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第352話 混沌の大聖堂

 起き上がろうとするアルタの後頭部を踏みつけるオリアルは、腕立て伏せをするようにして立ち上がろうとするアルタに体重をかけながら、アイテムボックスから予備の剣を取り出して再びアルタの胸を刺し貫いた。

 アルタが死んだ事によって抵抗がなくなった頭から足を離してオリアルはどうしようかと思案し始めた。何度も復活し、起き上がろうとするアルタを殺して黙らせて思案する。


 その容赦のない所業にアデルとラウラは戦くしかなかったが、しかしそれと同時にそれぐらいの苦しみを味わって然るべきだと納得もしていた。……自分達の世話をしてくれていたソルスモイラ教の人々を無残に殺したのだからそのぐらいは当然だと受け入れていた。


 アルタを殺し続けるオリアルを横目に、人間の亡骸を大聖堂に隣接した庭に埋めるために外に出ると、そこでアデル達の後を追ってきていたフレデリカ達と出会した。


「え……なんなんですかこれ。教会……大聖堂の中が植物まみれじゃないですか……」

「あ、フレデリカさん。ごめんね、ちょっと用事ができちゃったから勝手な行動しちゃった」

「それはいいんですけど、いったいこれはどう言う状況なんですか? 何があったらこんな、森のような有り様に……」


 アデルとラウラとオリアルの三人が一言も告げずにいなくなった事に大して不満を抱いていない様子のフレデリカは、しかし、大聖堂に植生する植物の海に呆気に取られている。


「それは私のスキル【植物操作】によるものですね。【植物操作】はその名の通り、植物を操作する事ができるスキルで、植物の形を変化させたり成長させたり、本当に意のままに操れるんですよ」

「……聞いたことないスキルですけど、それをどうしてこんな場所で?」

「えっと……話すより見てもらった方が分かりやすいと思うので来て下さい」


 魔王と戦っていたんです……などと言っても、自分の役割を明かしていないため、ただの一般人として認識されている自分のそんな突拍子もない言葉を誰が信用すると言うのか。そう考えたラウラは実際に【鑑定】させればあれが魔王だと理解してもらえるだろうと判断して振り返り、フレデリカたちに手招きをする。


 ラウラに連れられて期待にも似た緊張と不安を抱えてフレデリカ達は吸命草が生い茂る大聖堂を進む。

 周囲の吸命草に気を取らてばかりのフレデリカ達だったが、進むにつれて漂ってくる鉄臭い匂いに不信感を携えて頭を動かす。

 すると、視界の端々に映るのは地面に横たわっている無数の人間と、その下敷きになっている血液と思われる赤い液体。一瞬だけその状況が飲み込めないフレデリカ達だったが、視角と嗅覚は嫌がらせのように広がる惨状を押し付けてくる。ここで何があったのかを悟ったフレデリカ達は広がる血液とは違う青色に顔を染めてその顔を逸らした。

 ……けれども、この惨状は大聖堂の全域にも及ぶものだ。身の丈を越える吸命草が生い茂っているとは言え、完全に視界の外に追いやる事はできなかった。一度認識する前までは一切視界に入らなかったと言うのに。


 吐き気を堪えるフレデリカ達がやってきたのは他と比べて吸命草の密度が低い拓けた場所だったが、そこの情報量は吸命草の森よりも膨大だった。拓けた場所……ステンドガラスの欠片が残る窓枠から、ところどころに色彩を孕んだ光が差し込んでいるその場所の中心では、先ほど王城で出会ったオリアルと言うダークエルフらしい女性が一人の男の胸を何度も貫いていた。


 周囲を囲む吸命草。その拓けた場所に差し込む日差しはステンドガラスの欠片を通過して縁に色を宿している。それはとても美しい光景だったのだろうが、その中心で繰り広げられるのは残虐な行為。しかしなぜだかそれすらも美しいものに見えてしまう。鮮血が日を受けて、長い銀髪が日を受けて、赤く染まった剣も日を受けて……そんな輝かしい光景。不謹慎だとは分かっていながらも、それは見惚れてしまうほどに綺麗だった。


「ちょっと、何をしているんですか! その人はもう死んでいます! あなたに何があったのかは知りませんが、どんな理由があろうともそのような著しく人間性を欠いた行動は慎みましょう!? みんなも見てますし……ね?」


 そんな汚く綺麗な光景を破壊するのはナタリアだ。その光景を見るなる血相を変えてオリアルへと駆け寄ったのである。

 恨みや憎しみなどのどんな理由があれど、死体を……死者を冒涜するような真似はするべきではない、それも子供達の前で。そのような事を言ってオリアルが剣を握る手を包み込むように握る。数瞬遅れてアンドリューも駆け寄ってオリアルの制止に加わったが、剣神と呼ばれるまでに至ったオリアルの力をただの人間二人に妨げることなどできず、簡単に振りほどかれて蛮行を許してしまう。


「や、やめてくださいオリアルさん!」

「そうだ、そんな事やめろって、無意味だぜ!」


 アークとシュレヒトはナタリアによって破壊された魅力から解放されてそう叫ぶ。言葉にこそしないが、フレデリカとスカーラとモニカも顔を顰めてオリアルを見つめていた。


 空気が険悪なものになっているのを悟ったアデルがオリアルとフレデリカ達の間に立ちはだかって言う。


「違うんだみんな! オリアルさんは間違ってない、あの男を鑑定してみてよ!」


 そう言ったおかげか、喚く声が聞こえなくなったところでアデルはオリアルに斬り裂かれ続けるアルタについて話し出した。


「そいつは魔王なんだ。みんなも見たでしょ、教会の人達が血を流して死んでるのを。あれはこいつがやった事なんだ。甚振って楽しみながら殺してたみたいで、その笑い声は走ってたボク達にも聞こえてきていたよ」

「……でも、だからってこんな風に貶めるのは……」

「貶めてなんかないよ先生。ボク達はまだこの魔王と戦っているんだ」

「……え?」


 首を傾げるナタリアにアデルは続ける。


「こいつは殺しても殺しても、無傷で復活するんだ」

「ふ、復活……?」

「うん。だからこれ以上何もさせないために、起き上がる隙も与えず、ああやって殺し続ける必要があるんだ。あいつが何のスキルで復活しているのかも分からないし、復活できる回数が無制限なのかどうかも分からない、……だからボク達は……オリアルさんはひたすらこうして魔王を殺し続けないといけないんだ。……先生には悪いけど、これ以上の犠牲を出さないためだから、ごめんなさい。今は先生の言う事を聞き入れられない」


 そんなアデルの言葉を聞けばナタリアは黙らざるを得なくなってしまう。先ほど励まされたばかりだと言うのにどうしようもなく気分が沈んでしまう。公私の区別はしていたつもりだ。教師としてではなく、ナタリア個人として子供達の成長に問題が出るから親切心で注意したはずだ。なのにどうしてこれほどまでに悔しくて情けない気持ちが湧いてくるのだろうか。

 簡単だ……ナタリアのその正義が不要だと、無用だと切って捨てられたからだ。正しい行いだったはずなのにどうしてそれを否定されるのか、公私の区別をして正義を振るっても否定されてしまう。

 ……いよいよナタリアは自分が分からなくなってきていた。


「む……」

「どうしたのオリアルさん」

「動かなくなった」

「死んだら動かなくなるのは当然だと思うよ?」

「そうではない。こいつが復活するときはいつもピクリと全身が小さく動くんだが、それがないんだ」


 アルタを剣の先端でつつきながらオリアルが言う。


「じゃあつまり復活していない……本当に死んだ、と言う事ですか?」

「恐らくな。だが、念のため警戒はしておくべきだろう。この魔王のことだ。復活するタイミングを自在に調整できるのにそうしなかった可能性がある」

「そうなると、さっきまでの復活の数々は、ボク達に復活ができなくなったんだって思い込ませるために……って言うことになるね。相手はこの魔王だし、何度死んででも騙してやるっ……なんて考えをしてそうだから、警戒しておいて損はなさそうだしそうしようか」

「そうですね、この魔王なら何度も殺されてからの死んだフリなんて狂気じみた事をやり兼ねない……と言うか十中八九そうしているでしょうからね」


 やけにアルタを理解している様子のオリアルとアデルとラウラ。

 戦いを……殺しを楽しみ、魔王にも至るほどの狂人がこれほど簡単に死ぬとはどうしても思えなかった。こんなに呆気なく終わるのならば人類の敵対者などとして伝説や御伽噺になどなるわけがないし、こんなに弱い者が魔王になれるのならば今頃世界は魔王で溢れているだろう。……だから警戒をするのだ。


 落ち込むナタリアを放置して地面に横たわるアルタに武器を突き付け続けるアデルとラウラとオリアル。オリアルに関してはすぐにアルタを蜂の巣にできるようにと千の剣を周囲に浮かべている。こんな常人離れした所業ができる者など限られている……と言うか『千の剣』と言えば剣神と言うイメージが根付いてしまっているために、フレデリカ達が剣神の存在を知っていればオリアルが何者なのかがバレてしまうだろう。しかし今は魔王との交戦と言う非常事態だ。保身のために力を抑えてなどいられない。

 そうオリアルが判断するほどにアルタの力は脅威だった。大きくステータスが減少しているのに……と言えば、以前のアルタがどれだけ異常だったかが分かるだろう。


 ……と、そこで三人を照らす日の光に影が差した。三人の頭を駆けるのはアルタの仲間がやってきたか、ここにいるアルタは偽物でこの影が本物のアルタか……そんなアルタへの警戒が顕著に現れているものだった。

 だが、そんな警戒は全くの無意味で、ステンドガラスの窓枠に立っていたのは逆光に包まれた怪しい人物であったがそれと同時に見覚えのある輪郭だった。何よりも特徴的なのが一人の人物がもう一人の腕にぶら下がっているシルエットだ。


「インサニエルさんとカエクスさん……と、教皇聖下……?」


 思い当たる人物の名前を取り敢えず口走ってみるラウラ。前の二人は殆ど確定と言えたが、最後の一人に関しては関わった事が皆無と言っていいほどに少なかったのでs自信がなかった。ただ、教会において重要な役割を担っているインサニエルとカエクスが教皇を置いて逃げるとは思えなかったので、そうかも知れないと考えて言ったわけだ。


「ご無事でしたか勇者様方と一般の方々」


 そう言ってからステンドガラスの窓枠から飛び降りて器用に吸命草の上を跳ねてやってくる教皇と慌ててそれに追随するインサニエルとそれにぶら下がるカエクス。

 やってくる教皇を見てシュレヒトとアーク、アンドリューが視線を逸らした理由は簡単に言えば危なかったからである。足首ほどまであるローブとは言え、機動性を確保するために横の部分が膝の辺りまで裂けているので、そのせいでヒラヒラしていて見えそうだったのだ。

 無表情で無感情で無感動と言われる教皇は無防備でもあったわけである。……後を数年で三十路に届くと言うのに、無邪気故の無防備を晒すと言うのはどうなのだろうか。


「良かった、教皇様達は無事だったんだね」

「えぇなんとか。それよりも勇者様、そこの男が大聖堂に死体の海を築いた魔王で間違いありませんね?」


 胸を撫で下ろすアデルにインサニエルが言い、アデルはそれに頷く。


 傍観していたなどと知られて信用を失うわけにはいかないのであくまで知らないと言う体でアデルに話しかける。


「御伽噺で見るような化け物とは程遠い容姿ですど、資格さえあれば誰でも魔王になれるらしいですから、容姿に関しては別にいいでしょう。……強さはどのくらいでしたか?」

「強さは……そうだね……最果ての魔物より弱……いや、同じぐらいかな? ……あ、でもこいつ実力を隠してるっぽかったからあてにはしないでね。最低でもこのぐらいの実力はあるって認識しておいてね」

「最果ての魔物と同等か、それ以上……と。そうとなればやはり迂闊に自分達は手出しができそうにありませんね。御伽噺通り勇者様方に戦ってもらうしかないわけです。……全く……男として不甲斐ないばかりですよ」

「……えへへ、ボク達の負担を減らそうとしてくてありがとう。でも気にしなくていいよインサニエルさん」


 自分の事を気遣ってくれている様子のインサニエルにはにかみ笑い浮かべながらもその気遣いは無用だと振り払う。勇者としての役割を与えられた自分の使命なのだから、そのぐらいはやり遂げないといけないとアデルなりに考えての事だ。そこには以前のような『強制の称号』による思考操作はない。確かな自分の意思だ。


「あのさ、ちょっと気になった事があるんだけどいいかな?」

「どうしたのモニカさん」


 珍しく発言するモニカの話を聞こうとアデル振り向いた。


「えっと……アデルちゃん達が勇者ってどういうことなのかなって思ってさ」

「私も気になっていました。この間聞いた最果ての大陸の情報もなぜか知っていましたし、アデルさんとラウラさんは何者なんですか? 本当に、勇者なんですか?」


 しまった! そう思って額に汗を浮かべるアデルとラウラよりも、珍しく教皇が焦ったような顔をしていた。それもそうだろう。アデルとラウラに向かって「ご無事でしたか勇者様方と一般の方々」などと最初に呼び掛けたのは自分である。アデルとラウラ、一般人のフレデリカ達の身を案じて焦り、そしてその焦りから致命的なミスが。無表情、無感情……などと呼ばれていた教皇はこの短時間でそれらを何度も覆していた。今では口元に手を当ててあわあわと視線を右往左往させている。普段の教皇を知っているインサニエルとカエクスからすれば驚きでしかなかった。


「……あー……手遅れっぽいねこれ……」

「ですね……もうこうなった以上隠していても仕方ないですし……分かりました、私達が何者なのか話します」


 そうしてラウラは自分達が御伽噺に出てくるような魔王を倒すための役割を与えられた勇者らだと明かし、他のはなしておくべき事を話した。……今代は魔王が複数いる事や、魔王にも良い人がいる事など、自分達の経験にある大事な話だ。


「その煌びやかな服装はそう言うわけだったんですね。てっきり御伽噺に出てくる聖騎士に憧れているちょっと可愛い人達なのかな、なんて思ってましたけど、違ったんですね。……聖騎士どころかその何倍も凄い勇者様だったなんて想像もできませんでしたよ」

「んだよ。鍛えてもなさそうだし、弱そうなのにやたらとつえーな……って思ってたんだけど、そうか、やっと納得いったぜ」

「あはは、今まで隠しててごめんね。ボク達の力を狙った悪人に狙われたりしたくなかったからさ」


 戯けるようにフレデリカが言い、頷きながらシュレヒトが言う。それに困ったような笑みを浮かべながらアデルが答える。


「うーんと、アデルちゃんが勇者で、ラウラちゃんが新しい役割の神徒……って言うのだっけ? それじゃあ今までの歴史で魔王討伐に欠かさずにいた賢者は誰なの? ……あ、もしかして今まで会った事なかったりするの?」


 そう、ここにいるのは勇者のアデルと神徒のラウラだけである。ここに勇者や魔王とセットの賢者がいないのである。それを疑問に思ったモニカがまたもやアデルに尋ねる。


「……賢者は……ボクの幼馴染だよ。……クルトって言うんだけどね、大陸の中心部にあるダンジョンに逃げた敵を追っていたら、いつの間にかいなくなっちゃってたんだ。クルトは強い人だから何か目的があっていなくなったんだろうけど、今までずっと一緒に生きてきただけに、何も言わずにいなくなられたのはショックだったよ。……まぁ、それでも今までラウラと二人だけでやれてたし、今はオリアルさんもいるから、魔王や最果ての魔物に対しての戦力としては大丈夫だよ、期待しててね!」

「クルト君が失踪ですか。魔法の扱いに長けてましたから、この記憶によく残ってますよ。……それで……いつの間にか、という話でしたけどミミックのような、何かに擬態している魔物に食べられてしまった……などと言う可能性はないんですか?」


 戦力としては大丈夫だと言ってどこか悲しげに笑うアデルにアンドリューが言う。こちらもモニカと同じで珍しく言葉を発していた。


「ない……とは言い切れないけど、クルトはきっとそんな単純な不意討ちには引っ掛からないってボクは信じてる。常に周りを見て人に気を遣って生きているような人だったから、その時に限って周囲を見ていなかったなんてボクには考えられない」

「なるほど。ですが、敵の追跡の疲弊して油断していた……なんて事はあり得るんじゃないですか?」

「いや……い、いや……ある、かも知れない。クルトは持久走みたいな体力が必要な運動が苦手だったし、しかも後衛の賢者だったから、勇者と神徒なボク達のペースに合わせていたせいで疲れてたのかも……じゃあクルトは死んじゃってるかも知れない……のかな……?」


 考えるうちに不安になっていくアデル。今までクルトの事を考えないようにしていただけあって、冷静な今再びこうして向き合って考えれば、クルトの生存確率が低いのだと理解してしまう。


「大丈夫ですよアデルさん。クルトさんは絶対にミミックなんかに襲われて死んでません。二人でちゃんと見たじゃないですか、ダンジョンの外にクルトさんのものと思わしき泥が散乱していたのを。だから絶対にクルトさんはダンジョンを出てどこかで何か、目的を果たそうと頑張っているはずです」

「……! そうだ! 確かにそうだ! 人通りがなくて、誰ともすれ違ってなくて、入った時にはなかったまだ乾燥しきっていない泥を見たよ! そうだよね、クルトは生きてるよね! だってクルトだもん……昔からボクと一緒にいて、泣き虫だったボクの面倒を見てくれた優しくて強い、お兄ちゃんみたいな人だもん! そんな簡単に死んじゃうわけがないよね!」


 ラウラに言われてハッとするアデル。目尻にうっすらと滲んでいた涙はいつの間にか引っ込んでいて、その代わりにいつもよりも溌剌とした表情がアデルの顔には表れていた。


「あぁ! そうだったんですね。……そうだったんだ……なぁんだ」

「えっと……どうされたんですかアンドリュー先生? 何か様子が……っ!? ……ぅくっ……くぅぅっ!」


 顔を下に向けて落胆したように言うアンドリュー。そのおかしな様子を察したアークがアンドリューに歩み寄って顔を覗き込むが、アンドリューは突然アークの首を掴んで持ち上げた。

 アンドリューは万力で物を固定する時のように首を絞める力を強めているようで、体ごと持ち上げられたせいで地面と足が離れてしまっているアークは、その足のバタつきを次第に激しくしていく。魔法使いとして生きてきて、筋力が皆無なアンドリューからは到底考えられない力の強さである。


「せっ……せんっ……せっ……! な……ぁん……っで……こ、んなっ……!」

「はぁ……あーあ、失敗しちゃったな。なんとかして勇者を自失状態に追い込もうとしたんだけど、そっかぁ……そんな痕跡を残していたのか……これは予想外だったよ。……まぁでも、僕としても賢者が生きているって知れたのは僥倖だったから良しとするよ」


 苦しむアークに見向きもせずに淡々と告げるその様子は、アークの首を絞め上げている事から分かる通り、やはりアンドリューがまともな状態ではないことを示していた。


「あ、アンドリュー先生!? やめてください、アークさんが死んじゃいますっ!」


 落ち込んでいる様子だったナタリアは呻くアークの声にバッと顔を上げ、そしてアンドリューへと駆け寄って、アークの首を絞めている手を離させようと指を剥がそうとしたり、腕を叩いたりつねったりする。……が、筋肉量が少なくて惰弱なはずのアンドリューの腕は赤く腫れるばかりで、一向にアークを手放そうとしない。それどころか絞めあげる握力を強くして、殺そうとする。

 アデルとラウラも取り敢えず臨戦態勢を取っているが、状況が飲み込めず、そして迂闊に攻撃すればアークを盾にされてしまうかも知れないと言う心配から、手出しができないでいた。


 そして、バキッ……メキッっと……そんな何かが折れるような音が立つと同時に、アークの首はアンドリューの手を枕にするようにして横に倒れ、てるてる坊主が吊るされている時のように、手足をダランと垂れさせた。アンドリュー悪戯にアークの亡骸を揺らせばそれに従って手足も揺れる。


「あははははは、泡吹いてるよ。……ってか臭くない? 首吊り死体は筋肉が弛緩するせいで糞尿を垂れ流すって本当だったんだね。……生きる事を苦にして死んだはずなのに、死んで死体になっても尚恥を晒すなんて物凄いバカだよねェ? あぁそうか、そんな知恵が足りないような人間だったから生きるのが苦し──」


 アークを殺したと言うのに、何も感じていない様子で喋り続けるアンドリューの首から鮮血が飛び散り、その首はその直後に地面に落ちて血を跳ねさせた。首はそのまま転がり、そしてナタリアを見上げるようにして止まった。


「ひぃっ……!」


 転がってきた生首に戦いて声を上げるナタリア。罪の意識に苛まれるどころか、嬉しそうニヤニヤした笑みを浮かべているアンドリューも目とナタリア目が合ってしまい、ナタリアは腰を抜かしてしまい、情けなく地面に座り込んでそのまま身を竦ませ、震える。


 アンドリューの首を斬り落としたのはオリアルだ。人質にされていたアークは自分達の判断と対処が遅かったせいでしなせてしまったために、もう躊躇う必要はなかった。

 オリアルはアンドリューの首を斬り落としたとしても決してアンドリューから目を離さなかった。アンドリューが狂う兆候などなかった……つまりアンドリューは完全に善人に溶け込んでいた。狂気と正気を自在に入れ替えれるほどにそれらを良く知っているわけである。そこまで墜ちてしまうような狂人ががこうも簡単に死ぬわけがない。


 ……そう……今、自分の踵の向こうに転がっているアルタのように。


「はははは、えーっと君は……オリアルだっけ? 君は本当に容赦ないね。人質っぽいのがいなくなった瞬間にそいつの首を斬り落とすなんてさぁ」


 アルタが声を発すると同時に自らの失態に気付いたオリアルは勢いよく前に跳んでその滞空中に振り返って着地して、悠然と佇んでいるアルタを苦々しそうな瞳で睨む。


「あ、美人に睨まれるのって気持ちいいね、あははは。……なーんて、半分は冗談だよ。美しく整った綺麗なものに今みたいに敵対心を剥き出しにされるのは気分がいいのは確かさ。……まぁそんなことよりも、【憑依】ってスキルは凄く便利だね。配下じゃない生物にでも好き勝手に干渉して、体を操って、そして僕の思い通りの言動をさせられるんだよ? しかも、配下の命を犠牲にしないで死を体験できるっ! うん、素晴らしい! それから、正常な人間が異常な人間だと判断されて殺されちゃうのっ! うん、これも素晴らしい!」


 アルタは恍惚としたような、感動したような表情でアデル達に話しかけるが、アルタに向けられるものは怒りに満ちた目、怯える目、蔑むような目だけだ。


「うーん、みんなテンション低いね? せっかく僕が見事な復活を遂げたって言うのにさぁ……もっと喜んでくれてもいいんじゃないかな? ……まぁいいや……さて、一瞬で君達のお仲間さんが二人も死んじゃったわけだけど、どうかな、どうなのかな? どんな気持ちなのかな? 大切な仲間が死んじゃうってどんな気持ちなの? 教えてよ賢い人ー! そう、例えば賢者とか! ……あぁそうだった、行方不明なんだったね。ごめんね勇者ちゃん。賢者にフラれちゃった酸っぱい思い出を思い出させちゃったね」


 ニヤニヤと気味の悪い笑みを浮かべながら安い挑発をするアルタ。普段のアデルならば無視して冷静に睨み付けていただろうが、今回はわけが違った。……アデルの胸中に深く根付いてしまっているクルトの存在を刺激されたのだ。耐えられるわけがなかった。


「……っ!! ……お前……絶対に赦さない!」

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