23. デラキソス光輝燦然の熱華 ~二人の木の実
このお話は、本編『魔物資源活用機構』の登場人物、ドルドレンの父・デラキソスのお話です。
浮気者で癖のある好色な男ですが、運命は思いがけずに、紡がれる先に引き寄せられるもので。
今回4話目。次回5話で完結予定です。
『話しかけるな』
本音を言えばデラキソスに、その条件を守る理由がなかったが。
しかし、皮肉なことにデラキソスは、老婆の言葉を守る状態にあった。理由と言えば、ドーディーファンの態度が、初日と翌日を比べ、見て分かるくらいに変わったことだった。
彼女が、洗濯物を干す時に、何度も手を止めたり、周囲に耳を澄ませ、頭を動かす行動を見せることから、『ドーディーファンを知っている人間がいた』程度の話はされたのかも知れない。
思うにそれは、彼女にとって、これというほどの理由があるか分からないが、不安なんだろうと、デラキソスは想像する。
見るからに警戒しているので、話しかけでもしたら逃げそう・・・そう思うと、迂闊に口を開けなかった。
片手に握る木の実は『話題に繋がる』くらいの期待で、持って来ていたが、話せない時間が淡々と流れて行くことに、木の実に頼るような思いが募った。
――ドーディーファンは、本当の家族もいなかった女。
彼女と出会った時、デラキソスは15才で、ドーディーファンは19才だった。
ケイガン地区のちょっと入った場所で、農家の手伝いをしていた彼女を見かけた。停留地ではなくて、停留手前の休憩で馬車が停まり、たまたま農家に場所の使用を伝えに行ったら出会った。
当時、デラキソスの父・エンディミオンが馬車長で、親子の女好き具合は、皆の常識。
デラキソスが農家の娘を見たことで、『もうちょっとここで』と頼んだ願いを、親父は笑って受け入れた(※甘い)。そして馬車の家族も『よくある』で済ませ、馬車は3日間そこに滞在した。
この3日間が、最初の苦闘。
農家の人と話す、あんまりに美人な笑顔を見て、一瞬で大好きになったデラキソス。
話かけたは良いものの、思ってもいないことに、農家の娘は逃げた。
逃げられることがなかったデラキソスは驚き、慌てて追ったが、農家の人が『あれは目が良くない』と少年を止めた。
そこで知ったのは、捨て子だった彼女の話。
農家は、納屋に置き去りにされた赤ん坊に驚き、『子供も多かったから』と、育てた子だと言う。こうしたことは、田舎ではよくあった。
ドーディーファンは、子供の頃から目が悪くて、どんどん悪化していると分かった。
農家も心配しているものの、愛情があっても、障害のある娘をいつまで手元に置けるかは、気にしていた。
働けない者は、農家では食い扶持を減らす印象しかないことが多い。
ドーディーファンの立場もそう。
冷たくされることも、差別されることもなかったが、問題の種であることは、通りがかりの旅の馬車にさえ伝えられた。それは、ドーディーファンも分かっていること。
同情したデラキソスは、馬車で引き取れないかと考える。好きな気持ちもあるが、守りたくなる気持ちが強くなった。
既に女たらしのデラキソスだが、生まれて初めて、『俺が面倒見てやらないと』と15の夏に思った。
そう思ったことを、夕方に親父に話すと、親父は『ここにいるのは3日だぜ。今日はもう終わる。後2日で出来ればな』と口端を上げた。
デラキソスの挑戦。親父は『良い』と許可したのだ。事情を知って、親父が『乗せてやる』と言ったも同然なら、後は俺次第だ、と挑んだ――が。
これが大変。ドーディーファンは逃げ回る。無視もする。捕まえれば、視力の低い灰色の瞳で睨んでくる。その顔つきの、厳しく美しいこと。睨まれる度に鳥肌が立つ(※感覚が前向き)。
2日目の悪戦苦闘(←噛まれたし、叩かれた)の夕方、デラキソスは、綺麗だ何だと褒めまくるのを止め、『目が心配だ。会ったばかりだけど好きだよ。一緒に行こう。俺が一緒にいる』と宣言。
破れかぶれにも似た、どうして良いか分からない結果の、正直全開。
ハッとして振り向いた彼女の怒鳴り声が戻る。『他人のお前に同情される覚えはない』(※ドルはママ似)。
馬車の家族は、このやり取りを眺めていて、大っぴらに振られたデラキソスに大笑い。恥もかくわ、情けないわ。
戻った悔しいデラキソスに、親父は『なんか食えよ』と励まして、気の強い真面目な女を相手する息子に、助言を与えた(※入れ知恵とも言う)。
そして3日目。ドーディーファンは朝から、何かを決意した様に頑なな表情だった。
デラキソスが側に寄り、触れないように立って『今日、行くんだよ』と最初に伝えてから、息を吸い込んで約束をしようと提案しかけた時。
ドーディーファンはいきなりこう言った。
――自分はもう農家に置いてもらえないだろう。昨日、その話が出た。
眉を寄せたデラキソス。連れて行こうとした俺のせい、と戸惑う顔を、ぼんやり見つめる彼女は、続けた言葉に『町へ出してくれないか』と言いたくなさそうに相談した。
怒りなのか、辛さなのか、厳しい蒼白の顔に、デラキソスは『町』と繰り返す。一人で生きる気なのかと訊ねると、彼女は『そうだ』と答えた。
農家の厄介払いに、皮肉にも一役買ってしまった事態を作った、その責任も突然意識した、15歳の少年。
連れて行くと、すぐに伝え、それから『約束したいことがある』それも話した。
デラキソスの言葉に、ドーディーファンは顔を俯かせたが、静かに頷いた。返事とは違うだろうが、デラキソスには充分『受け入れられた』と理解出来た。
約束は簡単で『手は出さない・気持ちが向かなかったら、いつでも馬車を下りて良い・約束するから、一緒に来てくれ』。
ドーディーファンほどの、追い詰められた状況の女に、効力があるはずもない言葉。
だが、この時のドーディーファンは『引き取ってくれる人と、一緒に行ってみたら』と遠回しに出て行くことを推薦されて、農家から出る以外なかったので、これは大事な約束かと判断しただけ。
デラキソスは、僅かにも心に痛みを感じながら、手に入って嬉しいには違いなくても、同情と済まなさが混じる思いで、出会って3日目の彼女を、馬車に乗せるに至った――
ドーディーファンの人生を思うと、子供時代の関わりは、あの農家くらいだろうし、その後は自分たち。
そこから先は、どうなったのか知らないが、あまり人付き合いに恵まれるようには思えなかった。
馬車に乗せてからは、気持ちの入れ替えが早いのか、その晩から笑顔を見せた。
それは馬車の女たちが、彼女に同情したからだった。健常者には警戒する馬車の民も、まだ若い娘で不憫な状態と知れば、気の毒に思う心が優しさを生む。
すぐに打ち解けて、受ける親切にドーディーファンは笑顔で応じた。出来ることを探して、その晩から・・・ドーディーファンは手伝うことを『仕事』と意識して頑張った。
デラキソスにも、3日目ぐらいから話すようになり、『有難う』とお礼を言ったことから、少しずつ近づいた。約束は町に着く前に、必要なくなった。
この時、『馬車の家族になるか』と決定を訊ねられ、ドーディーファンは数日考えたらしかったが、結局そうなった。
デラキソスの珍しい時期として、ここから、ドーディーファンが子供を産むまでの期間。
彼は、他の女に目移りしたり、出かけて少し仲良くなっても、懇ろにはならないという、微妙に真面目な現象が起きていた。
ドーディーファンは、彼が他の女性と時間を過ごすことに気が付くと、それは毎回苦しそうだったが、耐えていたようでもあった。はっきり訊ねられたことはないが、きっと完璧に浮気していると思っていたのだろう。
そうではなかったが、デラキソスも誤解がこじれそうなことは特に触れず、いつもドーディーファンに『俺はどう見える?』と、彼女の見えている時間を訊ねる楽しみを優先した。それも、子供が生まれるまでだったが・・・・・
今。デラキソスは、洗濯物を干しながら、警戒を続ける彼女の姿を、瞬きも惜しんで目で追う。
手の平に握る、木の実。何十年も前の、こんな小さなものを覚えている自分にも驚くが、これが『頼みの綱』と思えば、覚えておいて良かった。
だがその頼みの綱の出番が来る前に、洗濯物が全て干し終わるのを、毎日見送った。
洗濯物を干す時間は、せいぜい20分あるかないかで、老婆は表の椅子に腰かけ、常に見張っていたし、ドーディーファンは落ち着きなく、干すのを急いでいた。
デラキソスは本当に毎日通ったし、馬車の家族も停留地でのんびりせずに動く馬車長に『また女だ』と思っていた。でもいつもと違うのは、夜に出かけて、午後も遅くに戻る、彼の表情が暗いこと。
彼の奥さんは、旦那に女が出来たらしいことに嫉妬し、態度に出ていたが、普段なら機嫌を取ろうとするデラキソスが全く動かないので、ある午後、怒鳴るまでに発展するケンカが起きた。
とはいえ、怒鳴ったのは奥さんだけで、デラキソスは何を聞かれても探られても、はぐらかすどころか、心ここに在らず。
その態度に、相手の女に本気だと察し、キレた奥さんは『次の町で馬車を出て行く』と別れを宣言した。
この奥さんとの間に子供はいないので、馬車の家族も『あーあ』で終わる(※子供いると全体で話し合う)。
この晩が、停留地に入って5日目。激怒して別れを告げた奥さんは、別の馬車で寝ることにしたと言いに来たが、デラキソスは既に馬に跨って出発前。
「ごめんな」
これまでの彼にあり得ない態度に、奥さんは憤怒のあまり言葉を失い、棒立ちになった戦慄きの姿を慰めるため、他の女が引っ張って行った。
デラキソスも、それを横目に見たが、そのまま出発し、村へ向かう。
明日の朝・・・6日目の朝も話せなかったら、ドーディーファンにはもう会えない。7日目の朝には、馬車が出る。
「お前と話したいよ」
馬の背で呟いた声は、夜道に消える。せめて、と思って止まる思考。
「せめて。せめて?俺はどうしたい」
ただ、『また一緒にいたい』と思う気持ちが胸に満ちていて、『今度はずっと一緒が良い』・・・それしか。デラキソスには、言葉として浮かんでこなかった。
「子供が生まれたら、この木の実を植えようって。毎年、植えた場所を訪れて、育つ姿を一緒に見ようって。俺は覚えてるんだよ。でもお前は、覚えて・・・いるのか」
握り締めた木の実。腰袋に入れる気にならない。デラキソスの大きな手の平に、しっかりと古ぼけた木の実が握られて、夜は静かに更ける。
村の側で夜は明け、デラキソスは溜息が止まらない。
こんな風に思うなんて初めてかもな、と苦笑しても、すぐに顔は戻る。
自分の人生でこれまでに、特別・・・と思った相手は、イーアンがいる。が、『彼女は珍しいから欲しい(←龍・頭良い・カッコイイ・頼りになる)』対象。
あんな女連れている男はいないだろう、と思うと、息子・ドルドレンに負けた感があって悔しかった。
「でもな。ドーディーファンは。やっぱり違う好きなんだな。忘れられないのも、意味あるのか」
悩みと無縁で、難しいことは分からないデラキソスには、これ以上が言葉にならない。
今日、彼女と一言も話せなかったら、それこそ忘れられないどころか、どうにかなってしまいそうで、困って頭を掻きながら『何だろうな。思い出が募ったかな』と首を傾げながら、現場に到着。
まだ、老婆も彼女も表に出て来ていなくて、馬を止めて垣根の前で待つ。
ちらほらと見る村人は、毎日来る旅の男に不審げに視線を送るが、問題はなさそうと思われているのか、何を言われることもない。
デラキソスは馬に乗ったまま、手に握った木の実を見て、それから馬を下りる。
下りたからと言って、動くわけではないが、今日がもし最後なら、前と同じ高さで見たかった。
そして、二人が家から出てくる。あ、と思って顔を向け、こちらへ向かって歩いてくる彼女を見つめる。
すると――
驚いたことに、彼女は洗濯物籠を地面に置いたと思いきや、片腕を伸ばし、隙間のある垣根に触れ、垣根を伝いながら、真っ直ぐにデラキソスの方へ歩いて来た。
間違いなく自分に向かっていると分かり、デラキソスは老婆を見る。
気がついたとは思うが、老婆は目も合わせないで、いつものように壁沿いの椅子に腰かけると、手に持っていた刺繍を縫い始める・・・・・
「おはようございます」
垣根の手前で止まった、ドーディーファンの挨拶。心臓が早鐘のように動くデラキソスは、『話しかけない』を忘れた。
「おはよう」
交わした声。ドーディーファンの表情が一瞬、硬くなる。
デラキソスの手が伸びかけて止まり、すぐに引っ込めて『あの』と言いかけた時、彼女が口を開いた。
「デラキソスだったのね」
お読み頂き有難うございます。




