16. ヒョルド月華の問い~交錯の行方
王都の中。城下町の建物ひしめく一画、その更に狭い場所にある、一室。
ミルカとレナタの姉妹は、雑貨店の二階を借りて、民間療法の薬草販売を生業にして、生活していた。
王都へ移り住んでから、もう数か月経つ。意を決して移ったものの、生活は楽ではない。溢れる人々に押し流されそうな城下町で、どうにかこうにか生活しているのが現状。
「家賃。狭いのに・・・こんなに毎月払うのね」
姉のレナタは帳簿を付ける夕方に、ため息に似た呟きを落とす。妹のミルカが帳簿付けをしていた、これまで。ミルカは姉の現実味のなさに呆れて、帳簿付けを代わらせた。
「そうよ。それでもお風呂も使えるし、お手洗いだって、集落にいた時よりはマシよ」
「だけど、これじゃ。収入より掛かっているんじゃないの?
家賃でこれでしょ。食費とか、薪代とかも・・・こんなに使うもの?
え、何。この『経費』。使うの、ほとんど草なのに、どうしてこれにこんなお金を使うの」
「薬草のお金、という意味じゃないのよ。調合に使う乳鉢や瓶とか、使い方を書く紙とか、採りに行く時に馬を借りたり。いろいろ使うの、全部よ」
ミルカとしては、ようやく、姉が無駄に何でも使うのを止められそうなので、根気よく教える。
この説明だって今更の話。最初に来た時、城下町役場でも教えてもらったし、階下の雑貨屋さんにも、帳簿の付け方を教わったのだ。レナタが何も聞いていないだけ。
お金は、毎月の足りない分は、ここに来る前に『奪った装飾品』を少しずつ売って、補っているのが実情。
自分では面倒なことを、一切したがらない姉。無駄遣いも平気。
注意しても、何度言っても、姉は理解しないので、お金の使い方と物の使い方を認識させるために、面倒臭がる姉を説得して、今日になって無理やり教えている最中。
「食い潰すのは時間の問題ね。また集落に戻る日も遠くないわ」
「レナタは頑張る気がないの?お客さん、少しずつ同じ人が、来てくれるようになっているのよ」
「『少しずつ』本当ね、本当に少しずつだわ。2~3人が一か月に一回来たって、一食分にもなりゃしないのに。ミルカは夢想が過ぎる」
「イーアンが言ったじゃないの!『信用が口を伝って広がってくれる』って。今はそこに入ったのよ。何が『夢想』よ、ちょっとは前向きに努力してよ」
言い合いするようになったのも、王都へ出てきてからの姉妹。イオライ地区の集落に住んでいた頃は、ミルカは姉に、口答えもしなかった。
レナタのものぐさで消極的な性格に、うんざりした時から、ミルカは変わった。
「あなたね。いつまで、こんな生活できると思うの?私が言った言葉、現実になるわよ」
「帰りたいなら、勝手に一人で帰って頂戴。宝飾品は半分よ・・・あんな集落に戻って、どうするの?
また、旅人の男を捕まえて、操って、呪いが切れてないかどうかって、毎日ハラハラしながら、操り人形の稼ぎを待つ暮らしは・・・私はもう御免よ。レナタ一人でやって」
ミルカのきつい口調に、眉を寄せて嫌悪を示した姉は、さっと顔の向きを変え、帳簿に視線を移す。
「この収入が問題よ。どうにかしないとダメでしょ!」
「それをさっきから話しているのよ!」
苛つく姉もさながら。ミルカも、姉の『私のせいじゃない』発言にイライラする。音を立てて箪笥の扉を開けると、中からストールを引っ張り出し『夕食の買い物してくるわ』そう言って、部屋を出て行った。
強く閉められた玄関の扉の向こう、階下へ駆け足のように下りてゆく音を聞きながら、部屋に残されたレナタ。嫌味なくらいの大きさで溜息を吐いて、椅子の背にふんぞり返る。
「何が『真面目に働く』よ。操るのだって、真面目にやってたわよ!」
ムカーッと来て、レナタは隣の椅子の座布団を引っ掴むと、力いっぱい、扉に投げつけた。
妹が、苛立つ様子で、細い階段口から飛び出して行った姿。窓の向こうの部屋で、表情に怒りを浮かべて、座布団を投げる姉の姿。
通り向かいに建つ長屋の屋根の上、それをじっと見ている影。
夕暮れに沈む空の暗さに馴染む、時折、うっすらと人影に見えるそれは、小さな溜息をつく。
「ああ・・・なっちまったんだよなぁ。
俺の教育のせいか~ うーん。でも、あれが悪いとは思わないけど。『人間として暮しにくい』のは、間違いなさそうだな。
まぁ、イーアンが言うのも分からないでもない。あんなの見ると」
も~ちょっと良い変化を、良い流れで得られると思っていたんだけど、と呟くヒョルド。
「甘くないか。いや、それでも。俺が誘導している分、客は途絶えてないから、まだマシっちゃそうなのかな。俺もどこまで甘いんだ。イーアンに聞かれたら『自立させていない』って見下される」
でも親だからよぉ~・・・放っておけないから~・・・
しゃがみこんだ屋根の上で、白い髪をわしゃわしゃ両手で掻き乱し、どうすれば姉妹が、順調に生活の基盤を作れるのか悩み、サブパメントゥの男はいろんな方法を考える。一向に思いつかないけど。
「俺じゃダメだろうな。俺は、人間じゃないから。
やっぱり、側に人間で、ちゃんとあいつらを導いてくれる誰か・・・あの世間知らずの姉妹に、付き合ってくれる誰かがいないと」
ミルカはどうにか、階下の雑貨屋とも、近所の肉屋や、洗濯場の女たちとも話せるようにはなったが。姉が何もしない。全部ミルカ任せで、何かあれば『あなたが言い出した』と妹を責めてしまう。そんな姉を、最近のミルカは顕著に嫌う。
「テイジャに、言ってやることも出来ない。こんな姉妹の様子じゃ、立派に育ったなんて言えない」
教えてやれば、少しは苦しみも変わるのかと、ヒョルドは何年も思い続けた。正確には何年ではなく、あの夜以降。
立派に育てて。大人になって。俺の手を離れた、ほとぼりが冷めた頃。母子が会えたら――
サブパメントゥのヒョルドに、人間の感情はよく分からない。感覚も能力も生き方も世界も違う。
操り過ぎて、死んでしまった男の事も、まさかあんなに呆気なく死ぬとは思わなかった。
未だに、どうしてテイジャがあれほど半狂乱になったのか、何となくは分かるけれど明確ではない。ただ、とても深い傷になったことだけは理解できる。
あの夜から、彼女の笑顔が戻ることはなく、20年の歳月が流れた今も変わらない。自分はどうしてやることが一番なのか、それが分からず、ヒョルドは本当に困っていた。
「イーアンにもっと相談しておけば良かった。本当にこんな感じで、どうにか生きていけるのかね」
姉妹の事を相談した日。イーアンは『ほっときゃ生き延びる』くらいの発言をしていた(※昔荒れてた人談)。
死にたくなきゃ動くだろ、と。誰かは見ていてくれる。誰かは知恵を授けてくれる。だから死ぬ気で生きろ、と・・・そんな感じだったが。
「あいつらはそんなに逞しくないんだ、って言ったのに。見せてやりたいよ、このザマ」
向かいに建つ建物の二階。明かりのついた窓の向こうで、ふんぞり返って、喚いているようなレナタが見える。誰もいない部屋で、八つ当たりし放題。
買い物を終えたミルカが戻ってきて、階段の下で座り込み、何やら帰りたくなさそうな、時間潰しの状態も。
「どうすりゃいいのかな」
額に手を置いて、呟くヒョルド。
孤児の二人を、子のいない老夫婦に預けて育て、合間を見て『人を操って生きる術』を教えてしまったヒョルド。サブパメントゥの自分は、『人間にそれを教えたら役に立つだろう』としか思わなかった。
実際に、彼女たちは老夫婦が揃って他界した後、ヒョルドの教えた『呪い』を使い、旅人の男を捕まえては、その男を操って働かせ、金や装飾品を回収することで生き延びていた。
とはいえ、それも安定せず、ヒョルドは危なっかしい時は出て行って、助けてやっていた。
だがそれも長く続けることでもない。ヒョルドは人間ではなく、彼女たちは人間で、本当はいつまでも関わるような間柄ではない。
いつか離れる、その日のため、ヒョルドは自分の名前を教えず、『影』とだけ呼ぶように躾けた。
大人になった姉妹が、人として生活し、人として人生を生きるなら。
人間として生きる。そうしないと、テイジャに会わせてやることも出来ない。とは、思っていた。
だからギリギリまでは、自分が面倒見てやるつもりで、イオライレビドの集落に二人を閉じ込める形を取り『ここを出るなよ』と、忠告しながら過ごさせたのだ。
それが裏目に出ていた・・・・・(※気が付かなかった)
呪い頼りの生活をちょいちょい続けながら。
それで誰かしら、良さそうな人間にでも、面倒見てもらえれば。姉妹は人間の生活に馴染んで、無事に生きていけると考えていたのに。現実は違った。
離れる日も近づき、良い方法を望んだヒョルド。
その相談を持ち掛けた相手・イーアンに『呪い紛いの生活を、続けさせるのは良くない』ばっさり断ち切られ、姉妹が自力で仕事をする結論に至った。
――呪いに使っていた動植物の材料を、『民間療法』の枠で、安全に使えば仕事になるのでは。イーアンはそんな話をしてくれた。
まともに働く術も知らない上に、人を操る生き方しか知らない姉妹には、他に選びようもなく、結果としてこうなったのだ。
仕事のない田舎から王都へ、姉妹を運んでから『じゃあ、頑張れよ』と、あっけらかんとしたお別れで、気楽に遠のく背中を見せた、あの日以降。
『立派』と遠い娘たちの日々奮闘を、成長を祈りつつ、見守ることに努めていたが。
もうちょっと・・・やはり、何か手出ししてやった方が良いんじゃないか?と(※甘い親)ヒョルドは困りながらも、今夜は姉妹の部屋側へ動いてみた。
「『最初のうちは俺が手助けしているから、客が途切れていない』って・・・多分。そのくらい分かっていると思うが。
そういう話だったし。あんなに喧嘩するほど、金に困ってるのか」
影を伝い、部屋と部屋の間の隙間に滑りこみ、ヒョルドは二人の様子を久しぶりに近くに感じる。
部屋の中にいるレナタは、怒ることにも疲れたのか、夕食の準備に火を熾している。
戻ってきたミルカが、無言で買い物した食材を台所に置くと、レナタは『もうちょっと、一緒に考えてよ』とぶっきら棒に呟いた。
「一緒に考えて、この状態変えなきゃ」
「レナタは何を考えたの。私が何か言うと、いつも『それじゃダメ』って」
「癖よ。もう、そういうのやめて。考えようとしてるんだから・・・草。もっと種類、集めた方が良いんじゃないの?」
「この近くで採りに行ける場所なんて、王都の向こうの森くらいよ。
最近、魔物が出なくなった話だから、通行馬車が動いているみたいだけれど。でも草の種類は少ないわ」
ミルカもそれは思っていたが、集落にいた頃のように、自分たちで育てる土もないし、薬草の自生もうんと少ない、王都周辺。どうにもならないのだ。
昔、呪いに使っていた、他の動物素材や鉱物は『安全じゃない』理由で使用禁止にしたから、薬草頼みでしかない今、種類や量の少なさは、常に心細いものがあった。
「『影』でもいれば。相談できるのに」
話の続かない数秒の沈黙に、レナタはぼそっと落とす。壁の向こうで、話を聞いているヒョルドは、『影の事を思い出しているのか』と、気になった。うっかり、姿を見せてやりたくなる。
「いない人の事、考えても仕方ないじゃない。
最初のうちは、そりゃお客さんの様子も操られているような感じだったから、『影』が手伝ってくれたと思うけど。
今はもう、近くにもいないわよ。私たちが自力で生きていくの、願ってはくれてるでしょうけど」
ミルカの返事―― 『影』たる自分が、とっくにいないであろう、とした発言に・・・ヒョルドは若干、傷つく。ミルカの方が、意識的に巣立ちが早い(※現実的)。
それはさておき。『もう手伝っていない』とした言い方。それくらい、客の入りが悪いのか。金に困っているのか。そう、聞こえる。
「草を採りに行きましょう・・・種類がなくても、量だけでも。合わせ方を変えれば、少しは品数も増えるわ。ないよりマシよ」
頼れる相手はいない、と思い直したレナタ。その言葉は、自分たちが考えられる範囲を試行錯誤する言葉。
少し黙ったミルカは了解し、『次のお休みの日。馬を借りて森へ行こう』と提案した。通行馬車だと、時間の制限があるから、少し高くついても、馬を一頭借りてしまった方が融通が利く。
姉妹は次の休日まで、王都外の森にある植物で、どこまで出来るか。紙に書いて考えることにした。
それは今までよりも、僅かとはいえ、前進した気持ちの変化であり、建設的な考え方の始まりでもあった。姉妹のどちらも、そう感じたし、ヒョルドも同じように感じた。
ヒョルドはそっと暗がりを伝って消え、夜闇に紛れた。
「あいつらの。そうか。金が足りないのか・・・結構、昔、奪った持ち物は多そうだったけれど。
草ね。草か。レビドまで行かなくても、あれと同じようなのはある。俺が採ってきてやっても良い気がするが」
外へ出てすぐ、ヒョルドは大きな黒い蝙蝠に変わる。
その姿を目にしても、人々は大きな蝙蝠には見えていない。他人の目に映る姿はいくらでも誤魔化せる。
赤い目をした、黒い大きな蝙蝠は、月夜の下を飛び、通い続けた牧場へ向かった。
「テイジャのいる、あの辺。あそこも草だけは豊富だからな」
どうせ、行き先―― 今夜もテイジャの部屋の下で、謝る時間を過ごす。
それなら、少しは有意義に過ごしても良さそうだ、とヒョルドは思う。それが姉妹の仕事の材料なら、願ってもない。ただ、自分が教えてやった、呪い用の草を集めるだけ。ごっそりと。
「久しぶりに、意味がある行動・・・だな」
ふふん、と笑った蝙蝠は、先に見えてきた広い牧場の周りを包む、木々の群れに下りた。
その夜更け―― ヒョルドは、テイジャの部屋の下ではなく、その建物横に続く、雑木林にいた。
普段。毎日ではないが、20年の間、通っていない日の方が数えられるほどの数の夜を、テイジャの部屋の下で過ごしている。
開かれることもない窓を見つめ、ヒョルドはただ、毎晩・・・ここへ来た毎晩、許しを請い続けるために来ていた。
自分が何をしているのか。それも分かっているようで分からない。
ヒョルドは人間の感覚とは異なる。感情も違う。似通うものはあっても、同じではない。
それが原因で、自分の好きな相手を苦しめた。そのことはヒョルドにとって、長く生きている時間の中で、本当にさみしく悲しいことだった。
でも今晩は少し違う。窓を見上げるたびに、悲しく溜息をついて始まる時間は、姉妹の『草』集めに費やされ、『一つの種類をごそっと』女の腕じゃ運べないくらいの量は持って行ってやろう、と動いていたのだが。
使えると見れば、あれもこれも、と手が動く。結局、草むしりに近いくらいの量を、林の一画に積み上げている、ヒョルド・真夜中の作業。
「かなり、あるねぇ」
置くところがなさそうだなぁと、可笑しそうに笑う、サブパメントゥ。
「まぁな。なけりゃないで、乾かして持って行きゃ良いんだ。あいつらの家、狭いから」
そんな独り言を呟いて、ハッとした。後ろに人の気配がし、ヒョルドはすぐに影に紛れる。
人が歩いている・・・これまでこんな時間に、誰かが外を歩いていることなどなかった。牧場の人間だろうか。よその迷い込んだ人間か。
気になるのは、積み上げてしまった草。軽く人の背丈くらいあるので、どうやっても目立つ。
これを見て何かされる前に、ちょっと向う見ていてもらうか、と相手を定めた時。ヒョルドはぎょっとする。
「テイジャ」
近づいている人影は、全身を見るのが20年振りの女。ずっと、その姿を見たいと願っていた相手だった。
うっかり口にした名前で、相手が立ち止まる。
影の中から声が響き、その声は名前を呼び、目の前には草の山。テイジャは立ち止まったまま、少し怯えたように狼狽えて、それから暗い影に向き合った。
「誰かいるの」
テイジャも偶然だった。今日も夜中に起きてしまい、窓を少し開けて、昨日同様にぼんやりと窓辺にいたのだ。
すぐに、外で何か音がしていることに気が付き、不自然な物音に怖くなった。
だが、テイジャの中で、これまでと変わったことがある。
物音が、何から発せられているのか、確かめようと動いた。それは、閉じこもった氷漬けの日々を終わらせようと・・・ある意味、諦めと覚悟の思いで。
『もし。悪人に殺されてしまうなら。それでもいい』
どうにもならない日々に、決別に近い気持ちを抱き、物音を確かめに、外へ向かった足。
怯えはある。恐れもある。でも。もう、このままは嫌だった。
殺されるなら、マリッカに迷惑のかからない場所にして、と頼もう。そのくらい願いは聞いてもらおう、と無茶を念じるように思いながら、テイジャの引きこもった年月は、月明かりの下で幕を――
「いるよ。君に謝り続けた、君の嫌いな男だ」
「あなた」
「テイジャ。どうしてここに」
影から一歩。踏み出して、青白い月の下に立った男を見て、テイジャは体の力が抜けそうだった。
白い髪は月光に輝き、焦げ茶色の肌は黒くさえ見える。腰に一枚の布を巻いた男は、20年前に見た時と同様、年も取らず若々しいまま。
そして、忘れようもないあの『赤い目』。それは悲しそうに光った。
テイジャの長い凍結の年月は、月明かりの下、幕を開ける――
お読み頂き有難うございます。
本日の活動報告にも、この回のお話を載せますので、宜しければお立ち寄り下さい。
※文中に、姉妹の会話で『イーアンが言っていた』とか、ヒョルドの言葉『イーアンに相談』とある箇所は、本編『魔物資源活用機構』569話のことを指しています。




