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こんな俺でも  作者: Ichen
ヒョルド月華の問い
19/24

19. ヒョルド月華の問い~行き着く場所

 

 翌朝も遅い時間。テイジャは目を覚ます。曇り空の朝。少し頭がふらっとするが、起き上がり、玄関へ。



 マリッカはいつも、母屋から朝食を運んでくれて、テイジャの離れの庇下(ひさしした)、玄関扉の横にある台に置いてくれる。

 ここに転がり込んだ日。それ以降、テイジャにも『帳面付け』の仕事をくれたマリッカは、その仕事の代金として衣食住を許可してくれていた。


 有難い食事に感謝して受け取り、部屋で食事を済ませると、テイジャは出発の意識を固める。


 20年。殆ど外出もしなかった。せいぜい、マリッカの家の敷地くらい。

 そして今日は、子供たちに会う。自分が親とは伝えないものの・・・『でも、会うのよ』目を閉じて深呼吸すると、緊張した気持ちを叱咤して、身支度を整えた。


 それから窓の外を見た。本当に・・・馬も自分も、人目に付かないのだろうか。


 信じられないけれど、そうだと言うなら信じるだけ。未だ、ヒョルドと昨日の夜に交わした会話が、半分は現実味がない。



「あ。馬」


 草原に突如、黒い影が動き、それは朝の光を遮る雲の下でも黒く輝き、ぐんぐん、こちらに走ってくる。

 長い白い(たてがみ)が波打ち、大きな筋肉を躍動させる黒い馬は、あっという間に、テイジャの部屋の下まで来た。


 急いでカバンを掴み、外へ出る。大きな馬は、飛び出してきたテイジャに顔を向けた。赤い目が、ヒョルドだと分かる。


「背中に。でも、私が乗るのはちょっと」


 大きい背中に、鞍も手綱も、馬具そのものがない。裸馬にどうやって乗るのかと思ったら、馬は屈む。


 どうにか背中に乗ると、さっさと立ち上がった黒い馬は振り向いて『(たてがみ)を握れ』と乗り手に命じた。その声は頭に響き、ドキドキ緊張しながら、テイジャは言われるままに鬣を掴んだ。


 向きを変えた黒い馬は、何も前触れなく走り出す。凄い勢いで草原を駆け抜け、柵を飛び越え、林でも道でもどこでも、すり抜けるように走り続けた。

 影を抜けると突然、景色も変わる。どこをどう、走っているのか、跳ぶように過ぎる景色に見当も付かない。


 あまりにも速いので、しがみ付いて背中に伏せるしか出来なかったテイジャだが、通り過ぎる人たちを見た時、ハッとする。


 不思議と、周囲の人々の誰も、こちらを見ていないと知り、ヒョルドの大胆不敵にも見えるこの行動は、本当に誰一人気付いていないと理解した。


 そうして、ひたすら走った馬の背に揺られ、徐々に町が近づいて来た。いよいよだと、気を引き締める。王都はもう、すぐ目の前だった。




 王都外に着いて、黒馬は話しかける。『俺の耳に手を入れてくれ。右の耳に布がある』何でそんな場所に、と思うが、分からないなりに頷き、右耳に手を当てると、何かある。ちょっと引っ張ると布の包みが出てきた。


 どうやると、こんなに大きなものが耳に入るのかと、疑問しかない。しかし、とにかく。テイジャはその包みこそ『昨日の草』と分かり、いろんな不思議は気にしないことにした。


『このまま進む。人間の目には、俺は普通の馬にしか見えない。君はただ、馬に乗った人だ。姉妹の住む場所まで行くから、そこからは君が』


 ちょっと振り返った馬の顔に、赤い澄んだ目が光る。テイジャは頷いて『大丈夫、ちゃんと渡す』と約束した。



 ヒョルドも緊張はしているが。それは自分のではなく、テイジャと姉妹のこと。

 テイジャは勿論、緊張している状態で、何度も深呼吸を繰り返していた。


 城下町の人の多い通りを、馬は進む。


 普段着も古びた服しか持っていなかったテイジャは、裾の長いスカートと、着古したブラウスとベストの格好。色も褪せていて、少し田舎から出てきたのか、と思うくらいの姿。

 銀髪が嫌で、帽子を探したがなかったので、髪は一つに結んだだけ。化粧もせず、素朴な印象の40近い女性は、特に誰の目を引くこともなく、大通り脇の商店街を通過する。


 久しぶりに大勢の人間を見て、馬に乗っていることを感謝した。これが徒歩なら、圧倒されて倒れかねないと思った。


 普通の馬に乗った、普通の田舎の女性は、石畳を進み、雑踏を避けながら、通りの一画に止まる。


 そこは、人通りがないわけではないが、大通りの賑やかさを少し避けたふうに、庶民的な店が連結し、2階建ての長屋が通りを挟む場所。



『ここの。右側だ。この雑貨屋の上に、あいつらの店がある』


 馬はそう教えると、通行の馬車の手前に立ち、テイジャを下ろすために少し足を屈めた。テイジャは恐る恐る下りて、包みとカバンを両腕に抱き締める。


 馬が自分を見たので、テイジャは頷いた。階段・・・暗がりの中へ続く階段を見上げ、テイジャは気持ちを整えてから、その細い階段を上がった。



 上がりきった場所には踊り場があり、その上は屋根へ出るのか、もっと簡素な階段が続いていた。狭い踊り場の右手に扉があり、中で話し声がする。


 扉をノックし、中から女性が開けた時。テイジャは涙が出そうだった。


「お客さんですか」


 若い女性は、年の嵩んだ女性に尋ねる。ゆっくり頷いて、娘の顔を見つめ過ぎるのに注意し、テイジャは中へ入れてもらった。


 小さい部屋は仕切られていて、扉をくぐったすぐに椅子と机があり、古い仕切り壁の向こうに、薬草や何かが並ぶ棚が見えた。若い女性には似合わない、鄙びた草の香りが部屋の空気に漂う。


 テイジャは意外なことに、落ち着いていた。もっと何も考えられなくなるか、と思っていたので、これは少し驚いた。


 椅子を勧められて座り、机を挟んでもう一人の女性が座る。

 乳飲み子の二人と離れたのに。どちらが姉でどちらが妹か。テイジャには、はっきり分かる。長い金髪に水色の目をして、二人の綺麗な顔の姉妹は、机だけを境界に母と向かい合う。


「どこか具合が悪いですか。細かく症状を教えてもらえたら」


 テイジャを通した方が妹。可愛い顔をしていて、話し方も気遣いがある。姉の方は様子を伺っているようで、笑顔だけれど話しかけてこない。

 姉は、赤ちゃんの時も主張が強い子だったから、大人になってもそうなんだと・・・つい、顔がほころびそうになる。


 テイジャは下を向いてから、微笑んで、顔を上げた。そして手に持っていた包みを出すと『これなんですけれど』と二人に布の絞りを開いてみせる。


 若い二人の姉妹は唐突な展開に、何だろう?とすぐに好奇心を見せた。

 来客の女性が包みを開けてすぐに『あ!』とレナタが声を上げる。さっと、年配の女性を見て『これは』何でこれを持って来たのか、と聞きたそうに、向かい合う目を合わせた。


 レナタはこの時。同じような目の色をした女性を見つめ、何かを感じる。でもそれが何かは分からなかった。


 女性は優しそうに笑顔を向けて『私の住まいの近くで』と話し始め、田舎だから薬草が沢山あることを伝える。王都に、民間療法で薬草を使う店の話を聞いたから、と『良かったら、買ってもらえないかと思った』そう伝えた。


「そうなんですか。ちょっと見ても良いですか」


「レナタ、これだけ種類があるなら」


 姉妹は興奮気味に、机の上に広げられた布の中身を触り始める。


 どれくらいの種類があるのかも、全く分からないテイジャだが、姉妹は器用により分けて『これも。これもだわ』『この草は育てるしかないと思っていた』と喜びの声を、控え目に呟く。表情も嬉しそう。



 ――何も嘘はない。本当に、全て本当。ただテイジャ自身が、目の前の乾燥した草の山を、()()()()()()()()()だけで。


 暫く喜ぶ二人を眺め、テイジャの心は溢れる感謝で満たされる。

 会えて良かった。生きていてくれて、こんなに綺麗な、大人の女性に育ってくれて。もう充分――



「あのう。お住まい、どちらですか」


ふと、レナタが質問する。ぼうっとしていたテイジャはすぐに意識を戻し、曖昧にはぐらかす。


「ああ・・・私の住まいは、ちょっと遠くて。王都から、北へ進んだ村なのですが」


「そうですか。また売りに来てもらえますか。これは、ところで。幾らほどなんでしょう」


 買いたいと話した姉妹に、テイジャは売る気なんて起こらない。丸々、あげてしまいたい。

 でも『ここは!』と、心を鬼にして販売する。そうしないと、彼女たちのためにならないのだ。


「分けていないし、大体ですから。100ワパンで」


「100ワパン!」


 驚くミルカに、レナタがさっと腕を伸ばして止める。それからレナタは、女性に向かって『100ワパンで、この包みの分ですか』と確認した。

 そうです、との返事を聞いた二人は、すぐに立ち上がって財布を取りに行き、100ワパン硬貨を出す。


「遠いから。何度も来れないと思いますが。また王都まで来て下さったら、是非寄って下さい。いつでも買います。とても欲しかった薬草が、幾つもあります。有難うございます」


「また・・・はい。また、あのう。秋の間に草を集めるのが、今年は最後に」


「はい。冬は雪で動けないでしょう。秋が最後でも。翌年の春にまた。

 樹皮や根茎はありますか?樹皮や根茎だと、時期はあまり関係ないから、冬でも来てもらえる時は、そうしたものでも、買い取れると思います」


 レナタが欲しいものをすぐに伝え、女性はそれを忘れないために、カバンから紙を出し、書き付ける。


「薬草の種類。名前の呼び名が違うと思うから、指定するのも難しいですけれど。

 今回の草はいつでも買います。良かったら、また持って来て下さい」


 地域で植物の名称が違うことを思い出したミルカは、年配の女性にそう言うと、目が合って微笑んだ。この時。ミルカも、初対面の女性の笑顔に何とも言えない、心に残る温かさを感じた。



 こうして。


 姉妹に『草』を渡したテイジャは、買ってもらえたお礼を伝え、もう一度だけ、帰り際に二人を見つめると『また来ます』と短く挨拶して、階段を下りて出て行った。

 踊り場で見送った二人は、不思議な気持ちに包まれていたが、女性が見えなくなると顔を見合わせて『凄い!』と大喜びした。


 出てきたテイジャを待っていた馬は、テイジャの微笑む顔が嬉しそうで、小さく嘶き、背を屈める。

 背中に乗ったテイジャは白い(たてがみ)を撫でて『有難う』と震える声でお礼を伝えた。馬はブルルと鼻を鳴らし、来た道をまた戻って行った。



 帰り道。飛ぶように走る黒い馬の背中で、テイジャは姉妹のことを思い出していた。

 本当に嬉しかった。何より、幸せを感じた。奇跡のような時間にも思えて、振り落とされないようにしがみ付く(たてがみ)に、顔を埋め、目を閉じる。


『あいつらに草、売ったのか』


 頭の中に話しかけられて、テイジャは頭の中で答えた。『100ワパン』でも本当はあげたかった、と言葉を添え、なぜ売ったかを説明すると。思ったとおり、ヒョルドはよく分かっていなさそうだった。


『金に困っているのに』


『分かっている。でもね。こうしてあげる方が、少しずつ理解するの』


 テイジャの実家が店屋だったので、それをヒョルドにも少し話す。ヒョルドがテイジャを見初めた時、実家の手伝いで仕事をしている場面もあった。


 ヒョルドは暫く答えず、何かを考えているようだったが、テイジャは『また売りに行ける』と嬉しい気持ちを続けて伝え、ヒョルドの知識を分けてほしいと頼んだ。


『何が何だか。私には、ただの草だから。樹皮とか、根茎なんて言われても。でも持っていけば喜ぶわ』


『会いに行けるのか。そうか』


『だから。教えてくれる?何があの子たちに』


『それなんだけどさ。教えるっていうのも』


 テイジャは勢いでお願いしたが、ふと、ヒョルドは何か教えられない条件があるのかと黙った。少し沈黙が流れ、ヒョルドの声が再び聞こえた。


『何でもない』


 会話は続けにくくなり、馬はそれ以上、何も言わなかった。テイジャも訊き辛いので、帰りの後半は無言で終えた。



 そして、家に戻ってきた馬は、テイジャを下ろし、昼の明るさのない、曇った灰色の空の下で人の姿に変わる。

 いきなり人の形になったので、テイジャは慌てて『誰かが見ているかも』と馬に戻るよう言う。


「大丈夫だよ。()()俺と君を見ていない」


 周囲に人のいない様子だが、本当だろうかと不安になる。テイジャは落ち着かないので、見えない人目から逃げるように敷地に入り、玄関の扉を開けた。

 ふと振り向くと、敷地の外、壁の向こうにヒョルドが立っているまま。


「ヒョルド」


「俺はどうすれば」


「入って」


 話も終わっていない。それもあるけれど。テイジャは、ぽかんとした顔の男に、もう一度はっきりと『入って』と伝える。


 ヒョルドの顔が少し柔らかい表情を浮べ、彼はゆっくりと近づいてきた。玄関の前で、扉の開いた戸口に立つと、ヒョルドは昨晩と同じことを()()()()()


「この気持ちを。何て言うのか、俺は知らない」


 テイジャはその呟きを見上げて、ほんのちょっとの微笑を浮かべて頷く。


「私は分かるの。その言葉。『帰ってきた』のよ」


「どこへ」


「『帰りたかった場所に、帰ってきた』の。そうじゃない?私は今。そう感じているのよ」


 赤い宝石のような目が、驚いたように大きくなり、見上げる女の顔を見た。


「俺が。帰りたかった場所に、帰ってきたのか」


「そうだと思う。私も、帰りたかった場所にいる。あなたが、ここにいる」


「俺は。君がいる場所に。俺は」


 言葉を繰り返して、サブパメントゥの男は感情を確かめるように、目を動かし、少しの間、言葉を言わなかった。テイジャはそっと彼の腕を引いて、家の中に入れる。

 ヒョルドが中に入ったので、扉を閉めると、彼は振り向いて大きく息を吸い込んだ。



「さっき。教えてくれと言ってたろ?俺は。()()()()()()、いつでも教えてやれると思ってた」


「ヒョルド。あなたは。でも、人間と一緒にずっと居られないと」


「通えば良いだろ。家を用意して、君が住んで。俺は通う。暮らしているのと同じだ。俺は帰ってくるんだ、君のいる家に」


「私のいる家に」


 テイジャの声が小さくなる。心が揺れるのが、嬉しさなのか。何かへの恐れなのか。でも、自分はどうしたいのか分かっていた。

 見つめたまま、返事のないテイジャに、ヒョルドは無理かなと思いつつ、もう少しだけ伝える。


「月が。月が照らす部屋。そこにいるテイジャを見た。俺が最初に見た時。

 テイジャは月の光が差す部屋に居て、その髪が本当に綺麗だった。まるで、月の光で咲いた花みたいに見えた。

 今も。君は月の下に立つと、花みたいに思う。夜に咲く、俺の花だ」


 ずっと伝えたかったことを。昨日、改めて感じたことを、ヒョルドは伝えて、そこで黙った。


 テイジャは大きく息を吸い込み、目を閉じて微笑む。『君は、月の光で夜に咲く花みたい』明るい満月の下で、最初の夜に聞いた、その言葉を思い出す。


 それから腕を広げ、ゆっくりとヒョルドを抱き締めた。その温度のない体を抱き締めて、自分の中のわだかまりが、何もかも消えていくのを感じる。



 抱き返したヒョルドは、少し間を置いてから訊ねた。『俺は通う。俺が家を用意したら、そこに住む?』答えを聞けないと困る。上手く言えない想いは、とっくに顔に出ていた。


 テイジャは、彼を見上げて『住む』そう伝えて、赤い瞳に微笑んだ。

お読み頂き有難うございます。


この回で完結です。少し長引きましたが、お付き合い有難うございました。

私には、続けたい気持ちが引きずる相手・ヒョルドです。もしかしますと、またどこかで時間をおいてお目にかかるかも知れません。その時はどうぞよろしくお願い致します。


※お金の額:100ワパンは、1000円くらいです。

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