3. エンディミオン淡恋歌~花の時期には
エンディミオンもぶらぶらしながら、自宅の前のテントへ向かう。『今日晴れてるなぁ』客が来ると良いけど、と独り言を言って笑う。
歩いていると、店頭に出ている知り合いが挨拶するので、エンディミオンも笑顔でちょいちょい挨拶を返す。
「どうした。あ、あれか。大切な人だな」
「そうそう。皆で見てれば充分だろうけどさ。俺も手伝わないと・・・家にいるだけじゃ、俺もボケるから」
アハハハと笑い合って『明日もだね』と言われる声に頷き、エンディミオンは手を振って先へ進む。これを何度か繰り返して、家の前に出してある販売の場・テントに入ると、椅子に座って一息ついた。
水差しから水を注いで、金属の容器の冷たい感触を口に当てながら、エンディミオンは思い出す。
「あれから。何十年だっけな。もー、俺もイイ年になっちまった。サヴェジェヤだって、俺と大して変わらないのに」
可笑しそうに笑って、『いいね。毎年50歳』と茶化す。それから髪の毛を両手でかき上げて、その手をそのまま、テントの端から青空を見つめる。
自分たち馬車の家族が『大切』『大好き』と呼ぶ相手は。
心の作りが違う人―― 他の皆と違って、特別な心を与えられた人。それに気がつくと、皆で『大切』で『大好き』なその人を守る。
「あいつ・・・えーっと。デラキソスの子供もそうだったな。ドルドレンの腹違いの弟、あいつ・・・あいつも、可愛いやつだったな。いっつも真っ正直で、素直で。よく笑って、よく泣いて」
今、どうしてんだろうなと、笑顔を浮かべながら思う。
大体、馬車の家族でそうした人が現れると、その近い身内はその人を連れて、馬車を降りる。中には一緒に過ごす家族もいるが、サヴェジェヤも降りた側だった。
「サヴェジェヤの親は。俺の、親父の代の馬車だったんだよなぁ。降りてマブスパールに住み着いたから、俺も立ち寄った時に出会ったけれど。そうじゃなかったら、会ったかどうかも分からないな」
聞いた話では、サヴェジェヤの両親は、彼女の薬を買うために定住して働き、過労がたたった末、呆気なく、冬の風邪にやられたとか。
「親父が時々、気にしていたから。俺も話だけは覚えていたが。親父が死んだ後だもんな、俺が馬車長になって彼女に会ったのは」
マブスパールは、馬車を降りた人たちの町。だから、馬車の家族がそのまま定住しているだけで、習慣は変わらない。サヴェジェヤの親は、何かあった時のために隣近所も全員、顔見知りの場所に住んだ。
初めて出会った時、彼女は『働いている』状態だった。
消える意識を繋ぎ止めるのは、周りの愛情だった。途切れる記憶をどうにか繋ぎ、皆で世話して、彼女が普通に振舞えるよう、常に側を守った。
彼女は、はっきり思い出せる昔もあるようだが、その前後が違ったり、つい昨日のことも思い出せなかったり、人の名前も『覚えている相手』と、『そうじゃない相手』がいたり。
仕事は覚えているようだけど、知らない間にこなしている雰囲気もあるとか。道もそう。家と施設の往復は、全く問題ないが、他の道は、記憶が蘇ると普通に出かけてしまうのに、戻って来れないという。
彼女はその人生を、不安定な記憶の中で生きる。
だから、火を使うような食事の世話は、近所の者がそっと行う。施設からの給与は、修道会の一端で設立したこともあり、寄付金で。少ないながらも、彼女が違和感のないように過ごせる環境を整えている。
なぜか分からないが、サヴェジェヤは『自分の記憶が時々ない』ことを意識したことがないらしく、それはそれで『本当に神様に愛された子』と、馬車の家族は感謝した。
ただ。一度だけ。
エンディミオンが馬車で周回している時代。彼女は取り乱した話がある。彼女が30才になる頃か。
施設側も、彼女を夜間に出したことはあまりなかったようだが、ある日のこと。
夜勤の一人が休み、サヴェジェヤに夜勤を頼んだ。予定と違ったため、戸惑った彼女が、一日に飲むはずの薬を2回分飲み損ねた、その夜。
突然、意識を失って、すぐに目を覚ましたと思ったら、記憶がないことに混乱したように取り乱し、喚いたそのまま、飛び出して、通りの馬車に轢かれかけた。
サヴェジェヤはまた気を失い、施設の人間は皆で彼女を介抱した。次に目が覚めた時、サヴェジェヤは取り乱した夜を忘れていたという。
その後。『夜勤は女性をつけない』と施設で決め、サヴェジェヤの件も、彼女だけを特別扱いするような処置も、施設では一切行わなかった。
毎年、エンディミオンが会いに行くようになったのは、最初の出会いの時、店屋の親父の一言『この子は大切』その事情を聞いたからだった。
喋った感じは普通。出会いの印象は普通の女の子で、エンディミオンがいつもどおり手を出そうとしたら、一言釘を刺されて立ち止まった、それ。
自分の父親が話していた内容と同じと知り、自分に好意を持った『大切な』女性を、自分も見守ろうと決めた。
馬車の停留は、2週間から1ヶ月。マブスパールに寄ると、いつも会いに行き、その顔を見て無事を喜んだ。
馬車の周期がずれることもあるが、サヴェジェヤが目安にしている『彼と会う時期』が、小さな花の咲く頃と気がついてからは、出来るだけその時期に合わせるようにした。
一年に、せいぜい長くて1ヶ月。一日の内の2~3時間。毎日繰り返したって、高が知れている短い時間を、彼女は常に消えて戻る記憶の中に、どうしてかずっと取っといてくれた。
行く先々で、女を見つければ楽しく付き合うエンディミオンでも。顔も覚えてないくらいに、奥さんが代わりばんこだった人生の、エンディミオンであっても(←最低)。
あの花の時期が近くなると思い出す。決して、汚すことの出来ない『神様に愛された女』のこと。
「贖罪とはまたなぁ。俺に似合わない言葉なんだけど。彼女に会うのは、そんな感じもあったよね」
フフンと笑って、エンディミオンは頭の後ろで手を組んで、背凭れに寄りかかる。
店屋の親父は『エンディミオンは、馬車を降りても馬車長なんだな』と誉めてくれた、毎年通って何十年の、この逢引き。
「違うって。優しさと義務だけじゃ出来ねぇよ」
誰に言うことでもないけれど。水差しの水を、もう一杯注いで、エンディミオンは少し笑う。
「好きでやってるんだ。本当に俺が、好きな女だから何十年も出来るんだ」
そうじゃなきゃ行かないってのと、水を呷った。
こんな長~い恋も良いよねと思う、エンディミオン、67才。
マブスパールの昼の喧騒に満足した笑みを浮かべて、強い日差しを遮るテントの中で、今日も女の客を待つ。
販売の品が並ぶ机の上に、小さな白い花一輪。それを活けた平たい金属の容器に張った水は、晴れ渡る青空を水面に映す、雨の後の水溜りのようだった。
お読み頂き有難うございます。
『こんな俺でも~』初回エンディミオンのお話はこれで完結です。
物語の中に出てきた「ドルドレンの腹違いの弟」とは、本編・魔物資源活用機構360話の最初の方に説明があります。
https://ncode.syosetu.com/n1028fs/360/
エンディミオンは、ドルドレンの祖父です。
少し名の出た「デラキソス」とは、ドルドレンの父で、エンディミオンの息子。
現在の馬車長はデラキソスですが、彼の前はエンディミオンが馬車長として、旅する馬車の家族を率いていました。
この絵の人がエンディミオンです。
次回のお話は、まだ日にち未定ですが、宜しかったらどうぞお暇な時にでも、また覗いてみてやって下さい。