第360話 現も幻も混沌へ
アルタ──魔王の脅威は去った。この場にいる誰もが張り詰めていた空気が弛緩するのを感じていたが、だが、アデル達にはまだ……魔王なんかよりも、もっと大きな問題が残されていた。
「……最果ての大陸の魔物」
そう、一体いるだけで村を滅ぼせると言われている最果ての魔物の存在が残っている。アルタ一人に手こずっていた自分達に最果ての魔物を相手にする事ができるのだろうか。
いつかやってくるのではなく、既にこの大陸に上陸していて、戦闘が避けられないそれを、退ける事ができるのだろうか。
──無理だ。
アルタとの戦闘で心身共に疲弊している今、最果ての魔物に対抗できるだけの働きができるわけない。……もし万全な状態だったとしても、騎士団がまともに機能していない現状ではどう足掻いたって無理……他国の支援があったとしても、足手まといでしかないアブレンクング王国の騎士を連れていれば厳しいものになるに違いない。
それが分かっているから……騎士団を無力化させてしまったのが自分達だから……だから表情が暗くなってしまう。
残骸にまみれ、血飛沫が舞った後が至る所に見受けられる、そんな有り様が広がっているからこそ、瓦礫からはみ出している息絶えた人体の一部が自然なものと化している。……親切な人々の死を認識させる光景の中で、終わりを感じるアデル達は沈む。
「…………」
誰も何も言わない。どう言い繕ったって、どう勇気付けたって無駄なのが分かっているから何も言えない。
暗い静寂に包まれるアデル達の耳に入ってくるのは遠くに聞こえる喧騒だけ。アルタが街中で殺戮を繰り広げたせいで人々は恐慌に陥り、それらを宥める衛兵も人員不足故に何の意味も成さない。
それどころか、衛兵の無能さに怒りを露にする者が現れたり、衛兵の少なさに国の異常を感じ取ってより一層騒ぎたてる者が現れたりと、さらに深い混沌へと落ちていくばかりだった。
……ここまで混沌としてしまえばもう再起不能だ。聞こえてくる喧騒はさらに希望を絶つ。頭の中で、或いは心の中で、ぶちぶちと音を立てて、見せつけるようにまざまざと。幻に過ぎないその音は実際に耳にしたかのように鮮明に聞こえた。
極め付けは、遠くで何かが割れるのが見えた事だった。透明な何かが圧倒的過ぎる質と量に叩き割られたのだ。何が割れたのかを瞬時に理解すれば、元々細かった希望は粉々に粉砕されてズタズタに引き裂かれて、背筋に途轍もない悪寒が走った。戦いで疲弊しているせいか、普段なら耐えられたその悪寒すらも過敏に感じてしまう。
──無情にも終わりはやってきた。
ミスラの森を覆う結界は決壊した。濁流の如き魔物を塞き止める防波堤は崩壊した。光は影へ、秩序は混沌へ、希望は絶望へ。世界が終わり一色に塗り替えられていく様が幻視できた。
空気の変化を察したのか遠い喧騒は止んでいた。今さら落ち着きを取り戻したところで、どうしようもない現状は変わらない。足掻く事すら許されない泥沼に沈むのが止まっただけで、逃げ出せない事に変わりはないのだ。
気味の悪い静寂が、とめられない混沌の中に広がる。結界が叩き割られたと言うのに、魔物の姿や気配は感じられない。ただひたすらにミスラの森に佇んでいるだけなのか? ……そんなわけない。佇むだけなら海を渡る意味が分からないし、結界を破壊した意味も分からない。
意識が魔物の接近を認めようとしていないだけだ。どれだけ視覚や聴覚を遮断しようとも、違和感なく矮小な自分を覆い隠してくる大きな存在は消えない。
「……クソっ! こうなりゃヤケだ! 黙って殺されるわけにはいかねぇんだよぉ!」
威圧感に耐えきれなくなったシュレヒトは吐き捨てるように言って駆け出した。向かうのはミスラの森だ。そんなシュレヒトに触発されたのか、スカーラも拳を握り締めて駆け出す。
この場に残されたのはアデルとラウラオリアル、フレデリカとナタリアにモニカ、エルサリオンとナルルースとレジーナの九人だけだ。教皇とインサニエルとカエクスは気付いた時にはどこかへ行ってしまっていた。
「無謀……いや、でも、戦わなくちゃ無意味に死んでいくだけ……なら、私達の生を証明をするためにも、無謀でも無様でも良いから戦うべき……なんでしょうか……?」
「さぁ、どうなんだろ。抵抗したところで最果ての魔物を退けられなかったら結局は無意味の塊でしかないと思うけど……そこは自分が満足できるかどうかってところなんだろうね。抵抗して自分の頑張りを感じながら死ぬか、抵抗せず自分の無力さを感じながら死ぬか……考えるまでもない……ね。行こう、みんな。無意味でもいいから足掻いて抵抗しよう?」
考え込むフレデリカにモニカが答える。
最後に死力を尽くして戦って、そして達成感を感じながら死んでいくのが、希望も何もない現状で最高にして最適な行動ではないかと。……つまりは、最果ての魔物に人類は勝てないのだから、妥協して自己満足のために抗おう……と、死ぬ前提の思考はそう言っているも同然だった。
いつもならそんなマイナスなイメージを持つ思考は否定されるのだが、この場に今を楽観的に見ている者はおらず、悲観的に見ている者しかいないため、誰にも否定される事はなかった。アデルもラウラもオリアルも、フレデリカもナタリアでさえも否定しなかった。後から行くとは、エルサリオンとナルルースとレジーナ。否定こそしていないが、何か用事があるようで、そう答えていた。
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ミスラの森へと駆けるシュレヒトとスカーラ。その道中には街中も含まれるわけだが、そこで見た街中は予想以上に酷い有り様だった。
不安が不安の重なって大きな不安となって、それが怯えのあまり狂気へと昇華され、発狂した人々は暴動を起こしたのだろう。街中は血生臭かった。人間の死体など当然のようにゴロゴロと転がっていて、内戦でも起きたのかと思うほどに惨憺たる光景だった。……衛兵など、もう誰一人として生きてはいなかった。
そんな人々の恐怖から来る殺し合いを、さらに大きな恐怖で覆ってやめさせたのが、最果ての魔物だ。
募る不安は走る足に枷を嵌めた。
死体の海で足を止めるシュレヒトとスカーラ。体がガクガクと震えて動かなくなる。痺れたかのように感覚がなくなって、周りが見えなくなって聞こえなくなっていく。無意味に死んだ人々を見てしまえば、自分達も生きようと無駄な抵抗をして、満たされていない表情の死体になってしまうのだろうかと想像してしまう。
「……ぅ……ぁ、ぁ……だれ、か……たすけ……」
死体だと思っていた足元のそれは、スカーラの足を掴んで助けを求める。髪は毟られ、服は剥ぎ取られ、皮膚が焼け爛れているせいで出血はなく、窶れたかのように痩けている。
動き出した死体に驚いて尻餅をつくスカーラ。そうして下敷きにしたのは本物の死体。慌てて立ち上がろうとするが、生きていたそれに足首を掴まれているせいで再び死体に向かって転倒してしまう。べちゃりぐちゃりぶにゅぶにゅと、気色の悪いその感触は、極端に心を掻き乱して、とうとう耐えられなくなったスカーラは目尻に涙を浮かべ、「いや……いや……」と拒絶する。それでも構わず切実に助けを求め続けるそれは、駆け寄ってきたシュレヒトに蹴り飛ばされてとうとう命の火を絶やす。爛れていた皮膚から破裂するように血が舞って、死体の海に花を咲かせていた。
咲かせたはいいが、泣きじゃくるスカーラに何と声をかけたらいいか分からない。「大丈夫だ」と慰めようにも、何も大丈夫じゃない現状では無意味な嘘でしかない。
困って困って困ったシュレヒトは、スカーラを置いて走り出した。
どうしようもないのなら、どうにかしようと足掻いても仕方ない。……足掻こうとしている自分がそんな結論を出してスカーラを見捨てて逃げた情けなさに歯を食いしばる。背中には泣き喚くスカーラの声。尊敬して姉御と呼ぶに至っていた人物の声。
どうしようもない現実と、崩されていく理想と、無力で情けない自分が悔しくて、血が滲むほどに唇を噛んだ。
──シュレヒトは一人で草原を駆ける。遠くには生まれて初めて見る砂嵐が緑の森から顔を出すように覗いていた。
沈み行く夕日によって茜色に染まった空が、舞い上げられた砂のせいで汚く濁っている。きっとあの周囲は砂が飛散していて生きる事すら困難なはずだ。あれが最果ての魔物かと思えば威勢の良かった足が竦んでしまいそうになるが、もう止まれなかった。
(クソったれが……本当にこの世界はどうしようもないほど腐ってらぁ。短くて朧気な幸せを掴ませて、未練を生ませて、覚悟を鈍らせて、そして残酷を叩き付ける……争いに生きて、いつ死んでもいいと思ってた俺に輝きを与えておきながら、むざむざと奪い取りやがる。……何がしてぇんだよクソが……! 俺達ゃぁ、てめぇの玩具じゃねぇんだよっ!!)
叫びを堪えてシュレヒトは走る。暗い路地裏のような汚い世界に、輝きを与えてくれたスカーラを堕として輝きを奪ったこの世界を踏み締めながら。鋭い目付きで砂嵐を睨んで走る。
地面を蹴って地面を蹴って、怒りを発散するように一歩一歩に力を込めて……そうして駆けていると、森の中から一体の魔物がやってきた。
その魔物は十数秒でシュレヒトとの距離を詰めて、手の平に握った棍棒を振るおうと、振り上げる。シュレヒトは滑りながらも動かしていた足をとめて、そのままに拳を構えて振り抜いた。棍棒が振り下ろされるよりも速く繰り出されたシュレヒトの拳は緑の人型──ゴブリンの胸を粉砕した。
汚い血液が舞って、拳にべったりと付着する。異常なほどに臭いその血液は鼻をもいでしまいたくなるほどだった。
走馬灯のせいで体感時間が遅くなっているゴブリンと、【共鳴】のスキルで体感時間を共有したシュレヒトは、極端に遅い時間の中で次に迫ってきている魔物へと視線を向けて次の行動に移る。相手の体勢からどんな攻撃をしてくるかを予想して、こう動くのが最適だという体捌きを何度も頭の中で想像して備える。
──何度それを繰り返しただろう。体感時間は一時間程だが、実際には数分程度しか経過していないのだろう。数十体もの魔物を倒す事ができたが、途方もなく続くその、緩慢にして俊敏な戦いは唐突に終わりを告げた。……仕留め損なってしまった。この戦闘を続けるには、相手を殺して【共鳴】のスキルで走馬灯が流れる時間を共有しなければいけない。つまり一度でも仕留め損なってしまうと体感時間の共有ができなくなってしまい、一瞬で通常の時間へ引き戻されてしまうのである。
緩慢な時の流れから、元の時間の流れに引き戻されてしまえば、その急激な流れの変化についていけなくなってしまう。
だから、シュレヒトは周囲の魔物に為す術もなく囲まれて、攻撃を加えられてしまう。蹲って体を丸くして身を固めるが、禁足地に住まう最果ての魔物を相手にそれは無意味でしかなかった。
死骸に集る蛆虫のように魔物達に囲まれて、シュレヒトは骸へと存在を変化させた。
抗った事への達成感などなかった。憖、緩慢な時間の中で戦って、無意識の内に力を温存してしまったせいで、死力など尽くす間も無く死んだ。無力さを感じながら、痛みと共に、何も成せず死ぬしかなかった。
スカーラ達に伝えられるのなら伝えたかった。
どう足掻いても絶望しかなかった、と。
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ミスラの森へ駆けるアデルとラウラとオリアル、フレデリカとナタリアとモニカの六人は、シュレヒトとスカーラが進んだ道と同じ道を進んでいた。
そうなれば、必然とスカーラにも遭遇してしまうわけで、アデル達は泣き喚いているスカーラに遭遇した。
「スカーラさん! ……って、うわぁっ! な、なにここ……人がたくさん……血生臭い……」
「──あ、アデ、ル……さん……っ」
仲間の声が聞こえて、嗚咽を堪えながら振り返るスカーラ。
目元は赤く腫れていて、頬は涙でびしょ濡れだ。衣服の一部にべったりと血液が付着していて、それがこの死体の海のものだと理解するのは簡単だった。
「何があったのか知らないけど、大丈夫?」
「……ぐすっ……ひぐっ……だいじょうぶ、ですっ……」
アデルの声を聞いて、その存在に安心したのか、次第にまともな状態へ戻っていくスカーラは涙を拭ってから立ち上がる。足を掴まれた感触はまだ残っているけど、それでも足に力を入れて立ち上がる。
「そう? 無理しないでね?」
「無理なんかしてないですけど、ご心配をおかけしてすみませんでした。私はもう大丈夫ですから、行きましょう。早く行かないとシュレヒトさんが危ないんですよ。あの人、一人で行っちゃったんです」
「おや、あれあれ、スカーラさんってシュレヒトさんの事が嫌いなんじゃなかったっけ? なのに心配なんかしちゃうんだぁ?」
「……いえ、別に……シュレヒトさんは嫌いですけど、それでも、知り合いが死んじゃうなんて気分が悪いじゃないですか。だからですよ。変な勘違いはやめてください」
戯けるモニカに目を逸らしながらスカーラが答える。その様子にクスクスと小さい笑いが起きて、不穏な暗い空気は少し和らいだ。
──門をくぐって、辺りに広がる草原を見回せば、そこには魔物の大群がいた。あれら全てが最果ての魔物なのだと考えれば顔が引き攣ってしまうが、なけなしの戦力である騎士団も草原にいるおかげで少しだけ勇気付けられた。自分達だけで蹴散らす事ができてしまった騎士団だが、不思議とその存在が頼もしく感じられる。孤独をペットを飼う事で紛らわすとするならばこんな感じなのだろうか。
騎士団の誰かが振り向いて、アデル達に気付くと「あっ!」と大声を上げて指を指してきた。それに釣られて振り返ったものもまた同じような反応をして、それは瞬く間に広がっていった。最終的には指揮官らしき人物すらもが声をあげて指を指してきた。そこで諍いになってしまっても困るので、アデル達は話し合いをしようと騎士団に歩み寄った。
「ボクは勇者としての責務を果たすためにここにいるんだ。大罪人として扱われていたボクが脱獄したのは紛れもない事実だけど、ボクはこの時のために脱獄したんだ。分かって欲しい。……それに、今は大罪人だとか脱獄がどうのこうのって言ってる場合じゃない。ボク達、戦える人間が力を合わせて戦わないとこの国を守れない。だからどうか、寛容な心で今のところは見逃して欲しい。そして一緒に戦って欲しい。……お願いだ」
思ってもいない事がスラスラと言葉となって出てくる。勇者として、勇者らしく振る舞う事に慣れてしまったせいで、他人の心に届きやすい言葉を選べる能力が身に付いてしまっていた。
「……分かりました。我々騎士団はあなたのせいでこのようなお粗末な有り様になってしまっていますが、過去の事は忘れて一時共闘といきましょう。それに、今の我々ではあなたに敵うわけがありませんしね」
「……分かってくれてありがとう。……それで、作戦とか……」
「作戦なんてありませんよ。こんな少人数ではいくら策を練ろうとも力で捩じ伏せられて終わりです。まさに焼け石に水と言うやつですよ。……つまるところ、我々は時間稼ぎのために駆り出された捨て駒にすぎないのです。王は他国の援軍がタイミングよく駆け付けてくれるとでも思っておられるようです。……全く幸せな頭をしておられるようだ。そうでなければ無実の勇者様を捕らえたりなどしませんよ。そのせいで騎士団は壊滅状態なのですから、本当に……」
「良いんですか? 王様に向かってそんな……」
「どうせ死ぬんですよ? どうしたって構うものですか」
ヤケになっている指揮官に引き攣った苦笑いを浮かべるアデルは、作戦もないようなのでラウラ達が待っている場所まで戻って、話の内容を伝える。
「あまりこう言う事は言いたくありませんが、騎士団はいないも同然と考えた方が良さそうですね」
「お。お姉ちゃんもやっと吹っ切れたのかな? やっとお姉ちゃんがウジウジするのをやめたとなれば、妹としては嬉しい限りだよ」
「茶化さないで、こんな状況に陥れば誰だって変わります。……みなさん、覚悟はできてますか?」
嬉しそうに言うモニカに頬を膨らませながらナタリアが言い、そして徐に真剣な表情をしてそう尋ねる。全員が全員の顔を見合わせてから、そして頷いた。死への覚悟は分かった。確認は取れた。
ならばもう臆する事は何もない。
死力を尽くして……命が尽きるまで、必死に足掻いて戦うしかない。
そんな覚悟を決めた時、遠くで魔物が一ヶ所に集まって何かをしているのが見えた。地面に向かって何かをしているようだったが、距離もあるせいで何をしているのかまでは知ることができない。……何にせよ、あそこには近付かない方が賢明だろう。
「これより、最果ての魔物の殲滅作戦を──」
指揮官がそう言おうとしたその瞬間、空に影が過って、どこからか声が聞こえてきた。可愛らしい声ではあるが、紡がれる言葉は凶悪なものだった。
「我が身を焼きて罪を滅する業火の剣、恋焦がれる乙女と化して怨敵を焼き尽くせ──ローギ」
上空に出現する赤い炎の大剣。かなり遠くの空に浮かんでいるはずのそれは、地上にいるアデル達にさえ熱気を伝える。そうして詠唱が最後まで完成させられるとその剣は振り下ろされ、大地を引き裂いて溶かして、最果ての魔物を葬る。
火花が散って、時には炎の塊までもが飛び散って、周囲を焼いて焼いて焦がして、一瞬にして草原の一部を焼け野原へと変えた炎の大剣は消滅する。
それでも最果ての魔物はまだまだ健在だ。焼き裂かれた魔物を補うように魔物は現れて、地形だけに被害が及んだかのように装う。
「これは……いったい何が……」
生きる気力のない指揮官が呟くと、頭上に再び影が過った。先ほどは炎の大剣に気を取られて見上げる事は叶わなかったが、今回ばかりは首を動かす事ができた。
見上げて、そして見たものは、空を飛ぶ蛇──龍だ。夕焼けのような鱗を持つ赤い龍だ。目を凝らしてみれば、その背中には数人の人影があった。流石にどんな容姿なのか窺い知る事はできないが、あの中に凶悪な魔法を使用した何者かがいるはずだ。
……と、そこで龍は地上へと降下してきた。思わず後退りしてしまう騎士団だったが、そんなのに構わず赤龍は地上スレスレまでやってくると、背中の人物達を下ろして、そして再び飛び上がった。
「余は言ったぞ? 最果ての大陸から魔物がやってきておるとな。それを信じぬで疑ってかかってきたのはそなたらだ。文句は言わせぬぞ?」
「何も言ってねぇだろ……しかも「行けば分かる、行けば分かる」とか冷静な口振りだった癖に結構気にしてたんじゃねぇか……」
「それよりも、さっさと武器を構えろソルロッド。俺達は今、最果ての魔物の視線を一遍に受けている。いつ攻撃されてもおかしくないんだ。……さぁ、ディニエル達後衛も早く後ろに下がれ、邪魔だ、危険だ」
ソルロッド達に誇らしげに訴えかけるのは元エルフの王。そしてそれの相手をしているのがソルロッドで、そんなソルロッドを軽く咎めるのはサリオンだ。
「……さ、サリオン!?」
驚いたような声は後方……街へ続く門がある方から聞こえてきた。振り返ってみてみれば、そこにはエルサリオンとナルルースとレジーナがいた。
「兄さん……!」
「俺を……っ! いや、いい。……お前と会うのが久し振りな感じがするな」
「……あぁ、色々あったから俺もそう思う。……っと、それよりも、今は最果ての魔物だ。どうにかしないと、意識改革が成せなくなってしまう。……だろ、兄さん」
「その通りだ。俺達エルフは変わらねばならない。その前に世界が滅ぶなんて論外も論外。本当に話にならない。だから、最果ての魔物はここで一掃する。……いいな、お前達?」
エルサリオンはそう言って、この場にいる全員を見渡す。アデル達も、アマリア達も、騎士団も、全員だ。
「言っておくがお前達に拒否権はない。否定するなら肯定するまでしつこく言ってやる。だがそんなのは時間の無駄だからお前達は肯定せざるを得ない。分かったか?」
「ふっ……はははっ! 流石サリオンの兄貴だ。サリオン以上に容赦のない性格をしている! あぁいいぜ、俺は異論ねぇよ。魔物風情に負けるなんて許せねぇしな」
威圧感を含んで言うエルサリオンに、ソルロッドが大笑いしてから受け入れる。
それから、エルサリオンが一人一人聞き回って無事に無理矢理受け入れさせて、ついでに自己紹介も済ませたところで、全員の前に立って指揮を執り出した。どこか吹っ切れたような、容赦のない勢いだ。
「俺達の目的は最果ての魔物の殲滅だ。ちょっと厳しい環境で育って来たからと調子に乗っている畜生共にヒト種の底力を、どちらが上か、思い知らせてやれ! ……案ずるな。見ただろう、俺達の強さを。炎の大剣に焼かれて裂かれて一瞬にして消し飛んだ最果ての魔物を! 湧いて出てこれなくなるほど何度でも繰り返して根絶やしにしてやればいい! 俺達はヒト種だ。魔物風情に負けてなどいられない! 戦え! 戦え! 戦うんだ!」
全身を使って話すエルサリオン。
「な、ナルルースさん。エルサリオンさん……どうしちゃったんです……か?」
「ディニエルか。……エルサリオンはな、頭がおかしくなってしまったんだ。……私達を支配していた魔王との別れを済ませた辺りからだ。何を思っていたのかは知らないが、さっきまではああじゃなかったんだ」
「そ……そう……ですか……」
話しかけてきたディニエルに心底不思議そうに答えるナルルース。
そこで周囲から、主に騎士団から歓声が上がったエルサリオンが何を話したのかは知らないが、足手まといでしかない騎士団の士気があがったのは喜ばしい事だった。
「突撃ぃぃぃぃいいいいいい!!」
『うおおおおおおおおおおおおおおおっ!!』
エルサリオンがそう叫ぶと、騎士団は大声を上げて駆け出した。統率がとれていないそれは、しかし全員が同じ方向へと駆けていっているために統率がとれているように見える。
「えっと、ボク達はどうしたらいいのかな……」
「そなたらは騎士団とは別行動でよいのではないか? あやつは騎士団を壊滅させるつもりで動かしておるようだしの。特に指示されておらぬ余らは余らで戦えと言う事なのだろう」
戸惑うアデルに元エルフの王が答える。
「なぜエルサリオンさんは騎士団を壊滅させようとしているのでしょうか?」
「さてな。余はあやつではないからな。あやつの思考の全てが分かるわけではない。だがまぁ、味方を故意に始末するなどロクな理由がないのは確かだろう」
それを聞いて、正義の心に火がついたアデルとラウラは顔を見合わせてから、騎士団が駆けていった方へと続く。
「なっ!? ちょっ……! ……いや、落ち着かねば……またあの時のように感情に流されてはダメだ……余は学習するのだ。同じ過ちは繰り返さぬのだ。……それよりも、実力者であるあの二人が抜けたとなれば、色々見つめ直さねばなるまい」
先ほどまでは決して宿ることのなかった炎が、どうして宿ったのかと言えば、驚くべき出来事が何度も連続したせいで、恐怖心が塗り潰されたからだろう。赤龍に、赤龍に乗るヒト種に、炎の大剣に、エルサリオンの変貌ぶり……この短時間でこれほどの驚きが連続すればいつまでも怯えた精神状態を保つ方が難しいと言うものだ。
アデルとラウラの変化の決定打はやはりエルサリオンの変貌ぶりだろう。
エルサリオンの変貌に驚けるほど親しい関係なわけではないが、あんなぶっ飛んだ言動するような人物でないのは理解していた。……とは言え、やはり親しくもないのだから驚きも少ないはずで、それならば炎の大剣の方が驚きは大きかった。
ならばなぜ?
それは【思考操作】が原因だ。『強制の称号』によるものでも、神が直接操作したわけではない。……いや、思考を操作した存在は神にも等しい存在ではあったが、神として生まれた純粋な神ではないのだから、亜神とでも言うべきだろう。
勇者と神徒がここで潰えてしまうのは都合が悪いと考えた亜神は、強引ではあるが、驚愕で恐怖心が薄れつつある二人の思考を操作して、焚き付けて、正義の心をに火を灯したのである。
魔王すらロクに倒せない勇者と神徒の何が惜しいのかは分からないが、その亜神にとっては大きな損失なのだ。アデルラウラに限らず、秋と関わりのある人物はできるだけ死なせないようにしたかった。……けれど、依り代に見合った実力を発揮しなければ怪しまれてしまうため、大胆な行動はできない。だから、亜神はアデルとラウラの思考だけを操作して、希望を失くして全てを諦め、死を受け入れているその思考を振り払った。
「……仕方ないな。騎士団が相手にしていない魔物は私達だけでやろう。前衛は私とスカーラとモニカ、エルサリオンとナルルース、サリオンとギルミアとソルロッドとそこの全身鎧の九人……後衛はフレデリカ、ナタリア、レジーナ、ディニエルとアマリアとサートとディーナとダイロンと王様の九人……合計十八人と言うあり得ないほどの少数だが、私達の大半は個々であの騎士団に相当する戦力がある。だから安心して、そして注意しながら……死力を尽くして死ぬのではなく、死力を尽くして生き延びられるように心掛けて戦え。でなければ終わりだ。人類は滅びて、誰も死後のお前を弔えなくなってしまう。死力を尽くして死んでも名誉を讃える者がいなければ意味がないと言う事を肝に銘じておけ」
「…………」
オリアルの言葉に真剣な面持ちで耳を傾けるフレデリカ達。生きた年月が桁外れに長いオリアルの言葉はどうしても重みがあって、自然と耳を傾けてしまうのだ。先ほどまでの暗い雰囲気はどこへやら、フレデリカもスカーラもナタリアもモニカもいつもの調子へと戻っていた。
「準備はいいな? …………よし、では前衛は私に続け!」