第340話 導かれ、導いて
※作中で『エーテル』を『生命力』と表記していますが、本来の意味で使われる『生命力』と混同してしまうと厄介なことになってしまうので、『エーテル』もしくは『生命力』と表記するようにしています。
『生命力』と言う文字単体でエーテルと呼ぶことはありませんので、読み間違いにご注意下さい。
ダンジョンを抜けて地上へと出た秋、ニグレド、アルベド、クラエル、アケファロスの五人。今まで暗いところにいたからか、秋以外の四人は手で日差しを遮っている。
「ちゃんと【暗視】は解除しとけよ」
「「「『あ』」」」
言われて【暗視】のスキルの使用をやめる四人。そうすれば眩しさはなくなり、手で傘を作らなくても済むようになった。
「そう言えばお前らは昼飯はどうしたんだ?」
「まだですね」
「そうか。なら昼飯を済ませてから帰るか」
簡潔なやり取りを経て秋達はティアネーの森を進む。
その道中に一切の魔物が現れないのは、秋の気配に怯えての事である。それによって全ての魔物に嫌われてしまったかのような感覚に陥る秋だったが、あれだけ殺せば嫌われもするだろうと考えて気にしないようにする。
「ちっとも魔物が出てこないのだ。ここに来るまではたくさんの気配を感じたのに、今では遠ざかっていく気配しか感じないのだ」
『アキの気配に怯えてるっぽいー?』
「お前もそう思うか?」
気にしないようにする秋だったが、言われてしまえば気にせざるを得ない。「どうにかならないかな。このままじゃレベル上げなんてできないんだが」と呟く秋に、呆れたようにアケファロスが言う。
「エルフの国でセレネに魔力の操作の方法を教えて貰ったでしょう」
「そうだが、あれがどうかしたのか?」
「……はぁ……あれを使ってあなたのその魔力を抑え込めば良いでしょうって言う事ですよ」
察しの悪い秋に溜め息を吐いてアケファロスが言う。
「ぬ? アキのこれは魔力なのだ? ……うぬぬぬ…………んぬ! ……本当なのだ、広範囲に広がり過ぎていて気付かなかったのだ。こんなに濃い魔力が広範囲に広がっているとは、とんでもないのだ!」
「む、本当じゃのぅ。これは魔力なのじゃ。……しかしそれだとすれば変じゃな。このような濃密な魔力の波を発生させていながら、童達がアケファロスに言われるまで気付けぬほどに自然に放たれて……知覚した今ですら濃いのに薄いと言う矛盾した感覚を抱いてしまっておる……どうなってるのじゃ、これは」
魔力の波長を認識したニグレドが感心している中、同じく魔力を認識したアルベドが顎に手を当てて考える。
……と、そこで秋の頭に声が響いた。
『へい、秋クン! 何かお困りのようだねっ!』
『ルキアか。……なぁ、アケファロスが言っているやつを試してみたんだが消えないぞこれ。どうすればいいんだ?』
『とーぜんだよ。秋クンのそれは普通の魔力……『マナ』や『オド』じゃないんだもの。秋クンのそれは『エーテル』と『チャクラ』って呼ばれてる特殊な力なんだからさ☆』
ルキアが言う『エーテル』と『チャクラ』はとっくの昔に失われた力である。存在そのものが消滅したと言うわけではなく、使える者がいなくなってしまい、存在が消滅したかのような扱いを受けているだけであり、そんなものがあったのだと言う記録だけが残されている。
『……なんでそんなものが俺に?』
『アタイを喰ったからだろうねぇ。エーテルやチャクラって言うのは、言っちゃえばマナとオドの上位互換なんだ。その程度のものが神様であるアタイに使えないはずもなくぅ……』
『お前を喰ったから、俺はエーテルやチャクラを認識できる何らかのスキルを得てしまった……と』
『正解だよ☆ 【生命力操作】と【潜在力操作】って言うスキルのおかげさ。ちなみにマナの上位存在がエーテルで、オドの上位存在がチャクラになるねぇ。ほら、抑え込んでみて』
ルキアに言われた通り、秋は【生命力操作】と【潜在力操作】を使って周囲に漏れ出ているエーテルとチャクラを抑え込む。先ほど試した方法では何の効果も齎さなかったが、この方法であれば驚くほど簡単に効果が齎された。
「あ、なくなったのだ。なくなった今分かったのだが、さっきのは何か妙なものが混ざっていたような感じだったのだ」
「言われてみればさっきのはどこか違和感があったような気が……しなくもない……?」
『あ、見て見て! 魔物が近付いてきたよ!』
草むらから姿を現した、蠍のような尻尾を持つ兎へと近付くクラエル。兎はその特徴的な尻尾でクラエルに攻撃を仕掛けるが、あっさりと躱されて反撃を受けてしまう。肉塊へと姿を変えた兎をアイテムボックスに収納したクラエルは秋達の元へと戻る。
「お、本当に魔物が寄ってくるようになったみたいじゃな。良かったのぅアキ、これでレベル上げができるようになったわけじゃ」
「あぁ。ダンジョンに入るまでは悉く逃げられてたから本当に良かった」
そこで秋は引っ掛かりを覚えてルキアへと話しかける。
『お前を喰う前から魔物には逃げられてたんだが、あれはどういう事だ?』
『あぁーあれね。……ぷぷっ、あれは単純に秋クンが魔力を漏らし続けてたからだよ。さっきアケファロスちゃんに言われて調整してよかったねー☆』
『……そうだったのか……』
『強くなればなるほどに魔力は増えていくんだから、ある程度生物を喰ったら魔力を抑え込む習慣を付けておこうねー』
『分かった』
秋は素直に返事をする。
最近は求めてもいない力がどんどんと手に入ってくる。
アニマにエーテルにチャクラ……戦いの幅が増えるのは結構な事だが、秋が欲しているのは別のもの……【強奪】のレベルが上げられる経験値である。生物を殺す事で手に入るそれが欲しいのである。……だと言うのに今はそれほど欲しくもない力がどんどんと。入手するタイミングが違えばもっと喜べたのにと損をした気分になってしまう。
『そうだ秋クン。エーテルとチャクラの説明がまだだったね。……えーと、さっきも言った通りエーテルはマナの上位互換、チャクラはオドの上位互換……これは良いね?』
『あぁ』
『エーテルやチャクラは、マナやオドが魔力と一括りにされるのと同じように、高位魔力と言って一括りにされてるんだ~』
『ニグレド達がそれを魔力だと言っていた理由はなんだ? 気配が似ているとかか?』
『そんな感じだね。高位魔力を認識できない生物には高位魔力が、ただの魔力が膨大な量集められたようにしか感じられないのさ☆ ……ちなみにアルベドちゃんが、魔力が濃いくて薄い、なんて矛盾した感想を抱いていた理由は、高位魔力の認識の差にあるのだよ。高位魔力は高位魔力を認識できない生物からは徹底的に距離を取ろうとするのね。だから自分の存在感を薄くして知覚されないようにしようとするけど、でもその存在感の濃さを隠しきれない。だから濃いくて薄いなんて奇妙な感覚を抱いてしまうのだよ。……言ってしまえば人に認識された状態で高レベルの隠密系スキルを使おうとしているようなものだねぇ☆』
『……なるほど』
なんらかの原因によって使用者が減っていった高位魔力は、そんな理由があるからこうして存在を消していったのかと理解する。
『えっと、なんだったかな……そうだそうそう、高位魔力の色は、普通の魔力が持っている淡い紫色じゃなくて、虹色……正確に言えば個人で違うんだ。この人は赤、この人は青……と言ったように、人によって違うんだよね。そこにどんな差があるのかアタイには分からないけど、とにかく色はそれぞれなのさ』
『俺は何色だった? 見てなかったんだよな』
『うーん……そこなんだよね……あのね、秋クンは一つの色じゃなくて色んな色が混ざりあってたんだよ。……アタイが考えるに、これには秋クンが喰った生物の魂が関係してるんだと思う! 色んな生物の情報が全て記された魂を幾つも持ってるから、その魂が持つ高位魔力の色を受けてしまっているんだと思うんだよ!』
『じゃあ俺の色は分からないと言う事か。なんか残念だな』
『全然残念だなんて思ってないじゃん……そう言う心にもない事言うのやめた方がいいよ、ほんとに。特にアタイみたいな魂の繋がりがある相手には絶対にするべきじゃないよ。分かっちゃうんだからさ』
ルキアに注意された秋は「気を付ける」とだけ言って返事をする。全く心が籠った返事ではないのを理解するルキアだったが、言っても仕方ない事だと諦めて高位魔力の話を続ける。
『まぁいいよ。それで、高位魔力について秋クンが一番気になっているであろう、高位魔力では何ができるのか、って言う話をするね☆ ……まず、高位魔力によって放たれる魔法はとにかく異常! 高位魔力によって放たれる魔法──高位魔法は消費するMPが多いけど、その効果は絶大! ……次に、高位魔法は普通の魔法よりも細かく属性が分けられてるんだ。一番分かりやすいのは闇魔法かな。闇魔法には幻術や呪術、符術、洗脳術とか色々な効果を持つ魔法があるよね? それが高位魔法なら、それぞれの属性として確立されるんだ。幻術なら幻魔法、呪術なら呪魔法、符術なら……洗脳術なら……と言ったようにね。そのおかげで相手が【闇耐性】スキルを持っていても効果を通らせる事ができるの!』
『へぇ、流石上位互換だな。効果の向上は予想できたが、一つの魔法をそこまで細かくねぇ……ただでさえ耐性スキルの所持者は少なく、さらに耐性のレベルが高い奴は少ないと言うのに、そんなに属性を細かく分けられたら昔は大変だったんじゃないか?』
『そうでもなかったよ。高位魔力はとことん人を選ぶんだ。だからアタイが人間として生まれた頃には、高位魔力を扱える生物は世界全体の一割もいるかいないかと言った程度で、そこまで荒れてなかったから大変ではなかったよ。力に溺れて悪に堕ちちゃうのは時々いたけどねぇ~。……話が逸れたね。……とまぁ、そんな感じで色んな属性があるわけなのよ! 他にも色々あるけど、全部話すと長くなっちゃうから後は自分で色々確かめて見てね☆ ……永遠を生きる秋クンなら人に聞いて導かれるばっかりじゃなくて、探究する事も大事でしょっ?』
説明が面倒臭くなったルキアはそれっぽい理由をつけて説明を放棄する。ルキアが秋の内心を知れるのと同じように、秋にもそれが分かったが、確かにルキアの言う事も一理あるなと思い、ルキアとの会話をやめて意識を現実へと向けた。
歩行するのと適当な受け答えができるぐらいには現実に意識を残していたが、やはりどこか上の空のようにになってしまっていたようで、ニグレド達は頬を膨らませて怒ってしまっていた。
それから暫くしてミレナリア王国の王都ソルスミードへと帰って来た秋達は適当な飲食店に入って、遅めの昼食を摂る。時間で言えば14時頃なので、とっくにお昼時は過ぎている。
秋がここまでの道中で必死にご機嫌取りをしていたので、ニグレド達は機嫌を直し、無事に和やかな食卓を囲めている。
吸い込むように食べるニグレドと、満面の笑みを浮かべながら食べるクラエル。そんな二人を見守るようにゆっくり食べる秋とアルベドとアケファロス。そんな五人の耳に物騒な噂話が飛び込んできた。
「さっきアルロ武器商店の前を通りかかったんだけどさ、「最果ての大陸の魔物との戦闘に備えて──」とか言う話が聞こえてきたんだよな。なにアホな事言ってんだと思って見てみれば、護衛の騎士を連れたどうみても貴族にしか見えない赤髪の女が、真剣な表情で十人ぐらいの強そうな人間に言ってたんだよ。その中にヴァルキリーも何人かいたから結構な身分なんだろうな。なんせヴァルキリーって貴族の目から見ても高いらしいじゃないか。俺はヴァルキリーの値段なんか知らないけどさ」
「人に武器を買い与えられて、護衛も連れられて、高価なヴァルキリーが数人も買えるほどの財力がある貴族って言えば限られて来るだろ。分からないのか?」
「この国でそこまでの身分の貴族に赤髪の男も女もいなかったはずだからあれはきっと他の国の貴族だろうよ。……ってか問題はその貴族が誰かじゃなくて、そんな高貴な身分の貴族が「最果ての大陸の魔物との戦闘に備えて──」なんて言ってる事だ。建前と謀略で溢れる貴族社会でそこまでの地位を築いてる貴族が嘘に踊らされてるとは思えない。……つまりこれは限りなく事実に近いって話だって事だ」
「え、マジかよ……それってヤバくないか? 戦闘に備えて、って言ってたんなら……性懲りもなく調査に行くわけでもないんだろ? なら最果ての大陸から魔物がこっちに来るって事じゃないか……おい、逃げようぜ……!」
「待って待って、もし嘘だったらどうするんだよ。俺はお前に逃げるか残るかの相談を──」
近くの席で繰り広げられる会話なので、是非もなしに秋達の耳に入って来てしまった。こんな話が他の客の耳に入らないように二人の男が座っている席の周辺に【遮音空間】のスキルで防音空間を形成しておいたので周囲の客はざわめいたりしていない。
ただの噂話であれば無視しただろうが、あれは噂話などではない。実際に最果ての大陸からは魔物がやってきているし、この国の貴族ではない赤髪の女、十人程度の強そうな人間、数人のヴァルキリー……などと、特徴的なもので限定されてしまえば、必然的にそれらが誰かは限られてくる。……そう、オリヴィアやラモン達だ。
そうか、もうそこまで最果ての大陸から魔物がやってきていたのか……珈琲を啜りながら秋はそんな事を考える。
もうじき……今にでも最果ての大陸の魔物を迎え撃つための戦いが始まってしまうのかも知れないのだから、魔王城で留守番をするセレネ達と合流してからはさっさとミスラの森へと向かわなくてはならないだろう。
しかしそうなれば自分とフレイアの事に関しての事を打ち明けるような暇がなくなってしまう。スヴェルグに話せば長い説教が始まってしまうのは明らかなので、打ち明けると言う判断は捨てざるを得なくなってしまう。
別に説教を受けてもいいのだが、そうしている内にアブレンクング王国にいるアデルとラウラは危険に晒されてしまうのでやはり説教を受けるのはなしだ。
ならば魔王城への帰還を中止してニグレド達だけを魔王城へ帰らせるか……だがしかし、ここで一緒に噂話を聞き、秋の行動の変化に気付いたならば、魔王城に帰らせたとしてもセレネ達をも連れてミスラの森へやって来かねない。主従関係があればこの四人を無理やり黙らせる事ができたのだが、生憎と主従関係は解消されているために命令は何の強制力も持たない。
……ならばいっその事、ニグレド達を連れてミスラの森へ向かおうかと考えるが、ニグレド達を最果ての魔物の脅威と人間の脅威に晒すなどはあり得ない。この間ニグレド達を最果ての大陸に連れていったのは自分と言うお守りがいたからである。しかし今の自分は余裕がなく周囲への注意が疎かになってしまっているのでニグレド達を守り抜けるとは言い切れない。だから連れていくのも付いてこられるのも避けたかった。
全員を目の届く範囲に置けて、勝手な行動を赦さず、全員の安全を確保する方法……そう考えて秋が導いた結果は──
飲食店を出た秋とニグレド、アルベド、クラエル、アケファロスの五人は秋のスキルである転移門でアイドラーク公国跡地に足をつけた。
七つの大罪スキルを持つ蘇生生物を配置するために秋が創った七つの魔王城と、本物の魔王が住まう魔王城が一つの、合計八つの大きな魔王城が建てられた異様な場所だ。
秋はニグレド達を小高い丘の上に建てられた本命の魔王城へと向かわせて、肝心の自分はその場に残って作業を始めた。大規模な作業なのでそれなりに時間がかかってしまうが、全員を守れて、勇者達との関係にも楔を打つ事もできるという、とても大きな見返りを得られる。
今回の一件で恐らくミスラの森は確実に壊滅するだろう。最果ての大陸の魔物がやってくるという世界の危機だったのだからそれは仕方ないが、その後にやってくる第二、第三の脅威によってミスラの森の周囲……ミレナリア王国やアブレンクング王国なども惨状へと変わってしまう事だろう。
最果ての魔物に続く第二の脅威は確定しているが、第三の脅威に関しては完全に秋の勘でしかない。秋はそれほど勘が鋭いと言うわけではないが、胸の内側がざわめいていて、そんな限りなく確定に近い予感を抱いてしまい、何かが起こると確信してしまうのだ。アニマとなったルキアが何かを言っているかのように、見えない誰かの……存在しない誰かの言葉として何かの予感を確信させられていた。
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少し用事があるから先に行っててくれ、と言う秋に従ってセレネ達が待つ魔王城へと向かったニグレド、アルベド、クラエル、アケファロスの四人は、巨人が出入りできるほどに大きな扉を開けて魔王城へと帰宅する。
近くを通りかかったスヴェルグが四人を見つけて歩み寄ってくる。汗をかいている事から運動をしていた事が窺える。今は休憩中なのだろう。
「おや、早かったねぇ。アキ坊は見つかったのかい?」
「もちろんなのだ。今は外で何かしてるのだ。真剣な顔をしてたから邪魔をしない方が良さそうなのだぞ」
「そうかい、ならジェシカ達にもそう伝えておくよ。アンタ達は休んでな」
そう言ってヒラヒラと手を振って去っていくスヴェルグを見送ってからニグレド達は別れて自室へと戻る。それほど疲れていたわけではないが、長旅になると踏んで行動していたために気を張ってしまっていたのだろう。それによる疲れが波のように押し寄せて来て、あっという間に夢の世界へと誘われてしまっていた。
一方、ニグレドから事情を聞いたスヴェルグはセレネとソフィア、ジェシカを集めて説明していた。
「……そう言うわけだから、邪魔しちゃダメだよセレネ。早く会いたいのは分かるけど、数日ぶりに会ってまず最初に怒られるってのも嫌だろう?」
「うぅ……分かった……」
机を叩いて椅子を倒して立ち上がったセレネをスヴェルグが静止する。
「ソフィアたんはこっそり会いに行くタイプだから私が見張っておくね!」
「アンタはソフィアと一緒にいたいだけだろう……でもまぁ助かるよ。草食系を装った肉食系は厄介だからね。アンタが居てくれると安心できるってもんだよ」
「こ、こっそり会いに行ったりしませんよ! 皆さんの私へのイメージはどうなってるんですか!」
ここ数日はアケファロスの代わりにイジられキャラとして扱われていたソフィアが心外だと言って噛みつく。
「でもソフィアたんってたまに久遠さんの部屋で寝てるよね? 無断で。これを肉食系と言わずして何と言うのかね、ソフィア君! ……それに私は久遠さんから聞いたよ? ソフィアたんは孤児院で久遠さんに色仕掛けをしたらしいじゃん?」
「孤児院のやつは寝惚けてたから服が乱れちゃってただけで無意識だったんですよ! 色仕掛けなんて人聞きの悪い言い方はやめてください! ……と言うか、ジェシカさん……どうして私がアキさんの部屋で寝ていたって知ってるんですか? もしかしてジェシカさんも同じ事しようとしてたんじゃないですか……!?」
「……あ、認めた! スヴェルグさん、ソフィアちゃん認めたよ! 自分が久遠さんの部屋で寝てたって認めたよ!」
少し狼狽してから露骨に話を逸らすジェシカ。
「アンタ達、喧嘩はやめな、みっともないよ。……ソフィアが隠れ肉食系だって分かっただけで十分なんだよ。ジェシカに関しては後で説教があるからあたしの部屋に来な」
「なんで私だけ!? ソフィアちゃんもやってたよ!?」
「自白したね。ふん、あたしの前じゃ話を逸らしたって無意味なんだよ」
「……あ」
自滅した事に気付くジェシカ。
「じゃ、隠れ肉食系とおバカは今からあたしの部屋に来な。……いいね?」
「隠れ肉食系じゃないですけど、分かりました」
「おバカじゃないですけど、分かりました」
スヴェルグに連れて行かれるソフィアとジェシカを見送ってから、この場で極限まで存在感を薄くしていたセレネはほくそ笑む。……セレネの存在感が薄かったのは吸血鬼人と言う種族によるものだろうか。それとも完全に蚊帳の外にされていたからだろうか。
「ふふ、私の勝ち」
立ち上がったセレネは肩で風を切って魔王城を進む。凱旋する勝者のような風格で玄関の扉を開け放つ。
さて秋はどこにいるのかな、と周囲を見回したい気分だったが、しかしセレネのその視線と意識は眼前の光景に釘付けにされてしまっていた。
遠くに見える大地の亀裂。そこからは僅かに地層が顔を覗かせていた。あの亀裂はどこまで続いているのかと亀裂を目で追うが、どうやらそれはこの魔王城の密集地帯を囲むように続いているようで、セレネは小高い丘に建てられた魔王城を一周するように亀裂を追いかける。
そうして魔王城を一周してきたセレネは、あの亀裂に魔王城密集地帯が囲まれている事を理解させられる。
次に考えるのは誰がこんな事をしたかと言う事だ。数十分前、スヴェルグとソフィアとジェシカと一緒になって外で運動をしていた時にはこんな亀裂はなかった。さらに、十分前ぐらいに帰って来たニグレドとアルベド、クラエルとアケファロスがちっとも騒いでいなかった事から、それより後の十分程度で完成させられた亀裂なのだろうと考えられる。
つまりこの僅かな時間でこれだけの広範囲に轟音の一つも立てず、亀裂を残せる何かがいると言うわけである。
普通ならば震えてしまうところなのだろうが、こんな異常な光景を僅か十分程度で完成させられる人物など限られてしまうので、セレネが怯えて震えてしまう事はなかった。
「アキ」
小さな口に見合った小さな声で言うセレネ。近くに誰もいないためにその呟きには誰の返事も期待できないはずだったが、しかし答えがあった。
「バレてたか?」
セレネの背後から姿を現す秋は、驚いたような顔でセレネに尋ねる。
「ん。感知できなかったけど、アキが近くにいるのは分かった」
「凄いな。結構本気で潜んでたんだけどなぁ」
感心したように言う秋はセレネの頭を撫でて褒める。嬉そうに口の端を少しだけ持ち上げるセレネは小さく「えへへ」と声を漏らしていた。
風の音以外は無音の丘で、セレネの口から漏れたその声はそれなりに大きな音として秋の耳に入った。
自分の頭を撫でる秋の手の甲に、自分の手のひらを重ねたセレネは、その体勢のまま秋を見上げて言った。
「おかえり」
「おう、ただいま」