第319話 枷は解かれる
アデルの体を寄り代とするパニエは、魂の集合体を斃すために、現状もっとも力があるであろう秋の協力を得ようとしたが、あっさり断られどうする事もできなくなってしまったために、取り敢えず元いた場所へと戻る事にした。
肉体はアデルのものであるが、表層に出てきている人格の存在は勇気の女神パニエである。アデルは精神の奥底でパニエが操作する自身肉体の感覚をパニエと共有し、現在の状況を把握している。……と言っても、パニエには共有している覚えはないのだが。
そのおかげか、自身が習得していなかった【絶刀 阿修羅】などと言うスキルを使われるのも知っていたし、フェンリルやスコールやハティの存在も知っていたし、一緒に冒険者として活動していた秋が魔王である事すらも知っていた。
それらを知っているだけのアデルは何もできず、何も言えない事にもどかしさを覚えていた。だからその分、繰り広げられるやり取りやパニエの言動に集中し、少しでも多くの事を知って自分のものにしようとしていた。
……まず、オーデンティウスを無力化した【絶刀 阿修羅】はパニエが所持するスキルなのだろうが、アデルの肉体に残っているこのスキルの使用感覚は鮮明に覚えているので、自分でも使えそうだった。
……ついこの間まで敵対していた魔物と勇気の女神を名乗る自身の体を操作する人物が争わなかったのが不思議だった。自分であれば迷いなく襲い掛かっていたであろう場面に何もできない事が酷くもどかしかった。
……一緒に冒険者として魔物を討伐したりダンジョンを探索したりしていた友達であり、仲間である秋が勇者である自分の敵──魔王だと知って、アデルは頭を抱えたくなるような衝撃を受けるが、体を操作しているのはアデルではないためにそれは叶わない。
そしてそこで重大な問題が発生していた。
パニエは、アデルの体を寄り代として魔王である秋に接触するため、自分がアデルのステータスに付与した『勇者』の称号──『強制の称号』を無力化していた。いくら神と言えど、称号が付与された肉体と魂の間に割って入れば少なからず『強制の称号』の影響を受けてしまうので、こうして無力化……無効化する必要があった。
なので、パニエをその身に宿していようとも、五感の全てや思考や感情を抱けてしまっているアデルは『強制の称号』による思考操作の影響を受けず、魔王討伐への迷いを見せていた。相手は友達なのだから迷いを抱いて躊躇ってしまうのも無理はない。
……本来であればアデルが自我を持てないようにして、アデルを寄り代とするはずだったのだが、近くには異世界からの外来生物であるオーデンティウスが存在していた。この世界に存在するはずのない生物……異物が、パニエがアデルに憑依した瞬間、無意識の内に何らかの形で自我の昏倒を妨害してしまったのだろう。
そのせいでアデルは思考する。思考できてしまう。
(クドウさんが魔王だなんて、ボクはどうしたら……? こんな時にクルトがいてくれたら相談できたかも知れないのに……いや、ダメだよね。いい加減ボクもボクでボクの事を考えられるようにならなくっちゃ。……もしかしたらクルトはもうボクの面倒を見きれなくなっていなくなっちゃったのかも知れないし、きちんと自分で考えて行動できるようにならないと)
知らず知らずの内にクルトに縋って求めている思考を振り払い、自分の行動を改めるアデル。……体に自由があれば頬をペチンと叩いてから、ギュッと握った両の拳を胸の前にしていた事だろう。所謂「がんばるぞい!」と言うようなポーズだ。
アデルはこのようなあざとい仕草を自覚せずに素でやるから恐ろしいのである。実はフェルナリス魔法学校にいた時はそのせいで男子からは人気があり、女子からは煙たがられていたのだが、転校した今となっては関係のない事だ。
(……ボクは倒すの? あの恐ろしく強いクドウさんを? そんな事できるの? もしできたとしても、本当にそれでいいの? これがボク……勇者の役目だとしても、ボクはそれで本当に満足できるのかな……友達を魔王だからってそれだけの理由で倒すのは本当に正しい事なのかな……それに、今の魔王が何か悪い事をしたって言う話も聞かないし、本当に魔王はみんなが言うような絶対に倒さないといけないような悪い存在なのかな……)
魔王を倒れ事で満足できるのか、友達をつまらない理由で討つ事が正義なのか、悪事を働いたわけでもないのに必ず倒さなければならないのか……どうしても否応なしに思考せず決めつけて殺してしまっていいものか。
(いいわけがない……魔王は魔王だけど、何も悪い事をしていないのなら裁けない……討伐する必要はないはずだよ。何かよくない事を企んでいて、それに向けて準備をしているとしても、実際に行動に起こされない限りは悪だと判断できないから倒せない。……勇者なら、きちんと自分を持って善悪を見定めて行動しなきゃいけない……それが神様から与えられた強大な力の振るいかただから。 力があるからって、周りが悪だと言ったから倒さなきゃいけなくたって、それを見定めて判断して行動するのはボクだ。そう、前みたいにクルトに頼りきりじゃダメなんだ。ボクは自分の考えを意思を持って行動する。──だから、魔王は……クドウさんは斃さない)
アデルが出した結論はそのようなものだった。『強制の称号』に支配されず、抑制されず、思考を操作されずに導き出したアデルの答えだ。
勇気を持てず、決断する事ができず、頼ってばかりで、弱く情けない癖に無責任な正義を振り翳して、考えて行動できるクルトに劣等感を抱いていて、意思とは程遠い臆病で怖がりだったアデルが出した結論だ。
勇者としての責任が弱くかったアデルをここまで成長させたのである。
勇者として相応しい立ち居振舞いをしないと、強くならないと……判断して頼るのもほどほどに、正義を振るう責任を持って、クルトへの劣等感を打ち払って、勇気を持たないと……ここ暫くラウラやクルトと過ごす中で、そんな事を意識させられて行動していた。勇者や賢者や神徒として大きな組織に迎えられれば嫌でも意識してしまうのである。
あの時、『強制の称号』が最果ての大陸からやってきた五体の魔物に向かわせた事も大きかった。思考操作されて立ち向かわされたとは知らないアデルはそれを勇気だと思い込み、自分の心に自信をつけたのだから。
それはそうとして、しかしアデルは疑念を抱いていた。
どうしてこんな簡単な事に気付けなかったのだろうか……と。悪を成していないのだから裁く必要がないのは明白。なのに教会関係者や運命の女神ベールは魔王を完全な悪として倒したがる。そしてそれを勇者の役目だから、と疑いもせずに受け入れていた自分がいた。……それがやけに不自然に思えて仕方なかった。
(どうしてボクはあんなに必死になって微塵も善悪を考えもせず、魔王討伐に乗り出していたんだろう……これはボクだけじゃなくてクルトとラウラもだ。あの二人ならこの事に気付いていてもいいはず……ボク達はこんな簡単な事にどうして気付けなかったんだろ……疑う余地なんかたくさんあったのに……まるで、視野が狭まったかのように物凄く思考が制限されていたような…………いや、そうか。もしかしたらボク達は本当に思考を制限されていたのかも知れない。それだとしたらボクが……同じく魔王討伐を目的としているクルトやラウラすらもが魔王討伐に対して疑念を抱かなかったのも納得できる。じゃあそれをやっているのは、ボク達に魔王を討伐させたい人……魔王の敵対者って事になる。……それはつまり教会関係者……もっと言えば神様がボクの思考を制限して盲目的に魔王討伐をさせようといた……? それが今、何らかの拍子に……今? ……今は……ボクの体に神様が宿っている……じゃあこれがきっかけになってボクは思考の制限から解放されたのか?)
あくまで推測にすぎないが、アデルはこれが限りなく真実に近いものだと考えていた。自分はともかく、物事を深く見るクルトが、物事を遠くから見れるラウラがこうして悪行を重ねていない魔王を討伐しようと躍起になっていた理由にもなる。
そしてこれは勇者として幼い頃から抱き続けてきた考えであるから、幼い自分達を知り得ないはずの教会関係者ではないものだと思われる。そうなれば必然的に、自分達の思考に制限をかけているのは神だと言う事になる。……その時点でアデルとクルトが勇者と賢者である事を知っているのは、他ならぬアデルとクルト……そして称号を授けた神以外にいないのだから。もしそうであれば勇気の女神パニエが憑依してきたタイミングでその思考の制限が解けたことに頷ける。
……思考とは脳を使って行う肉体的なものであるから、思考の制限がかかっているままの肉体に憑依する事は避けたい、だから勇気の女神パニエはアデルにかけられた思考の制限を一時的に取っ払ってこうして憑依しているのだろう。
……ちなみにアデルの思考は精神世界にいる邪神やシュウが思考できているものと同じ原理だ。つまり人の中にいる人のような立場なので、アデルの肉体でパニエによって行われる思考の影響を受けていない。
これで納得がいった。全て納得できた。
大聖堂に入る際にいつも解呪の魔法をかけられているため、どんな手段を使って思考に制限をかけているのかは分からないが、思考操作系の闇魔法やスキルであれば解呪の他に、思考を操作されている本人がそれに気付ければ自分の意思でそれを解く事ができると言われている。
だが、現時点ではまだ解けたわけではない。先ほども言った通り、肉体での思考はパニエが行っている。つまり別の場所で思考しているアデルがいくら思考を操作されている事を認識しようとも、パニエが肉体で思考している限りアデルにかけられた思考操作は解けない。
思考操作を解く事ができるタイミングがパニエがアデルの肉体から出ていった瞬間だ。つまり、ラウラ達がいる場所に辿り着いた瞬間である。
アデルは気を張ってパニエが出ていく瞬間を見極める。パニエは今ダンジョンを出たばかりなので少々気が早いようにも思えるだろうが、アデルのその判断は間違いではなかった。
パニエはパニエ自身が持つ【転移】を使用してラウラやフレデリカが待っている場所の近くへと転移する。【転移】のスキルや時空間魔法が使えないアデルが突然転移してきたらラウラ達が驚いてしまうだろうと言うパニエなりの気遣いだった。
そしてそこでパニエの存在が感じられなくなり、慣れ親しんだ自身の肉体の感覚を取り戻したアデル。手の平を見つめ、握ったり開いたりを繰り返して久し振りのように感じる自身の肉体の感覚を確かめるが、そんなアデルに向かって唐突に襲い来る思考の濁流。アデルが抱く不要な思考に気付いた『強制の称号』による思考の操作だ。教会関係者や神、魔王討伐への疑念を掻き消そうとしているが、アデルはそれらを消されてしまう前にさらに強くそれらへの疑いを強くする。
思考操作には気付いているんだぞ……と、思考操作による影響なども思考し、抱いていた疑念を復唱するように思考したりして『強制の称号』に抗い続ける。
強い意思、強い意志、しつこい思考、こびりつく疑念、正しい正義を振るいたい……様々な思いを胸にアデルは『強制の称号』に抗う。抗い続ける。
そうして際限なく繰り返される思考操作。とうとうおかしくなってしまったのは『強制の称号』である『勇者』と言う称号だった。何度やっても書き換えられない強い思考に、組み込まれていたシステムが異常を起こしてその活動を停止させてしまった。言ってしまえば機械が起こしたクラッシュのようなものだ。
思考の激流と、思考の書き換えを全て体感して知るアデルは、激流と書き換えによって酷使された脳を休ませるためにすぐさま意識を手放した。
その倒れるような音を耳にしたラウラやフレデリカ、スカーラ、シュレヒト、アークが草むらを掻き分け、警戒しながら近付く。未だにナタリアとモニカ、アンドリューは気絶したままだ。
「あ、アデルさん!? どうしたんですか、しっかりしてください!」
課すかに残った聴力でラウラのそんな声を聞きながら全ての感覚を停止させて、アデルは深い眠りへと落ちていった。
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唐突に雰囲気を変えてどこかへと去っていったアデルが、草むらの陰に倒れていた。その事に驚きを覚えながらも、フレデリカ達は探すべき人物が全員見つかった事に安堵し、一先ず安全な場所に移動しようと、気絶しているナタリアやアデル達をアブレンクング王国の王都シックサールへと運ぶ。
ラウラがアデルを、フレデリカがナタリアを、スカーラがモニカを、シュレヒトがアンドリューを運んでいる。手持ち無沙汰なアークは周囲の警戒をしている。
木々が薙ぎ倒されて見張らしはよくなっているし、魔物は殆ど肉塊へと姿を変えているものの、木々村やや町から巻き上げられた屋根瓦などの建造物と自然物が入り乱れた残骸が散乱しており、物陰がたくさんあるわけなので、悪漢などが通りかかった旅人を襲うのに向いている場所となっているのである。だからアークの警戒が必要だと言うわけだ。
「アンドリュー先生、ヒョロそうな見た目してんのに意外と重いのな……ただのもやしかと思ってたけどよぉ、ちげぇみたいだわ……誰か変わってくれねぇか?」
「ダメですよ。シュレヒトさんみたいな人はどうせ背負うフリをして、ナタリア先生やモニカさんの胸の感触とかを楽しんだりするんでしょう? ……それに、シュレヒトさんでも背負うのが厳しい人を私達が運べるわけないじゃないですか」
「でも、スカーラの姉御は俺よりも腕っぷしが強いじゃねぇか。あと、俺は姉御一筋だから胸がどうたらこうたらってのは気にしなくていいぜ」
「私一筋ですか……純粋な好意を向けられる事を不快に思う日が来るとは思いませんでしたよ……ちなみに私は腕っぷしが強いわけじゃなくて、少しの力で戦えるような技術を使っているだけですから、力が強いわけじゃないですから、勘違いしないでください」
相変わらずシュレヒトには辛辣なスカーラ。かなり長い時間一緒にいると思うのだが、スカーラは一向にシュレヒトを受け入れる素振りを見せない。戦いの最中などは嫌々ながらも指示を出したり指示に従ったりするが、そうんな状況にならなければ会話をする事すら勘弁願いたかった。
「胸が……とか言って人の心配をしてますけど、スカーラさん、あなたがあの悪魔にやられた時、あなたを抱えて走ってたのはシュレヒトさんですよ。人の心配より、嫌ってる相手の腕の中にいた事を心配するべきですよ」
「え」
「危ない!」
アークの言葉を聞いたスカーラが、顔を青褪めてモニカを落としそうになるが、なんとかアークがフレデリカの背中からずり落ちたモニカを支える。
「あ、す、すみません! あの、それで……それは本当ですか……?」
「僕や会長が人を抱えて全力疾走できるとでも?」
「うっ……じゃあ本当に私は……今日は絶対にお風呂に入りましょう会長! 汚れを洗い流すついでに疲れも癒しておきましょう!」
「そうですね。今日は色々な事があって疲れましたし、みんなでお風呂に行きましょうか。少々お金を食いますが、今日ぐらいは水浴びじゃなく、湯屋で温まりましょう」
「みんなひでぇや」
そんなやり取りを見てクスクスと笑うラウラ。どこか疎外感を覚えるが仕方ないのだと諦める。自分とフレデリカ達では絆の深さが違うのだから。長い間をこうして旅してきたフレデリカ達に馴染むのは難しかったのである。
こんな時にアデルが起きていればな、と思ってしまうが、何らかの事情があったから唐突にあの場を去って、そして疲労によって倒れてしまうまでに至った。そんなお疲れな人に縋るのは間違いだろうと自分を戒める。
「ね、ラウラさんも行きますよね?」
「え、あ、はい。あとアデルさんも一緒でいいですか?」
「もちろんですよ! 人は多い方が楽しいし、ラウラさん達が何を目的にこんなところにいたのかも聞きたいですしね! あぁ、もちろん私達の事も話しますよ!」
「ラウラさん達の目的ですか、それは気になりますね。後で湯船の中でじっくり話し合いましょう?」
気さくに話しかけてくるスカーラに、笑みを溢すラウラ。スカーラもフレデリカも自分の心情を汲み取ってくれたのかと思い、少し嬉しくなる。そこから弾む三人の会話に首を突っ込めないシュレヒトとアークは、何だか気まずいような雰囲気の中を進む。
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頭と両肩を貫かれ、両腕両足を切断された事により、無力化されて行動不能になったオーデンティウスは、その体を捨てて魂だけとなる。不定形である魂は常に形を変えながら宙を移動する。ちなみに通常の生物には魂を視認する事はできないので、魂だけとなったオーデンティウスに攻撃を加えられるものは存在しないと言ってもいいだろう。だが、魂を視認する事ができる存在がいるのも事情。
それはオーデンティウスと同じ外来の悪魔である、貪婪のクピディダスや、無精のペルティナクス、情欲のリビディン、居丈高のロングス、などだ。後はこの世に生まれた異常生物である魂の集合体クリーガーのように、魂に深く精通しているものだけだ。死霊術師などがそうだ。
そんなほぼ不可視の存在となったオーデンティウスは、近くに感じられる同族の元へと向かう。一番近いのはフィドルマイアにいるロングスと、この世界にやってきてからずっと千剣の霊峰に居続けるペルティナクスだ。
ブリンドネスは秋に喰われ、グーラはアイテムボックスに封印されているために……クピディダスはフレデリカに、リビディンはクルトと行動を共にするラヴィアに宿っているために、魂だけとなったオーデンティウスが向かう候補からは外れる。
オーデンティウスの同族を宿してその力を得た生物にはオーデンティウスが見えてしまうためだ。オーデンティウスを敵と認識しているフレデリカの前には当然現れられないし、他人であるラヴィアに無闇に接触するのも避けたいので、仕方なくロングスとペルティナクスに接触するのだ。
まず接触するのはロングスだ。
オーデンティウスは【転移】を繰り返してやってきたフィドルマイアの、先ほどの森と変わらない残骸の景色に何とも言えない感情を抱く。もうそろそろこの世界も終わりか、と思えば何とも言えなくなるのは当然だった。
「無様だなオーデンティウス。他人への艶羨をその力としていながらなんとまぁ無様なことだ。嗚呼、無様無様。……それでどうした? 寄り代にできる優良な死体が欲しいのか? ……くっ……ふはははっ! 良いだろう。ちょうどこの街のそばに大量の死骸が転がっている。もうじき不死者に変貌するだろうから、急いで死体漁りでもしていろ」
「…………」
魂だけになったオーデンティウスはロングスの発言を受けて街の周囲を移動する。すると、様々な魔物の死骸が大量に転がっている場所が見えてきたが、それよりも、街道に沿うようにして深く大きく空いた地割れのような裂け目に目が向かう。魂だけとなったオーデンティウスに眼球があるのかは不明だが、とにかくその縦に続く大地の裂け目に目をやる。
そこにわずかに漂う魔力の残滓は、とても残滓とは呼べないような濃度が濃いもので、その付近に転がる死体には早くもその魔力の残滓は取り込まれ始めていた。恐らくあの裂け目の周囲に転がる死骸はかなり強力なアンデッドに変化を遂げる事だろう。
アンデッドのような魔物は、他の生物の新鮮な血肉以外にも、大気中に漂う魔力──マナを糧にしてこの世に存在している。だから魔力の濃度が高い場所で生物を殺せば、強力なアンデッドが生まれてしまわないように死体を回収するのが基本だ。
どうでもいいが、エルフの国──ドライヤダリスの西にある不死者の沼地はそれができない者達によって生まれたて不浄の地であった。
オーデンティウスは大きな裂け目の側に転がる死骸のどれかに憑依する事にした。死骸がアンデッドになる瞬間に憑依すれば、そのアンデッドが誕生するのを妨げる事ができ、さらにアンデッドになる瞬間の、極限まで強化された身体能力を持つ強靭な体が手に入るのである。
オーデンティウスはロングスが与えてくれた情報に感謝しながら、もっとも強い魔物……通常のグリフォンよりも圧倒的に強かったであろうグリフォンの死骸を裂け目の側に移動させる。手は使えないが、魂となった不定形の全身で、梱包するように包み込めば干渉する事はできる。……これはレイスと呼ばれる魔物が引き起こすポルターガイストと同じような原理だ。
そうして大地の裂け目に移動させたグリフォンの死骸を、肉の焼け加減を確認するが如く執拗に気にする。憑依するタイミングを見誤れば未熟な死骸となるし、アンデッドとして形を成してしまえば憑依できなくなるので、この作業はどうしても肉の焼け加減を確認するようなものになってしまうのだった。
オーデンティウスはわくわくと胸を踊らせながら、グリフォンの死骸の周りを浮遊して待ち遠しそうにしている。
暫くそうしていれば、やがてグリフォンの死骸がピクピクと痙攣を始める。それは死骸がアンデッドへと変貌する際に見られる動きだ。実際にこのグリフォンよりも先に大地の裂け目の付近に横たわっていた死骸達はとっくにアンデッド化しており、離れた場所に転がっている死骸を食い漁っていた。
グリフォンの死骸は次第に痙攣を小さくしていき、そして釣り上げられた魚が残された全力を使って地面を跳ねるかのように、大きく跳ねた。それによって宙を舞うグリフォンが地面についてしまう前にオーデンティウスはグリフォンに憑依する。成功だ、大成功だ。
一際大きく跳ねた時、あのままグリフォンの死骸が地面についてしまっていれば、その時点でアンデッドへと変貌してしまい、オーデンティウスが憑依するのは不可能となる。
つまりあの跳ねるのが焼き上がりの……憑依する目安なのである。
新しいグリフォンの体。先ほどまでは人型に憑依していたために、上手く体を動かす事ができないが、その内慣れるだろう。今までもそうだった。
「おぉ、大当たりの死骸だな、オーデンティウス。そいつはこの群れを壊滅させた人間を結構追い詰めてた奴だ。結局やられてしまったがな。……まぁ、何はともあれよかったな。少しでも強い死骸に憑依できて」
腰に手を当ててグリフォンに憑依したオーデンティウスに言うロングス。
いつの間にここに来ていたのだろうか、と言う疑問よりも先に、良質な死骸がある場所を教えてくれたロングスに感謝を伝えるためか、それとも自分の強さ誇示するためか、新しく得た強靭な肉体に喜ぶためか、オーデンティウスは甲高い叫び声を上げた。
人間の死骸ではないために言葉が喋れないのが難点ではあるが、もうそれにも慣れてしまったために、オーデンティウスはそれを問題だとは認識していなかった。




