第338話 罪の蜜
王城を襲撃する強力な襲撃者と、脱獄した勇者と神徒と言う大罪人、騒ぎ立てる騎士達……この場はとても混沌としていたが、外套を羽織っている七人の襲撃者達の発言は……聞き覚えのある声は、アデルとラウラ、オリアルの耳にハッキリと届いた。
「アデルさんとラウラさん!?」
武器を構えて騎士達と睨み合っていたアデルとラウラは反射的に襲撃者へと視線を向けてしまうが、やはり外套を羽織っていて素顔が窺えないためにそれが誰なのかは分からない。
声で誰なのかと言う察しはついているが、いやあの人はこんな事をするほどの大バカではない、と言う考えがそれを認めようとしない。
気を取られて隙まみれのアデルとラウラに襲い掛かる騎士の攻撃を、オリアルが目にも止まらぬ速さで動いて弾く。
千の剣を操作すれば騎士など一網打尽にできたのだが、そうしてしまえば自分が千剣の霊峰にいるとされている剣神だとバレてしまう可能性があるのでできない。つまり、一本の剣でチマチマと騎士を打ち破っていくしかない……有象無象の雑兵の相手は千の剣で蹂躙し、剣技をぶつけるに値する実力者には一の剣で、と決めていたのだが仕方ないのである。
「余所見をするな」
「ご、ごめんなさいオリアルさん!」
叱責を受けたアデルは正面を向いて騎士達の攻撃を防いで、死なない程度に反撃し始めるが、如何せん数が多い。四方八方からこられてしまうと対処ができなくなってしまう。
そんなアデルの援護をするのはラウラだ。杖槍を使ってリーチを活かしてアデルを取り囲むようにしている騎士達の膝の裏や肘に肩などを突く。
そんな事をしていたら疎ましく思われるのは当然で、アデルを包囲していた騎士の数人がラウラへと襲い掛かるが、ラウラは援護だけでなく戦う事もできるので、舞うような足捌きで騎士達の攻撃を躱して翻弄し、そして鋭い一撃で意識を刈り取る。
オリアルはアデルとラウラへの攻撃を防いだ後に、この場で一番強い者……恐らく騎士団の団長であろう者のもとへと向かい、その者と剣戟を繰り広げていた。オリアルであればこの程度であれば簡単に倒す事ができたが、今の世の中の人間がどれほど強いのかを確認するためにこうして長く斬り結んでいた。
……強くもなく、弱くもない。ただ、オリアルが納得できる強さかと言えばそうでもない。中の下と言う言葉が相応しい力量だった。落胆しながらもこんなものか、と呆れや諦めにも似た感情を抱いてオリアルはその者の意識を奪う。……決してこの者は弱くはなかった。ただ、長い間勇者や賢者の試練として生きてきたために、オリアルの感覚がおかしくなっていただけである。
騎士団長がやられた事に怖じ気付いた騎士達はみるみる内に勢いを削がれていき、やがて全滅した。王城に広がる死屍累々と言った様子の騎士達。
王からすれば絶望的な光景だが、幸いにも王はここにはいないし、アデル達も襲撃者達も王などには興味がなかった。
騎士の全滅を確認した襲撃者が外套のフードを取って素顔を露にする。あの人はこんな事をするほどの大バカではない、と認めようとしなかったアデルだが、素顔を見れば無理矢理にでも認めさせられる
「何してんのさ……みんな……しかもナタリア先生にアンドリュー先生まで……」
「アデルさんとラウラさんを助けに来たのですけれど、どうやら必要なかったみたいですね?」
「みたいですね? ……じゃないですよフレデリカさん。助けに来てくれたのは嬉しいよ、ありがとう。……でも、ボク達のために起こすような行動じゃないよこれ。王城を襲撃して騎士を倒すなんて、ただの犯罪者どころか大罪人になっちゃってるよ……どうすんのさ……」
一応礼を言うが、フレデリカ達への心配の方が大きいアデルは泣きそうな顔をして言う。
「大丈夫ですよ、覚悟ならみんなできてますから。……それに、事実を教えてくれた友達が大罪人扱いされているなんて許せるはずがないでしょう? あの話を共有した仲なんですから私達も一緒に大罪人になりますよ」
一蓮托生と言う奴ですよ、と言ってお淑やかに笑うフレデリカ。
その甘い言葉を少しだけ嬉しく思うアデルとラウラだったが、どこか他人とは一線を引いている風だったフレデリカがこうして笑い、自分の事を友達だと言って、秘密を共有したのだからとそれだけの理由で大罪人と言う場所まで堕ちてきた。違和感を感じずにはいられないが、援軍が来たら面倒だからと、取り敢えずアデル達は王城から脱出した。
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アデル達が去った王城では、王が頭を抱えて唸っていた。言うまでもなく襲撃者に騎士団が全滅させられた事に対してである。それ以外にも、地下牢から勇者と神徒が脱獄した事……いや、襲撃者の仲間によって脱獄させられてどこかに連れ去られた事などがあった。
強力で扱い易く都合の良い手駒がどこの誰とも分からない者達に連れ去られた。……いや、誰に連れ去られたのか……どこの組織に連れ去られたのかは当たりが付いている。
それは、勇者や神徒があげた功績を利用して権威を得ようとして失敗ばかりしている間抜けな聖職者共だ。
自分達が盾にしていた勇者と神徒を没収されて、一気に権威が落ちる事を避けたかったからこうして強引に攫い、強気に出るつもりなのだろう。
人質を抱えて立て籠っている犯罪者の如きやり方で。
お前達は最果ての魔物の脅威に晒されている、強力な戦力である勇者と神徒を戦闘に駆り出したければ……などと言って良いようにするつもりなのだろう。
そこまで考えたところで王は苛立ちを隠そうともせずに思い切り叫び、机をドンドンと叩く。今までは自分達が有利に出れていたのに、今では一転して不利な状況に陥っている。有利に出れていた理由も不利になった理由も勇者と神徒である。一国の権勢を左右するほどの存在はやはり色々と都合が良い反面、都合が悪くなってしまう事もある。……それを理解していたからこそ、最果ての大陸の一件が片付けば適当な理由を付けて抹消しようとしていたが、聖職者の手にある勇者と神徒を始末する事はできない。
王がもう一度叫んで机の底に膝蹴りをかましたところで扉がノックされた。入れと許可を出すと入室してきたのは最果ての大陸の監視員、調査隊からの報告を持ってくる連絡係だった。
あぁお前か、と呟いた王はどうせ今回もまた『異状なし』と書かれて砂嵐の進行具合とどうでも良い情報がつらつらと綴られた無意味な報告書なのだろうなと考えながら、亜人の連絡係が跪いて差し出してくる書簡を引ったくり、適当に目を通そうとするが、いつもと違う。
「砂嵐の魔物が上陸した……?」
昨日の報告書ではあと八日は確実に上陸しないだろうと言う話だったのに、どうして?
その疑問への答えは次に書いてあった。それを纏めると、『砂嵐の魔物が後続の魔物から攻撃を受け、無数の砂の粒を射出して反撃して魔物を殺した。砂嵐の魔物は砂嵐から姿を現して魔物の死骸を食い尽くし、再び砂嵐を発生させて砂嵐の規模、進行速度共に上昇させら。……これらの事から今までの砂嵐は空腹状態だったと考えられる』……つまり腹が膨れたから移動速度が上昇して予定よりも遥かに早く上陸した……と言う事である。ちなみに報告書には砂嵐の魔物の正体が下手くそな絵で描かれていた。
王は青褪めて椅子から腰を持ち上げて部屋を飛び出した。もしもの時のために大規模な結界を張らせておいたとは言え、国民の避難がまだであり、騎士達は満身創痍である。
取り敢えず国中の貴族を掻き集めて会議を開いて、国民に事情を伝えて避難させて、あぁ他国に『とうとう最果ての大陸の魔物が上陸した』と伝えて救援要請もしなければ…………思考を纏めながら通り掛かった者全てに指示を出していく王の背中を見送った連絡係はどうするべきかと考えて、取り敢えず部屋を出て、廊下で立ち尽くす。余計な事をすれば首に着けられた『隷属の首輪』が絞まってしまうかも知れないので動けないのである。
廊下を突き進む王はストレスで禿げそうだった。騎士団の壊滅、勇者と神徒を厄介な聖職者に奪還され、最果ての大陸の魔物がこの大陸に上陸した……つまり大陸間の道は繋がってしまっている。
……何よりも、ついこの間最果ての大陸から魔物が来ているのは嘘であると公言したばかりだと言うのに、本当に来ていたと国民に打ち明けなければならない事がみっともなさすぎてストレスを感じていた。どうであろうと国民には打ち明けなければならなかったのだが、しかし手の平を返すまでの時期が早すぎるのだ。
全て台無しだ。何もかもが狂って狂って、予期せぬ方向へ、しかも最悪な方向へと転がってしまっている。
何の代償だろうか。亜人を姑息な手段で奴隷に落として死地に赴かせたりしているからか、勇者と神徒を冤罪で監禁したからか、それとももっと別の悪行による報いだろうか。……秘密裏に行われる悪行によって得た甘い成果を啜って生きてきた自分への天罰なのだろうか。
「ああクソっ!」
過剰なストレスに晒された王は人目も憚らず、『天罰』などと言う、聖職者を認めるも同然な思考を掻き消すようにそう叫んだ。
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「お、お前……ミアじゃねぇか……っ!」
「……お兄……様……? ……あなた……ほ、本当にお兄様なの……っ!?」
乱暴で荒々しい言葉遣いでミアの名を呼ぶ男と、その男を兄と呼ぶミア。
重い考え事と衝撃的なやり取りを目の当たりにした季弥と夏蓮はもちろん、男の隣に立つナルシストっぽい青年は一言も口から音を発する事なく、ただ立ち尽くして困惑するしかなかった。
「おぉ、お兄様か! その感じ久し振りだな……なんかむず痒い気分だぜ。……んな事より、元気してたかよミア?」
「お兄様ぁぁっ!」
久し振りの慣れ親しんだ呼ばれ方に老け顔を綻ばせる赤髪赤目の男は、ミアに調子を尋ねるが、ミアの口からそれに対する答えは発せられる事はなく、その代わりに態度で答えは示された。
「おうおう、大声上げて抱き付けるほどには元気だったって事か」
「ぅぅぅぅぅっ……」
老け顔の男の胸に顔を擦り付けるミアの頭を撫でながら男は言う。
突然すぎる展開には季弥と夏蓮と、ナルシストっぽい男はついていけず、ただ呆然としている。道の真ん中でそんなやり取りをしているためにかなり注目されているが、誰も周りを見れていないために、ミアが顔をあげて言うまでは誰もそれには気付かなかった。
それから逃げるように少し離れた場所にある喫茶店まで逃げ込んだミア達は四人席で珈琲を啜りながら向かい合う。恐らくこの五人の中で一番居る価値がないであろうナルシストっぽい男──ティオ=マーティは「僕は親しい者同士の再会にはなるべく関わらないようにしているのさ」と言って喫茶店を出て王都を彷徨いている。
「さっきは取り乱してしまってごめんなさいね。……あ、お兄様、この二人は私の友達の夏蓮さんと季弥さんよ」
「おう、俺は……ミアの兄貴だ。よろしくな」
名乗るのを躊躇った男は『ミアの兄貴』とだけ言って手を伸ばす。それを握ってから夏蓮と季弥は自己紹介を済ませ、さぁ話し始めよう、と言うところでミアが不満げに言った。
「ちょっと、お兄様……兄貴だ、じゃなくて名前を名乗らないと」
「それは無理ってもんだ。何せ俺は名前を捨てたんだからな」
「……はぁ……?」
少しみない間に頭がおかしくなってしまっていたらしい兄の言葉に目の端を歪めるミア。名前を捨てた、と言う今までに一度も聞いたことがない言葉に季弥と夏蓮も顔を見合わせて首を傾げ、物凄く面倒臭い事情があるのだろうと考える。
「名前を捨てたってどう言う事なのよ?」
「お前には俺がなんのために母さん達の元を離れたかを伝えたはずだぜ?」
「ゲヴァルティア帝国への復讐……」
「そうだ。王族から復讐者にまで堕ちた俺が、胸を張って王族の名前を名乗れるわけがねぇんだよ。……分かんだろ?」
復讐者となった自分が王族の名前を名乗って、王族の品位を貶めるわけにはいかない。だから名前を捨てて名無しとなって、復讐相手であるゲヴァルティア帝国の王侯貴族から呼ばれていた通りに名乗っているわけである。
「……はぁ……じゃあ今はなんて名乗ってるのよ」
「『ライ』だったり『ルーガ』だったり色々名乗ってるが……そんなかで一番馴染み深いのは【冒険王】だな」
「うわ、なにそれダッサ……何なのよ【冒険王】って……自分で王様を自称しちゃってるの? 気持ち悪いんだけど……」
「自称じゃねぇよ勘違いすんな。俺のスキルを知った奴らが勝手にそう呼んでるだけだからな。……それにダサくねぇ」
「いやダサいわよ。それにお兄様のスキルが知られちゃってるのね……まぁいいわ。……そんな事より、本当にやり遂げたの?」
名前を捨てたと宣う【冒険王】が気に入らないのか、ミアは必要以上に罵倒するが、真剣な表情をして尋ねる……当然ゲヴァルティア帝国への復讐についてである。
「あたりめぇだ……ってか知らねぇのか? ゲヴァルティア帝国がどうなったか。……あれだけしたんだから話題になってても良いと思うんだが」
「知らないわよ。私は色んなところを転々としてたから得られる情報にはバラつきがあるもの。季弥さんと夏蓮さんは、何か知らない?」
各地を転々としていれば、情報と入れ違いになる事が多い。その町を離れた後で求めていた情報噂として流れていたり、とっくにその情報が忘れ去られていたりなどで、的確な情報の取得は難しかった。
「……知ってるけど……」
「僕が話すよ。……店に来たお客さんの話によると、ゲヴァルティア帝国は人っ子一人おらず、生き物の一匹もいない廃墟になっていたそうです。一夜の内に貴族の屋敷もお城も……帝国にある何もかもが焼け落ちて倒壊していて、蹂躙の痕跡が残っているだけで、人の遺体は一切ない。こんな大きな事件なのに目撃者は誰もおらず、犯人の割り出しもできない。……その異常性から、ゲヴァルティア帝国の近隣にある村や町では、神の裁きだと言われているとか。何しろゲヴァルティア帝国は亜人の村や町を侵略したりとか、様々な問題行動を起こしていたらしいですからね、そう言われてしまうのも仕方ないのでしょうね」
言い淀む夏蓮に代わって季弥がゲヴァルティア帝国の話をする。その話に何とも言えない表情をしていた【冒険王】だったが、話の一部に覚えのないものがあり、何かを考え込むようにその顔を顰めていた。
「……え……なにそれ……お兄様……そこまでやったの?」
「おう」
「な、なんで無関係な人達まで巻き込んだの……!? 私達をあんな目に遭わせたのは騎士達……いや、王族とか貴族だけじゃない! なんで無関係な人達まで……」
「あのなぁ、ミア。ゲヴァルティア帝国がロクでもない国だと理解していながらそこに住んでいた時点で同罪なんだよ。ロクでもない国だと理解していても、でも侵略などで十分な利益を得て豊かな暮らしができている事に満足して国の暴虐を黙認していた……立派な共犯者じゃねぇか。国の要は国民だ、国民がいなきゃなりたたねぇ……だから徒党を組んで反発すれば侵略とかを止められたわけだ。それをしないって事は黙認、即ち共犯だ。違うか? ……もしかしたら引っ越す金がない奴がいたのかも知れねぇけど、あの国に住んでるだけで同罪なんだわ」
「力を持たない人達が反発したとしても、あっという間に騎士達に制圧されて反逆罪で牢屋行きよ?」
「国民全員が牢屋行きになれば困るのは国だ。だれが経済を回すんだって話だよな? ……それにな、組織に属する者の失態は連帯責任として他の人間にも被害を齎す……お前も王族なら理解できんだろ? そうだな……王の怠慢は宰相への負担になるって言えば分かり易いか?」
理解できない。……できなくはないが、極端すぎる。
住んでいるだけで罪だなんて……生まれが貧乏で、国への不満も抱いているけど移住ができない人間すらも同罪なのか?
国民全員が反発すれば国を止められただなんて……そもそもその考えが思い浮かんでそれを実行したとして、それに協力する者など極僅かなのだろうから、実行は不可能である。それなのに、そうしなかったから国の横暴を黙認したから、同罪だ、共犯だと言って片付けるなどあまりにも理不尽だ。
ミアには兄の考えが理解できなかった。
あの夜、言葉を躱した時はこんなではなかった。
……確かに逃げない奴は皆殺しだ、と言うような事を言っていた気がするが、それはただの意気込みだと……やる気の表明だと思っていた。
もし本当に実行するつもりだと理解していたとしても、あの時の言葉には今の兄が言っている動機よりも正当なものがあったから止めなかった。
それなのにどうして……と、ミアは頭を抱える。
「ああだこうだ言ったけどよぉ、何よりも、こっちの国の人間が皆殺しにされてんだから、復讐者としてはあいつらと同じように、皆殺しにせずにはいられねぇ。有罪か無罪かとか、殺された数は関係ねぇ、皆殺しにされたから皆殺しにする。それだけだ。誰がなんと言おうともそれが間違いだとは思えねぇ」
頭を抱えるミアに【冒険王】が言うが、ミアにはその言葉は届いていなかった。
今までの兄は誰にでも優しくて、人を思い遣る気持ちがあって、言葉遣いは悪いけど頼りがいがある善人だった。
だからミアは再会した時に抱き付いて胸に顔を埋めたりできたのである。
だから……
「お兄様の勘は、お兄様の安全を保障してるの?」
「…………あぁ、大丈夫だろ」
そんなあからさまな嘘を吐く兄を心配できた。亡き父に似て嘘を吐くのが下手くそで、でも最も兄らしいその兄を心配できた。
全然大丈夫じゃないじゃないか、怪我こそしていないが、壊れてしまっているじゃないか、嘘だったんじゃないか。
分かっている。辛く苦しい旅の中で様々な困難や挫折に直面して、死にそうに、折れそうになったんだろうと分かっている。だけど気持ちが、感情が追い付かない。殺人鬼……虐殺者へと……大罪人と化した得体の知れない化け物への拒絶の感情が拭えない。
「……んじゃ、俺はもう行くわ。久し振りにミアにも会えたし、一応俺にも用事……目的があるんでな。……またどこかで会おうぜ」
拒絶の言葉を投げ掛けられずとも、拒絶されている事を理解した【冒険王】は複雑そうな顔をして席を立つ。
アイドラークの王族特有のやたらと鋭い勘は、妹に拒絶されているなどと言う知りたくない事も勝手に察して無理矢理にでも理解させてくるから厄介である。……それによるショックのせいだろうか、元々老け顔がより一層際立ち、さらに老けたように見えてしまう。
席を離れる【冒険王】を頭を抱えながらも目で追うミアは、兄妹の仲に大きな亀裂が生まれたのを感じてしまう。
何か声をかけて呼び止めなければ……そう考えて頭から手を離し、その手を兄の大きい背中に伸ばすが、しかし届かない。……それは距離的な問題か、それとも無意識の内に触れたくないと拒絶して肘を曲げてしまっていたからか。それは定かではないが、もし呼び止められたとしても自分はなんと言うつもりだったのだろうか。
考えもなしに呼び止めて、ミアが考えを巡らせて言葉を発するのを待ちきれなくなった兄が痺れを切らして去っていってしまえば、それこそもう二人の関係は終わりだろう。
それに、兄へ拒絶の感情を抱いてしまっている今は話すべきではないだろう。だからこれでよかったのだ。
「またどこかで会おうぜ」
兄はそう言って去っていったのだ。きっといつか……そう遠くない未来……また会えるだろう。
これは勘でしかないのだが、兄のその言葉は嘘ではないと感じたのだ。
……大丈夫だ、アイドラークの王族の勘はよく当たるのだからきっと……いや、必ず会える。その時までに気持ちを整理しておこう。しっかりと兄と向き合おう。
今現在に至るまでに多くを失ってしまったけれど、その多くの犠牲の元に私達は生きている。そんな風に生かされている罪深くて尊くて、かけがえのない家族なのだから、仲直りして今まで通りに過ごしたい。
圧倒的暴力の前に抵抗できず、命を奪われてしまった自国の人々に負い目なく『ありがとう』と言えるほどに幸せにならなくてはならないのだ。
ミアは兄の背中へと伸ばしていた手を机の上に下ろして、珈琲が入った容器を手に取り、そして口元へと運ぶ。
……苦いけれど、苦味に潜む深い味が舌に残って美味しさを感じさせる。その苦味と旨味が程よく刺激を与えてくれた。
現状はこの珈琲のように、決して甘いものではないと認識できた……それと同時に苦味の中にも得るものがあると、苦味は苦味だけではなく味わい方によって様々な赴きを齎すものなのだと知れた。
そうして珈琲を飲み干したミアはグーっと伸びをして言った。
「……んんー! さて、そろそろ帰りましょうか! 季弥さん夏蓮さん!」




