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丸くひらけた芝草の場所に戻ってきたトラは ピアノのついた木を やっぱりはなれたところから見ていました。なかなか近づけません。でも とても気になります。
風の精霊はそんなトラを優しいく見守ります。
少し緊張しながらゆっくりと歩きだし ピアノのついた木に近づきました。思っていたよりも木はとても大きくて でも枯れてしまったのか上のほうは折れています。
「以前はきっと 遠くからでもひときわ目立つような立派な木だったにちがいない。その頃を見てみたかったな」トラの呟きは 地の精霊に聞こえていました。地の精霊の体がほのかに光りました。地の精霊は目を閉じ 身体に何かが満ちていくのを感じています。
トラはピアノのすぐそばまできました。誰かが弾いた痕跡はなく 白い鍵盤は少しコケを被りところどころ緑色。
トラはピアノを弾いたことはありません。ですが 音がでるのか確かめたいと思いました。鍵盤に伸ばした自分の指先を見て トラは急に走りだし背の高い木々の向こうへと姿を消しました。
地の精霊と風の精霊は “どうしたのかしら?” と言うように視線を合わせました。風の精霊はトラを追いかけました。
木々の間に座り込んで何かをしているトラを見つけました。トラは石を使って とがった爪を削って短く丸く整えていました。とがった爪がなければ お魚を獲るのは難しくなり 木登りも 崖登りもできなくなります。風の精霊はすぐに地の精霊に知らせに行きました。地の精霊は 小さくうなずき微笑みました。
しばらくするとトラはまたピアノのそばに戻ってきました。
風の精霊は気持ちを抑えきれず 踊るようにピアノの周りを飛び回っています。
トラは丸く削った爪の指先で ピアノの鍵盤をひとつ押しました。
ポーン・・・
きれいなピアノの音が響きました。
トラは気づきませんでしたが 古びた木が神々しい柔らかい光を放ちました。
ピアノの音はトラが思っていたよりもずっとずっと綺麗な音でトラの心まで響いてきました。もうひとつ鍵盤を押してみました。今度はひとつ目よりも高く澄んだ音。トラの瞳が輝きました。もうひとつ鍵盤を押してみました。今度は重厚感のある低い音。トラは目を閉じ 音が響くのを愉しみました。
風の精霊も喜びに溢れ 飛び回っています。
トラは胸の前に手を合わせ 古びた木のいちばん上と空を見上げました。今までにはない感情が湧いてきました。 “ああこんな気持ちをピアノの音で表せたらどんなにいいだろう”
深く息を吸い込み トラはもう一度鍵盤を押しました。
ポーン・・・
きれいな音はトラの心の奥まで響きました。
鍵盤をよく見ると ひとつだけチカチカと光が点滅しています。不思議に思い 椅子に腰掛けまじまじと見ていました。ふと気づいて光っている鍵盤を押しました。ポーン・・・するとちがう鍵盤が光りました。ポーン・・・またちがう鍵盤が光りました。ポーン・・・何度か繰り返すと きちんとしたメロディーになっているとわかりました。 “ピアノが僕に教えてくれている!” トラは嬉しくなって鍵盤の光を追います。指1本で弾ける簡単な曲でした。トラはメロディーをおぼえ 光の導きがなくても弾けるまでになりました。
トラが今までしたことのないような笑顔で 自分とピアノに向けて拍手。
トラは胸に手を当て ピアノにお礼を言いました。
「ありがとう」トラの心からの感謝に 地の精霊は微笑みました。
風の精霊は感動してしまい うっとりしています。そう 風の精霊はトラの悲しみをいちばんわかっていたから。
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