第361話 命の集束
アブレンクング王国とミスラの森。その間では激しい戦いが繰り広げられていた。
海に砂の道を生み出して橋を架け、凱旋の如く大陸間を移動してきた最果ての魔物と、壊滅的に微弱な兵力しか持たないアブレンクング王国の戦いだ。
勝敗など考えるまでもなく明らかだ。……そのはずだったのだが、最果ての魔物が潜在的に人類を侮っているからか、主力と言える実力を誇る最果ての魔物は一切戦闘に参加していなかった。
だから、アデル達はもちろん、アブレンクング王国の騎士団ですらまだ生きている。足掻けていた。
人類を蹂躙したくて堪らなかったはずのセトでさえも傍観するにとどまっている。その理由としては、人類の戦力が低すぎるからだ。
こんな少ない数の人間を殺すためにわざわざ行動するなど体力の無駄でしかなく、そのために行動するよりも、もっと人間が集まってからにした方が自分達にとって有益であると、それが最果ての魔物の主戦力となる魔物の考えだった。……セトの場合はこの理由の他にも理由があった。
砂漠での渇きを彷彿とさせる殺戮への渇望は、抑えれば抑えるほどに増大する。
今までそれを嫌と言うほどに味わってきたが、獲物を前にしてその欲望と衝動を抑えれば、それは今までとは非にならないほどに増大していく。増大して、蓄積されて……溜め込まれたこれを一気に発散する事ができれば、いったいどれだけの充足感が襲ってくるのだろうか。そんなのは考えるまでもない。
だから砂嵐を纏ったセトはこの泡沫の如く脆弱な人間をここでは殺さず、甘美なデザートを存分に味わうために渇望で小腹を満たすのだ。
「時間の流れは緩慢に、殺戮の衝動は急激に……あぁ、まだまだだ。この衝動を欲望を抑えなければ……抑えて抑えて……そして、そして、そしてッ! 一気に! 一気にぃ! 殺して殺して殺して! 渇いた俺を血の雨で潤わせ、茶色く汚れた砂嵐を赤色に染め、飛び散った肉塊を喰らって、次の獲物を探して……何度も何度も繰り返してッ!」
セトの感情の昂りに従って、砂嵐は勢いを増して大きくなる。そのせいでセトの周囲に控えている最果ての魔物はいくらかが砂嵐に呑まれてしまい、肉片へ変わってしまった。それを気にした様子もなくセトは続ける。
「……あぁ……想像しただけでも幸せだ。素晴らしい世界だ、本当に素晴らしい。俺をこんな風に生んでくれた世界には感謝するしかない。……そうだ、恩返しでもしてやろう。少しだけなら手の平の上で踊ってやろう。この素晴らしい世界を維持するためにも、滅ぼさせないためにも、邪魔な寄生虫は駆除してやろう。……人間が集まってきたら、勇者共を真っ先に片付けて確実に不穏な芽を摘み取っておこう。それから人間を根絶やしにして、世界が新しく生命を生み出すまで、再び渇望を堪能しよう。そうだ、それがいい。そうしよう」
~~~~
血が舞う草原で、アデルとラウラは戦って戦って……そして疲弊していた。少々息は荒くなっており、足取りも少々覚束なくなっている。
アブレンクング王国の戦力が少なく、後ろに下がって休憩する事もできないせいで、絶えず襲いかかってくる魔物と戦うしかなかったのだ。そして【鑑定】する暇もないおかげで魔物のステータスは分からないが、個々が十万前後のステータスは保有していると言った具合だ。
だが、エルサリオンに囃し立てられて魔物に突撃した騎士団を追いかけてる戦いを始めてから、かれこれ三時間だ。三時間もぶっ通しで十万程度ステータスを持つ魔物と戦い続けて息を少し荒げる程度なのだから、かなり僥倖な戦況ではあるのだが、倒しても倒しても次から次へと魔物がやってくるので際限がない。
魔物を斬り付けながらアデルはラウラへと話しかけた。先ほどから心配で気になって仕方なく、集中ができないでいたためだ。
「ねぇ、ラウラ! オリアルさん達の方はどうなってるかな?」
「あっちも私達と同じような状況だと思いますよ! オリアルさんも遠くから千の剣で戦ってますし、空から赤龍も攻撃してくれています! それに、異常な威力の『ローギ』を使う魔法使いの方もいるようですから、心配する必要はないと思います!」
「うん、だよね、ラウラがそう言ってくれて安心したよ」
「それよりアデルさん、人の事心配してる場合じゃないですって。言っちゃ悪いですけど、こっちは私達以外に戦力になるような人がいないんですから」
「あ、あはは……それもそうだ……ごめんね。集中するよ」
ラウラに言われて考えを改めるアデルは眼前の魔物を斬り捨てて、また次の魔物へと斬りかかる。その立ち回りはただ単純に魔物を攻撃しているだけではなく、味方であるアブレンクング王国の騎士団を庇うようなものだった。戦力にならないとは言え、一瞬でも魔物の相手をして隙を作ってくれるのだから、極力死なせないようにする必要があった。
そもそも、エルサリオンによって焚き付けられた騎士団を助けるためにオリアル達の元を離れてこうして行動しているのだから、死なせてしまっては意味がないのである。
今は耐えるしかない。守るしかない。きっとミレナリアやら、デーモナスやら、ノースタルジアやらから援軍が送られてくるはずだから、だからそれまで耐えて守り抜かねばならない。少しでも後々の戦いを有利に運ぶために。
魔物を殺して騎士団を守って……そうして時間が経過するにつれて、会話する余裕が出てくるほどには慣れてきた。もちろん、最果ての魔物と対峙して最初は苦労した。単純に力量で押されていたのは確かだが、研ぎ澄まされた強者の気配に気圧されて、萎縮してしまったのもあるだろう。
そう、最果ての魔物は強い。だが、その分、倒した時に得られる経験値が多く、どんどんレベルが上がっていく。だから最初に感じられた威圧感も、力量の差もだんだんと縮まってきていたのである。……とは言えレベルアップで疲労は拭えないために疲労は蓄積していき、レベルアップによるステータスの上昇を十分に活かせておらず、適応する速度はかなり遅いものとなっていた。
「何か来ますよアデルさん!」
ラウラが叫び、名前を呼ばれたアデルは視線をそちらへと逸らして何が来ているのかを確かめるが、その先に警戒するに値するような魔物は見あたらない。それに首を傾げそうになったアデルはすぐにハッとして、探知系のスキルを全て使用する。
そうすると、見つかった。地中を物凄い速度で移動している凶悪な何かがいた。気付いた頃にはそれはすぐ側に……アデルの真下へと迫っていた。
「な……っ!?」
地面が隆起して、一瞬だけぬかるんで、そして破裂するように轟音を立ててしょっぱい水が噴き上あがった。飛沫が激しく、水は真っ白に染まって見える。突然の出来事に周囲の人間も魔物も呆気に取られて、或いは怯んでしまって、動きをとめていた。
海水と共に上へ上へと噴き上げられるアデルはその海水の中で影を見た。激しい飛沫と気泡で目を開けているのが辛かったせいで、一瞬しか視界に映らなかったが、確かに影を見た。
勢いが重力に逆らえなくなった海水が空中で途切れ、空中へと打ち上げられたアデルは頭を振って海水を振り払い、地面に衝突する寸前で風魔法を地面に叩き付けて自分を小さく吹き飛ばして落下の衝撃を緩和させる。
そして見上げる。途絶える事なく水が噴出され続ける様を。
そして備える。海水の中で見た影に。
影の形は蛇のようだった。……と言うか蛇そのものだろう。ただ、異常なまでに大きかった。あれぐらいの大きさがあれば、城壁にとぐろをまく事だって可能だと思うほどに。
海水の間欠泉はその勢いのまま地面を削いでいく。徐々に広がっていく噴出口は、何かが通るための道を作っているかのようで、直前に見た影の事もあってアデルはそれから距離を取る。もはや騎士団を守るなどと傲慢な事は言っていられなかった。近付いてくる強大な気配を前にすれば、自分一人すら守れるか怪しかったのだから。
「──オオオォォォォォォォォォォ……」
地の底から、海底から響いてくる何かの咆哮にラウラも距離を取る。騎士団も魔物も未だに身動きが取れないでいるが、その直後にやってくる化け物の事を考えればもう既に手遅れでしかなかった。
地面を削いで広げられた噴出口は、しかし広さが一回り足りなかったのか、天へと昇ろうとする大蛇によって轟音と共に打ち砕かれる。
飛ぶことのできない龍のような大蛇は未だに尻尾を見せず、その青い鱗に包まれながら噴出口から生えるようにして佇んでいる。おかげで海水の噴出はやんだ。
騎士団も魔物も等しくその魔物を見上げる。青い鱗が赤い夕日に照らされて輝いているその様が綺麗だったのだ。紛うことなき脅威だろうことは明白だったが、それでも見惚れずにはいられなかった。
「こいつ……さっきまでの魔物とは格が違う……っ」
「私達じゃ手に負えませんよ、あれ……アデルさん、一旦退きましょう。オリアルさん達の助けが必要です」
「うん……助けられなくてごめんね、騎士団の人達……」
結局無意味だった。救えるはずがなかったのだ。騎士団は自分達の手によって消耗させられて弱体化していたのだから、その代わりに戦う義務があるからと戦っていたが、結局何にもならなかった。過程があっても結果がなかったら、それは無意味でしかない。「こんな事なら最初からオリアルさん達と戦っていれば……そうすれば体力の消耗も抑えられたかも知れない」と考えてしまうそれを振り払って、一心不乱にオリアルの元へと駆ける。
しかし、そこでも同じような最悪な光景が広がっていた。
~~~~
アデル達が騎士団の援護に向かったため、残った者だけで最果ての魔物と戦っていたオリアル達。なぜ騎士団と行動しないのかと言えば、フレデリカ達に壊滅の一本手前に追い込まれるような足手まといを連れて戦うのは愚策だと考えたからだ。……無闇に群れるより、少数精鋭のようにするべきだ……その分負担は大きくなるが、足手まといを連れているよりはマシだった。
「加勢する」
そんな一言と共に一体の魔物の眼球に突き刺さったのは氷の槍だ。槍が飛来してきた方向を見れば、そこにはムササビのようにローブを広げて空を飛ぶカエクスの姿があった。風に吹かれているはずなのに、相変わらず素顔は窺う事ができない。
「一人で行かないでいただけますか、カエクス司教」
「だが、俺が行かねばそこの青髪と全身鎧がやられていた」
カエクスに言うのは走ってやってきたインサニエルだが、息切れ一つしていない。そんなインサニエルに、スカーラと全身鎧の男を指差してカエクスは言い返す。
「お二人とも今はそんな事で言い争っている場合ではないでしょう。ほら、目の前の魔物に意識を向けてください。私は離れたところから皆さんの傷を癒します」
「……聖下のおっしゃるとおりです。いきますよカエクス司教」
「御意」
さらに遅れてきた教皇に咎められ、インサニエルはオリアルの元へと駆け、そして魔物への攻撃を始めた。
インサニエルは短剣と魔法を上手く扱って魔物を捌き、カエクスはムササビのようにあちらこちらを飛び回って空中から魔法を連射する。地面に落ちそうになればそうなる前に魔物の頭を踏み台のようにして再び飛び上がって、空を舞い続ける。前衛が増えたおかげでオリアル達の負担は軽減され、カエクスのような場を乱す存在のおかげで魔物の統率も乱れ始め、先ほどよりも格段に戦い易くなった。さらに教皇のおかげで体に刻まれていた大小様々な傷も癒され、痛みがなくなったおかげで体を動かし易くなった。流石に疲れまでは拭えなかったが、十分過ぎる出来だ。
「お前らはどこで何をしていたんだ?」
「おや剣神様、そんなに睨み付けなくてもよいでしょう? 自分達はただ、街の人々の鎮静化に奔走していただけです」
「なら、お前達から黒い人型の気配がするのはなぜだ?」
「……黒い人型……さて、何の事やら?」
露骨に疑いの目を向けてくるオリアルに、惚けながらインサニエルは返す。そんなインサニエルに尚更猜疑心を強めるオリアルだったが、ブレスを吐こうとするワイバーンに対処するために追求の手をとめざるを得なくなってしまい、インサニエルはそれに乗じてその場を離れ、別の魔物の相手を始めた。
……ちなみにインサニエル達が三時間もどこで何をしていたかと言えば、もちろん自分達がしでかした事の後始末だ。邪神によって黒く侵食されてしまった王都を浄化して回っていたのである。どんどん広がる黒を見れば、それを放置しておくなんて選択は取れなかったのだ。だが、それをオリアルに言うわけにもいかないので誤魔化した次第である。
「……先ほどからずっと思っていたんだが、エルサリオン……お前、そんなに強かったか?」
「これほどまでに強い魔物の相手をしているんだ。レベルの一つや二つは確実に上がっているだろうから、そのせいじゃないか? 俺だってこの体に慣れるので大変なんだから多分そうだ」
「それもそうだが、それだけとは思えないんだが……いや、恐らく私の勘違いだ。集中を乱して悪かった、忘れてくれ」
エルサリオンに違和感を覚えるナルルースだったが、エルサリオンに言われてこれ以上言えなくなってしまい、最終的には誤魔化して話を終わらせた。
どことなく不穏な空気が漂う戦場。それは次第に不穏の色を濃くしていった。それに紛れるようにどこからか漂ってくる腐敗臭は、乱雑に吹き付ける風の中を漂っているために、匂いの元凶を突き止める事ができない。鼻が曲がってしまいそうなほどに異臭の中で、フレデリカは乱雑な風の正体を発見した。
ミスラの森とは反対方向……つまりアブレンクング王国側から巨大な嵐がやってきていた。どこか見覚え……いや、気配に覚えがある嵐だ。必死にと言うほどではないが、記憶を辿って最初に思い至ったそれが正解だった。
ミスラの森とは別の森で、自分達を襲ったあの嵐……アデル達が魔物だと言い張ったあの嵐だ。
「……なるほど、そう言う事ですか」
色々合点がいった。魔物かも知れないと言う疑念はあの気配で確定し、あの時期に現れた事は、今こうして帰って来た事から……そうか、あれは最果ての魔物なのか。とっくの昔に上陸していたのか、と理解できた。
「皆さん、嵐です! アブレンクング王国側に嵐の魔物がいます! この乱れた風はあれによるものです!」
「嵐の魔物だと? いくら最果ての魔物と言えど、災害を模した魔物などいるわけが…………っ!?」
フレデリカの大声での報告に元エルフの王がバカにした様子で言うが、振り向いて、そして見たものによってその口を噤んだ。
そこにいたのは間違いなく嵐そのものだった。王城を悠々と越える背丈で、轟々と音を立てて渦巻いて、王都の建物を吹き上げているのか、周囲には瓦礫が散見される。そしてその残骸は時折こちらへと飛来する。そして、目を凝らして見てみれば、嵐の中心部に菱形の赤い物体が浮いているのが窺えた。
「なんなのだあれは……これまで長いこと生きてきたが、あのような魔物は始めて見たぞ……いや、長く生きたと言っても地上のことなど全く知らぬのだがな……まぁとにかくそんな余でもあれが異質なものなのは理解できる。……そうだ、【鑑定】を使える者はおらんのか?」
「私が使えます」
「なら、彼奴を」
「もちろんです」
元エルフの王にそう言って返事するのは教皇だ。短く言葉を交わして、そして教皇は嵐へと【鑑定】を行使した。
「…………」
「どうだった?」
「……え? な、何……これ……えぇと、ステータスが最も高いもので五百万、低いもので二百万……スキルの数が……大体……ろ、六十程度……固有能力が三つ……です。それと、称号の欄に『淘汰する者』『探求者』『放浪者』『災害』と言うものがありました。名前持ちでも、二つ名持ちでもないようです」
いつもの凛とした佇まいはどこへやら、嵐の魔物を鑑定した教皇は最初こそ絶句していたが、すぐに元エルフの王へ伝えなければと思い直し、戦きながら、働かない頭に鞭打ちながら一生懸命伝えた。
教皇の報告を受けた元エルフの王は教皇と同じく絶句し、それを側で聞いていたアマリア達も揃って呆然とする。
……仕方ないだろう。五百万とか二百万のステータスと言えば、アルタ程ではないにしろ、とてもただの人間に相手できる強さではない。御伽噺に出てくる勇者と賢者がいてやっと同格に至れるレベルなのだから。
「おい、あいつだ! あの泥の巨人がこの腐敗臭の原因だぜ! あんなのがいちゃまともに戦えねぇよ! いくぞサリオン、ギルミア、全身鎧!」
「待て、ソルロッド! 今は後方の嵐を……! ……あぁくそっ! 話を聞かない奴だ! 一人で突っ走るんじゃない!」
「仕方ないよ。ソルロッドは単純だから。それに、臭すぎて集中できなかったらあの嵐もまともに相手できないだろうしね」
ソルロッドが指差して駆け出したのは、腐敗した泥の巨人──グレンデルだ。サリオンは一人で駆け出したソルロッドを追いかけて、ギルミアはその後を追いかけて、全身鎧もその後を追いかける。
たかだか腐敗臭でと思うかも知れないが、緑に囲まれて、綺麗な空気に包まれて生きるエルフにとって、腐敗臭はとても耐え難いものなのだ。
そうして残されたオリアル、スカーラ、モニカ、エルサリオン、ナルルース、インサニエルとカエクスは付近の味方が減ったせいで一気に苦境へと陥っていた。
後衛は突如現れた嵐によって機能を停止させているので援護はない。こんな絶望的な状況下で最果ての魔物に囲まれたままでいるのはよくないのは誰でも分かるだろう。
「スカーラ、モニカ、エルサリオン、ナルルース! あと、インサニエルとカエクス! 戦況が最悪だ、一旦離脱するぞ!」
「「はい!」」
「「あぁ!」」
「分かりました」
「承知」
眼前の魔物との戦闘を強引に終え、他の魔物の間を縫うように移動して、そして一目散にその場を離れる。当然先ほどの魔物は後を追ってこようとするが、人間よりも大きな体躯をしているその魔物は、周囲の魔物に阻まれてそれができない。
最果ての魔物の海から抜け出して草原へと帰って来たオリアル達は魔物の群れの中心部での騒音に耳を向けず、後方に佇む嵐を見上げる。
勝手な行動をしたソルロッド達を助ける気になどなれなかったし、退路を絶つように佇む嵐をそのままにしておくわけにもいかないのである。
「オリアルさーーん!」
「アデルとラウラか。あっちは片付いた……わけではなさそうだな。様子を見るに助けを求めにきたのだろうが、見て分かる通りこっちも問題が発生している」
「あの嵐とあっちの腐敗した泥の巨人……ですよね。泥の巨人の方が弱そうですけど、先に嵐に対応するんですか? 匂いもちょっとキツいですし、先に泥の巨人を倒しませんか?」
鼻を摘まみながらラウラがオリアルに言う。
「泥の巨人はソルロッドとサリオンとギルミア、全身鎧が対処している。あいつらならば倒せるだろうし、あの程度に全戦力を投入する必要もないから私達はあの嵐を優先して倒すべきだろう。あいつがいる限り私達は撤退する事もできないのだからな」
「なるほどね。それで、ボク達だけであの嵐を倒せるのかな?」
「教皇によれば、一番高いステータスで五百万程のようだ。それならさっきまでの二人が力を合わせればギリギリ対処できるぐらいだ。だが、さっきと違って二人ともかなりレベルアップしただろう?」
「うん」
「はい」
「なら大丈夫だ。今のお前達なら慎重に的確に堅実に戦えば問題なく対処できるだろう。頼んだぞ、私達は邪魔が入らないように魔物達を抑えておくから安心して戦ってくれ」
オリアルの言葉にアデルとラウラは思案する。
「ボクの今のステータスは平均で三百万ぐらいで、個々のステータスでは到底叶わないだろうけど、ラウラもいれば……勝てる可能性は高い……よね」
「オリアルさんも言っていますし多分勝てるんでしょうけど……やっぱり勝てる気がしないと言うか……」
どれだけステータスがあろうとも、怖いものは怖いのである。どれだけ強くなろうとも、外面的な脅威があれば怯みもする。それに、アデルもラウラもまだ十代半ばの少女だ。災害相手に勝算があるかどうかを考えている方がおかしいのである。
「うん、大丈夫だよラウラ。あの魔物の嵐の部分が魔法じゃなくてスキルによるものなら、ボクにはどうにかできる。……ただ、嵐を無効化している状態だとボクは剣を握れないから、ラウラに菱形への攻撃をお願いする事になっちゃうけど……いいかな?」
何か考えがある様子のアデルは、ラウラにそう伝える。
正直に言ってしまえば、嵐の魔物の脅威は渦巻く風でしかない。もしアデルが風の膜を無効化する事ができるのなら、後は剥き出しになった無防備な菱形を攻撃すればいいだけだ。……それならば、望みがあるのなら、ラウラはアデルに賭けるしかなかった。
「……あの風の膜を消滅させられるのでしたら、あれに危険はなさそうですね……分かりました、私はアデルさんを信じます!」
「話は纏まったようだな。よし、戦場での長ったらしい作戦会議は命取りだ。行ってこい二人とも」
そうして結論を出した二人の背中を押すようにオリアルはアデルとラウラを嵐へと送り出し、接近してきていた魔物達へと目を向けた。
大丈夫だ。嵐への対策の話し合いの最中に後衛のアマリア達は意識を取り戻していた。前衛のオリアル達も少しではあるが、体力の回復をする事ができていた。万全とは言い難いが、それでも状態は整った。
~~~~
アブレンクング王国へと駆けるアデルとラウラ。事情を知らない者からすれば最果ての魔物から逃げているように映っただろうが、そもそもこの場に他人へ目を向けられる者はいないし、アブレンクング王国に佇む嵐を見れば、逃げるどころか自殺しようとしているのではないかと思われてしまうほどだ。
「それで、アデルさん、どうするんですか?」
「ラウラはボクの神器に盾があるのは知ってるよね、右腕が無くなってからは剣を振るえなくなるから使わなくなったけど……」
「盾……? ……あ、あぁっ! なるほど、だからですか!」
アデルの神器である盾には、自身に向けられたスキルの効果を無効化する事ができる『スキル封印』の効果があった。レジーナとの戦いで右腕を失ったせいで盾を持つための腕を確保できず、一度も実戦で使う事はなかったが、嵐のような魔物が相手ならば有効に使う事ができるかも知れないと。
それを察したラウラは感心したように声を上げたのである。
「あはは、その様子だとすっかり忘れちゃってたみたいだね? まぁ、ボクもすっかり盾の存在を忘れてたんだけどさ。……とにかく、あの風の膜がスキルによるものだったらボクが無効化させられるはずなんだ」
「あれが風魔法によるものだったらどうするんですか?」
「……うーん、ボク達を風魔法で覆って嵐の中心部に無理矢理入り込む……とか?」
「何にもないんですね……でもまぁ、最初から無策で挑むより望みがあるだけ大分気持ちは楽ですね」
そう交わしている内に、気付けば嵐の近くまでやってきていた。先ほどまではあまりステータスの上昇を感じる事ができなかったが、こうしてみるとやはりかなり強くなったのだなと感じる事ができた。
アデルは手にしていた剣を鞘に収め、アイテムボックスから盾を取り出す。久し振りに目にしたこの盾に懐かしさを覚えながら、左手に持つ。長らく手にしなかったせいか手に馴染まず奇妙な感覚がするが、『スキル封印』の効果さえ発揮できれば良いのでそれは構わない。
「じゃあいくよラウラ」
「はい! いつでもどうぞ!」
ラウラに声をかけ、準備が整っている事を確認したアデルは盾に魔力を流す。そうすると目には見えない何かが広範囲に広がっていく感覚がして、そして嵐の風の膜が消失した。
巻き上げられていた瓦礫は風の支配から抜け出して、重力に従って落下し、その中には人間も含まれているわけで「なるほど、王都に誰一人いないのはそんな理由か」「嵐は突如現れたのだからそれもそうだ」と妙に冷静に理解する事ができた。
「やった! 成功だ!」
「行きます!」
喜ぶアデルと、勢いよく駆け出すラウラ。
どうやら赤い菱形が浮遊していたのもスキルの効果によるもののようで、風の膜を消失させたそこには赤い菱形の物体が落下していく様子が窺えた。
あのまま落下すれば砕けて勝手に死んでくれるだろうが、万が一生き残られても厄介なので、万全を期するためにラウラは一直線に、黒い侵食が浄化されたいつもの街並みを駆け抜ける。
「【疾風迅雷】」
ラウラの走る速度が爆発的に増加し、手にした槍に雷が迸る。景色が流れるように過ぎていく。もはや周囲など完全に見えなくなっていた。だからラウラは勘で飛び上がった。
その勘はあり得ないほどに的確で、ラウラの眼前には赤い菱形があった。
それに運が良いなと小さく笑みを浮かべ、弓の弦を引き絞るように腕を後ろに絞り、突き刺すように、抉るように、撓らせて腕を突き出した。岩を砕くような、硝子の塊を砕くような感覚と共にパキィィンと耳に響くような甲高い音を立てて、赤い菱形は砕け散った。
ラウラを襲う膨大な経験値。胸が熱くなるような高揚感は、浮かべていた笑みをさらに深くさせ、口からは「はっ、はっ、はっ」と息切れのようなものが漏れていた。膝を突いてしまいそうになるほどに立っているのが辛くなるが、堪える。ここで膝を突くと暫く立ち上がれなくなるのを知っているから、意地で堪える。
「やったねラウラ!」
「は、はいぃぃ……」
「あれ、どうしたの? ……あぁ、経験値か……そりゃあ災害になるほど強い魔物を倒せばそうなるよね。……それにしても、不思議だ」
「ふ、不思議……ですか……?」
「え、あぁうん。不思議……と言うより理解できない……想像できないって言った方がいいかな……」
駆け寄ってきたアデルは、膝を震わせて自分を抱きかかえて笑みを浮かべているラウラを見てラウラの状態を悟り、うんうんと頷いて、そして思わずと言った風に呟いた。
「言ってもいいのかな……特に口止めもされてないし……いいかな……」
「あ、言っちゃ不味い事なら言わなくても……」
言っても良いものかを考え込むアデルに、未だに高揚感を残したままのラウラが言う。
「いや、大丈夫だよ。意外とすんなり見せてくれたし、クドウさんならこんな事で怒らないだろうから。……えっとね、結構前にクドウさんにレベルを見せてもらったんだよね」
「えぇっ! 本当ですか!?」
「うん、ほんとだよ。思い出したくないだろうけど、ラウラとフレイアがゲヴァルティア帝国の騎士団に襲われた少し前にね」
「あー、そう言えばあの時アデルさんとクドウさんがペアでしたっけ」
「うん、だから気になって聞いてみたんだ」
「そ、それでっ、クドウさんのレベルは幾つだったんですか……!?」
経験値による高揚感とは別種の高揚感がラウラを襲う。わくわくと期待している様子のラウラとは反対に、アデルの表情は浮かないものだった。理解できないものを目にしたかのような、おかしいものを見たような、酷く混乱したような表情だ。実はこの感覚は最果ての魔物と対峙した時から少しずつ募っていた。
今までは、そんなこともあるのかと思っていた。厳しい修行を積めばあの境地まで至れるのだろうと思っていた。ダンジョンでレベル上げをしたら追い付けるのだろうと思っていた。……強い強いとは思っていたが、まさかこれほどまでとは思わなかった。
初めは『ステータス偽装』の一種かもと疑ったが『ステータス偽装』では自分のステータスを本来のものより多く盛る事はできないので、そうではないのだと分かっていた。故に、強力で桁外れなレベルを見せ付けられれば本物なのだと認めざるを得ないのだ。夢だ幻覚だと自分を誤魔化そうとも、根付いた混乱がそれを許さない。
「……2418」
「……え? ……今……なんて……?」
「2418だよ。ボクがこの目でしっかり見たから間違いないよ。クドウさんのステータスの数値までは見せて貰えなかったけど、それでも確かに分かるでしょ? 最果ての魔物をあんなにいっぱい倒しても、災害に至った魔物を倒しても、ボク達はまだまだ1000にすら届いていないんだ。ステータスの上昇には個人差があるけど、そんなの関係ないほどに届いていないんだ……」
自分達のステータスと嵐のステータスを比較して、そんなのあり得ないと分かっていても、災害に至る魔物を倒したラウラなら、もしかしたら何らかの要因でその域まで辿り着けるかもと思っていたが、経験値に悶えるラウラを鑑定して、やはりそんなわけないかと僅かな望みは絶たれた。
「……そ、そんな……明らかに異常ですよ、それ……」
「うん、絶対に異常だよね。でもそれが事実なんだ。……クドウさんがどこで何をして生きてきたのかは知らないけど、この状況なんか目じゃないほどに過酷な環境で戦って生き抜いてきたんだ。そんな異常な場所があるのにもびっくりだし、ステータスが異常なのは言わずもがな……でも、本当に異常なのはそんな環境を生き抜いてきたクドウさんだ」
「……それはそうですよ……最果ての魔物や災害の魔物なんかですら比にならない何かを倒さないとそんなレベルにはなれないんですから……」
ラウラは冷静に突っ込む。
「そんな環境で生きてきて正気を保っているのも異常、変な行動は結構あったけどあそこまで普通の人達に馴染めていたのも異常、そんなになってまで人間の形をしているのも異常……何もかもがボク達からしたら異常に映っちゃう。……それを知っちゃったから、理解しちゃったからかな、今のボクにはクドウさんが危ないものに見えちゃって仕方がないんだ。次に会ったらいつも通りに振る舞えるか分からないほど。……でもね、ボクは信じたいんだ。クドウさんが魔王でも異常でも、今までボク達が見てきたクドウさんはクドウさんなんだって。……ちょっと悪っぽく振る舞おうとしてるけど、根が優しいから不恰好になっちゃって……褒められ慣れてないから、褒めたら挙動不審になっちゃって……何をするにも適度な加減ができない不器用さんで……小さなミスをいっぱいやらかしちゃうお間抜けさんで……自分が周囲からズレているのを理解しているから、誰にもバレないように心の奥底でまともな人間になろうって努力してる、本当は小動物みたいに可愛らしくて弱々しい人だって」
「……ふふふ、アデルさんはクドウさんの事をよく見てるんですね? ……でもまぁ確かにそうですね。クドウさんはクドウさんです。どう足掻いたって完全な悪人にはなれない、不良気取りの子供みたいな人ですもんね。たまに度が過ぎた事をやってしまいますけど、それでもクドウさんは優しい人です。……怯える必要なんかありませんでしたね」
先ほどまでの引き攣った表情はどこへやら、語るアデルはその中で表情を弛緩させ、その様子を見ていたラウラもアデルに釣られて表情を弛緩させる。そして場を和ませるためか、赤面するアデルが見たかったからか、アデルを揶揄ってから真面目な表情で、自分の考えを確認するかのように言った。
「も、もう、ラウラっ……変な勘繰りはやめてよね……!」
「ほらアデルさん、あっちでは今でも皆さんが戦っていますから、早く戻りましょう!」
「あぁー!? ねぇちょっと、聞いてるのラウラ!? ねぇってばぁ!」
赤面して騒ぎ続けるアデルに高揚したものではない笑顔を浮かべながら、決して答えないラウラは軽くなった足取りでオリアル達の元へと急いでいた。……急いでいたのだ。
一目散に嵐へと駆けて、速攻で嵐を斃して、少々語り合っていただけで、それほど多くの時間が経過したわけではなかったはずなのだ。……それなのに……急いでオリアル達の元へと移動していたはずなのに、戦場の様相は先ほど見たものとは一変していた。あり得ないほどに劇的に変化していた。
戦場の中央部……魔物が犇めいていたはずのその場所には、風景画を切り抜いたかのような不自然な穴が空いていた。
どこか見覚えのあるその穴の側には、これまたどこか見覚えのある生き物──キメラがいるのだが、あの時見た姿からは想像できないほどに形を変えており、その印象で、記憶に残っていた原形を、今の姿で塗り替えられてしまった。
戦場の西部……騎士団が戦っていたはずのそこには毒と死骸の海が広がっていた。
最果ての魔物による仕業である事は明らかだが、しかしその毒の海は味方であるはずの最果ての魔物までをも毒殺し、漂流物の形を取らせていた。騎士団が身に付けていた鎧は白い煙を上げながらボロボロに溶かされており、鎧の中身である人体については、骨が皮膚と筋肉よりも多く露出しているような有り様だった。
戦場の東部……オリアル達がいる場所。ここは一番劇的に変化していた。
まず、人間の数が増えていた。だが、オリアル達とその人間達の位置的に見て、お互いの存在には気付いていないようだった。そして、その人間達の内の四人は普通の人間ではなく、ヴァルキリーと呼ばれる種族だったが、ヒト種として見れば同じ人間である。もしやデーモナスからの援軍かと一瞬目を輝かせたが、四人というその少なすぎる数を見ればそうでないのだと考えを改めるには十分だった。
次に、見覚えのある白い狼と黒い狼の存在だ。大陸の中心部に位置するダンジョン内へと逃げ込んで、みすみす逃がしてしまったあの二匹の狼だった。二匹は戦場を駆け回って、的確にオリアル達の邪魔ばかりしていて、オリアル達はとても戦い辛そうだった。やはりあの時引き返さずに無理をしてでも追跡して殺しておくべきだった、とチラリと後悔する。
最後に、綺麗な人間の女性の上半身を生やした醜い怪物と、頭部に牛の角を生やして背中に鳶の翼を生やした女性型の魔物の存在だ。犬の頭部が蛸の足のように生えた醜い怪物は、その足で人間も魔物も区別せずに殺してまわっており、牛角と鳶の翼を持つ女性型の魔物はカエクスのように空中を飛び回り、オリアル達に攻撃を繰り返していた。
たった少しの間離れただけでどうしてこんなにも戦場の様相が変わろうか。状況の把握に数十秒を費やしたアデルとラウラは取り敢えず、問題が山積みである戦場の東部へと向かい、オリアル達の援護をする事にした。
……それに、久し振りに友達と顔を会わせて言葉を交わしておきたかった。