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トラのピアノは日に日に上達していきました。鍵盤の光はトラにたくさん教えます。両手で弾くのはもちろん 少しずついろんな曲が弾けるようになりました。軽快な曲 ゆったりした曲 激しい曲 哀しげな曲 トラの大きな手は離れた鍵盤にも届くので 難しい曲も上手く弾けました。時々鼻歌まじりに弾いたり トラはとても楽しく過ごせていました。
いつしか精霊たちは集まってトラのピアノを聴くようになりました。曲に合わせてダンスをすることもありました。
トラの弾くピアノはとても優しい音がして 精霊たちでさえ癒されてしまうから。
ある雨の日 トラは芝草の広場のちかくにある 丸く空いた洞窟で雨宿りをしていました。岩にもたれかかり ぼんやり雨を眺めていました。長くぼんやりしていたせいか 心の奥に閉ざしていた蓋が開いてしまいました。
同じトラなのに 馬鹿にしていじめてくる仲間たち
それを見てあざ笑う仲間
トラを見て怯える町の人たち
怖い顔をして出て行けと叫ぶ人
武器を振りかざし威嚇をする人
怒鳴りながら石を投げつける人たち
自分がトラであることを悔やみ 行き場のない怒りが自分の心を深く深く傷つけていった日々
いい思い出などひとつもない。悲しみはまたトラの心を苦しめます。ぎゅっと目をつぶり痛みを堪えました。涙は目を閉じても溢れてきます。
目を開けると遠くに ピアノのついた大きな木が雨に霞んでうっすらと見えました。痛む心を押さえ込もうと 空虚な状態でしばらくピアノと大きな木を見ていました。
どれくらい過ぎたでしょうか ふと今までとは少し違う考えが思い浮かびました。
“あの人たちは僕が嫌いなのではなくて 何かを守ろうとしていたのかな”
“例えばトラとしての本来の姿 町の小さな子たち とか”
“僕はみんなを襲ったりしないけど 大切な何かを守りたくてあんなふうにしたのかな”
“誰かが悪いわけじゃない”
“トラであることは僕のほんの一面でしかない”
“僕の心を見せることができたなら わかってもらえるのかな”
“でも 心や気持ちは取り出して見せることは出来ない。何も変わらない”
“だけど 本当に大切なことは目には見えないところにある。心で見たら世界は違って見える”
“そうだ。そうやって過ごそう。僕だけでもそうすればいい”
“僕はひとつ宝物みたいな考えを手に入れた”
トラは心の痛みが小さくなりおさまるのを感じました。
雨は小雨 空が明るくなってきました。トラが外に出ると雨はやみました。トラは空を見上げ 目を閉じ深呼吸をしました。ゆっくり目を開けると 虹が出ていました。両手を虹に向かって伸ばしました。
“世界はこんなにも美しく輝いている。僕はこんなにちっぽけだ。ちっぽけだからこそ 世界をこんなにも美しいと思えるんだ。もっともっとよく見よう 心で世界を見ていこう”
何かを決意したトラの顔はとても凛々しく 晴々としていました。
精霊たちはトラの小さな変化に気づきました。精霊たちはますますトラを好きになり ずっと見守っていこうと思うのです。
トラはピアノに向かいました。
不思議なことに 雨上がりにもかかわらず ピアノは濡れていません。
雨の日にはピアノが濡れないよう水の精霊が目には見えない傘を いつもかざしているからです。
トラは思います。
“このピアノは神さまか誰かの宝物で誰かが守っているのかもしれない。だとしたら 僕なんかがさわってはいけないものだったのかも”
トラはすまなそうに胸に手をあてて謝ろうとしました。
それを察した精霊たちは慌てましたが 精霊たちの言葉はトラには聴こえません。地の精霊は鍵盤をチカチカと光らせ いつものように練習にさそいました。
トラはそれに気づき 深々とお辞儀をして 椅子に座りました。
トラが奏でるピアノの音が響きました。それは今までの音よりも より優しく透きとおるような音色です。
精霊たちは トラの優しさと純粋さを確かめるように 目を閉じて聴き入るのでした。
お読みいただきありがとうございます。
トラの心の変化は小さいですが 大きな変化へとつながるはずです。
つづきます。




