第357話 急襲の暴虐
「……あのさ……私、足手まといじゃないかな……?」
悩んだステラは友達の絆を信じて相談する事にした。優しさで覆われて友情が隠されてしまうかも知れないけど、それでもステラは正直に答えてくれる事を期待してそう尋ねた。
「いきなりどうしたの?」
「さっきは、一緒に旅に行こう、って誘ってくれたのが嬉しくて考えもせずつい受け入れちゃったけど、やっぱりこの旅に私は邪魔なんじゃないかなって思ってさ……だって私には二人みたいに特別な力があるわけじゃないし、今だって足元を見られてバレちゃいそうになったから……その……二人の邪魔になってないか不安なの……」
首を傾げて言う春暁にステラは躊躇いを振り切って正直に答える。話を切り出した時点でもう誤魔化しはきかないのだから、躊躇っていても仕方ないと……そうすれば思っていたよりもスラスラと言葉が出てきた。……けど、ステラのその表情は不安げなものだった。
そんなステラの表情から何かを察したのか、春暁も何かを決めたような真剣な面持ちでステラの問いに答える。
「ステラは足手まといなんかじゃない。そうじゃなきゃこんな危険な旅に誘ったりしないよ」
「……」
ステラは落胆する。懸念していた通り、優しさの毛布を被せられたことに。温かくて安心できる優しさだけど、今は冷えていて不安でしかなかった。
足手まといだと言って欲しかったのだろうか……最果ての魔物が危険なものだと理解しているから、それが怖くなって、足手まといだと切り捨てられて安全地帯に帰りたかっただけなのか……そんな考えがたった今浮かび上がって、さも最初からそう思っていたのように思い込んでしまう。
結局自分がなんなのか分からなかった。純粋に足手まといになっていないかが不安なのか、怯えていただけなのか……前者だと思いたいのだが、否定して欲しかったと嘆いている自分を見れば後者ではないかと思って……自分を理解できない……そんな自分すらも理解できなくて……壊れてしまいそうなほどに何かがおかしくなっていく音が聞こえてくる。
人間と言う一つの存在が壊れておかしくなってしまって、残骸と言う一つの存在に姿を変えるような、そんな根本的に変質していくその感覚はざわめき。笛の音色のようなざわめきは、春暁ではなく冬音から聞こえてくる。
それは幻聴のようなものなのだから冬音に口笛などを吹いている様子はないのは当たり前で、冬音を見つめても自覚がないのか首を傾げるだけだ。
崩壊の始まりを告げるようなそれは、ステラを不安定にするには十分すぎた。
曖昧に、精神が曖昧に、自我も自己でさえ曖昧に、ひたすら曖昧に、音色による空気の振動はステラに響いて歪ませる。幻覚で幻聴で、ただの幻に過ぎないそれが確かに曖昧を齎している。……現実には何も引き起こしていないが、精神と言う不可視には影響を与えているわけだ。沈むようなその感覚に、呑み込まれそうになったところで別の音が、声が聞こえた。少しでも崩壊の音色から意識を離そうと必死にその言葉に耳を傾ける。
「……僕は大切なものを守れるぐらいに強くなったと思うし、その合間にこうして自分のために行動する余裕だってできた。でも、それでも僕は絶対じゃないから、絶対になるために最果ての魔物と戦って強くなる。……ステラだってそうなるべきだ。ステラは失う事の苦しみを知っていて、もう二度とそんな思いをしてほしくないから……そしてステラは強くなるだけの強さを持っていると思ったから……だから誘ったんだ。だから僕はステラの事を足手まといだなんて思ってない。ステラが強いと思ったから旅に誘ったんだ」
必死に聞いたからだろう。常時でも心に響いたであろうその言葉は剥き出しになっていたステラの心によく響いた。その響きは余計なざわめきを掻き消して、新たなざわめきを生み出した。心地好いそのざわめきは温かくて焦げるほどに熱くて刺々しくて甘くて酸っぱくて……不思議な感覚だ。少なくともステラにその感覚を理解する事はできないだろう。
「……ぇへ……そっか……ならよかった…………ありがとね、ハル」
何への「ありがとう」なのか……少し間を置いて、しかし咄嗟に……条件反射的に出た言葉であったためにステラは自分の言葉の意味を理解していなかった。発言した本人にも理解できない言葉が、言葉を投げ掛けられた相手に理解できるはずもなく、春暁は「どういたしまして?」と疑問系で返すしかなかった。
……優しさだけではなくて、先ほどの春暁のその言葉にはステラへの信頼と認識があった。
一度落胆させられて不安に陥ったからこそ、この手の平返しには歓喜の衝撃が大きかった。……もしかすれば自分はこの手の平返しを察知していて、その嬉しさを倍増させようと無意識でいて意図的に不安定な精神状態を生み出したのではないだろうかと錯覚するほどだった。けれども所詮は錯覚だ。現実と虚構を嫌にでも見せつけられた後であれば一目でそれが本物だと分かる。あの幻覚幻聴は心に作用していた本物だ。どれだけ錯覚しようとも拭えはしない。拭えずこびりついたところでどうにもできず、違和感があっても淡々と放置するしかないのである。
「ふふ、春暁ってこう言う真剣な場面で芯のある事を言えるのが格好良いよねぇ……ごめんねステラちゃん。私こう言う場面で気の利いたこと言えないからさ、春暁みたいなしっかりした事は言えない。……でも、ステラちゃんは足手まといなんかじゃないって言うことだけはハッキリ言っておくね。あと、ステラちゃんはステラちゃんが思ってるほど弱くもないからね」
そう言う冬音に春暁の時と同じように答えてから馬車の外へと目を向ける。春暁の能力で生み出した特殊な布で全身を覆ってはいるが、その布は春暁の匙加減一つで自由に変質させられる。そのために、布に覆われたステラ達が窓を覗くように外の景色を見る事ができたのである。
姿が隠れているとは言え、防音の効果まではないために小声だった会話を終えて友達の絆も維持できて信じられて、暫く馬車が街道を進むガタゴトと言う音と、ほどよく揺れる馬車の振動、辺り一面に広がる緑の草原に虚ろになっていくステラの意識。そうしてステラの瞼が重くなり始めたところで、街道の端を歩く二人の男女が映った。
男の方は質素なローブを羽織って、先端に魔石のついた杖を持っている事から魔法使いだと判断し、女の方は犬と猫の耳を持っている混血、と言うようなぐらいしか取り柄のない村娘のようだった。
この周辺に村や町はなかったはずだが、まさか二人で街道を歩んできたのだろうか。魔法使いもそれほど優れているようにも見えないし、前衛も無しに村娘を庇いながら戦えるわけでもないだろう。しかも荷物も持っていないことから魔法使いが時空間魔法で荷物を管理しているのだろうし、荷物の出し入れに魔力を多く消費するはずで、戦闘に割ける魔力はそう多くないだろう。
歪過ぎるその二人に虚ろになっていた意識は醒めていき、ステラはそんな考察をしていた。
そして辿り着いた結論は、盗賊なり魔物なりに襲われて仲間を失ってしまったのだろうと言う事だった。魔法使いが村娘に雇われた護衛だとすればあり得ない話ではない。……と言うか村人と街道を歩く戦士や魔法使い言えば護衛以外に何もないだろう。
騎士団もそんな考えに至ったのか、全ての馬車の進行を停止させて二人に話しかけている。布を被っていてステラ達が乗る馬車から距離もあるせいで残念ながら話し声は聞けなかったが、どうやら同行することになったらしく、後続の馬車へと騎士と共に歩んでいった。それから少しして馬車は再び進みだした。
「……私達もあんな感じで街道を歩いていれば騎士団に保護されて堂々と馬車に乗せて貰えたんじゃ……こんな風に隠れる事もなかったんじゃ……」
「やめようフユちゃん……そんなこと考えても後悔しか残らないよ……! 私達は私達、あの二人みたいに乗せて貰えたかも分からないんだから。もしかしたらアブレンクング王国行きを中断して親探しが始まったりする可能性だってあったんだし……考えないでおこう」
「ステラの方が色々考えてるよね、それ」
「はっ……!? むぅ……年上として恥ずかしい限り……!」
弟の春暁と同い年のステラより考えが足りなかった事を恥じる冬音にステラと春暁はクスクスと笑う。
「ま、まぁそれより、引き返したりしないって事はあの人達の目的地は同じ方向にあるっぽいけど、でもこの先って言ったらフィドルマイアだよね? だとしたら私達のおかげだね。私達がフィドルマイアの魔物とあとついでにグリフォンを全滅させたおかげで、あんな装備の二人でもフィドルマイア通れるようになったんだもん。……そう言えば春暁はレベル幾つになったの? あの時単独で殆ど魔物を倒してたからかなり上がったよね? 少なくともお姉ちゃんである私よりも高くはなってるよね?」
先ほどから年下二人との差を痛感させられっぱなしの冬音は少々の威圧感を込めて春暁にレベルは幾つなのかと問う。
「そう言えば確認してなかったな……えぇと……260……だね」
「え……!? そんなに上がってたの!? 格上だったあのグリフォンを共闘だったとは言え、倒してまだ180ぐらいなんだけどなぁ……」
「格上ならそりゃ経験値は増えるだろうけど、共闘すれば経験値は分散されちゃうからね……分散された文を考えると、多分普通のグリフォンと変わらないぐらいしか貰えてないんじゃないかな」
「そんなぁ……労力に見合ってないよぉ……ステラちゃんはいくつ?」
「この間までは80ぐらいだったけど、グリフォンとその他の魔物のおかげで130ぐらいにはなったよ」
「くっ……私よりもたくさんレベルが上がってる……!」
徹底的に敗北感味わう冬音は膝を抱えて丸まってしまった。もはや年上の威厳などありはしない。それっぽく振る舞おうにもどこかでボロを出してしまうので冬音にはこのような子供っぽい振る舞いがぴったりなのだが、頑なに冬音はそれを受け入れようとしない。
春暁はそんな姉の姿を愛でながら意識を落とし、精神世界へと沈んでいく。馬車でこのまま無益な時間を過ごしていても仕方がないから、少しでもアニマとの親睦を深めておこうと、そう言うわけである。
それからも馬車は進み、日が暮れてきた頃に適当なところを探して野営の準備を進める。幾つもの馬車をバリケードのように円形に並べてその中心にテントなどを張る。そのテントは四人程度が一遍に入れるほど広く、焚き火はテントの数だけあった。魔法使いと村娘は馬車に乗せて貰っている上にテントまで借りるわけにはいかないからと端の方で他のと違って一回り小さいテントを張っている。
そんな中で馬車の荷台に潜むのは春暁、冬音、ステラの三人だ。このように騎士団で密集されればこっそり行動しようにも行動できず、もし馬車から出ようものなら馬車に囲まれている騎士達に見つかってしまうだろう。思ったよりも辛いこの環境。飲み水は水魔法でどうにかなっているが、流石に食糧はどうにもならない。せめて寒さでもどうにかしようと、一度隠蔽の布を消失させて、新たに毛布のような形状に変えた隠蔽の布を出現させてそれを被っている。
「こんなに過酷だとは思わなかったよ……これはミスラの森に向かう前にアブレンクング王国に向かって何か腹ごしらえしないとダメそうだね……」
「流石にこんな空腹じゃ戦いなんかできないもんね。……ステラはアイテムボックスをまさぐって何を探してるの?」
「ん? ほら、私ってお母様と一緒に旅してたでしょ? だからその時の干し肉とか残ってないかなって思ってさ……ん……あ、あった……! はい、二人とも。六枚あるから二枚ずつね」
「「あ、ありがとうステラ!」ちゃん!」
干し肉を手渡すステラに感極まったように例を言う春暁と冬音。一日程度の空腹なら耐えられるだろうと保存食の類いを用意してきていなかったためにひもじい思いをしていたので、二人にはステラが女神のように見えていた。
「ただの干し肉なのに美味しく感じるっ……それにしても、ここって千剣の霊峰の近くだったと思うんだけど、雑木林が広がってるだけで山すら見えないけど、違う場所なのかな?」
「騎士団の人も不思議そうにしてるよね、ちゃんと地図を見て進んできたのに、ってさ。村の人達の迷惑にならないように雑木林の中を野営地にしたみたいだけど、あの村って間違いなく私達が前までいた場所だったから道間違いって言うわけでもなさそう……となると山がなくなった……とかかな?」
「流石にあり得ない話って言いたいけど、フィドルマイアから漂ってきた気配の主とかがやったとしたらあり得ない話じゃない……」
見紛うはずも、見逃すはずもない千剣の霊峰の存在について話し合う三人。馬車の側では騎士団も、魔法使いと村娘も千剣の霊峰について話し合っている。騎士団では「道を間違えた」とか「最果ての魔物に消滅させられた」とか様々な意見が飛び交い、魔法使いと村娘の会話では村娘が「勇者と魔王の戦いの結果として消滅したんじゃないか」と言うが、魔法使いが「この辺りにアデルとラウラの痕跡はない」と言って勇者達について知っていそうな口振りで村娘の考えを否定していた。
色々な憶測が飛び交うのを止めたのは第一騎士団長のマテウスと呼ばれる男だった。この男については、ミレナリア王国にやってきて間もないステラは知らなかったが、『不死身のマテウス』などと言う格好良い呼び名が春暁を惹き付けて、春暁にマテウスについて語り尽くされたために冬音ですら知っていた。
嘗て格好良い二つ名に惹かれて憧れを抱いていたマテウスが目の前に……しかし春暁の胸に憧れを前にした時に抱くドキドキはなく「今の僕ならマテウスにも勝てるだろうか」と言う、自分とマテウスを比較する考えしかなかった。そんな事とは知らないマテウスは「明日近隣の村を訪れて千剣の霊峰についての聞き込みをする」と言って千剣の霊峰についての話題を終わらせた。……最果ての魔物に……勇者と魔王の……などと言う圧倒的強者の影響によって消滅したなどと言う考えが広がれば騎士団の士気が落ちかねないと言う、ドロシーの考えによってだ。決してマテウスが自分の意識で言ったわけではない。
そうして千剣の霊峰についての話題が尽きたところでやってきたのは、千剣の霊峰そのものだった。遠くに見える村が一瞬の内に爆散し、地中から現れたのは山のような巨体……ついこの間まで山そのものだと扱われていたそれだった。轟音は途轍もない地震を伴って野営地を襲う。雑木林は突風にざわめき、大地は振動に割れて幾つかの馬車を呑み込んだ。騎士団とその他は突然の出来事にそれらの音の一として悲鳴を上げた。
そんな中で咄嗟に対処したのは、春暁と冬音とステラの三人と、マテウスとドロシーとレイモンドの三人、優れた点などないと侮っていた魔法使いと村娘の二人だった。そんな八人は突風と地震に耐えて原因を見据えていた。
山の如き巨体は悠久を思わせるほどに厳めしく、剣の如き指先は歴戦を思わせるほどに鋭利で、咆哮の如き欠伸が無精を思わせる。
轟々と地面と空気に鳴り響くその目覚めの上体起こしと欠伸は一瞬にして村及び騎士団に甚大な被害を齎した。
雑木林は馬車の残骸と共に荒れ地と化した。未だに根強く生えている木もあるが、殆どが地面に寝そべっている。
「ドロシー、負傷者の手当てを! 戦える者は突如出現した魔物の討伐に尽力してくれ!」
「言われなくても! 取り敢えず私が負傷者のところまで赴きますが、効率化を図るために誰か負傷者を一ヶ所に運んでおいてください!」
「ガハハ! 久し振りの強敵、年甲斐もなく滾ってきた! 俺だってあの子供に負けてから死ぬ気で研鑽を積んだのだ、それがどこまで通用するか試させてもらうぞ!」
騎士団の主要メンバーがそれぞれ行動すると同時に別の場所でも動きがあった。駆けるマテウスとレイモンドより先に山に到達する爆発。それが放たれた場所には質素なローブから一転、白を基調とした華やかなローブへと着替え、手にする杖も上等な物へと変えた魔法使いの姿があった。
「ラヴィアさん、俺が援護するのであの魔物へ突撃してください」
「はい!? ついに頭がおかしくなったんですかクルトさん!? 私みたいなただの村娘になんて事言うんですか!」
「ラヴィアさんがただの村娘を名乗れるわけがないじゃないですか。それに、私は強い、などと息巻いて旅についてきたのはラヴィアさんですよね? いまさらあの魔物に戦いて、後ろで眺めてるだけなんて許しませんよ」
「うぅ……私の初めてを色々奪っておいてなんですかその対応……この鬼畜クルトさんめ……っ」
「ぐっ……ど、どうでもいいですから早くしてくださいね」
何やら複雑そうな会話を繰り広げる魔法使いと村娘。何の装備もなく山に駆け出す村娘を見送って、魔法使いは山への攻撃を始めた。あれだけの巨体なのだから転倒させればどうにかなるだろうと考えてか、その攻撃は足を重点的に狙って放たれている。
「こうなったらもう隠れてついていく事なんてできないな……」
突風に吹き飛ばされそうな馬車から出てきた春暁が呟く。
「じゃあ私とステラちゃんは後ろから春暁のサポートをするから、頑張ってね春暁。あんな危なそうな魔物の攻撃、一回でも食らっちゃダメだからね! 本当に気を付けて安全に堅実に戦ってね!?」
「フユちゃんは心配性だね……ハルが大事なその気持ちは分かるけど、大丈夫だよ、ハルは強いもん」
何度も入念に春暁を心配して無理するなと言って聞かせる冬音に苦笑いを浮かべるステラはさらりと春暁に自信を持たせる。
「そうだよ、僕は強い。あの魔物は強敵かも知れないけど、僕は強い。僕にはアニマが……初夏さんがいるから、絶対に負けない……負けられない! 僕が死ねば、初夏さんも死んでしまうから。……それに、ステラの干し肉と、お姉ちゃんの応援のおかげで今の僕はこれまでにないほど漲っているから、負けるわけがない!」
「……ハルって強いけど、時々格好つけたがるよね」
「分かる。でもそんな春暁が可愛くて格好良くて私は好きだなぁ。それに、春暁ぐらいの年の子ならヒーローには憧れるものだし、仕方ないね。今しか見れない春暁だから私はたっぷり目に焼き付けておくよ」
「や、やめてよ二人とも……! ……とにかく行ってくるから!」
意気込む春暁を揶揄うように言う冬音とステラに赤面して、春暁はアニマの力で顕現させた剣を片手に山へと駆け出した。そんな春暁に二人で笑い合いながら、しかし真剣に山を見据える。今のところ山に動きは見られないが、いつ動き出しても対処できるようにと一瞬たりとも目を離さずに。
そうして襲い来る敵に気付いたのか、山は気怠げに視線を彷徨わせた。攻撃してくるクルトに、敵意を抱いて駆けてくるマテウスとレイモンドと春暁に……そして最後に、馴染み深い気配が仄かにするただの村娘へと視線を移した。
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「……そうか、一応お前でも命に限りはあるのだな。それが知れて安心した」
「死に行く存在だからって少し話しすぎたかな。……さて、良い冥土の土産も携えたみたいだしそろそろ終わりにしようか。……ありがとう剣神オリアル。君のおかげで、やっぱり僕は進むしかないんだって知る事ができたよ。ありがとう、それじゃあね──」
地面に膝を突いてアルタを見上げるオリアル。何も行動しようとしないその姿勢から、生きる事を諦めたように見えるが、オリアルにその瞳は相変わらず鏡のように無機質に、それでいて強烈に輝いていた。生を諦めるどころか、執着しか見えないその眼差し。
アルタはそんなオリアルの瞳だけを真っ直ぐに見つめて、オリアルの気高いその生き様を全て否定して全て踏み躙るこの瞬間に、今までに味わった事のない刹那的な充足感を感じていた。
しかし、その刹那は幻でしかなかった。
オリアルが掻き消えたそこには黒い曳光だけが残っていた。呆気に取られるアルタだったが、すぐにその表情を憎悪に歪め、愉悦の時間に水を差した愚者を探し始めた……のだが、そんな事をしている暇などアルタにはなかった。黒い曳光は薄れていく事をせず、濃く、太くなっていくばかりで、それを不思議に思って触れようとするが、曳光にあてられた地面が黒く染まっていくのが視界に映って、瞬時にその手を引っ込める。どうにもなっていないかと爪先を見てみれば、手遅れだったらしく先端の部分が黒く染まっており、その黒はさらに広がっていく。背筋を走る途轍もない悪寒に駆られるままに、アルタは黒く染まった爪を剥がす。当然の痛みが走るが、この程度の痛みならば何度も経験したし、焦りによって痛みは全く感じないので躊躇わず次々と剥がしていく。
やがて黒いものが指に達する前に爪を剥がし終えたアルタは額に浮かぶ汗を拭って一息吐いた。オリアルとの戦闘でかく事のなかった汗だ。牽制の意が込められていたであろう、たったあれだけの事で汗が吹き出てきたのだ。いったいどれだけ危険なものだったのかと知りたくなってしまうが、あれに蝕まれれば復活する事はできなくなってしまうだろうと直感が訴えかけてくるのでなしだ。そもそも眼前にあった黒い曳光は跡形もなく消失してしまっているのだから試しようがない。
そこでふと視界の端に当然のように映っている不可解な存在に気が付いた。勇者と神徒がそちらへと視線を向けていたからだろう。
視線の先にいたのは、オリアルを抱き抱えている黒い人型の姿だった。到底この世のものとは思えないその異形は人間だとか魔物だとか影だとか闇だとか……そんな次元に収まる生物では……存在ではないのだと、認識を埋め込まれるように理解してしまった。
あれが黒い曳光を残した何かの正体……触れただけで蝕む恐怖の象徴……ではなぜ、黒い人型の腕の中できょとんとしているオリアルは蝕まれていないのか……オリアルがダークエルフだから? ……違う、あの黒い人型が神経を集中させてオリアルを蝕まないように尽力しているからだ。アルタには知る由もない事だ。
黒い人型はこれ以上無駄に神経を磨り減らすのは少々間抜けが過ぎるとでも考えたのか、オリアルをアデルとラウラの方へ放り投げた。突然の放り投げられた事に頭が追い付いていないオリアルは「ふわあああぁぁ!?」と悲鳴をあげながら落下する。瓦礫の撤去を中断してアデルとラウラはオリアルを受け止めた。
そんなやり取りに視線を奪われていたアルタだったが、すぐに目を離してはいけない存在から目を離してしまっていた事に気付き、視線を戻すが案の定そこに黒い人型はおらず、焦ったアルタはどこに行ったのかと周囲を見回す。
アルタが見回す周囲に走るは黒い曳光。囲まれている……嘲るように周囲を走り回られている。触れれば侵食されてしまうそれに、どうする事もできないアルタは苦々しげに顔を歪め、自分を取り巻く『本物の死』そのものにただひたすら命の危機を覚えるばかりだった。




