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第323話 縺れて歪む

 フェンリルが封印されているダンジョンから近隣の村へ、そして草原でラヴィアと出会い、魔法の王──魔王となり、辺り一帯を荒野へと変えたクルトはそこから南下していた。

 目的地があるわけではないが、荒野のど真ん中で立ち尽くしていても、ラヴィアの目的になるようなものを見つけられるわけでもなく、どうしようもないので取り敢えず南下している。


 幾つもの村に立ち寄り、夜を明かし、さらに南下し続ける。そうして辿り着いたのは久し振りに感じられるミレナリア王国の王都だった。

 ここであれば、ある程度なら周囲の地形も把握しているのでラヴィアの目的を探すのには向いているわけである。


 知り合いと出会してしまう事だけが心配だが、特に疚しい事もない。強いて言うならば誰にも何も言わずに失踪したために、怒られたり心配されたりする事が心配だが、出会わなければどうと言う事はない。……幸いにも、ここはミレナリア王国屈指の都市である王都だ何百、何千万といる有象無象の中でピンポイントに遭遇する事など皆無に等しい。


 なので堂々と街中を進み、服飾店や飲食店、雑貨屋や武具店など様々な場所へ立ち寄り、ラヴィアが興味を抱くものを探す。

 アクセサリーに興味を示したのならば、ここで働く事を提案し、食物の興味を示したのならばそこで働く事を提案する。


「違うんですよね……」

「何がですか?」

「確かにアクセサリーとかご飯、武器や防具などは見ていて楽しいですし欲しくもなりますけど、それを取り扱う店員になりたいかと言われれば違うんですよ」

「なるほど……俺にはよく分かりませんがそう言うものなんでしょうね。ではどうしましょうか……」


 アクセサリーなどに興味はあるが店員ではなく客として在りたいと言うラヴィアの要望に、顎に手を当てて考え込むクルト。


「……それと、私はもう誰かに従って生きたくないです。奴隷のような上下関係は懲り懲りですから。……でも、それじゃどこでも働けないって言うのは分かってます。だから、比較的自由で、働くか働かないかを自分で決めれるような……そんな感じのがいいです」

「それでしたら冒険者がピッタリだと思いますよ。クエストを受けるも受けないも自由ですし、依頼人と冒険者の仲介役であるギルドを通してクエストを受けるので、依頼人に従うと言うその認識は多少なりとも薄れると思います。……ただ、戦う力がないラヴィアさんにはかなり厳しい仕事かも知れないですけどね」


 冒険者と言う職業は誰でも簡単になる事ができ、いつでも自由に働ける、まさに極楽のような職業だ。

 一攫千金を狙って難しいクエストを受ける者や、強力な魔物を狙って狩って売ったりする者……レベルを上げて強くなるために魔物を倒したりする者……クエストをこなして誰かの役に立ちたいという者……騎士になれなかったがそれが叶わず仕方なく冒険者になる者……絶望的に他の職業への適正がない不器用な者……など、様々な理由で誰でも冒険者になれるのである。


 誰でもなれてしまうが故に、それだけ猛者が多くなってしまい、成長の余地がある才能のある者や努力をする者が埋もれてしまう職でもある。


 そんなところにラヴィアを放り込めばあっという間に埋もれてしまい、いつかどこかで人知れず朽ちて行くような気がして、クルトは冒険者の事を口にするのを躊躇ってしまった。

 自分が冒険者になった時は、賢者の力があるから埋もれる事はないだろうと気軽にできたのだが、そう言った力の証を持たないラヴィアに冒険者の道を歩ませて良いのだろうか。


「冒険者……! 面白そうで良いですねそれ! 見に行きたいです!」


 あれこれと考えるが、嬉しそうにはしゃぐラヴィアを見ていればどうでもよくなってくる。

 だいたい、自分はラヴィアにとっての他人であり、親でもなければ家族ですらないし、恋人でも親友でも友達でもないのだ。ならば他人の心配をするのは無駄だと言えるだろう。……他人の事を考える魔王など聞いた事ない。



 そうしてやってきた冒険者ギルド。

 相変わらず様々な風貌をした者達が集まっている。上裸の筋肉達磨だったり、真っ黒なローブで顔を含む全身を覆う者だったり、煌びやかな鎧を着て美女に囲まれている者だったり、喧嘩をしている者など、本当に様々だ。


「凄く……個性的な人がたくさんいます……ここにいる全員が冒険者なんですよね? もしここで働くとして、私は上手く馴染めるでしょうか……」

「別に冒険者にならなくとも、そこら辺で魔物を狩ってそれを売ったりするだけでも十分にお金は稼げます。だから、馴染めないと思うのなら無理してならなくてもいいんですよ?」

「……そうですね……他のところも見てからじっくり考えて決めたいと思います。……行きましょうクルトさん」


 冒険者ギルドを出て、再び他の職業を見て回る。錬金術師だったり、加治屋だったり、司書とか騎士などなど。



 そうして王都を歩き回っていれば、太陽が沈み周囲は赤くなり始めていた。とても明るくて眩しいが、この後に来るのは暗闇だ。街灯の類いが皆無なこの世界では、夜間に出歩くのは相当なバカのする事だとされている。それは悪党に身ぐるみを剥いでくださいと言っているようなものなのだから。


「今日はありがとうございました、クルトさん。……さ、もうすぐ暗くなりますし、続きは明日にして宿屋を探しましょう」

「いえ、この王都には俺の家がありますのでそこでいいでしょう。家があるのにわざわざ宿屋に泊まる必要はありませんから。……あ、心配しなくても、ラヴィアさん一人ぐらいなら余裕で泊まれますよ」

「……あ、あぁ、そうなんですね! えっと……じ、じゃあお言葉に甘えて今日はお世話になりますね!」


 戸惑いながらもそれを受け入れるラヴィア。どこに戸惑う要素があったのか疑問に思うクルトだったが、そんな事よりも考える事があった。

 それは親が突然現れたラヴィアを受け入れてくれるか──ではなく、少しでも心を持ってくれているか、と言う事だった。


 クルト及びアデルとラウラの親……家族はそれぞれ『賢者』『勇者』『神徒』の『称号』を授かったその日からクルト達を子供とは思わなくなってしまっていた。……正確に言えば、子供とは思っているのだろうが、子供に対する接し方をしなくなったのだ。……勇者賢者、神徒としての使命を全うするために国外へ転校する際にも付いてこないと言う有り様である。

 今までは愛を持って接してくれていたのに、『称号』を得てからはまるで、他人を養っているのではないかと思うほどにどこか冷たくて冷めているようで、愛を捨てたかのようで、無関心に近いような関わりだった。


 クルトは理解しており、期待していた。『賢者』という『強制の称号』から解放された今、『称号』を授かる以前と同じように愛を持って関心を抱いて接してくれるようになっているのではないかと。『強制の称号』が与える親への思考操作の影響が消えているのではないかと。



 そんな自宅の前までやってきたクルトは、期待を胸に、張り裂けそうなほどの緊張を抱いて玄関の扉を開いた。


 ただいま……と、言うつもりであったがどうにも声がでない。喉に何かがつっかえたような感覚がして、パクパクと餌を求める金魚のように口が動くだけとなっている。


「お、お邪魔しまぁす……」


 クルトが抱く緊張とは別種の緊張を抱くラヴィアは、扉が閉まらないように支えるクルトの前を通りすぎて玄関へと足を踏み入れる。

 おずおずとしたような、ビクビクと何かに怯えるような……小動物のような振る舞いに思わず頬を緩めるクルトはその勢いのままに「ただいま」と声を発し、心の中で「ありがとう」と呟いた。


 その声に反応して家の奥から顔を出すのは、茶髪に茶色い目と言う、クルトと同じ髪色で目の色をした女性だ。


「あら、お帰りなさいクルト。そっちの子は……お友達?」

「そうだよ」

「は、初めまして! 私、ラヴィアって言います!」

「ラヴィアちゃん……いい名前ね」

「あ、ありがとうございます!」


 どこか感情がない物言いは、クルトがアブレンクング王国に向かう以前と全く同じものだ。本来であれば感じるはずのない心の距離、冷たさ。

 濁流のような思考で『強制の称号』の思考操作を振り切ったとしても『賢者』の『称号』が消えたわけではないのである。これは『賢者』の『称号』に含まれている思考操作と言う機能だけが停止しただけで、しっかりと『強制の称号』は機能していると言う事だろうか。……家族への情などと言う、魔王討伐の邪魔になり得る心の鈍りを排除しようと『強制の称号』が機能しているのだろうか。


 何にせよ、これで明らかになった。

 何も変わっていない事が明らかになった。賢者や魔王になっても、変えられない事、どうしようもない事が確かにそこにはあった。上っ面だけの強さを江田島ところで、他の力を持たないクルトにはどうしようもなかった。

 だからクルトは諦めて冷ややかな母を受け入れる事にした。


「行こうラヴィアさん。部屋まで案内します」

「あ、はい」


 キョロキョロとしていて挙動不審なラヴィアの手を引いて二階へと続く階段を上がり、廊下を少し進む。


「ここ空き部屋のはずだから、取り敢えずここを使ってください。布団などは後で俺が運んでおきます。……俺の部屋は隣なので何かあったら来て下さい」

「はい、分かりました!」


 そう言って隣の部屋に入っていくクルトを見送ってからラヴィアは目の前の扉からへ手を掛けて部屋に入る。空き部屋と言うから多少は埃っぽいものだと思って身構えていたが、しかし以外にも埃の類いは舞っておらず、それどころか最近掃除されたのかと思うほどに綺麗な部屋だった。


 窓から差し込む夕日が綺麗だったので、部屋の中をじっくり見回すよりも先に窓へと歩み寄り、窓を開けて顔を出す。

 夕日に照らされる王都の街並みと、行き交う人々。そんな光景に「わぁ……」と小さく声を漏らすラヴィア。


 ……と、そこで何か異質な気配がした。気になって目を向けて見れば、そこにいたのは白い服に黒いズボンを穿いている、見た感じ普通の男が他の人間に紛れながら歩いていた。


 特に見覚えがあるわけではないし、どこかで出会って関わった事もないはずだ。なのにどうしてこれほどにも違和感を覚え、恐れを抱き、親近感をも抱いているのだろうか。

 違和感の正体を探るが、見たところおかしいところはない。恐れを抱くような要素もない。出会った事すらないのだから親近感を抱くはずもない。


 だが、前までは鋭くなかったはずの勘がそう告げているのだ。

 関わってはいけない、と。


 あれは普通ではない。普通から少しだけ逸脱しているのではなく、かなり逸脱している。どうしてあんな存在が人間に馴染んでいるのか分からないし、馴染もうとしている理由も分からない。

 どうしてあんな異質さを湛えながら人間の形をしていられるのかが全く分からない。少しぐらい形が崩れていてもいいのではないかと思うが、服に隠れて見えなくなっているだけで実際は崩れているのかも知れない。


 そんな妄想をしてしまう程にラヴィアの視線はその男に釘付けになっており、今自分がどこにいるのかさえ忘れ、先ほどまでの浮わついた気分が嘘のように冷たくなり、異質な存在へと頭を回転させていた。


 だからいち早く気付く事ができた。道を歩く男が不意に顔をこちらに向けた事に。今まで周囲に目もくれず前を向いていた癖に、ピンポイントでラヴィアのいる方向へ視線を向けたのだ。咄嗟に隠れたが、恐らくバレているだろう。


 背中を流れる冷たい汗を拭いたくなるが、そうする余裕もなかった。

 窓の下にしゃがみこみ、口を手で押さえて声が漏れないように、呼吸や鼻息で生じる音すら漏れないように強く押さえる。

 距離があるから聞こえないはずだが、あの異質さを前にすればそんな常識が吹き飛ぶのは確実だった。


 だからラヴィアは少しでも気付かれていない可能性と、気付かれないように……という努力をした。

 害意を向けられたわけではないのだが、あれに関して分かっているのは異質さだけだ。故に相手が何を思いどう行動するのかが一切分からない。確実に生き残るために息を潜めて、死なないために、死んだかのように振る舞う。



 それからどのぐらい経っただろうか。窓から差し込む夕日はとっくに消失しており、開けっ放しにされた窓からは冷たい夜風が吹き付け、カーテンを揺らしている。

 熱を帯びたあらゆる感覚が、冷やされていくのを感じる。

 そろそろ良いか、と考えるラヴィアは恐る恐る窓から顔を出す。広がるのは大きな都市とは思えないほどの暗闇と、他の建造物の窓から漏れる明かりだ。星明かりとその窓からの明かりのおかげで完全な暗闇とはなっていないが、限りなく暗黒に近い暗闇である。

 こんな状態で外が鮮明に見えるはずがないのだが、ラヴィアは安堵した。やはり見えたのは薄い暗闇であり、行き交う人など全く見えなかったが、先ほどまで感じていた異質さが存在していない。


 安堵すればへなへなと足から力が抜けていくのが分かる。見ただけだし、妄想でしかなかったのだが、それでも怖かったのだから仕方ないのである。


 ……と、そこでクルトの母が自分とクルトを呼ぶ声がしたので部屋を出て、廊下でクルトと鉢合わせになり、下の階へと下りる。

 懐かしく思える温かい手料理に涙目になりながらもその夕飯を平らげ、寝支度をしてから夜を明かした。

 クルトが夜這いに来なかったのが少し……いやかなり不満だったが、自分とクルトはそう言う関係ではないのだから、と自分に言い聞かせて必死に平静を装った。


 いったいいつから自分はクルトにこんな感情を抱くようになったのだろうか。恋愛対象として好きなわけではない。知り合いや友達として見れば好きではある。だがそれだけだ。なのにどうして自分はクルトに対して性的な事を求めているのだろう。いつから欲求不満に……情欲にまみれ始めたのだろう。


 ラヴィアは考えるが結局答えは出ず、午前中はクルトに職探しを手伝ってもらい、一緒に昼食を済ませて、そうしてモヤモヤした感情を引き摺りながら冒険者になろうと決心した。







~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~







 街道を進むマグロールとダイロンとその他のエルフ。

 行く宛はないのだが兎に角北上している。南の方にはエルサリオンとナルルースがいる事は、【契約】のスキルで結ばれた契約を反故にしたエルサリオンに与えられた枷で把握できたのでそうしている。


「そう言えばダイロンさん。さっき拷問官がマグロールを恨んでるって言ってたが、詳しく聞かせてくんないか?」

「あぁ、そう言えば落ち着いたら話すって言いましたね」


 エルフの一人がダイロンにそう言うと、思い出したような素振りを見せたダイロンは話し始めた。


「簡単に言ってしまえば、痴情の縺れ……と言うものになるのでしょうか。マグロールにはイドリアルと言う恋人がいたのですが、それを知ってもなお、イドリアルを想い続ける者もいたんです……それがあの拷問官ですね。イドリアルは拷問官からのアプローチを受け、それを躱し続けますが、やがて精神的な限界がきてしまい、私のところに相談しにきたわけです。そして私のアドバイスを受けて、イドリアルに強く拒絶され、ショックを受けたであろう拷問官はそれ以降、直接的にイドリアルとマグロールに関わる事はなくなりました。……細かいアプローチはしたり、マグロールへの嫌がらせは続けていたようですが、姿を現す事はなくなりました」

「イドリアルって言うと……あいつか。精霊樹の門番だったやつだよな」

「えぇ、その人です」

「なるほどなぁ……そんな事が……じゃああれか。マグロールだけ扱いが酷かったのはやっぱり拷問官に積年の恨みを晴らされていたからか。……そういやイドリアルはどうしたんだ? 拷問官の想い人だったんなら、マグロールのように痛め付けられたり、他の奴らみたいに拷問の過程で死んじまったわけじゃねぇんだろ?」


 よくある男女の柵です。と言って話すダイロン。直接この目で見てきたわけではないが、イドリアルから相談を受けた際に全て聞いていたのでこうして話す事ができている。小さなアプローチや嫌がらせについても、自分が受けたものやマグロールが受けたものの報告されていたために知っている。

 ……ちなみにダイロンとイドリアルの関係は、ただの親しい友人と言うだけのものだ。


「それが……どうやら拷問官は愛情を憎しみへと変化させていたようでして……「どうして俺を受け入れなかった」「お前が受け入れなかったせいで幸せになれなかった」「俺とマグロールのどっちが優秀かも分からないのか」とか言って執拗にイドリアルさんを甚振っていました。……会話の内容は全部聞こえてきましたよ。なにせ私はその隣の牢屋にいましたから。……ですから、イドリアルさんの痛みに泣き叫ぶ悲鳴も全て聞こえてきていました。それが日に日に弱々しくなっていって、あいつの笑い声が大きくなっていって……イドリアルさんの最後の呻き声が途絶えて、あいつの小さな舌打ちがよく聞こえましたよ。……それ以降、全てのやり取りが鮮明なまま繋げられた夢ばかり見ます。夢を見ていなくても、ふと鮮明な記憶が頭を過って私の心を蝕むんですよ」

「酷い……話ですね……人の事を考えられない可哀想な人だったんでしょうけど、ここまでくると微塵も可哀想とは思えないです……」

「俺は別に何とも思わないけど、姉ちゃんが人にそう言うんだったら相当なんだろうね」


 ダイロンの話を聞いた少女が祈るように手を組んで言い、その少女とよく似た綺麗な顔をしている少年がどうやら姉らしい少女の発言にそう反応する。


「またギルミアはそうやって他とは違うって無感情アピールして。いつかみんなに嫌われちゃうよ? 昔みたいにお姉ちゃんお姉ちゃんってしてればいいのに」

「……アピールじゃなくて本当に感情を表し辛いだけだよ。俺だってもっと表情と感性を豊かにして振る舞いたいよ。だけどどうやっても無理なんだ」

「ガラドミア……お前の弟が感情を持っていようがなかろうがどうでもいいんじゃないか?」

「うっ……そうですよね……ごめんなさい……」


 少女──ガラドミアが冷めたような目で弟──ギルミアを見るが、ギルミアはそれを否定する。

 そしてそのやり取りを妨げるのが、ダイロンにこの話を聞き出したエルフ──ソルロッドだ。


「今はそれよりも拷問官だろ。あいつの服を着た見せかけだけの死体は転がってたけど、あいつ本人の死体はどこ探してもなかった。俺達は殺してねぇし、警備兵も無力化はするだろうが、殺しはしないはずだ。……となれば、あの拷問官は生きてるはずで、恨んでいるマグロールが生きていると知れば、まぁ、ドライヤダリスを出て追ってくるだろうよ。……この世界はあの森なんかより圧倒的に広い。遭遇する確率なんか限りなく低い……が、その分俺達の痕跡も多く残るし、確率に甘えてちゃいつか出会すかも知んねぇ。だからこれからの俺達の身の振り方を──」


 ソルロッドがそこまで言ったところで前方で何やら揉めている者がいた。片方は薄汚い全身鎧を纏った者と見覚えのある服を着た女の二人で、もう一方は馬車の中から女の手を引く数人の男達だ。


 薄汚い鎧を纏った者はその体格から男だろうと考えられる。その男は、馬車に乗っている男達の手を女から引き離そうとしているが、何分相手の方が数が多い。しかしそれでも女の足を地面に繋ぎ止める事ができるほどには拮抗している事から、薄汚い鎧の男がかなりの力を持っているのは確かだ。


「だ、ダイロンさん。あの女の人の服……あれって確か……」

「えぇ間違いありません……が、しかし私達の知る方と性別が違うのは明白……ならばあれは追い剥ぎとか、あの方を殺して奪ったものなのでしょうか? ……いえ、そう言えば確か、城の宝物庫に性別を逆転させる薬があったような──」

「何を考え込んでるんだ、早く助けに行かねぇと!」

「あ、ソルロッドさん! 危ないですよ!?」


 ガラドミアがダイロンの服の裾を引っ張り前方の女性を指差し、それを見たダイロンも顔を青くして思案し始めるが、正義感に駆られたソルロッドは一人で前方の諍いへと向けて走り出した。

 ガラドミアが声を上げてそれを追い掛け、ギルミアもそんな姉に続いて走り出した。

 残されたダイロンはソルロッドいるなら大丈夫だろうと考えてやや駆け足でそれを追い掛け、未だに心ここに有らずと言った様子のマグロールは俯きながら完全な徒歩で前へと進む。


 逃げ出したは良いものの、未だにその心は拷問の記憶と拷問官と拷問官に殺されてしまったイドリアルに囚われていた。

 恋人が苦しんでいたのに自分は外を彷徨いてそして無様にも捕まってしまい、そして何もできずに拷問されていた。


 マグロールが捕まった当初、イドリアルが生きていたのは、拷問官が持ってきたイドリアルとその他諸々の吐瀉物で確認している。つまり、囚われて拷問され、叫びながらも拷問官に憎まれ口を叩いて、決して屈しない……と自分の事だけを考えていたその時のいつかにイドリアルは殺されてしまった。

 屈する事なく拷問は耐えきったはずなのに、どうしてか今も拷問されているかのような幻の痛みがマグロールの心を傷付ける。


 自分の事だけを考えて生きて、数部屋先と言うかなりの近距離に居たイドリアルが拷問されている時に安堵して体を休めて体力を回復して……そして無残にもイドリアルは殺された。


 近くにいながら助けられず、恋人が苦しんでいる中安堵し、自分の事だけを考えていた。


 その事実があれからずっとマグロールを打ちのめす。

 爪を剥がされた時より、歯を引っこ抜かれた時より、手相に沿って切れ目を入れられた時より、回復できるように肉を少しだけ抉られた時より、絶え間なく鼻腔をつく鉄臭い匂いや、吐瀉物の味などよりも苦痛を感じている。


 取り返しのつかない人体の欠損などをしたわけではないが、それと同じようにこの痛みは一生消えないのだとマグロールは悟る。


 こんな苦しみを味わうぐらいなら、旅立ったイドリアルを後を追ってみるのも良いかも知れないと考え、すぐにその考えを振り払う。


 もうあんなに苦しい無力感を味わいたくない。

 もう何もできないのは……何も存在しない虚無を味わうのは嫌だ。


 死んでしまえばこの苦しみとはさよならなのだろうが、きっと自分の死体にはそれらが残されたままになるのだろう。何も言わず聞かず見ずの、不動の死体は無力でしかないのだから。


 なら……死ねない、後を追えない。死んでしまったイドリアルが自分に未来を託してくれたのだと思い込んででも、醜い妄執に溺れてでも、どんな手段を使ってでも自分を保って生き続けなければならない。


 二度と同じ過ちを繰り返したくないから……自分の目的に協力したばかりに殺されてしまったイドリアルのためにも、絶対にエルフの意識改革を成し遂げなければならない。


 決心するマグロールは顔を上げて、馬車の男達を無力化し終えたダイロン達の元へと足を進める。また何もできなかった事に僅かに無力感を抱きながら。

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