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こんな俺でも  作者: Ichen
ヒョルド月華の問い
18/24

18. ヒョルド月華の問い~小夜曲揺籃

※もう少し続けたくて、この回の後、もう一話続きます。

 

 がらんとした素っ気無い部屋の中で、人間の女と、サブパメントゥの男が、静かに話し合う夜。



 声が大きくなることは一度もなく。どちらも考えながら、誤解のないように言葉を探して慎重に伝えた。

 もう、()()は二度と要らなかった。


 もう。そんなことに費やしている時間は要らない。


 確かめながら、多くを話さず、少しずつ。おぼつかないことも、確かな気持ちだけを、伝え合う時間。

 選び取った純粋なものだけを吟味して、目の前の相手に渡す。二人はそれを繰り返した。


 テイジャは何度か涙を落としたが、それは長く続かず、一滴二滴、程度。

 頬伝う流れる涙は、ベッドに並んで腰掛けたヒョルドが、その都度、指の背で掬った。


 顔を覗きこむ、燃えるような澄んだ赤い瞳。テイジャは、その色の奥を見る。

 自分が見つめ続けた瞳の色は、この色ではなくても、この色の()()()()()()()は同じ――



 20年の歳月は、長すぎるくらいに、テイジャを蝕み疲労させたが、たった今。テイジャは穏やかだった。


 死のうと決め、破れかぶれにも似た、最後の行動が。まさか、凍った年月を溶かすことになるなんて。

 そして今、憎み続け、それしか値しなかった男が―― 『自分に愛を注いだ男』と理解し、認識し始めている。


 その認識は同時に、『自分が愛した男』だったとも裏打ちする。



「テイジャ。俺はこれからどう動いて・・・良いんだろう」


 過去から今へ移った二人の会話。続くヒョルドの問いかけは、過去から未来へ移る。

 テイジャは彼を見つめ、ゆっくりと答える。もう、正直に話そうと決めた後だから、抵抗はなかった。


「今すぐは分からない。だけど、何度かこうして話を続けたら。()()()()どう、これから動けば良いのか。見えてくるのかも」


「そうだな。そう・・・うん。そうか」


「 ・・・・・あなたは。あの。気になっていたけれど、あの消えてしまった草は、何かに使うの?」


 唐突に、草の山の話に切り替わり、ヒョルドが少し驚いたように止まると、テイジャは気まずそうに、小さく息を吸い込んで目を逸らした。


「詮索じゃないのよ。あなたが、()()牧場で仕事をしていたのを思い出したから」


 働いていた男は、死んでしまった彼だったが。それを口にすると、胸が苦しくなるけれど。


 でも、『これを越えよう』と決めたテイジャは、その時代しか知らないことを踏まえて、現在のヒョルドに『今はどうしているのか』を訊ねたつもり。


 人間じゃないなら、仕事も関係ないだろうし、自分たちを養う必要もない今、()()()()()・・・彼の日常に繋がっているのだろうかと。ただ、ふと、そう思った。

 それをどう訊いて良いのか分からずに、口に出てきた言葉が直接的だっただけ。



 質問を受け取った男は『あの』と言い淀む。それから、何度か瞬きして、顔を窓に向けると窓の外を見つめる。言い難そうな表情に、テイジャは待つのみ。


「あの。何て言うかさ。ええっとな。あー・・・上手く言えないけど。()()がいてさ、人間の。その。俺が面倒見てた」


 テイジャの顔がさっと変わる。それを見ないヒョルドは、窓の外に視線を向けまま、言葉を選んで続ける。


「そいつらが。うん、あの。多分、生活があんまりうまく行ってなくて。だから、そいつらの面倒見ている俺が、その。草は仕事で。姉妹の仕事で使うやつで」


 言い難さが詰まりに詰まって、『姉妹は誰か』をひた隠しにしつつ、事情は正直に打ち明けるヒョルドだが、ここでこの話題を出した以上、聞いているテイジャは()()なんて想像が付く。


 そこまで分かっていないヒョルドは、隠しているつもり。以前、イーアンに相談した時『全部話してくれなきゃ分からん』くらいのことを言われた。

 だから多分、()()()()()じゃ分からないかもな、と。



「草は。彼女たちのために?」


「そう。頼まれてないけどな。俺は別に」


「面倒見ている・・・のよね?」


「それは、昔な。今はもう、っていうかな。うーん。俺が勝手に気にしてるだけだ。だから別に」


 返答に困って、あまりこれ以上聞かれたくないように、ヒョルドは顔を背け、白い髪を乱暴に掻く。


 困っている様子が丸出しの、横に座る男を、テイジャは見つめた。


 焦げ茶色の体は、腰布を巻いただけの姿。真っ白いざんばら髪で、燃える宝石のような赤い目をした、年を取らない男が。『人間ではない』と、この数時間見ていても、そうとしか思えない男が。

 あの日から、小さな子供を守って、今も。今も『勝手に気にして』助けようとしている。


 テイジャは口を手で覆う。涙が溢れて止まらなくなった。


 ふと気が付いたヒョルドが驚いて、どうしたのかと訊ね、涙がぼろぼろ落ちる女の頬に両手を添え、親指で何度も目元の涙を拭う。


「どうした。俺はひどいことを話した?」


「いえ」


「何で泣いてる。俺は分かっていない。教えてくれ」


 両手に包んだ女の顔に、覗き込んで理由を聞きたがるヒョルド。ぎゅっと目を瞑って、小さく首を振りながら『違う』としか言えない、嗚咽の混じるテイジャ。


「ごめんな。何か言ったんだ。俺はそんな」


 違うの、とテイジャは彼の体を抱き締めた。テイジャの腕が回された胴に、ヒョルドが戸惑う。テイジャはぐっとサブパメントゥの男を抱き締めて、その胸に額を当てて、涙を落としながら『違うのよ』と呟く。


 泣く女の背中に、そっと手を回し、ヒョルドも静かに抱き締める。『じゃあ、何だ?』泣いているのは、何が理由か。テイジャは顔を上げないまま、答えた。


「有難う」


「え。いや、え?」


「有難う。ヒョルド」


「礼。でも泣いてるぞ」


「嬉しくても泣くのよ。人間って」


 ヒョルドは、テイジャの顔を見ようと少し体を起こす。テイジャは見上げ、水色の目が濡れていた。でもその目は悲しそうではなく、顔には微笑が震えていた。


「嬉しいのか。どうして」


「あなたが。あの子達を見て育ててくれたからよ」


「いや、違う。俺は育てていない。離れなかったけど、でもレナタとミルカは」


 うっかり名前を口にして、ぐっと唾を呑み込んだ。赤い目に動揺が映り、テイジャは一層笑みを深めて、また一層、涙を溢れさせて頷く。『レナタとミルカ』どれくらい振りに、この名前を口にしたか。


 テイジャは、焦げ茶色の胴体に巻きつけた腕を解かなかった。

 あの夜の言葉のとおり。()()()子供たちを守り続けてくれたこの男に、今はただただ感謝する。


 そのまま。話を再開し、少しずつ質問を繰り返す。小さな質問で、一つずつ。教えてもらう、子供たちのこと。

 観念したように、サブパメントゥの男は答える。一つの質問に、一つの答え。答えると、そこからまた質問が続く。



「それじゃ。あなたは、あの子たちを移動させて、自力で生きさせたくて。でも思い通りにならないから、手伝っているということ?」


「そんなところだ。俺はもう、あいつらには居ないと思われてる。俺は人間じゃないから、いつまでも一緒には居られないし」



 ――ヒョルドの返答を組み立てて、テイジャは複雑なものを感じながらも、彼が()()()()子供たちを守ろうとしたことを理解する。


 姉妹が、『教えた(まじな)いで、人に頼って生活していた時期』の話には、何をしていたか想像が付いたが、それしか彼に教えられることがなかった・・・と思えば、彼なりの生きる知恵。


 ()()()()()()()、親心だったと思えなくもない。


 もう、この際どうであれ。生きていてくれた。無事に姉妹が揃って、今も。それだけで充分だ。

 彼は守ってくれたのだ。姉妹は、王都のどこかで、元気に生活している。



「会いたい」


「うーん・・・勧めないぞ。もっと、しっかりしてからの方が」


「充分、しっかりしているわ」


 私に比べたらずっと、と言いながら、テイジャの目にまた溢れる涙。自分が置き去りにした年月を、並べて考えてしまう。何も知らない子供たちは、自分の親も誰か分からず、生きていた。もう充分・・・充分立派だと、心から思う。


 そんなテイジャの頭を抱き寄せて、ヒョルドは『だけど。簡単じゃない』会うのにも一苦労だろ、と困って答える。



「ヒョルド。あなたはどうやって、草を渡すつもり」


 急に質問されて、ヒョルドは一瞬黙るが『置いてくる』見れば分かるから、と答えた。本当にそうするつもり。

 テイジャは少し考えて、『あなたが関わろうとすると、何かが間違うこともある』冷たい一言を伝えた。


 ヒョルドは、自分の体に抱きついている女の一言に面食らい、傷つく言葉の意味を訊ねた。


「何でだ。そんなわけないだろ。間違うって、草渡すだけだぜ」


()()()()()があるのよ・・・頼るわ。あなたがせっかく、彼女たちを見守ろうとして離れていたのに。

 これがきっかけで、まだ近くにいると気が付けば。助けてくれると思うもの。

 だから、()()草を置いてくるだけじゃ、ダメなのよ」


「そうか?置くだけだ。別に俺を呼び出すことも出来ない。名前を教えてない。教えれば呼べるが」


 そうじゃないのよ、と言いながら、テイジャは『名』の話に止まる。『名前。あの子たちは、あなたの名前を』少し驚くと、サブパメントゥの男は首を振る。


「俺は君に教えた。でも、普通は言わない。()()()()()()は、そういう立場だからだ。

 姉妹に関しては、『俺が親』だと思いたくないだろ?それに、離れて生きる日が来るのは、最初から分かっていた。都合良く呼べるようにはしない」


「私に名前を教えてくれたのね。有難う」


「テイジャは。いいんだ。もっと早く伝えたかった」


 少し。お互いに嬉しい二人は、ぎこちなく微笑んで、また沈黙。

 テイジャは静かな嬉しさを感じながら、先ほどのことを考える。



 今の話を聞いていて、ヒョルドは自分なりに『関わり過ぎない』ことを選んでいたと分かった。

 気にして見守っていても、人間の姉妹に自分が親だとは言えない。それも彼の配慮。離れる日を理解していたから、教えなかった名前。


 それはとても直接的な感覚で、『名前を知らなければ呼び出せない』そこが決定打のように考えているらしかった。

 そして彼は、それだけを守れば、後は自分の行動がどうであっても、そう影響しないと思っている様子。


 ()()()()()()のではなくて、途中の、感情の小さい動きや連結を、あまり意識しないのかも知れない。だから『間違える』と思うのに・・・・・



 黙っているテイジャに、ヒョルドは話しかける。


「草だけど。別にそんな『大したこと』じゃない、って気がする」


 気にするなよと言う男に、そう思えないことをテイジャはもう一度、丁寧に教えた。


 分からなさそうに、何度か瞬きするヒョルドを見て、本当にピンと来ないんだと思うと・・・テイジャ(自分)の子供たちのことだし、私も何か手助けした方がと、段々思い始める。



 ――今更。 今更。()()()して会いに行こうなんて、考えてない。



 そう思ったら、自分とヒョルドが姉妹に対して、似たような立場に居ることに気が付いた。


 ハッとした顔を上げ、見下ろすヒョルドを見つめる。『相談よ』テイジャの口から、思いつきが流れ出す。ヒョルドは不思議そうに、彼女の『相談』を黙って聞き続けた。


「じゃ。俺と」


「ええ。そう・・・どうやって移動するのか、分からないけど」


「ここ。君の家?」


「違うわ。友達にずっと、貸してもらっているの。だから明るい時間は、彼女や家族が近くに」


「いいよ。それは俺が()()()()()出来る。おっと、何も悪いことはしない。大丈夫だ」


 ギョッとした目を向けたテイジャに、急いで『()()()()()気にされないか』を話し、テイジャが困惑したようでも了解したので、ヒョルドは微笑んだ。


「もう、君に嫌われたくない。大丈夫だ。おかしなことはしないよ」


 そう言うと、サブパメントゥの男はゆっくりとテイジャの腕を解き、ベッドから立ち上がった。コマ送りのような一つずつの動きを、ぼうっと見ている女に『もう眠れ』と囁く。



「俺は平気だけど。君は眠るだろ?いつ行くんだ。早い方が」


「明日。これから少し眠って、それでお昼前に。農家は朝が早くて、お昼までの間は外だから」


 テイジャの答えに頷いて、ヒョルドは背を屈めると、テイジャの顔の前でニコッと笑った。


『黒い馬が来る。白い(たてがみ)の。その馬が来たら、馬も君も誰の目にも映らない。背中に乗ってくれ』魔法のような言葉を伝えると、ヒョルドは嬉しそうな笑い声を残して、部屋の影に消えた。


 突然に立ち去った男に、呆然と驚くテイジャ。今までの時間が夢だったのでは、と頭を振り、すぐに気が付く。自分の胸の中に、ヒョルドの笑顔がある――



「夢じゃない」


 呟いた声は小さな笑顔を生む。何かが、大きく変わる。変わったのかも知れない。自分の中の、終わりないと思っていた、長大な泥濘(ぬかるみ)と重圧が消えていると知る。


 少しそのまま、じっとして。それからテイジャは短い睡眠をとることにした。明日、子供たちに会うために。

お読み頂き有難うございます。


3~4話で完結予定でしたが、何とも引きずる思いが断ち切れず(※私の)。

ヒョルドの話は5話まで続きます。どうぞお付き合い宜しくお願い致します。

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