2. エンディミオン淡恋歌~雨上がりの空の君
※2部で終わらず、3部に変更しました。昨日が1話目、今回が2話目です。
蝋燭も消さないまま落ち着かない夜を過ごし、何度も寝返りを打って、忘れていた薬を慌てて飲み、どうにか眠った夜。
サヴェジェヤは、翌朝早くに目が覚める。パッと飛び起き、時計を見てすぐに洗面所へ向かうと、手際良く身支度を整える。蝋燭は消えていて、丈が短くなった蝋燭のみっともなさに、それも躊躇なく換える。
「いつ来るか、分からないものね」
真っ直ぐな茶色の髪を綺麗に梳かし、軽い化粧でも、目立つシミには丁寧に粉をはたく。
今日、こんな日に限って『すごく老けて見える・・・・・ 』うんざりする、顔のシワ。顔の皮膚の垂れ方は、年齢が嵩むと毎朝、見るたびガッカリするが、今すぐ若返るわけもなく。覚悟を決めて、笑顔を決め込む。
笑顔を決め込んでも、どうにもならないのは白髪。毎朝増えていると思うし、隠せない。何となく、結んでしまえば目立ち難いけれど・・・『ああ、白髪!』もう、と悪態をついて台所へ行くと、作っておいた簡単な食事を、棚から出す。
『これ、いつ作ったっけ』思い出すのも面倒臭い。とにかく食べて急いで朝食を済ませた。
昨晩。頑張って家中掃除したが、朝になって窓に曇りがあるのを見つけ、慌てて布で窓を拭く。鍵も開けっ放し。閉めたと思っても開けてるなんて!鍵を掛けようとし、『どうせ開けるから』そのまんまにする。
「こんなの、彼は気にしないとは思うけど」
窓ガラスを拭きながら、でも。一年ぶりに会うんだもの・・・呟く声が上擦る。サヴェジェヤは、こみ上げる笑みを押さえられない。
毎年。毎年、彼は必ず来る。ふらっと来て、昨日も会ったみたいに普通に笑顔で挨拶して、扉を開けた側から中へ入ろうとする。
背が高くて、顔が良くて、言葉も上手くて。『女の影だらけ』もう諦めたと笑う、サヴェジェヤ。自分なんかに、よく飽きもせずに会いに来る、と思えば。それだけでも充分だった。
見た目に惹きつけるものもない、質素な女に。『毎回思うのよね。何でかしら』玄関を箒で掃きながら、サヴェジェヤは彼との出会いを思い出す。
両親が亡くなってすぐに、施設を紹介されて、近所のおじさんと一緒に今の職場へ行き、仕事に就いた若い頃。
子供時代、よく一人で家にいたサヴェジェヤは、近所の人たちが世話してくれたから、無事に大きくなったような気さえする。もうあまり思い出せないけれど、並びの家の人がいつも、よくしてくれた。
親戚のような感覚で、近所のおじさんおばさんに面倒を見てもらい、仕事に就いて。食品やら日常のものやらは、おじさんたちが店屋さんだったから、オマケも入れて配達してくれていた。それは、代替わりした今も同じ。
近所だから『ないなー』と思えば、ちょっと出て買って戻れる距離なのに、それでも配達してくれる。
仕事を始めて、一ヶ月も経たない頃だったか。
休みの日に『買いに行こう』と思ったことがあり、おじさんの店へ行ったら。そこに彼がいた。
初めて見る、少し日焼けした格好良い男性は黒い髪をかき上げて、サヴェジェヤを見ると、ニコッと笑って『こんにちは』と一言。
おじさんは彼に『やめろ。この子は大切なんだよ』と、笑って彼を止めた。
思えば、あの言葉は彼が『遊び人』であると言っていたのだろうが、若い私はただ、彼の素敵な容姿に見惚れ、ボーっとしていた気がする。
銀色のような透き通った瞳。黒い髪。整った顔立ち。背の高い、その男性は同じくらいの年齢と知り、サヴェジェヤはもっと彼を知りたくなった。おじさんが止めるのも構わず、彼を引き止めて話をした。
その日の翌日から彼は通って、家に来てはサヴェジェヤの話し合い手をしてくれ、数時間すると帰っていく、夢のような日があった。
「でも。彼と寝たことはないのよね」
これも何だかねぇ、と苦笑いする。そういう関係じゃないのよと、自分に言い聞かせながら、それでも彼を恋人のように思い出す自分がいる。
出会って間もなく『どこに住んでいるの』と訊ねた時、彼の返事にすっぱり結婚は諦めた。
『俺は馬車で国中を動く』
ああ、と思った。馬車の民なんだと理解した。だからこんな・・・風来坊のような、あっさりした笑顔。人懐こくて、会話も上手。歌もすらすらと歌ってくれる。それは、そうだったんだ・・・と。ぼんやり『一緒にはいられない人』と感じたのを、今も覚えている。
動くことも出来ない。いや、動くなんて考えもしない自分とは、正反対の人。
だけど彼はそれから、なぜか。この時期になると立ち寄るこの町に、毎年私を訪ねて会いに来た。欠かさず、毎年。町に何泊かする短い時期を、私の家に通って、一緒に食事をしたり話したりして過ごした。
「数ある女の一人、なんだろうけど。でも、何で私に会いに来てくれていたのかな」
玄関を掃いた箒を、花壇の煉瓦にパンパンたたきつけて埃を落とす。それから、庭に咲いた花を眺め、『この花が咲く時なのよ』と微笑んだ。花は小さく、少しずつ咲き始めている。
「そうだな」
後ろから声が掛かり、サヴェジェヤがハッとして振り返ると、塀の向こうで笑顔を向ける彼がいた。
「元気か」
「あなたも・・・元気だった?」
そこそこね、と笑いながら敷地に入ってくる、背の高い男。
サヴェジェヤの横に並ぶと、頭一個分違う。彼を見上げた時の角度も好き。彼の見下ろした時の、優しい目も好き。この時期だけ、まるで魔法に掛かったように、サヴェジェヤは幸せを抱え込む。
「お前の目。雨が上がった後の、晴れた空みたいな色」
「そんなこと言ってくれるの、あなただけよ」
「どこにいてもな。雨は降るだろ。雨上がりの晴れた空を見ると、お前の目を思い出すんだよ」
そうすると、サヴェジェヤは元気かなと思うんだよ・・・彼はそう言って微笑む。サヴェジェヤは年甲斐もなく、倒れそうになるほど嬉しいが、ここは年の功。静かに喜びを笑みに含めて、頷くだけ。
彼の大きな手で背中をそっと押され、二人は家に入って長椅子に座る。
お茶を用意しようとすると、彼が先に立って台所へ行き『これか』と、小振りなヤカンを持ち上げ、中を濯いで水を入れ、火に掛けてくれた。
「いいのに」
「茶を淹れるだけだろ。俺でも出来る」
ニコッと笑った彼は、湯が沸くまでの間にまた長椅子へ戻り、机の上の紙袋を見て『何か買ったのか』と普通に訊ねる。毎日会うみたいな、屈託ない会話がサヴェジェヤの心に温かさを生む。
「うん。買ったと思う」
「そうか。中見て良いか?」
彼は笑顔を向けながら、紙袋をちょっと開ける。『菓子ね』今、食べるかと言うので、サヴェジェヤは頷く。ぽ~っとしていて、頭が浮かれっぱなし。
彼はお茶を淹れてくれて、菓子を皿に載せると、長椅子の近くの低い机に運んで、サヴェジェヤの隣に座った。
真横にいる彼の温度。大きな体。彼の匂い。彼の呼吸。彼の細かい部分まで、サヴェジェヤは静かにゆっくりと感じて満足する。一人で過ごす時間にはない、誰かの立てる物音。服の擦れる音や、首を傾げただけで揺れる空気の流れを、こんなに嬉しく思うとは。
「サヴェジェヤ。そろそろ誕生日か」
「覚えていてくれたの。そう。あの花が咲く時は、誕生日を意識するのよ」
立ち上がって、花束の活けてある花瓶を窓際に持ってきて『これ』と微笑むサヴェジェヤ。うん、と頷いて微笑を返す彼。
「綺麗だな。お前に似合うよ」
「有難う。花束なんて、もう。こんなおばさんに勿体無いわ」
彼は、立っているサヴェジェヤの手首を優しく掴むと、少し引き寄せて横に座らせ、頬を撫でて顔を覗きこんだ。
「バカいうな。お前はずっと綺麗だ。よく、俺なんかを待っているもんだと思うよ」
「誰も結婚してくれないまま、この年になっちゃったのに」
「天が見初めたヤツってのはさ。天が守るから、そんじょそこらの相手と一緒になれないんだ」
頬に添えられえた手の温もりに、サヴェジェヤは手を重ねて目を閉じる。彼はそのまま、サヴェジェヤの頭を引き寄せて、自分の胸に付けると、丁寧に髪の毛を撫でた。
「薬。飲んだか」
「あ。忘れてたかも」
「待ってろ。持ってきてやるから。お前はほら、まだ菓子があるぞ。それ食べていろ」
「有難う」
優しい彼は立ち上がり、サヴェジェヤの家の中をよく知っているように、すんなりと寝室へ行き、彼女のバッグを持って戻る。『ここだろ?』バッグを見せて、小さな紙を一緒に渡す。
並んで座ると、目に掛かる豊かな髪を片手でかき上げたまま、紙に書いてある数字を見つめ『えーっと』と呟きながら、薬を取り出して机に並べた。
「これ。量が増えたんだな」
「そうなの。この前、『年が年だから』って。嫌になっちゃう」
理由を書かれて渡された、医者からの手紙をバッグから出し『またお医者さんが代わったのよ』とサヴェジェヤは苦笑いする。彼もちょっと笑って、銀色の瞳でその笑顔を見た。
「元気でいられるんだ。文句言うな」
「あなたも。年、取ったのね」
彼の真っ黒だった髪は、すっかり銀髪に変わって、鋭い目つきと整った風貌はそのままに、でも少し年齢が見えるその顔を、柔らかな眼差しで見つめるサヴェジェヤ。彼は頷き『そういうもんさ』と笑った。
「幾つだっけな。女の年齢なんか聞くと引っぱたかれるから、滅多に訊かないが」
「もう50よ。今年で」
「そうか。50ね。いいじゃないか、若い」
何言ってるのよ、と笑って、サヴェジェヤは彼の肩をポンと叩く。彼も笑って『俺なんか60も後半だ』と言い、少しぬるくなったお茶を飲んだ。サヴェジェヤも薬を飲み、ゆったりした気持ちで彼の肩に凭れかかる。
彼は温かくて、その肩は大きく、目を閉じたサヴェジェヤの頬を、何度も彼は撫でてくれた。
心が満ちる幸せに包まれて。サヴェジェヤは深呼吸をした後、少しまどろんだ。
片付けて家を出たエンディミオンは、家の扉を閉めてすぐ、並びの店屋に顔を出した。『よ、今。見てきたぞ』店屋の親父が、エンディミオンの顔を見て片手をちょっと上げると、奥から出てきて挨拶を交わす。
「一応。全部片付けたけれどな。後で嫁さんに、見に行ってもらってくれ」
「今は?彼女は」
眠っちまったよ、と笑うエンディミオンは、店屋の中に並ぶ果物を一つ取って、硬貨を渡す。
「いいよ。それはタダでも。サヴェジェヤの薬、どうだ。大丈夫そうか」
「量が増えた、って言ってたけどな。それで普通でいられる時間が長いなら、そっちのがいいだろ」
果物を齧ったエンディミオンは、サヴェジェヤの家の中の様子を簡単に説明し、『明日も来るから』と言う。店の親父も了解して『火の元だけな。気をつけないとダメな』と自分に言い聞かせるように、その辺の紙に注意事項を書き込んだ。
「蝋燭さ。あれ、昨日出しっぱなしで眠ったらしいんだよ。食事置きに行った嫁さんが、びっくりして消したってよ。お前が来ると思って浮かれて、消すの忘れてたんだろうな」
「ハハハ。そりゃコワイや。浮かれるのも困りもんだ」
じゃあな、と軽く手を振って、エンディミオンは通りに出る。
小さい果物を口に押し込んで、もぐもぐしながら通りを渡り、施設へ向かったエンディミオンは、そのまま施設の中に入って受付の女性に声をかけた。
「あれ。エンディミオンは今日から?」
「別に何日って決まってないよ。この時期は、花壇の都合だな」
アハハと笑って、エンディミオンは受付の女性に『ペコル、連れてきてくれ』と頼む。女性は了解してすぐに呼びに行き、少し待ってからお医者さんと一緒に戻ってきた。
「エンディミオン。サヴェジェヤか」
そう、と頷くエンディミオンは、お医者さんと一緒に受付の近くに置かれた椅子に座る。状態を教えて、様子を伝えると、お医者さんも何度か確認し、『分かった』と答えた。
「お前以外に医者、最近来たのか」
エンディミオンの質問に、お医者さんはちょっと笑って『俺が髪切ったからだろ』と見透かすように返す。ああそういうことね、と笑うエンディミオン。
「あとな。少し気になったんだが。サヴェジェヤは遠出もさせているか?」
「どうした。何か話していたのか」
「菓子があったぞ。あれ、ここと反対側の店のだろう。花もあった。この近辺の花屋はそこだろ?」
施設の片方の壁を指差して、そっちの方角に在ることを教えるエンディミオンに、お医者さんも少し考えて、彼に待つように言うと一度奥へ引っ込む。
待っていると、すぐにお医者さんが女性と話しながら戻って来て、エンディミオンの側に連れてくる。『フィリエが一緒だった』お医者さんが先に言うと、彼女も挨拶してすぐに昨日のことを伝えた。
「花って。エンディミオンか。それで買いたかったのかな」
「フィリエが一緒に行ってやったのか?」
「偶々よ。帰ろうとしたら、サヴェジェヤがいつもと逆の出口から出たから。あれ?と思って、声かけたの。娘もお菓子欲しがっていたから丁度いいやって。付き合ってきた」
「少し、記憶が戻ったりもするから。何かで店を覚えていたかもな」
フィリエとお医者さんの返答に考えたエンディミオンは、ゆっくりと椅子を立つ。
「あんまり、俺がうろつくのもどうかと思うがね。思いがけない動きもするみたいだから、気をつけないとダメかな」
困った呟きを落とす背の高い男に、お医者さんもフィリエも首を振って『こっちで見てるから』と、会いに行ってあげてほしいことを優先する。エンディミオンも微笑んで『そうだね』と了解した。
「サヴェジェヤは大切な人間なんだ。皆で見ていよう。サヴェジェヤほどの状態は、マブスパールに他にいないんだし。目が届く範囲だから」
お医者さんの言葉に、エンディミオンも頷いて『じゃ。明日な』挨拶し、報告を終えたその足で施設を出た。
彼を見送った、お医者さんとフィリエは、空を見て『良く晴れてる』と笑顔を見合わせる。
「昨日。車椅子の子が。午前中だけ、サヴェジェヤと一緒にいてくれて。今日も晴れているから、朝呼んだみたいだったけど。今日はサヴェジェヤが休み扱いだから、私が」
「ああ、あの子。デラキソスの馬車を降りた家族の・・・あいつだな。反抗期の、ぐうたら坊主」
ハハハと笑ったお医者さんは、続きをフィリエに訊く。一緒に笑って廊下を歩くフィリエは、彼から聞いた話を教える。
「あの子。なーんもしないでしょ。親に『邪魔だから』って、ここに預けられてヒマ過ぎて。
それで車椅子なんか気に入っちゃってさ。晴れると外で押してもらいたがるから、こっちも付き合うと、ヒマだからあれこれ聞きたがるのよ。
それで、サヴェジェヤの話を知ったみたいで。彼なりに、サヴェジェヤに同情したんじゃないのかな。昨日、初めて一緒に過ごしてね」
「何だって。何か言ってたか」
「『今日。俺のこと、覚えてるかな』って。会話は普通だったから、それでもサヴェジェヤの記憶が消えるとか戻るとか、そんなふうに思えなかったみたいで、今日も気にしていたわ」
「そうか」
お医者さんは微笑む。少し歩く速度を緩めて、下を見ながら『サヴェジェヤがいてくれるだけでね。他の利用者さんも心を開くだろ』それが彼女の仕事だと思うんだよ、と呟いた。フィリエもしんみり頷く。
「エンディミオンも、この時期は毎年。同じ内容を繰り返して付き合ってくれる。
サヴェジェヤが、あいつのことが好きで。それは忘れないんだよなぁ。不思議なもんだ」
「エンディミオンの・・・名前は、覚えてないと思う」
サヴェジェヤの口から、彼の名前を聞いたことないもの、とフィリエが言うと、お医者さんはニコッと笑う。
「いいんだよ。サヴェジェヤも名前を思い出せなくて困ってないだろ。『毎年来てくれる、あの人』ってだけで充分なんだ」
実際は毎年じゃない。エンディミオンは、ふらっと来て、2ヶ月に一度くらいは見に行ってくれる。ただ、その時のサヴェジェヤは、彼に気がつかないだけで――
「 ・・・・・それ。サヴェジェヤに教えてあげたいわ。彼女には分からないのかもしれなくても」
「いいんだって。エンディミオンも、町に腰を下ろしてから長いし、暇な日に来るだけなんだ。意識させなくていい」
二人はこの時期になると、ちょくちょく話す会話を続け、長い廊下を歩いて、午後の仕事の打ち合わせをするため、事務室に入った。
お読み頂き有難うございます。夕方に完結部分を投稿します。