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第364話 世界を閉ざす者

「……生きてるか?」


 凄惨にして壮絶。常識の範疇を大きく逸脱した惨憺たる光景を前に、空島に立つ男──秋は呟いた。


 燎原の痕跡が広がる大地は隆起していたり陥没していたり、地割れを引き起こして海水を呼び込んで川を作っている。それらのせいで王都シックサールが壊滅状態に追いやられていたりもするのだから、安否を気に掛けるのも無理はなかった。


 もちろん案ずるのは、王都シックサールにいるはずのアデル達だ。魔王である秋が勇者であるアデルを気遣うなど、常識で考えれば意味不明でしかないが、それ以前に友人である。平原が戦場と化しており、壊滅した街を見れば心配してしまうのは当然だと言えた。


 だが、秋はアデル達に蘇生生物による監視をつけていたはずだが、どうしてその安否がどうして分からないのか。

 答えはこの壮絶な戦いの余波を受けて蘇生生物が死んでしまったからだ。ヨルムンガンドの毒にでもやられたか、スルトの炎で焼け死んだか、飛散する残骸によってフレデリカ達と同じくして死んでいったか、それとも最果ての魔物が多く生きていた頃の乱戦に紛れてやられたか……死因は不明だが、監視の目は死んだのだ。


 空島から地上を見下ろす秋は、キョロキョロとアデル達を探し始めた。

 スルトの消滅と、疑似太陽の出現に呆然とするフェンリル、ヘル、ヨルムンガンド達を放置して。





~~~~





 遠くから四つの人影が走ってくる。ちょうど空島がやってきた方角……つまりは東からだ。


 疑似太陽によってだんだんと明るみに出てくるその者達のうち一人は勇者と神徒の神器とよく似た装飾があしらわれたローブを纏っており、他の二人は姉弟なのか似た顔立ちで同じ髪色と瞳の色をしている。残りの一人は赤い髪に赤い瞳という、まるで自分を照らす疑似太陽のような容姿をしていた。


「あ……あ……あぁ……!」


 ローブを纏った男が見えてくる戦場にそんな声をあげる。探して欲して求めてやまなかったものを見つけたかのような声だ。


「どうしたんですかクルトさん?」


 クルトの隣を走る春暁が尋ねるが、クルトは答えずに足を動かす速度を速くして、風魔法を上手く使って向かい風を打ち消し追い風を吹かせる。そのおかげかクルトはすぐに目的の場所へと辿り着くことができた。


 できたのだが、勢い余って通り過ぎてしまう。体を捻って振り返ろうとするが、それも上手くいかず転倒してしまう。早く速くと気持ちが急いているのに、中々進めない事に苛立ちにも似たもどかしさを覚える。

 手足が思うように動かなくて、立ち上がる事もままならないクルトは文字通り這うようにして目的の人物へと近付く。


 クルトの脳内には先ほど死んだ仲間の事はない。ペルティナクスに殺されたラヴィアは既に忘れていた。悲しんだ覚えがないのだから尚更だ。

 それほどまでにクルトは、ただひたすらにアデルの事だけを考えていた。


 そして、土に汚れながらもクルトはアデルのそばまでやってきた。

 久し振りの幼馴染との、失踪していた幼馴染との再会だ。さぞ感動的な反応をしてくれるのだろう。

 期待に胸を膨らませながらクルトはアデルを見上げて口を開いた……が、声を発する事ができなかった。


 アデルが全くこちらを見ていなかったからだ。

 地を這うクルトではなく、空に浮かぶ空島と疑似太陽にアデルは夢中だった。


 上がっていた唇の端が下がっていき、開いた口も閉じられ、頭までもが落ちて地面に触れた。


 向こうから春暁と冬音とステラが走ってくるのが見える。みっともない姿を晒している自覚はあったが、起き上がる気にはなれなかった。


「あれは……やっぱり太陽……? 夜なのにどうして……いやそれよりクルトさん、いきなりどうしたんですか? そこで何をしてるんですか?」

「……え? ……クルト……?」


 走ってきた春暁が疑似太陽に疑問を呈し、クルトの行動にも同じく疑問を呈する。

 クルトと言う名前に反応したのだろう。空を見上げていたアデルが呟いてから春暁の方へ振り返り、春暁の目線を追って自分の足元へと視線を向ける。


「わっ……あ、え? ……く、クルト……?」


 驚いた様子で少し跳ね、すぐにそれがクルトだと気付くとしゃがみこんで確認するように顔を覗き込む。


「……久し振り、アデル。……元気だった?」

「く、クルト……ほんとにクルトなの……?」


 仕方なく顔をあげ、精一杯笑顔を浮かべてアデルに話しかけると、アデルは瞳を揺らしながら問い掛ける。視界が滲んで上手く顔を認識できないのだろうか、それともクルトの存在を受け入れられない……信じられないでいるのだろうか。


「うん、俺だ、クルトだ、本物だ、間違いないよ」

「ほ、ほんと……ほんとに……クルト……クルトっ……! いったいどこいってたのさぁっ……いきなりいなくなっちゃうから心配したんだよ……っ!? ばか……ばかぁっ! なんでいつもは賢いのにそんなにばかなんだよぉ……会いたかったよぉ……無事でよかった……っ」

「アデル……」


 待ち望んだアデルとの再会。嬉しいはずなのに、なぜだか素直に喜べない。好きで好きで仕方のないアデルに抱き締められていると言うのに、喜べない。そして、そこで思い浮かぶのはラヴィアの存在だった。なぜかは分からない。分からなかった。


 アデルが喚いているからだろう。周りにいたラウラ達も集まってきて「あぁっ!? クルトさん!?」「…おぉ、クルトじゃねぇか。これで秋とフレイア以外のメンバーが揃ったわけだ」「む……私もあそこに加わりたいが、どこか近寄りがたい雰囲気だな……」「仕方ありませんわよ。アデルさんとクルトさんのお二人ですもの。熱々ですわよ? ですけれど、何か違和感が……?」……と、ラウラ、ラモン、マーガレット、エリーゼが口々に言う。


 そろそろいつものように振る舞わなければと考えて、クルトはアデルの背中をポンポンと優しく叩いて抱擁から抜け出し立ち上がる。涙やら鼻水やらで顔を濡らしたアデルがぺたんと座りながら見上げてくる。今までなら心臓が大きく跳ねていただろうが、やはりそうはならなかった。


「皆さんお久し振りですね。こんなところで再会するなんて思っても……いえ、皆さんならここにいると思いましたよ。お互いの事を存分に語り合いたいところですけど、ここではそれもできそうにありません。まずは目の前の脅威に対処しましょう。……ほら、アデルも。いつまでも泣いてないで……アデルは勇者なんでしょ? もっと勇ましくしてないと、ね?」

「……うん」


 鼻を啜りながら頷くアデルに小さく微笑みを浮かべる。やはりとクルトは思う。今の自分がいつも通りではないのはクルトが一番分かっている。それに気付かず、気付いた素振りも見せないアデル。

 あぁ決まりだ。どうしたって自分ではアデルの隣に立つことも追い付くこともできないのだ。


「あら……クルトさんの印象が大きすぎて霞んでしまっていましたけれど、そちらの方々はクドウさんの妹の冬音さんと弟の春暁さんですわね。赤髪赤目の方は……もしかしてフレイアさんの妹……それか親族の方ですの? フレイアさんの……と言うよりオリヴィアさんの面影がありますわ」

「…本当だな。アキの妹と弟だ。だがそれがなんでこんなとこにいんだ?」

「こっちの子も言われてみればオリヴィアさんにそっくりだな」


 クルトから視線を外したエリーゼは興味深そうに辺りを見回している春暁達に気付いて言い、ラモンとマーガレットもそれに気付いて言う。



 そして、その言葉に反応したのは春暁達でもなく、オリアル達でもなかった。


「春暁……冬音……」


 黒い渦が出現すると同時にその言葉は聞こえてきた。声色から察するにこれは男の声だ。二十代後半か、三十代前半のどこか重さがあって、優しさと経験が乗せられた大人の声。


 始めに黒い渦から姿を現したのは季弥だ。【転移門(ゲート)】だけに限らず、転移系のスキルや魔法は出現位置を間違えば生き埋めになってしまうために、周囲の確認をする必要があるのだ。つまり、季弥の言葉は春暁と冬音を視界に入れてから発されたものではなく「居てくれ」という願望が込められたものであった。

 そんな、思わず口に出してしまうほどの願望を持っていた季弥は、後続に報告することなく【転移門】から飛び出して、目を見開くだけの春暁と冬音を抱き締めた。


「……え? お、お父さん……?」

「な、なんで……」

「あぁ、二人とも怪我がなくて……無事でよかった……!」


 無傷を泣いて喜ぶ季弥に、二人は「聖魔法で治療したからだよ」とは言えなかったし、それどころではなかった。特に孤独な思いも辛い思いもしたわけではない。心の未熟さが、未成熟さがそうさせるのだろう。悲しくもないのに涙が溢れてきて、瞼と胸の奥が焼けるように痛くて、涙が伝う頬さえもが熱を帯びていた。

 愛なら感じていた。愛されているとは感じていた。だけど、ここまで泣いて喜ばれると、言葉に出して伝えられるよりも鮮明に響いた。


 季弥も春暁も冬音もが泣いて、アデルは溢れてくる涙を拭って、初めは呆気にとられていたラモンとマーガレットとエリーゼは微笑ましそうにそれを眺めている。


 報告をしに戻ってこない季弥を不審に思ったのか、出現してそのままの黒い渦から恐る恐る手が伸びてきて、そして意を決したような夏蓮の顔が出てきた。夏蓮は辺りを見回して、春暁と冬音と抱き合っている季弥を見つけると、みるみる内に顔を怒りに染め上げていき、そして【転移門】から全身を出して、渦の向こう側にいるオリヴィアとミアに手招きをしてから季弥の背後へと接近する。

 春暁と冬音は季弥の背後で仁王立ちする夏蓮に気付けば、その泣きっ面を恐怖に染め上げて震え出す。それに気付いて「どうしたんだ」と声を発した季弥は二人の視線を辿って振り返る。そこに立っていたのは、般若のような形相の夏蓮だった。


「アナタ……冬音ちゃんと春暁ちゃんを見つけても先走らないって約束しましたよね? 転移するのは危険だからってアナタが言ったんですよね? それなのに何も言わずに行かれちゃったら、冬音ちゃんと春暁ちゃんに加えてアナタまでって、私が心配することぐらい分かりましたよね? なのにどうして一人で先走って二人と抱き合ったりなんかしてるんですか?」

「ご、ごめん……夏蓮……二人を見たら思わず……」

「思わずじゃないですよ……しかもお父さんであるアナタが二人を叱らず一緒になって泣き喚いてるなんて信じられないです、本当に。……はぁ、仕方ないですから私が二人のお説教をしますね。その後はそこの大きな子供のお説教もしますからね」


 涙目ながらも、ここで自分まで泣いてしまうわけにはいかないと、懸命に堪えながら夏蓮は話す。無事を喜びたくもあり抱き締めたくもあったが、もう二度と同じ事を繰り返させないためにも叱ってやらねばならなかったから、空気に流されて泣いてしまってはいけなかった。

 そうして始まった夏蓮の説教の横ではミアとステラが抱擁を交わしていた。


「ステラなら大丈夫だとは思っていたけど、ステラも無事でよかったわ」

「お母様……黙って危ないことしてごめんなさい……」

「……私の方こそごめんなさいね、私の旅に付き合わせてステラに友達作りをさせなかったんですもの。そのせいでステラがお友達を必要以上に重要視してしまうような状況を作ってしまった。そんな私にステラを叱る資格はないわ。……ただ、自分勝手なお願いなのは分かってるけど、もうこんな危ないことはしないでちょうだいね?」

「うん……分かった……分かったよお母様……もうしない……」


 春暁と冬音と季弥とは違って、冷静に話し合うステラとミア。冷静で、静かすぎて分かり難いが、二人も泣いていた。淑やかに上品に、清廉な涙が頬を伝っている。


 そんな戦場には似つかわしくないこの場所でオリヴィアは空島へと手招きをする。

 御伽噺に出てくるような魔王の住まう城が建てられた空島。そして夜空に浮かぶ擬似的な太陽。……こんな事ができる魔王など、オリヴィアの中ではただ一人しかいなかった。根拠などなく、ただの勘でしかなかった。もしかしたら呼び寄せるべきではないものがやってくるかも知れないが、アイドラーク公国の王族は勘が鋭い。だからオリヴィアは空島に手招きをした。未来予知にも似た勘を信じて。



 眼前に開くのは、またしても黒い渦。季弥が使った【転移門】と呼ばれる希少なスキルを使ってやってくれば、言葉で伝えずとも関係性の有無が分かり易くなるだろうと……そんな考え通り、夏蓮の説教から目を離した季弥は誰がこの場に現れようとしているのかを察していた。


「すみませんオリヴィアさん。次に会う時はフレイアも一緒だという約束でしたけど、まだ──」

「あら、クドウさん、まさかそれを気にして私達の前に姿を現さなかったんですか?」

「…………」

「ふふふ、まぁそれはさておき、今回のは無しにしましょう。こんな状況ですし、仕方ありません。……さぁほら、頭を上げてください。友人の前で頭を下げるなんてクドウさんぐらいの子にとっては恥ずかしいでしょう」


 黒い渦から姿を現すなりオリヴィアへと頭を下げて謝る秋に、面食らったような表情をするオリヴィアだったが、すぐにいつもの余裕のある柔和な表情へと戻し、秋を揶揄ってから頭を上げるよう促す。

 それに従って頭を上げた秋は一瞬だけ安心したような表情を浮かべてから、話し出した。


「ラモン達とはこの間会ったからともかく、父さんと母さんと冬音と春暁、アデルとラウラとクルトは久し振り。あと、ミアとステラも久し振りだな」

「私とあなたってどこかで会ったことあったかしら?」

「ん? あれ……あぁそうか。いや、勘違いだ、忘れてくれ」

「冗談よ、ロキシーさん。久し振りね」

「なんだ気付いてたのか。親子して人を揶揄うなんてどうかしてるぞ」

「えぇ、あなたがロキシーさんだと気付きに至る要素が色々あったのよ。そのうちフレイアも私達みたいになるだろうから、そのための訓練だとでも思うといいわ」


 そう言ってクスクスと笑うミアに、覚悟しておかないとな、と困ったように……けれど嬉しそうに楽しそうに期待したように頭を掻いた秋は、まぁいい、と言って話を終わらせる。


「マーガレットさん、あの方は?」

「あいつはクドウだ。アキ・クドウ。私とラモンとエリーゼが旅に出る以前に、一緒に冒険者として活動していた大切な仲間だ。あぁ、名字があるが、別に貴族と言うわけではないから、ブラン達もいつもの調子で接して大丈夫だぞ」

「なるほど、お仲間さんでしたか」


 ブランは納得したように頷いて、少し考える。

 マーガレット達と冒険者として活動していたと言う事は、つまりマーガレット達と近しい実力があるに他ならない。同格か格下か格上かは分からないが【転移門】と言う希少で強力なスキルを持っている事から、かなりの実力者であると推測した。


「…アキの事だからいつか来んだろうとは思ってたけど、アキにしては遅かったな。ま、何にせよこれでこの場は片付いたも同然だな」

「片付いたも同然って……あいつはそんなに強いんスか? 全然強そうには見えないッスけど……」

「アジュールはまだまだ未熟ね。……ね? ブラン。あなたならあの男から漂う異様な気配が分かるわよね」

「えぇ、分かりますよノワール。分かるから味方なのか味方じゃないのか確認をしたんですよ。けど、マーガレットさん達のお仲間さんであると言うのなら、安心ですね」

「そうでもねーよ。根拠も確証もねぇし、ラモン達の仲間だったっつー初対面の相手にこんなこと言いたくねぇんだけど、なんとなくそんな気がすんだよな」


 安堵したような表情を見せるブランにルージュがそう言う。少し不愉快そうな表情へと変わったブランに慌てて「ちげーんだ! 盲目的に信用しすぎず、適度に警戒しておいてくれって意味で言ったんだ!」と弁解するルージュ。その必死な様子にフッと笑ってブランは、ラモンがあそこまで言う人物なのだからきっと大いに活躍してくれるのだろうと、向こうに佇む最果ての魔物へ視線を向けた。



 その一方で、教皇だけが浮かない顔をしていた。

 出会いたくない人物に出会ってしまった。ソフィアの面倒を見て貰っていると言う点では例の一つや二つを言っておくべきなのだろうが、恐怖のせいでそれも叶わない。……それに、視えなかった。秋がこの場にやってきた時から何度も何度も【運命視】を使用しているのだが、視界が真っ黒に染まるだけで何も見えなくなってしまっていた。


「あぁ……どうしましょう……」


 気付けば呟いてしまっていたそれを聞き付けた元エルフの王が、どうしたのだ、と尋ねてくる。


「あ……いえ……えっと……」

「言い難いことなのか? よいぞ。これでも余はエルフの国で王の役職に就くほどの器である。そなたの悩みぐらい、余が聞いてやろう。こんな状況下の悩みであるから、解決に導ける保障はないがな」


 最後に冗談っぽく言って笑った元エルフの王。確かに王なら数々の難題をこなして問題解決へ導く方法を知っているだろう。それがエルフの王ともなれば、相当な期間を王として過ごし多くの経験を積んでいるはず。

 ならば、もしかすれば眼前の脅威に対処する方法を導きだしてくれるかも知れない。

 そんな答えに辿り着いた教皇は元エルフの王へと打ち明けた。


「……ふむ。……まぁ確実にあの者が関わっておるのだろうな。と言うか運命の流れを絶ったのはあの者であろうな。だが、あの者は周囲の者達に溶け込んで馴染んでしまっておる。この和やかな状態からどうして世界の滅亡、或いはそなたの死に繋がるのかと考えれば、あの者が余らを裏切ることぐらいしか考えられん。これ以上の脅威を無闇に無策に増やすわけにはいかぬからな……それならば、裏切られる前にこちらが行動を起こすまでよ」


 裏切られればそのショックで抵抗できない期間ができてしまう。そうなるのが致命的であるために、その無抵抗な期間を、こちらが行動を起こす事で無くしてしまおう。それが最適だろうと考えた元エルフの王は教皇に計画を伝える。

 もちろんここが戦場で、周囲には最果ての魔物もいることなどは知っている。そんな状況下でこんな事に頭を悩ませている場合ではないのかも知れないが、味方による裏切りは致命的だ。たとえ行動を起こす事で敵対しようとも、被害を最小限に抑えるためならばやむを得ず、行動するしかなかった。


(あの者が危険だと言うのはこの間顔を合わせた時から知っておったが、まさかここまでとはな……)


 元エルフの王はつい最近あった出来事のように鮮明に思い出せるその光景に馳せて、声をあげた。


「皆の者よ、直ちにその者から離れよ! そやつは危険だ!」


 和気藹々とした空気が漂うこの場所に静寂が訪れる。


「どうしたのですか、王よ」

「ダイロン、余を王だと認めてくれたのは嬉しいが、余はもう王ではない。これからは元王と呼ぶがいい。……話を戻すが、その者……アキ・クドウと言ったか。そやつは危険だ。そなたらはその異形を人間のように扱っておるようだが、そやつから漏れ出ておる魔力の波長は人間のそれでも、亜人のものでも、魔人のものでもなく……紛れもない魔物のものだ。魔力に精通しておるエルフである余が言うのだから間違いない!」


 正確に言えば、人間の魔力も魔物の魔力も感じられるのだが、これは秋を陥れるための行動だ。元エルフの王は少しの妥協も少しの嘘も厭わない。


「あなた……誰かは知りませんが、うちの息子を悪者扱いすると言うのなら、容赦はしませんよ」

「秋ちゃんはこことは違う世界で、人間の旦那と人間の私で産んだ紛れもない人間の子供よ。エルフの王様だかなんだか知りませんけど、適当な事を口走るのはやめていただけませんか」


 すかさず季弥と夏蓮が元エルフの王へと言い返す。……が、こうなる事は想定済みだ。元エルフの王は教皇に目配せする。


「そうは言いますが、私が見た限りではその方が世界、或いは私に害を成しているのは事実です」

「……はい?」

「私は運命を司る女神ベール様を崇拝しているソルスモイラ教の教皇です。私が聖女と呼ばれていた頃に神より授かった【運命視】には、制限がかけられておりますが、代償さえ支払えば問題なく運命を見透す事ができるのです。それで、以前から見えていた運命の中にその方が現れて、大きな口へと変形した腕で世界を喰らい尽くす様が見えていたのです。それが今になって真っ黒な暗闇しか見えなくなっていました。その暗闇は、さながら口腔へと閉ざされた世界の亡骸の視点のようで、どう考えても世界の終わりが近付いてきているようにしか思えないのです」

「なっ……そんな、腕が大きな口に変形するなんてあり得るわけがないでしょう!? 吐くならもっとマシな嘘を吐いてください!」


 妄言にしか思えない教皇の言葉に怒りを露にして立ち上がる季弥。その形相にたじろぐ教皇だったが、自分が述べているのは真実なのだから戦いてはいけないと言い聞かせ、一歩前に足を踏み出した。


「別にあり得ない話ではありませんよ」


 ……と、全く別の方向から言葉が飛んだ。視線を向ければ、そこにいたのは、氷の彫像のような美しさと儚さを湛えた者──レジーナ・グラシアスだった。


「この人がどのような形の魔王としてそこに在るのかは知りませんが、この人は間違いなく魔王です。人類にとって有害になる可能性が限りなく高いのですから、人間だとか人間ではないとかに関わらず、一刻も早く討伐するべきです」


 先代魔王の配下として生き、魔王に対して友好的で非友好的にも接していたレジーナがどうして秋を敵に回すような発言をしたのかと言えば、ただの自暴自棄だった。殺されて壊されて隷属させられて、諦めて従っていたと言うのに、その主は呆気なく死んだ。徹底的に壊されたレジーナが支配から解放されても、喜んで元に戻れるわけもなく、どうすれば良いのかが分からなくなって、何もかもがどうでもよくなって、自暴自棄を起こしたのだ。


「ふざけないで、あの秋ちゃんが魔王だなんてあり得──」


 夏蓮が食い下がったそこで、哄笑が木霊する。

 静かに、けれど苛烈に繰り広げられる言い争いの場には良く響き渡った。



 僥倖だった。喜ばしかった。とても都合が良かった。

 親しい人物とどのように敵対して良いかが分からなかったから……殺さなければならない理由を説明している暇もなかったから……だから、こうして敵対しようと相手から行動してくれるのは、本当にありがたかった。


「あぁ、そうだ。俺は人間じゃない。しかも魔王だ」

「……あ、秋ちゃん……?」

「やはりそうであったか、この化け物め! 人間に化けて何をするつもりだったのだ!」


 相手が何を考えて自らの正体を明かしたのかは分からないが、こちらの主張を認めてくれるのならばそれに乗らない手はないと、元エルフの王はすかさず責め立てる。


「そこの教皇様が言ってくれただろう、エルフの王様? 喰うんだよ。……あーあ、それにしても、運命を視る事ができる奴がいるなんて聞いてないぞ。おかげで俺の計画が台無しだ」


 そこで元エルフの王はふと気になった。秋を責め立てるこの場には相応しくない問いかも知れず、自分の正体をバラす事に繋がる問いだが、正体に関してはダイロンが余計な事を言ったせいでバレてしまっているようだから構うまい。この問いの答え次第では上手くいけばいい材料になるのだから。


「そう言えばそなた、あの時、余に謁見した時に連れておった女子共はどうした? やはり食したのか?」

「ん、あぁ、そうだな。喰ったよ。非常食だからな、喰わなければ意味がないだろう?」


 秋は少し戸惑ってから答える。

 そんな様子に、嘘を感じ取った元エルフの王だったが、世界の存続のためだ。詳しく問い詰めて、正義の片鱗を暴くわけにはいかなかった。


「……ふむ。なれば言い争いの意味はなかろう。聞いての通りこやつは悪逆非道な魔王である。早急に討伐せねばならぬのだ! いくぞ、皆の者!」


 元エルフの王の言葉に従って武器を構えるのは、クルト、オリアル、ルージュ、教皇、レジーナ、ディニエル、ダイロンの七人。


「…ルージュ、なに武器なんか構えてんだよ?」

「言っただろ? たとえラモン達の仲間だとしても、盲目的に信じず警戒しろって。そう人に言うからには自分もそうしねーといけねーだろうから、あたしはそれを行動に移してるだけだ。安心しろよ、命のやり取りをするほど本気じゃあねーよ。ただ、戦ってあいつの動きを間近で見て、まともな奴かどうかを確かめてぇだけだ」

「…本当だろうな? 本当ならそれでいいんだけどよ」


 教皇達と一緒になって武器を構えているルージュの手首を掴んで止めるラモンだったが、至って真面目な表情で言うルージュを信じてすんなりと引き下がる。引き止めはしたが、そもそもルージュ達程度で秋をどうこうできるなどとは思っていなかったのもすんなり引き下がった理由の一つだろう。

 ……が、もう一方ではこうも簡単に話が進んでいなかった。


「な、何してるのさクルトにオリアルさんっ!? 相手はクドウさんだよ!? ボク達の友達じゃないか! 仲間じゃないかっ! 魔王だからって問答無用で容赦なく討伐する必要ないじゃないかぁっ!!」


 当然かのように武器を構えるクルトとオリアルを、アデルは叫ぶように引き止める。


「アデル。クドウさんの言葉を聞いてなかったの? それとも理解できなかったの? クドウさんはフレイアさんとかセレネさん、ソフィアさんを非常食扱いして喰ったんだ。話し合う余地はないよ」


 叫ぶアデルに、クルトが振り返って冷たくそう言い放つ。

 考えた結果のような口振りをしてはいるが、もはやクルトの思考はまともと呼べる働きをしていなかった。


 こちらを見ていなかったアデルから何かを察して諦めたつもりでいたが、なぜだか再び火が着けられてしまっていた。


 強く強く、もっともっと、もっと強く。大丈夫だ。自分は賢者でもあり、魔王でもあるんだ。眼前の魔王が黒龍や白龍にダンジョンマスターを手懐けるような相手であっても、御伽噺にされる存在の力をもってすれば勝てる。具体的な勝利の未来は欠片も見えないが、きっと勝てる。

 そして強さを証明して、余所見をしているアデルの視線を無理矢理にでも奪い取って、そして──そしてどうするのだろうか?


 アデルと一緒にしたい事なんて簡単に思い浮かべる事ができたはずなのに、何一つとして思い浮かばない。それどころか、今までどのようにしてアデルと関わってきていたかすらもが分からなくなってきていて、考えれば考えるほどに何もかもが消えていくような気がして、クルトは考える事をやめた。


「それがフレイアさん達だって決まったわけじゃないじゃんか!」

「じゃあフレイアさん達はどこにいったんだろう? クドウさんと一緒にオリヴィアさんの屋敷で暮らしてた人……ニグレドさんやアルベドさん達が、クドウさんが失踪すると同時にいなくなってるんだ。元々クドウさん繋がりで屋敷に住んでたんだからクドウさんと行動してるのはほぼ間違いない。その点で言えばフレイアさんがどうなったのかは分からなくなるけど、少なくともニグレドさんやアルベドさんはクドウさんと行動を共にしていて、さっき言ってたように非常食として喰われてしまってるのは確かだろう」

「クルトの言う事ももっともだが、そもそもお前達勇者と賢者、神徒が存在している理由は魔王の討伐だ。魔王の善悪に問わず討伐するのが使命なんだ。……確かに私にも少しはアデルの気持ちが分かった……無害な魔王ならば生かしておいてもいいのだとな。……けれど、アルタのような邪悪で凶悪な魔王かも知れないと考えてしまえば、不安の種が発芽してしまう前に処分するべきだと思うんだ。だからお前がなんと言おうと私は戦う。止めたければ力尽くで止めてみろ」

「……そんな……でもぉ……でも……っ!」


 クルトに言い負かされて、オリアルに言い返せなくて、それでも諦めて認めたくなくて。

 魔王が必ずしも悪しき存在ではないのだと信じたくて……それが『強制の称号』による思考操作から抜け出す要因の一つでもあったから、魔王を始末したい神々の意向にそぐわないものなのだと理解していたから、だからアデルは認めたくなかった。

 どれだけそうしていようとも、言い返せなければ終わりだ。止められない。


 ハッとして顔を上げ、秋の安否を確認して安堵して、そして左右を見回してラウラまでもがクルトとオリアルの隣に立っていない事に安堵して、そして立ち上がり、アデルは秋に歩み寄って話し合いをしようとする。


 けれど、アデルからそんな気配を察したのか、秋は遮るように哄笑を上げてこう言った。


「くくく、ふはははは! いいぞ、かかってこいお前達。俺は魔王だ、お前達人類を脅かす脅威だ」


 両手を広げて笑うその姿は、まるでアルタのようだった。何か目的を持って行動しているようで、この状況を楽しんでいるようでもあって……けれど、そこにはアルタとの明確な違いがあった。


 それは悪意の有無だ。

 アルタは肌で感じられるほどに濃密で悍ましい悪意を漂わせていたが、秋からはそう言った気配が微塵も感じられなかった。悪意を漂わせようと頑張っているが、わざとらしすぎてどうしてもそれが嘘のように見えてしまう。

 さらに言えば、秋にはあまり余裕がないようにも見えた。焦っているような慌てているような心配しているような、そんな悪意とは程遠いものを抱いているような感覚がした。


「……クドウさん……」

「俺は空島の魔王城で待っている。死にたくなければ殺せ、殺しにこい。さもなくば、俺がお前達を殺して喰らい尽くす」


 秋はアデルを無視する。


 大丈夫だ。校長や教師にすらまともに敬語を使わないような、そんな傲慢な人間だと思われているはずだから。

 自己中に振る舞おうとして、それができなくて、傍若無人な振る舞いばかりして……だから無視をしたって違和感などはないはずだから。


 だから落ち着いて思考して行動する。嘘が下手くそな自分だからこそ、思考して、一挙一動に気を配り、道化を演じて欺かなければならない。


 言動から意識を逸らして脅威と恐怖を植え付けるためにも、転移で魔王城密集地帯へと移動するのではなく、翼を生やして飛び上がった。

 魔物の部位をそのまま生やしたりはせず、自分の肉体を自分の意思で操作して、恐怖心を煽るような悍ましい翼を生やして飛び上がるのだ。


 地面と足が離れ、あの場にいた全員の視線を一身に受けて、そして、夜空に浮かびながら疑似太陽の光を受け続ける魔王城密集地帯へと秋は帰還した。





~~~~





 空きが飛び去った後には静寂と、黒い渦が広がっていた。恐らくこの黒い渦は空島へと繋がっているのだろう。


「そんな……嘘でしょ……秋ちゃん……」


 呆然と空島を見つめていた夏蓮はそう言って膝から崩れ落ち、両手で顔を覆う。もはや涙など出てこなかった。悲しいはずなのに、その機能が停止したかのように出てこない。


 自分の息子が化け物のような翼を生やしていた事、自分の息子が魔王となっていた事、自分の息子が世界にとっての悪となろうとしている事……そんな諸々よりも、秋を信じてやれなかった事が夏蓮の心に響いていた。

 秋が何を思って何を成そうとしているかの予想も想像もできないし、そうなる前の相談相手にもなれず、こんな風に行動を起こさせている事なども大きかいだろう。


 親失格。


 そんな言葉が過って、ひどく悲しい気持ちになる。焦燥のように胸がいっぱいになって苦しくなって、悔しくて情けなくて不甲斐なくて……これ以上にないほど愛して溺愛しているつもりだったのに、結局その想いは届いておらず、独り善がりなものでしかなかったのだろうか。


「……大丈夫だよ夏蓮。秋は僕と君の子供だ。親として胸を張れるほど寄り添ってはやれなかったけど、それでも秋は僕達の子供だ。僕達が秋の親として誇り高く生きている限り、秋は悪になれない。それを抜きにしても、秋は強いから悪に染まるなんてことはあり得ない。……これは信じる信じないとかじゃなくて、揺るぎない真実だ」


 膝を突いて顔を覆う夏蓮からその手を取って、無理矢理顔を合わせて季弥は言う。


 ズルいと思う。

 普段は不甲斐なくて頼りなくて立場も弱くて影も薄いのに、どうしてこんな場面では的確に突き刺すような激励の言葉を投げてくるのか。

 そんな言葉をかけられたら、縋って依存してしまいそうになってしまう。

 泣きつきたくて仕方ないけど、そうしてしまえば円満な夫婦関係を保てなくなってしまうから、我慢しなければならない。


 本当にズルい。意地悪だ。


 夏蓮は両手を捕まれているため軽い頭突きを季弥に食らわせて、頭と頭がぶつかる僅かな間に「ありがとう季弥さん」と小さく呟き、季弥が「いて」と頭を押さえている隙に立ち上がる。……季弥の事だから、感謝の言葉は聞き逃している事だろうと、赤面した頬を叩いて気持ちを切り替え、夏蓮は言った。


「アデルちゃん。秋ちゃんの事を心配してくれてありがとうね。……でも、優しさだけじゃ反抗期の子供の教育はできないの。だから、親として情けないのを承知でお願いするけど、秋ちゃんへのお仕置きを手伝ってくれないかしら? なんでこんな悪い事をするのってガツンとお説教してあげましょう?」


 夏蓮は唇を噛んで俯いたままのアデルに腰を折って手を差し伸べる。


「クドウさんのお母さん…………うん、そうだね……そうだよね! どうしてあんな事を言ったのか問い詰めて怒ってやらないとダメだよね! ボクで良ければ力になるよ!」

「ありがとうアデルちゃん! あと、クドウさんのお母さんじゃ長いから、夏蓮で良いわよ。……それともお義母さんって呼ぶ?」

「お義母さんって……それじゃまるで……っ。 夏蓮さんって呼ぶよ! 呼びます!」

「あら、アデルちゃんぐらい良い子ならいつでも大歓迎よ?」

「えっ……そ、それは……えっと……ちょっと考えさせてくださいぃっ」

「良いお返事を期待してるわね」

「……夏蓮……流石に冗談だよね?」

「半分ね」


 戦場には似つかわしくない何気ないそんなやり取り。クルトはそれを耳にして憎悪する。どこからか差し込んでいる希望の光に迫る影を疎んで憎む。顔を歪めて睨み付ける。

 そうしながら、クルトは黒い渦へと歩みを進め、沈むように消えていく。それに追随して元エルフの王、教皇、オリアル、レジーナ、ディニエル、ダイロン……と渦に消えていく。そして置き去りにされるのも困るからとアマリアも続き、その後にエルサリオン、全身鎧と続く。


「ああもう! 考えるのは後回しにして! 聞いてたよねみんな!」

「…おう。アキの尻を引っ叩きにいくんだろ? 敵対するんじゃねぇのなら俺ぁ別に構わねぇぜ」

「私も構わない。それに、クドウがどうしてあんな事を言ったのか気になるし、お仕置きぐらい……いや、お仕置きできるからこそ喜んでやらせて貰う」

「わたくしもですわ。あのクドウさんがお尻を叩かれている姿を見てみたいんですもの。同行するに決まってますわ」

「皆さん積極的ですね……何か恨みでもあるんですか? ……あ、もちろん私も行きますよ。神徒として、少しは魔王にお灸を据えてやらないとですから」

「ラウラ。別にクドウに恨みはないが、クドウには驚かされてばかりだからな、少しは仕返しをしてやりたいんだ。分かるだろう?」

「は、はぁ……」


 やけに積極的なラモンとマーガレットとエリーゼに苦笑を浮かべながらラウラが尋ねるが、マーガレットから返ってきた言葉にその表情を塗り替えられることはなかった。


「よしじゃあ久し振りにみんなで冒険だね。目的は悪者ぶってるクドウさんにどうしてこんな事をしたのか問い質して叱ること! おっけー?」

「…おう」

「あぁ問題ない」

「おっけーですわ」

「はい!」

「うん、なら行こう! クドウさんのところへ!」


 そう言ってアデルは黒い渦へと飛び込む。この先が海底だとかマグマの中かも知れないなどとは微塵も思っていない様子だ。それに続いて夏蓮、季弥、ラモン、エリーゼ、ラウラと飛び込んでいき、最後にマーガレットだけが残った。


「何をボーッとしているんだ、ブラン達も一緒だぞ」

「え? でも私達まで行ってしまったら最果ての魔物に割く戦力が……」

「そんなのは良いんだ。それよりもさっさとクドウを改心させてクドウと共に戦った方が確実だ。見ただろう? あの炎の巨人を一瞬で葬り去ったクドウの実力を。友情につけこむようで気が引けるが、クドウなら私達を相手にあそこまではできないはずだ。そこを突いて、改心させられれば私達の勝ちだ。分かるだろう?」

「……友人なら本気で殺しにかかってこないはずと……そう言う事ですね? マーガレットさんにしては芯のない曖昧な思考ですけど、分かりました。この状況下で堅実さなど無意味でしかありません。一か八かの賭けに乗りましょう。……いいですね、ノワール、ルージュ、アジュール?」

「えぇ、ブランの判断なら従うまでよ」

「あたしもだ。たいちょーの決定は絶対だからな」

「こんなのウチらに拒否権ないじゃないッスか……良いッスよ、分かりましたッス!」

「無事全員の了承も得られましたし、行きましょうか。皆さんが待っていらっしゃるはずですから」

「無事……と言えるのか……?」


 黒い渦へと進むヴァルキリー達に首を傾げながらマーガレットはそれに追随する。


「……お姉ちゃん、僕達も行こう」

「当たり前だよ。お兄ちゃんが間違った事しようとしてるのにこんなところでボーッとしてられないもん。……さっきお母さんに怒られたばっかりだけどね」

「えーっと……ステラはどうする?」

「私は……」


 春暁の問いにどう答えたものかとステラはミアに振り返る。

 ミアは目を閉じて少し考え込んだ据えに、溜め息を吐いてから頷いた。

 友達から離れさせてこの場に止めさせる方が危険だと判断したのだ。もう有象無象の最果ての魔物がいないとは言え、フェンリル、ヘル、ヨルムンガンドと言った脅威はいるのだから、少しでも人の多い場所に向かわせた方が良いと考えたのだ。そもそも、こんなところに来ておいて危険な真似をするなと言う言葉が意味を持つわけがないのだ。


「私も行くよ!」

「うん、そっか。それじゃあ僕達も行こう」

「お兄ちゃんにお仕置きする事になるなんて思いもしなかったなぁ」


 ステラの答えを聞いた春暁を微笑みを浮かべてそう言い、振り返って黒い渦の向こう側へと足を踏み入れ、それに続いて冬音が困ったように呟きながら、ステラが嬉しそうに笑みを浮かべながら足を踏み入れた。



 地上に取り残されたオリヴィアとミアの二人。


「……私ってやっぱりダメな母親よね……はぁ……行きましょうお母様」

「いえ、私はここに残ります」

「え? 何でよ?」

「私もやんちゃな息子を説教をしてあげないといけませんからね。……さぁ出てきなさいステイル。コソコソしているのはお見通しですよ」


 オリヴィアが周囲に散乱した瓦礫の一部に声をかけると、その部分の瓦礫が押し退けられ、瓦礫があった場所から老け顔の男が姿を現した。


「お、お兄様……」

「……よぉミア……その……なんだ……どこかってのはここだったらしいな」

「…………」


 拙い笑みを浮かべながら片手を上げてやってくる【冒険王】──ステイルにミアは俯いて肩を震わせるばかりだ。


「すまなかった……あれからよく考えてみたんだが、皆殺しにされたから皆殺しってのはやり過ぎだったと思う。……けど、もうやっちまった事はどうにもできねぇんだ。……本当にすまねぇ……」


 無反応のミアが怒っているように見えて、ステイルは咄嗟に謝罪する。けれど、失ってしまった命はどうする事もできない。考えて過ちを認めて謝罪をすれば、取り返しのつかない事をしてしまったという、うすら寒いものが背筋を撫でていた。

 ミアとの仲直りは不可能で、修復が不可能なほどの兄妹の仲が壊れたままなのだろう。最悪な未来が目の前に見える。……けれど、運命と違って未来はちょっとした事で簡単に変わってしまうものだ。だから、目の前に見えるその未来は幻も同然で、実際にその未来は訪れなかった。


 代わりに訪れたのは、不意にやってくる胴体への鈍い衝撃だった。腹部に鉄球を投げつけられたかのような重い衝撃だ。


「……いいわよ、もうそんな事なんて……そんな事より、お兄様が生きて良かった……っ」


 見れば、ミアに抱き締められていた。ミアは静かに涙を流しなら、兄の存在を確かめるようにステイルの背中に回した腕を動かしていた。


「おう。俺は生きてるぜ、間違いなくな。……にしても、相変わらずお前は声を出さずに泣くんだな。もっと声を上げて泣けば気分も晴れるだろうに」

「うるさいわよ……王族たるもの、みっともなく泣き叫んだりできないの」


 戯けるように言うステイルの胸に頬を当てながらミアは拗ねたように言う。


「私は結構最近大声で泣きましたよ。前に一度フレイアが盗賊に攫われた事がありましてね、その時、無事なフレイアを見て、フレイアと一緒にわんわん泣き喚きました。しかも人前で、です。母親の私がこんななのですから、ステイルとミアも大声で泣いても良いんですよ。子供は親を見て育つのですから」


 二人の頭を撫でながら、オリヴィアは優しく言った。


 懐かしかった、安心した、落ち着けた、不安が吹き飛んだ、堰が切れた。

 久し振りに感じられた母親の大きさに、包まれるようにして、二人の大人は子供のように泣いた。周囲に人目がなかったのは幸いだった。





 黒い渦を通り抜けてやってきた空島は、一言で言えば異様だった。遠くからも見えていたが、一国に一つだけあるのが普通の城は幾つも建てられているのだ。それ以外は申し訳程度に設置された噴水と通路と花壇しかない。正直アンバランスだった。


 それが秋らしいなと納得しながら、敷かれた道に従って進み、そして身の丈を悠々と越える、巨人の出入りを想定したかのような扉が開け放たれたままにされているので、空島に建てられた城の中で一番荘厳に築き上げられた城の内部へと歩みを進める。


 秋は焦燥に駆られていたのだ。だから、七つの大罪の固有能力を持たせた蘇生生物が勇者達を待ち構えている、如何にもな状況を作ってなどいられなかった。……秋のステータスを奪って復活を果たしたシュウと邪神が存在しているこの世界で、そんな余裕を見せるほど間抜けではないのだから。


 何事もなく、ただ広いだけの城内を進むアデル達は、やがて城の最奥まで辿り着いた。入り口と違って扉は閉じられているが、開いてしまえば同じだ。


「来たよクドウさん」

「あぁ、わざわざすまないな。魔王が勇者と戦うなら魔王城でって言う拘りがあるから無駄な手間をかけさせてしまった」


 扉を開いた先にいたのは、立派な装飾が施された玉座に座している秋だ。

 アデルは部屋と呼ぶには広すぎる……まさに謁見の間と言えるほどに広い部屋に足を踏み入れながら秋に話しかけ、秋はそれに簡潔に謝罪しながら返答する。


「別にいいよ。歩くだけだったしそんなに手間でもなかったからさ。……それより、クドウさんがどうしてこんな事をしているのか聞いてもいいかな? クドウさんが今言ったような拘りを持つって言うことは、少なくともボクとクルトとラウラとは戦うつもりだったのは分かるけど、クドウさんは命のやり取りまでするつもりはなかったはずだよ」

「なぜそう言えるんだ?」


 顔を少し顰めた秋がアデルに尋ねる。


「クドウさんが理由もなくボク達を殺すわけがないからね」

「それだけか?」

「うん。それだけだよ」

「……そうか」


 良心が痛んだ。

 理由を話して納得させて、合意の上で殺して喰いたいが、そうするだけの時間がない。もしかしたらあるのかも知れないが、相手の動向が分からない以上無闇に時間を費やすわけにはいかない。万が一があれば自分が不利になって、また手の平の上で転がされ、思惑に踊らされる事になるだろうから。


 …以前までは頼れるが気に食わない存在として見ていたから、多少の陰謀ぐらいは見逃しておこうと思って見逃していたが、失念していた。致命的な過ちを犯した。


 相手はこの世界の神々から『狡猾な老賢人(オールドワイズマン)』などと呼ばれて忌み嫌われているペテン師と、存在しているだけで世界を蝕む有害生物だ。


 ──謀略に長け虚言に生き欺き嘲笑うペテン師。


 ──圧倒的な力で全てを捩じ伏せる厄災。


 その者達の企みを見逃して良い道理などなかった。


 見事に騙された、踊らされた、操られた。

 助言をくれるから、反意を見せないから、邪悪な意思を見せないから、自分を信じてくれたから……だから大丈夫だと、安全だと、きっとこの企みも自分のためになる事を考えてくれているのだろうと……安心して信用して油断しきっていた。

 戦いは白の世界から今までの間ずっと終わっていなかったのに、油断してしまった。善にも悪にも変化し、秩序や混沌、破壊や再生を自在に操って、思うがままに状況を展開するペテン師を相手にすれば、一度でも出会って関わってしまえば、自分か相手のどちらかが死ぬまで決して油断してはならなかったのだ。


 だから、秋はもう手段を選んでなどはいられなかった。

 どれだけ印象を悪くして嫌われようとも、本当の意味で死なせてしまわないためにも、ここで殺して喰って魂を保護しなければならなかった。


「ありがとう。でもすまない。理由なんてないんだ」


 すぐにバレる嘘ではあるが、この場を円滑に素早く進めるためならば、一時的な裏切り程度であれば厭わない。


「そっか……それでもボクはクドウさんを信じてるからね」

「…………」


 理由なんてないのだと告げても、アデルは揺るがなかった。

 見覚えがあった。この根拠のない確かな信頼には見覚えがあった。思い出す必要などなかった。大切な人がそうだったから、思い出さずとも重ねる事ができた。

 だから、嫌われるのを躊躇ってしまって何も言えなくなった。だからそのまま行動に移した。目を背けて逃げるようで情けない気持ちを味わったが、構わなかった。


 手段は選ばない。容赦もしない。どれだけ追い詰められて言い返せなくなって言い負かされたって、引き下がらない。


 魂を保護する理由は結局のところ自分のためだが、そんなのは知った事ではない。


 ──フレイアと幸せになるんだと誓った。


 フレイアと結ばれてそのまま生きているのは確かに幸せだが、それだけでは色が足りない。永遠を二人きりで過ごすなどあまりにも虚しすぎる。

 愛する人だけじゃダメだ。親や兄弟姉妹、親友に友人達、名前も顔も知らないただの他人までもが……それらの全てがそこにいて、初めて本当に幸せだと言えるのだ。


 だから秋は腕を伸ばす。


 ──幸せを掴み取るように、眼前の幸せに喰らい付くように。


 季弥も夏蓮も春暁も冬音もステラも、アデルもクルトもラウラもオリアルも、ラモンもマーガレットもエリーゼも、ブランもノワールもルージュもアジュールも、元エルフの王も教皇もレジーナも、ディニエルもダイロンもアマリアも全身鎧もエルサリオンも……この場にいる全員を一口で喰らい尽くそうと腕を変形させて、巨大な口腔に閉ざさんと腕を伸ばして──けれど、それは妨げられた。


 誰かにではない。自分の意思にだ。


「──何のつもりだ」


 秋は邪魔をした人物へと言葉を投げる。

 敵意を察知したのだろう。それまで大人しくしていたクルトから魔法が飛来する。

 一緒に冒険者として活動していた頃からは想像もつかない威力を誇る魔法だ。クルトの努力と成長の片鱗が覗いているそれを簡単に打ち払って良いのか逡巡するが、今はそれどころではないと考え直して断面が露になった腕で消滅させる。


 秋が腕を止めて言葉を発したと同時に、巨大な口へと変形した腕は斬り落とされていた。敵意を察知して即座に攻撃したクルトの魔法が秋に到達するよりも速くだ。……斬り落とされた腕は消失する。蘇生生物を消失させるのと同じように秋が意図して消失させたのである。その頃には出血も収まっていて、秋の腕は元通りになっていた。


「──人質だ」


 秋の問いに答えるのはエルサリオンだ。人質だ、と言う言葉通り、エルサリオンはアデルの首筋に短剣を突き付けていた。

 そんなエルサリオンの言葉に考え込むように、そしてエルサリオンの心を覗き込むように秋はエルサリオンを見つめ続け……そして何かを理解したのか、顔を歪めて言った。


「──あぁ、そうか、そういうことか。最悪な状況だな。俺がどれだけ急ごうとも、俺があの場に辿り着いた時点で手遅れだったわけで、しかもこれでお前には俺が何をしようとしていたか知られてしまったわけだ」


「あぁ、あはは、流石に気付いちゃった? そう、秋君のお察しの通り、僕だよ。転生トラック──略してテントラこと、シュウさ」


 肘を肘置きに置いて頭を抱えるような仕草をして秋が言うと、エルサリオンは口調を崩して、さらには自分の体の形まで崩してそう答える。

 バラバラと、殻を剥がされていく卵のようにしてエルサリオンの皮膚が剥がれていき、体の形が崩れていく。そうしてやがて現れたのは、エルサリオンの中身が自己紹介した通り──シュウだった。


「いつからだ? いつからエルサリオンに寄生していたんだ?」


「ついさっきだよ。秋君は見てなかったから知らないだろうけど、エルサリオンが黒いシミになったアルタに触れた時さ。まず、元々僕は邪神の体内で瘴気の一部になりながら邪神と一心同体になりながら行動していてね、邪神が放った瘴気のドームに紛れてアルタを覆い尽くし、そのままアルタを侵食して、地面に残った黒いシミの一部になっていたんだ。……勇者と神徒と剣神なら分かるはずだよ、見ていたはずだからね」


「あ……」


 アルタの残骸……地面に残った黒いシミを思い出したラウラが小さく声をあげた。


「それから近付いてきたエルサリオンに軽く【思考操作】のスキルを使って、強制的に黒いシミに触れさせて、そこでエルサリオンに乗り移ったんだ」


「あぁ、ラウラの思考を辿って大体は把握した。なるほどな。邪神はともかく、道理でお前を捕捉できなかったわけだ。邪神そのものや、邪神の瘴気に覆われていればお前を見つけ出すことはできないからな」


「そう言うこと」


 納得がいったと言わんばかりに頷く秋はまだ尋ねる。


「一応聞いておくが、人質ってのはどう言うつもりでやってるんだ?」


「もちろん、秋君に僕の言うことを聞かせるためさ。……秋君の目的はこの子達の魂の保護だから、この子達を僕に殺されて魂を保護できなくなってしまうのは困るはずだからね」


「……安易に希望を見出だして縋るものじゃないな。余計に救いようがなくなったように錯覚するだけだった。……それで? お前は俺に何をさせるつもりなんだ?」


 溜め息を吐いて、諦めたように秋はシュウに再び尋ねる。


「この世界の全てを喰らい尽くしてくれないかな」


「は……?」


「この世はもちろん、天国と地獄などのあの世や、神々が住まう世界も……本当にこの世界の全てを喰らい尽くして欲しいんだ」


「……理由はなんだ?」


 世界を喰らい尽くして欲しいと、至って真面目な表情でそう告げるシュウに面食らう秋は、詳細な注文を受けてから、なぜそんなことをさせるのかとシュウにその理由を尋ねる。


「言っておくけど、これは秋君のためだよ」


「俺のため?」


「そう。秋君は恋人と二人きりなだけじゃ真の幸せを得られないと、親や兄弟姉妹、親友に友人、他人がいて、漸く真の幸せを得られると考えている。だから魂の保護をさせてあげてるんだ」


「なぜ保護する必要がある?」


「秋君と僕が戦うからだよ。一億のステータスすら持っていない状態の僕達が白の世界で戦っていた時、何度か世界が荒野に変わるほどの被害を齎していたんだよ? ならこの世界が滅ぶことを前提に考えて、秋君に世界を喰らい尽くしてもらって魂の保護をさせないといけないじゃないか」


「俺のことを考えてるのに、どうして俺と戦おうとする?」


 質問ばかりな自分に気付いて一瞬躊躇いかけたが、シュウと接する時は大体質問ばかりだった事を思い出してそのまま秋は続けた。


「秋君がいつか僕をボコるって息巻いてたし、白の世界での戦いに納得してないみたいだったからね。……って言うのは冗談で、僕には欲しいものがあるからだよ」


「欲しいもの?」


「うん。僕が……僕と邪神がここじゃない世界で得ようとして得られなかったモノだ。どれだけ手に入れようと努力しても、()の他人という立場でしかいられなかったそれが、この世界で秋君という接点を得たことによって手に入れられそうなんだ……秋君から奪い取れそうなんだ」


「お前は俺を脅してるんだから、それで俺に言うことを聞かせて奪い取るってのはダメなのか?」


「秋君は脅しただけじゃそれを絶対に渡さないからさ。それに、そんなやり方は僕が気に入らない」


「お前に渡すぐらいなら世界を喰らい尽くして、お前と戦った方が良いと考えるほどに俺が大切にしているモノってことだってことか」


「そう」


「あぁ、そうか、なるほど。お前が欲しいのはフレイアだな」


 そう言われて秋の脳裏を最初に過ったのがフレイアの存在だった。それ以外の大切なものと言えば自分の命ぐらいしかないが、秋との接点を得て入手の兆しが見えたと言うことらしいので、自然と自分の命を求めている可能性は排除されていた。


「正解。……ね? 僕が脅しただけじゃ絶対に渡さないでしょ?」


「当たり前だ。……まぁ、つまり俺はお前の言う通り、世界を喰らい尽くしてこの世界に存在する全ての魂を保護して、お前とフレイアを懸けて(賭けて)戦わないといけないということか」


「うん、秋君に選択の余地はないよ」


「本当に気に食わない奴だな、お前は。いつもいつも俺を手の平の上で転がしやがる」


「ははは、僕がこの世界の神々にどう呼ばれてるか知ってるだろう? 狡猾な老賢人だよ? こんな若々しい容姿をしているのに老賢人だ。生きた年月で言えば十分に老人扱いされるべきなんだろうけど、それでもこの見た目の僕に老賢人ないよね」


 表情を歪めて言う秋に、シュウは笑いながらそう返す。


「……まぁいい。お前がフレイアを奪うと言うのなら、俺はお前を全力で殺すだけだ。俺をいいように操り、俺からフレイアを奪おうとした報いを受けさせてやる」


 秋は手を伸ばし、再び腕を巨大な口腔へと変形させる。


「秋君がちゃんと世界を喰らい尽くすのを見届けてからこの子は解放するよ。秋君が僕の言う通りにするしかないのは分かってるけど、一応ね」


 ……と、シュウはアデルの首筋に短剣を突き付けたままこの場所から消えた。どこかへ転移したのだろう。


 それを見届けてから秋は、まず眼前の生物を全て喰らい尽くす。

 肉親も友人も知り合いも、関わりのなかった者達をも、一口で喰らい尽くした。

 関わりのなかった者達に関しては特に何も思うことはなかったが、関わりの深い人物達が自らの手によって命を絶やす様を目にすれば、胸が苦しくて仕方なかった。


 せめて何かを告げてから喰らうべきだったのだろうが、そうするだけの余裕がなかった。

 勇ましくもシュウに啖呵を切ってはいたが、その内心は不安定だったのだから、余裕などあるはずがなかった。


 眼前の生物を喰らい尽くしたその口腔はさらに大きく変化し、自分で創った魔王城を喰らい尽くし、空島をも喰らい尽くす。視界には入らなかったが、ニグレドやアルベド達を喰らってしまったことだろう。


 その辺りからは無心だった。

 何も考えず、喰らって喰らって、喰らっただけ口腔を巨大化させて、喰らう速度を加速させる。


 この世界に生きる生命体を全て喰らい尽くしたとしても世界の全てを喰らい尽くすのはかなり骨の折れる作業となるだろうが、それは世界が意思を持っていなかった場合の話だ。

 意思があるのならそこには命が……魂が存在するのが道理だ。つまり、大地や海を喰らうその行為は、生命体の肉を喰らっているのと同義なのである。


 それまでは生命体の肉だけで構成されていたその口腔は、次第に土や水の姿を見せ始めた。


 世界が悲鳴を上げている。

 世界に存在する全ての大陸が揺れる。海が津波を引き起こす。空が裂けて世界の外側が覗く。世界の各地であらゆる自然災害が発生し、多くの命が絶やされていくが構わない。死んだ生命体の魂は天国や地獄に向かうのだから、それらまでをも喰らい尽くそうとする秋にとっては何の問題もなかった。


 世界を殺して喰らい尽くしてしまえば、世界に内包された全ての魂が保護できるのだから。


 もしあの魔王城でシュウにアデル達を殺されていれば、アデルを人質に取られて脅されずとも、秋は自らこの道を選んでいただろう。

 仮にこの道を選ばなかったとしても、秋の精神が不安定になるなどすれば、フレイアを殺したあの固有能力(生存本能)が強制的に発動させられて、こうなっていたはずだ。


 そう、秋がどう足掻いたって結局はシュウの思い通りであった。


 別世界に干渉できる時空間魔法を、巨大化し続ける口腔へと付与すれば、世界を喰らえば、世界と隣接した位置に存在する天国や地獄、神々の世界すらをも喰らう事ができた。


 もちろん、ただの時空間魔法ではそんな所業はできない。……が、【勤勉】を筆頭とした、固有能力やスキル、魔法の効果などを上昇させるスキルを全て使えば可能だった。

 それだけ秋にかかる負担も大きくなるわけだが、自身にかかっている悪性効果を打ち消したり緩和させたりする能力もあるために、負担は多分に抑えられていた。



 そうして大地を海を空を──木々を草花を──街を町を村を──動物も魔物も幻獣も精霊も──人間も亜人も魔人も──現象を災害を万物を万象を──天国を地獄を神々の世界や神々でさえも──





 ──(なに)もかもを、(すべ)てを(ころ)して()って(うば)()って──





 ──口腔(虚空)へと、世界(せかい)()ざした。

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