第356話 契約と盟友の森へ
やがて、魂が抜けきって壮絶な痛みから解放された秋は、服についた汚れを払って立ち上がり、ルキア以外に誰もいなくなった精神世界へと訪れて、邪神とシュウの不在を認識した。
二人がどこへ行ったのかは分かる。
目的地を変える事なく、半分以下にまで減少したステータスを自覚しながら、秋は魔王城密集地帯で空を進む。
ステータスが半分以下まで減少したと言っても、半分からそれほど酷く減少したわけではない。
全体の六割程度を二人に持っていかれただけで、別に七割も八割も持っていかれたとかではない。
……とは言え、ステータスを奪われてフレイアの完全蘇生という目的から遠ざかってしまったのは事実。……もっとも、その目的自体本当にあるものか分からないのだが、万が一本当にあるものだとすれば、早々に二人を殺してステータスを回収しなければならないだろう。
仮に、持っていったステータスの六割を二人で均等に分けあっているとするならば、四割のステータスが残っている秋であれば一対一で戦えば勝算はかなり高い。
故に魂が抜けきった後にステータスを確認した秋は安堵していた……のだが、たとえ一対一でも戦闘の経験などの、ステータスに現れないものが付き纏ってしまうので確実に勝てると言うわけではないし、精神世界にいた二人は秋が持つスキルについて知っているわけなので、ステータスで勝っているからと油断する事はできない。もっと言えばステータスの他にもかなりのスキルを持っていかれているためさらに勝算は低いものとなってしまっている。
なので、ミスラの森、或いはアブレンクング王国に向かったであろう二人との戦闘を避けながら最果ての魔物を鏖殺して、少しでもステータスを増強して、二人が知らないスキルを手に入れるのが賢明だろう。
……だが、問題はお互いの位置が魂の繋がりによって把握できてしまう事だ。どうやら一度繋がってしまった魂は、今回のような出来事があったとしても完全に関係を経つ事はできないようなのだが……かと言って蘇生生物を回収する時ように、消えろ、と念じても消える事はない。
そんな制限があるせいで最果ての魔物を殺してステータスを増強しようとしている事を簡単に知られてしまうのだ。少しでもステータス間の差を広げたくないであろうはずの二人からすれば、絶対に阻止しなければならない問題であり、逆に邪神とシュウに最果ての魔物を殺し尽くされる可能性だってあるわけなので、元々地獄のような光景が広がるはずだったミスラの森がもっと悲惨な状態になってしまうのは、間違いないと言っていいほど確実に等しい。
そして落ち着いた頃に、なぜもっと多くのステータスを奪わなかったのだろうかと考えて、精神世界の権能を奪い取っていられる時間が限られていてその間にこれだけしか持ち出せなかった……とか、肉体のない魂だけの存在ではこれだけしか持ち出せなかった……などと考えるが、結局それらしい答えは見つからなかった。
第一、邪神やシュウほど魂の存在について精通しているわけではない秋には、この不可解な点について知る事はできなかった。
他にも、なぜ最果ての魔物や勇者、賢者、神徒、などの強い者を殺して秋がステータスを増強した場面で出てこなかったのか……などと様々な疑問は残っているが、いくら邪神とシュウと秋の三人が似た者同士だからと言ったって、完全な同一人物ではないのでそこまで知る事はできなかった。
ただ、二人が本気で刃を向けてきているわけではないのだろうと……何か大きな目的のために利用されて、その目的へと導かれているのだろうと……そしてそれによって齎される結果は、自分にとっても有益なものになるであろうという事も勘でしかないが理解する事ができていた。
……最果ての魔物を鏖殺して……魔王城密集地帯でアデル達と言葉や拳を交えて……神を殺し尽くして……と、邪神やシュウが行動を起こすならそのタイミングだろうと思っていたから、今回の一件は本当に想定外だったと言えた。
なので、どうすれば自分にとって上手い具合に事を運ぶ事ができるだろうかと、親しい人達の様子を流し目に、秋は思考し始めた。
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ラモン達がライリー達と合流して西門からアブレンクング王国へと向かったその頃、ミレナリア王国の王城ではアレクシスが国の重要人物達と会談していた。もちろん最果ての魔物……アブレンクング王国への援軍に関する事についてだ。
第一騎士団団長のマテウス、第三騎士団団長のレイモンド、ミレナリア王国が誇る最高の聖魔法使いのドロシー、その他有力貴族達……そして、それなりに偉い地位ではあるが、この場に相応しくない地位でしかない老婆も居た。
それらの人物は大きな円卓を囲んで誰もが真剣な面持ちをしている。少し前までは騎士団の頂点に立つ者として相応しくない言動をしていたマテウスでさえもだ。何か、マテウスに立場を自覚させて人間的に成長させる出来事があったのだろう。
「──と、以前議題にも挙がった最果ての大陸の魔物が既にこの大陸に上陸している事がアブレンクング王国からの書簡に記されており、現在は事前に張ってあった大規模な結界によってミスラの森に押さえ込んでいる状況にあるようです」
静寂が広がる室内でただ一人口を開くのは、執事のような佇まいの老宰相だ。誰かに仕えるために生まれてきたかのような、そんな礼儀正しさと忠誠しか感じられない佇まい……それが不気味でもあり、同時に美しくもあった。
「なんと……既に上陸しているとは……では急ぎアブレンクングへ援軍を送らねば──」
「待て待て。ミスラの森に張られている結界の強度が分からなければ、結界を破った魔物共がいつ傾れ込んでくるか分からないだろう。もし我々が援軍を出したとて、既にアブレンクング自体が攻め滅ぼされてしまっていれば、アブレンクングとの共闘などは叶わず、駆けつけた我が軍に無用な損害を出してしまう。……まさかこの国の騎士だけで最果ての魔物を相手取れるわけでもあるまい?」
「そうは言うが、もし結界が長持ちしてアブレンクングに加勢する事ができれば、いったいどれだけ大きな恩を売れると思っている? 一国そのものに大きな恩を売る事ができれば我が国はさらに潤い充実し、民衆の暮らしも豊かにする事ができる。……それに、最果ての大陸からの帰還者が誰一人としていないのは、相手のテリトリーに無策で突撃して慣れない大陸で戦い抜こうとする愚行が大きな理由であり、最果ての魔物自体はそこまで強いわけでもあるまい。大規模故に強度や効果が落ちているとは言え、そう簡単に結界が破られるわけがない。我々は知恵ある人間だ、たかだか魔物如きを警戒して、恐れ怯えて暮らすなどあってはならないのだよ」
「確かに我々には知恵があるが、魔物にだって少なからず知恵はある。ゴブリンなどの人型の魔物がその良い例だ。……如何に魔物側に有利な土地で生き抜くなどと言う修羅を行こうとしていたとしても、最果ての魔物を侮っていい理由にはならない。目先の利益に囚われて軽率な行動を起こすのは人間として……いや、人々の上に立つ者として相応しくない。たとえアブレンクングが滅ぶのを見届ける事になったとしても、確実な生存のため、ここは他国の動きを見て、一番安全だと思われる選択をするべきだろう」
円卓を囲む貴族達が口々に言い合い、言い争う。今すぐに助けに行くべきだと言う声と、様子を見てより確実な選択をするべきだと言う声。利益だけを追い求めたその考えと、確実な安全性……保身を追い求めたその考えがぶつかり合い、激しい口論へと発展し始めたところで、国王アレクシスが手を叩いて言い争いを中断させる。
「双方の言い分は分かった。人命を救ってアブレンクングに恩を売るか、様子見をして確かな安全を求めるか……私個人としては後者に軍配が上がっていたのだが……先ほども似たような言い争いをしてな、救える命があるのなら被る損害を厭わず駆け出すべきだとも思い始めたのだ。……だが、もう迷いはしていない。今では前者寄りの考えでいる」
先ほどまではライリー達と言い争っていたアレクシスだったが、ある程度時間が経過し、考えを纏める時間もできたおかげで、自然とライリーの考えも頭に入ってきていたのだ。そしてそれから自分なりに考えた結果として考えを一転させていた。
「第二騎士団長は損得勘定無しで先ほどまでの私に噛み付き、そして騎士団長の地位を投げ捨ててまでアブレンクング王国を救おうと、アブレンクング王国へ旅立って行った」
『なっ!?』
第二騎士団長といえばライリーの事だ。騎士爵という、貴族の中でも一番下に位置するとは言え貴族の地位に就いており、誰の目から見ても分かるほど国王に忠誠を誓っていたライリーがだ。それが人命救助のために今の全てを擲って国を出た。……そんな国王の話に驚きの声を上げるのは、全員ではないが、この場にいる殆どの者だ。先ほど言い争っていた者でさえ驚きを露にしている。
「最初はそうまでしてアブレンクング王国を救う価値があるのか分からなかったのだがな、重要なのは価値や利益などではなく、救えるかも知れない命あると言う事だと。人々の上に立つ我々にはそれを積極的に救う義務がある……たとえそれが他国の者であったとしてもだ。……もし、そうする義務がないのだとしても、まともな人間でありたいのならば助けを求める人命を見捨ててはならないはずだ。命を見捨てず救おうとして不利益を被ったとしても、真に後悔する事はない……そうする事で死んでしまってもだ。だから私は今すぐにでも騎士団総出でアブレンクング王国へ向かうべきだと考えている」
……と、アレクシスは言う。人助けをして命を失った経験があり、二度と人助けのために無茶をするものか、と心に決めていたアレクシスだったが、やはり救える命があるのなら救おうと行動をしたかった自分に気付き、こうして考えを改めるの至っていた。
……だがそれ以上に、前世と今生を合わせればもうすぐ九十歳に届いてしまうほどに生きたアレクシスは、自分より身も心も幼いはずのラモン達までもが人命を救うために危険を冒そうとしているのに、大の大人である自分がこんな情けない姿をさらすわけにはいかない……と、そんな理由が大きかった。
「……それに、レイモンド・シルヴェール、リベルト・リュハノフ。卿らの娘……マーガレット・シルヴェールにエリーゼ・リュハノフ……だったか? その二人も第二騎士団長と共にアブレンクング王国へと向かった」
「なんっ……! ま、マーガレットが……!?」
「……そ、そんな……」
「まだ十六か十七と言った程度の年頃の娘が、多くの人間のために危険の中で行動しているのに、二倍三倍と生きてきた我々が指を咥えてのうのうと様子見しているわけにはいかない。……そうだろう?」
プライドだけやたらと高い貴族を動かすのならば、口頭での説得などより、こうしてしまうのが一番手っ取り早いし確実。それを知っているアレクシスは、レイモンドとリベルトに会談の後で謝っておこうと考えて、マーガレットとエリーゼの話を持ち出した。……結果、効果は抜群だった。自分達よりも一回りも二回りも若い小娘が高い志を持って死地に赴いたとなれば四の五の言ってはいられなかった。
それからの会談はミレナリア王国の全騎士団総出で、すぐにアブレンクング王国に向かうと言う方向で話が進んでいたが、レイモンドとリベルトは終始浮かない顔をしていた。
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王国の重鎮が会する大きな会談の翌日早朝…………ライリー達がミレナリア王国を出た夕暮れ時から大体半日後である。騎士団の訓練所では夜通しで大掛かりな旅の準備がされており、殆どの騎士が欠伸を噛み殺していた。
王城の宝物庫にあった剣、槍、弓、鎧などの武具が一通り持ち出され、騎士団の有力者がそれらを身に付けている。そして一般の騎士が手にするのは全て魔剣だ。この魔剣は昨日の会談の後、アレクシスが老宰相に命じて優良な魔剣を売っていると言われているアルロ武器商店から取り寄せさせたものだ。壊れたとしても必ず返却する、と言う契約でアルロは渋々それを受け入れたのである。
アルロが作る魔剣は性能こそ優秀だが、その性能を存分に発揮させるためにと刀身の形を変えたりしているため、武器の形状が統一されておらず、若干盗賊団のように見えなくもない。
……と、そのように十分過ぎる準備を終えて王都を進む騎士団の馬車。それはぞろぞろと集まってくる人の波を掻き分けながら西門へと向かう。
ちなみに最果ての大陸から魔物がやってきたと言う情報は昨日の会談のあと、老宰相が急いで情報屋などに情報を流して王都中に広めてある。「どうして魔物が上陸するまで黙っていたんだ」と批難を受けないように、アブレンクング王国が情報を隠蔽していたと言う事にしてあるためにそのような謗りの声はある程度抑えられている。……と言うか、そのように国を批難する暇さえなくアブレンクング王国に出立するので、あまり関係のない話であった。
そんな人だかりとざわめきはアイドラーク邸まで届き、庭で遊んでいた春暁と冬音とステラは、人の波を進む騎士団の馬車の数々が、アブレンクング王国へ向かうのだと瞬時に理解した。
騎士団の馬車にこっそり乗って勝手に旅に同行する準備は、扉越しに話を盗み聞きしたすぐ後には終えてあり、いつでも旅立てるようにと必要なものはアイテムボックスに収納してある。
だから側にいた使用人に「騎士団を見送りたい」と思ってもいない事を伝えて「人に押し潰されないようお気をつけください」と外出の許可を得てから屋敷を出て人混みに紛れる。
「ねぇハル、本当に誰にも気付かれないで馬車に乗るなんてできるの? こんな人混みの中じゃ無理だと思うよ?」
「大丈夫だよステラ。僕達は背も低いからこの人混みでもそんなに目立たないし、僕の力を使えば僕達の姿を隠すことぐらい簡単だよ」
「うーん……今になって心配になってきたなぁ……春暁のアニマがちゃんと私達を隠してくれるのか確認しておけばよかったよ」
心配そうに見上げてくるステラに「大丈夫だよ」と返す春暁だが、しかし冬音すらもここに来て不安に思い始めているようで、流石にここまで自分とアニマへの信用がなければ、自分としても不安になってくる。……が、自分とアニマの力を見せた事などそれほど多くないのだから信用がないのも当然であり、そしてこの世界にはスキルや魔法こそあるが、アニマなどと言う力を使う存在は聞いたことがない。そんな未知の力であるアニマをそう簡単に信じる事はできないだろう、と考えを改めて春暁はアニマの力で、自分達の姿を隠せる大きな布を顕現させた。
自分の服の内側に手を突っ込んで、アニマ力で物体を顕現させる時に発生する光を軽減させる。少し光が漏れてしまったが、周囲の人々の視線は道の真ん中を進む騎士団の馬車に釘付けであるために気付かれる事はなかった。
「これを三人で被れば他の人達からは見えなくなるはずだよ。……でも僕達は完全にいなくなったわけじゃないから、人にぶつかったりしたらその感触で不審に思われて、透明な僕達の存在に気付かれちゃうから気を付けて。あ、あと、これは布だから風に吹かれたりしたら捲れちゃうし、布を持ち上げすぎたりしたら僕達の足元が見えちゃうからそれも気を付けてね」
「「分かった」」
布を広げるように持ち上げてその下に潜り込むそれは、例えるならば獅子舞のようだった。だが、これは獅子舞のように目立つものではなく、寧ろ目立たなくなり、誰からも視認されなくなるものである。
アニマの布を被った春暁達は、もし誰かの目に止まっていたとすれば、空間と空間の間に吸い込まれてしまったかのように映った事だろう。……布を被ったと言っても、視界が悪くなる事はない。これは春暁のアニマによって顕現させられた特殊な物質であるために、春暁の裁量一つで都合良く扱う事ができるので、マジックミラーのように布の表と裏を異なるものへと変える事ができた。
布の裾の部分から足が覗いてしまわないよう、体勢を低くして布と地面を擦らせながら歩幅を合わせる。布を引き摺りながら歩いているため、誰かにそこを踏まれてしまい、何度も転けそうになったが、そこは意地で転けないよう体を維持する。
人だかりを掻き分けながら進むと、当然人にぶつかってしまったりするのだが、隠密系のスキルではなく布と言う道具によって姿の隠蔽しているので、ぶつかっただけでは隠蔽の効果は消えない。ぶつかった相手は首を傾げて気のせいかと思うしかなかった。
……布の大きさによって隠蔽できる物を増やす事ができ、外部の生物と接触しても隠蔽の効果はなくならない……まさに大人数でコソコソ行動するのにうってつけだと言えた。警戒するべきは布を捲り上げる突風と足元、見えないが故による他者からの不意打ち的な接触……それらにさえ気を付けていれば自分達の存在を認識される事はないはずだ。
そうして人混みを掻き分けながらとうとう辿り着いた最前列。ガタガタと音を立てて進む馬車が喧しく、周囲のざわめきが小さく聞こえる。これならば馬車に勝手に乗る際に立つ音を掻き消す事ができるだろう。そう考えた春暁は二人に振り返ってから頷いて、頷き返されたところで馬車へと向かう。
如何に隠蔽の布を被っているからとは言え、人の海からはみ出して注目の中心へと向かっていくのは些か度胸が必要なはずだったが、自分の力に絶対的な自信を持っており、こうして行動を起こしている春暁が臆する事はなかった。
堂々と人の海をはみ出して、足元が覗かないように、進み続ける馬車へと乗り込む。常に進む馬車に合わせて、一つの布を獅子舞のように被った三人が慎重に乗り込むのは難しく、一瞬誰かの足元が覗いてしまった。馬車が立てる音が周囲の反応を掻き消してしまうせいで、バレたかバレていないかと不安が膨れてしまう。
「ごめんハル……私の足元見られちゃったかも……」
「まぁ、多分大丈夫だよ。馬に乗って馬車と並走する騎士は前しか見てなかったし、もし周りの人達がステラの足元を見てたとしても、一瞬の事だったから見間違い程度にしか思ってないと思うよ」
馬車の荷台に乗り込んだ春暁とステラは小声でそう交わす。
「……いや、そうでもないよ……運悪く結構な人に見られたみたい。色んな人が「人の足首を見た」って騒いでる」
「そっか……それじゃあ錯覚なんかじゃないって気付かれてるだろうね。バレる可能性を低くしたいから他の馬車に移りたいけど、これ以上大胆な行動をしてさらに話を広げるわけにもいかないし……しょうがないか」
「ごめんね二人とも」
「いいよいいよ、一番後ろにいたせいで私達ほど簡単に乗れたわけでもないんだし、気にしなくていいよステラちゃん」
周囲の音を聞き取った冬音の報告に大して苦々しい表情をすることなく春暁が言い、ステラが足を引っ張ってしまった事に謝罪する。……が、移動し続ける馬車に乗り込む際に一番後ろにいて、必然的に乗り込むのが難しくなってしまうために、気にしなくていいと冬音が励ます。
欲してやまなかった友達からの誘いだからと春暁と冬音の旅に同行しているステラだったが、早くもそれを後悔し始めていた。
春暁はアニマと呼ばれる聞いたこともない特殊な力を持ち、冬音も音の操作と言う珍しい力を持っている……だが、自分はどうだろうか。
幼い頃から多くの魔法を使えて、周囲の大人達から神童だと持て囃されたりしたが、母国が亡国となり、母と世界中を旅して自分より魔法を使える人間などゴロゴロいると知った。
そりゃ確かに小さい頃から魔法を使えるのは凄い事ではあるが、神童と呼ばれるほどではない……あれは王族に媚を売りたい貴族が擦り寄ってきていただけなのだと、成長したステラは察していた。
今も同年代の子供達と比べればかなり優秀な方ではあるが、隣にいる春暁と冬音と比べればまだまだで、大人達からすれば児戯と言ってもいいほどに拙いものだ。
もしかしたら自分は足手まといなのではないだろうか。……そんな不安がステラの胸中に渦巻いていた。
春暁と冬音にその不安を打ち明けても、二人は優しいからきっと「全然そんな事ないよ」と言ってくれるのだろう。二人と接する身としてみれば安心できる言葉ではあるが、なんでもかんでもその優しさで覆い隠されてしまえば、二人の本心が分からなくなってしまう。
やっとできた友達なのに、友達であるが故の善意で、友達と言う存在に安心を得られず、友達と言う存在を疑って信じられなくなって、そうして友情が崩壊してしまおうものならば堪ったものじゃない。……そんな風にして友情が崩壊してしまえば、きっと自分は二度と友達と言う存在を作ろうと思えなくなってしまうだろう。一生一人で、悩みを打ち明けられる相手が誰もいない……そんな悲しい思いはしたくない。
だから「言いたい事があったら遠慮なく言って」と春暁と冬音に言わなければならないのだが、そうしてしまえば二人に劣っている自分に容赦のない言葉が投げ掛けられて、ただでさえ不安で弱っている心に止めを刺されてしまいそうで、できなかった。
……二人がそんな事を言わないのは今まで接してきて理解していたが、しかし今までの二人は優しさだけのそれであり、ステラが求める友達像ではない……だから今までの関係はあてにならないと、思い出を否定して、友情も否定して……そうして友達を信じられない自分に嫌気が差して、だんだんと二人を友達だと思えなくなってくる。
どうすればいいのだろうかと考えて結局分からなくなってしまって……仕方ないだろう。ステラはまだ8歳なのだから。8歳の癖にここまで考える事ができているだけで称賛するべきだ。やけに大人びている春暁が異常なのであって、割と成熟しているとは言え、ステラぐらいがギリギリ年相応なのだ。
考えて考えて、分からないと結論を出して、誰かに答えを求める方法までを導いてもらって、答えを出して成長していくのが子供の役目。間違って失って、正解して得て、そうして激しく移り変わる現実の中で自分を形成していく……それが子供だ。
だからステラが分からないのは仕方ないのだ。
だけどステラは仕方ないで済ませられないのだ。
やっと得た友達を、そんな、人の常によって失いたくなかった。間違えて失いたくなかった。そのためにもこの問題から正解を導き出して正解しなければならない。答えを求める方法を提示してくる大人はここにはいない。いるのは、布を被っている自分と春暁と冬音の三人だけ。この状況で自力で答えを導き出さなければならない。
自分の思考だけに頼って勇気を振り絞り一人の強さを知るか……友達の絆を信じて二人に相談し、友情の架け橋をより強固なものにするか。
どちらにするかを決断できたとしても、次にはそれを実行するための行動力が必要だ。消耗したところに追い打ちをかけるようにやってくるそれを乗り越えなければいけない。
ステラにとってそれらは大きすぎる試練でしかなかった。
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大陸中央部に位置する、未だ誰も踏破する事ができていないダンジョン。その最奥に封印されている魔狼──フェンリル。この場にはフェンリルの息子であるハティとスコールはいない。
フェンリルは、自分ただ一人しかいないこの場所で、地上での騒乱を感じ取っていた。
毎回のことだ。勇者と魔王が争えば、それによって生じる途轍もない魔力の流れが、稀薄になりつつも大陸中央部に位置するダンジョンの最深部までとどくのだ。だから、今回も例によって勇者と魔王の戦いを感じ取れた。……そして、それと同時に封印されてからめっきり感じる事のなかった異常な存在の気配も。
このあいだ平然とフェンリルの居場所まで辿り着いていた魔王の気配と言い、この気配と言い、何千年ものあいだ一度も感じる事のなかった強力な気配には、時の満ちを感じずにはいられなかった。
今だ。今しかない。
嘗て体験した、あの壮絶な戦争が再び幕を開けようとしている今しかない。この忌々しい封印を破って、ダンジョンも破壊して、地上の生命を蹂躙し、天上の存在を喰らい尽くすのは今この時だ。
悠久を生きたフェンリルは、もはや世界のためなどと宣うことはしない。フェンリルはただ、久方ぶりに湧き上がるこの熱い血を煮え滾らせ、迸らせ撒き散らして、灰色のこの身を欲して止まない『赤』で彩りたいだけだ。
世界を喰らうと懸念され、暗く、昏く、冥く、闇く……どこまでも広がる黒に閉ざされて、日を見る事すらできなかった灰色の狼は、妖しく輝く橙色の瞳に曳光を走らせて、ダンジョンを喰らった。