部へ帰った。明日の休みを、今日中に申請するために。