第318話 乗り越えなければ進めない
フィドルマイアからやってくる草原の魔物は季弥、春暁、冬音、ミア、ステラによって全て肉塊へと形を変えた。
季弥はグリフォンのボスを倒しただけだが、それでも一応戦闘に関わったのだからこうして名前を挙げるに相応しいだろう。
だが脅威である魔物を殲滅したとて、それでも安心はできなかった。フィドルマイアを滅ぼしたと思われる魔物の大群が、再び群れを成し、恐れ怯えて逃げ惑うような存在がまだフィドルマイアに存在しているのだから。
その脅威の存在感は嫌でも伝わってくる。フィドルマイアを覆い隠すような濃密な気配、夜空を切り抜いて可視化されるほどの薄い紫色の魔力の雲……それらは季弥達に達成感そのものや、達成感による脱力、安堵、喜びなどを与えないように季弥達に鳥肌を立たせる。
「お母様……」
「大丈夫よステラ。私達がどれだけ派手に行動しても、あれはずっとあの街にいるみたいだから、こっちに来る事はないはずよ」
心配そうに縋るステラの頭を撫でるミア。火魔法による熱と爆風を受けて焼け爛れた背中は、お小遣いで買った冬音のポーションのおかげで完治しており、夜でもよく見えるほどに白い肌を露出させているだけとなっている。
「冬音、春暁、フィドルマイアから漂ってくる気配が気になるのは分かるけど、今日はもう帰ろう。ミアさんとステラちゃんの事もあるし、キリの良いここで買えるべきだよ」
「お父さん、でもあんなの放置してたら誰かが……」
「誰か知らない他人より、自分や家族や友達だよ春暁」
季弥がそう言い、フィドルマイアに向かいたそうな春暁を宥める。確かにそうだ、とやや不満気ながらも春暁は頷き、冬音と共に季弥の元へと向かう。
「ポーションありがとうね、冬音ちゃん。お小遣いで買ったものなんでしょう? 後でちゃんとお返しはするわ」
「お小遣いでポーションを……」
礼を言うミアの言葉に何かを考え込む季弥。店の手伝いをしたから、と小遣いをやっていたのだが、結果としてその小遣いを使って冬音と春暁に戦いの準備を整えさせるに至ってしまった。
小遣いを与えないべきか……いや、店の手伝いをさせている以上与えなければならない。働けば相応の対価を得られると言う事を学ばせるための店の手伝いで、小遣いを与えないと言うのは論外だった。
それに、与えなかったとしても冬音と春暁は変わらずに魔物狩りに向かうのだろう。ならばいっその事小遣いを増やして敢えてポーションを買わせ、十分な安全の中に置いておいたほうがいいだろう。
そう考えて季弥は溜め息を吐いた。これからの事を考えればそんな溜め息が出てしまうのも仕方ないと言える。
「いっぱいレベル上がったね、お姉ちゃん」
「これで少しは守れるものが増えたかな? ……増えたよね。だって誰もあの時のお兄ちゃんみたいなってないし、私達で敵を倒せたんだもん」
冬音はこの世界に来る前の薄れる意識の中で微かに見た光景を思い出していた。曖昧な記憶なのでハッキリと分からないし、今でもそれは死の間際にみた幻覚なのではないかと思っている。
強盗に刺され冬音の息と思考と精神と鼓動が絶えようとしているその瞬間、強盗の後ろから現れた兄がその8歳とは思えないほどに壮絶な形相で強盗を刺し、殴打する。
その様子は……表情は正常な人間がするようなものではなかった。大好きな兄が兄でないような、人間が人間でなくなってしまったような、恐ろしい記憶だ。……認めたくなかった……自分を含めた兄以外の家族は死んでしまったが、仇を討つように助けようとしてくれた事よりも、恐れるような感情が大きかった事を。
だからその光景を、4年の間に培ってきた記憶の中にあったものが入り乱れて見た走馬灯の如き幻覚だと思いたかったのだが、漫画やアニメや映画などであれほどまでの、人の自我の限界を感じてしまう形相は見たことがない。……その事実が、あの光景が幻覚だと言う幻想を否定すると同時に、兄への感謝より兄への怯えが勝っていた事を肯定する。
……再会した当初、昔一緒に遊んでくれて大好きだった兄によそよそしくしてしまったのも、死の間際と言う人生で一番い強い印象を抱く瞬間に見てしまった光景によって、心の奥底に根付いた得体の知れないものへのぐちゃぐちゃになった感情が引き起こしたものであった。
自身の隣に立ち、自身を見上げている春暁は当時の兄と同じ8歳だ。その8歳の春暁があの時の兄のようになっていない。それが冬音が安心できる要素であった。自分も春暁も季弥もミアもステラも……誰もあの時の兄のようになっていない。それだけが戦闘後の冬音が感じられる安息なのだ。
「季弥さん、今はあの村に喫茶店を構えているのよね? 明日伺ってもいいかしら。今日の事やフィドルマイアから漂ってくる気配について話しておきたいのだけど」
「是非いらしてください。きっと夏蓮も喜びます。……あ、夏蓮の前ではこの事は内緒に……僕達は今日出会っていなくて、明日初めて出会う……と言う事でお願いします。明日いらっしゃった時、代金は結構ですのでどうか……」
「こんな時間に出歩いているのだから季弥さん達にも色々とあるのでしょうね。分かったわ、今日の事は話さない、秘密にしておくわ。……人妻との秘め事ってなんだかあやしい雰囲気よね?」
「…………」
「さぁて、明日は何をどれだけいただこうかしら。……ね、ステラ」
なんだか大きな弱味を握られた気分になる季弥。戯けただけだったのかも知れないが、大真面目に季弥は危機感を覚えていた。疚しい事など何もないが、この場を夏蓮に見られればまず間違いなく不倫を疑われる。
長年夫婦生活をしていて知ったのだが、夏蓮は季弥が夜遅くに出掛けるのを嫌う。仕事での帰りが遅れてもすぐに不倫を疑う……匂いを嗅いだり目を見つめたり、身体検査をしたり。それらを仕事帰りで疲れているからと拒否した暁には包丁を持ち出しそうな勢いで半狂乱になる。
それほどに夏蓮は心配性で過保護で相手を信頼しない。
過去に誰かに裏切られて人間不信になったとかではなく、ただ最初から誰かを信じる事が苦手らしい。
相手に嫌われているか好かれているか、愛されているか愛されていないか、それらを気にしすぎるあまり信頼が見えなくなって本心から信じる事ができないのだろう。
長年の夫婦生活で季弥はそれを知った。それを知って受け入れて乗り越えるように克服して……そして心配をかけないように、信じて貰えるように日頃の行いには注意を払っていた。
仕事で遅くに帰らないように、もしどうしても遅れると言うのなら事前に連絡して、何かを必要なものがあっても夜には買いに行かなかったり、女性との関わりもできる限り断つ。
それぐらいしなければ夏蓮は安心できないのだろうから。寧ろそれで安心できるのなら喜んでする。
夏蓮が夫婦の仲であっても人間を信頼できない人間だとすれば、季弥は夫婦だからこそ心からの信頼を向けるような人間だ。……それはもう、依存するかのようなレベルで深く重く信頼している。
「本当に頼みますよ……?」
明日何を食べようかとステラと相談し始めたミアの背中に向かって小さく呟く季弥。……ミアは背中を露出させているのだが季弥に邪な気持ちは一切ない。ミアがステラの手を引いて歩きだしたから背中に呟く事になっているだけだ。
翌日、外出していた事が夏蓮にバレなかった季弥は起床してから胸を撫で下ろして店の準備に取りかかる。冬音と春暁はいつもならこの時間帯には起きてきているのだが、流石に魔物の大群との戦いが堪えたのだろう。夏蓮が起こしに行くまでずっと寝ていた。
それからは何事もなく過ぎていき、店仕舞いしようかと言うところでミアとステラがやってきた。客がいる中で季弥と話す事などできないだろうと考えての配慮だ。
「あぁっ……ミアさんとステラちゃんじゃない! お久し振りですね~!」
「こんにちは……いえ、こんばんは、かしら。……たまたま寄った村にここがあったから来ちゃったわ」
「こんばんはミアさんにステラちゃん。久し振り」
机を拭いていた布巾をそのままに、感激したようにミアの元へと駆け寄る夏蓮はそのままミアの手を握ろうとするが、直前に布巾を触っていた事を思い出してなんとか踏みとどまる。
そこへ店の奥から顔を覗かせて、あくまで久し振りび出会った体で挨拶をする季弥は、すぐに顔を引っ込めて洗い物を済ませる。
店内に戻れば、席に座って夏蓮とミアが話しており、上の階からおりてきた春暁と冬音、ステラもその側で楽しそうに話し合っている。
机の上に二つ水の入ったコップを置いた季弥は、まだ店仕舞いしてないんだよ、と軽く注意してから店の奥へと消える。夏蓮は慌ててその後を追う。
それからミアとステラの注文の品を運び、その話し合いの場に季弥も加わる。何気ない世間話や、ミアとステラが旅の中で見てきたものの話、それを聞いて思い出したのか、店を開く先々であった面白い出来事などが主な話の内容だ。……子供達三人は大人の会話を聞いているのがつまらないようで、外へと遊びに行った。
「そう言えば昨日の夜、眠れないので少し散歩をしようかなと思って外を歩いてたのよね。そしたら、ドーン! って大きな音がしたと思えばフィドルマイアの方から途轍もない威圧感が漂ってきたの。……二人はこれがなんなのか心当たりある? ほら、客の話で何か聞いたとかない?」
「ああそれ! なんか、ここからフィドルマイアに続く街道に魔物の死骸がたくさん転がっていたんですって。多分フィドルマイアを滅ぼした魔物だろうって」
「じゃあそんな魔物を倒せるほどの何かがこの辺りにいたって言う事になるわけだね。この辺りでそれっぽいのだとグリフォンしか思い浮かばないけど……」
「グリフォン程度に、冒険者の街と呼ばれていたフィドルマイアを滅ぼすほどの相手を倒せるとは思えないわね。……私の見立てだと、私が感じた威圧感の主がやった事だと思うのよね」
何も知らない体で会話を進めるミアと季弥。
「それで、そんな脅威を放っておけないから一度偵察がてらフィドルマイアに行ってみようかなって思ってるんだけどどうかしら?」
「危ないわよミアさん! ステラちゃんと旅をしていていくら腕に自信があるからってそんな……っ!」
「やっぱりそうよねぇ……季弥さんはフィドルマイアの件、どう思う?」
ミアは季弥にどうするのかと尋ねる。
ここまでは計算通りだ。何気なく話を持ち出してミアは自分がどうしたいかと言う事を伝え、季弥にもどうしたいかを尋ねる。
「僕は……どうでもいいかな。僕や夏蓮、冬音に春暁は今日中には移ろうつもりだし、別にここがどうなろうと、フィドルマイアがどうなっていようとどうでもいいねぇ。……誰かに一緒に行こうと言われたら同行するつもりではいるけどね」
「ちょっとアナタ? ダメですよ? そんな危ない事」
「……とまぁ、僕がそうは思っていても夏蓮がこう言ってくれてるわけだからフィドルマイアの脅威は無視かな」
「分かったわ。季弥さんと夏蓮さんが言うのなら本当にやめておくべきなのでしょうね」
夏蓮が引き止めてくるから無理だと断る季弥にミアは頷いてそう言う。
脅威であるから排除しておきたかったが、確かに季弥の言う事も一理ある。移ろう自分達には関係ない……それは季弥や夏蓮、冬音に春暁以外にも、旅人であるミアとステラにも言える事だった。
関わりの薄い場所のためにわざわざ危険を冒す価値はないのである。
さて、ステラが会いたがっていて春暁にも思っていたより早く出会えたし、これからどうするかな。
目先の考え事がなくなったミアは目的がなくなってしまったために、目的を探す。まず始めに思い浮かぶのはどこかへ行ってしまった夫を探そうと言う事だったが、一度ミレナリアで夜を明かしてから、もう手掛かりのない中で世界中を探し回ろうと言う気にはなれなかった。
透明なものを追うのは思っていた以上に消耗するのだ。
快眠できたとしてもそれは不安な旅路の中で得られる憩いの薄い快眠でしかない。生物と言うのは慣れ親しんだ場所で過ごしたがる。それは本能的に安全と安心を求めているからだ。だから知らない地で眠り、日を過ごすと言うのは消耗してしまい、さらにそこに透明なものを追う、と言う追加要素が加われば不安が加速するのである。
そのせいだろう。小さい頃を一緒に過ごした母がいる我が家のように感じられてしまう場所……ミレナリア王国でオリヴィアに言われて「信じて待つしかない」と、なぜだかミアもそう思ってしまって、そうして眠ってしまえば旅の最中に感じていた快眠よりも圧倒的に心地よかった。安全で安心できる場所で、透明なものを追うのをやめればこうだ。
平穏の魅力を再び知ってしまったミアは、今までのように積極的に夫を探そうとは思えなくなっていた。愛の薄れを感じるが、もういいか……と思ってしまう。どんな理由であれ、黙って自分の元から去った者だ。
思えばもうそこで……夫に去られた時点でミアは冷めていたのかも知れない。或いは夫の失踪を乗り越えたのかも知れない。
追うのを諦める事に全く抵抗がないし、どこか妻としての義務的に追っていた感じも否めないし……何よりも追うことをやめてから晴れた青空のような解放感に満たされているという事実がそんな考えを確信に近付ける。
もし帰って来たのなら拒まないが、今までのように受け入れてやるつもりはない。
温かいお湯のような、ポカポカした夫婦の愛は冷めてしまったから……とっくに冷めていたから。
それなのに無理をして愛を与えて享受しようとしすれば、お湯がお湯であった時との温度差で風邪でも引いてしまったかのような、関係の不調をきたすだろう。……だから受け入れてやるつもりはない。余計な諍いを生んでしまわないように無関心でいよう。
現在のミアの考えがこれだった。
それから暫く談笑を続け、日も暮れてきたところで「そろそろ帰るわ」と返り支度を始めるミア。しかしそので気付く。退屈を凌ぐため、外に行った春暁が冬音がステラが……まだ帰ってきていない事に。
途端に大騒ぎだ。夏蓮は喫茶店を飛び出してどこかへ走り去る。ミアもそうしたい気持ちだったのだが、昨日の春暁と冬音、ステラの戦いぶりを見ている限り、そうそう犯罪者などにやられたりはしないだろうと考えられ、冷静でいられた。
「夏蓮さんもいなくなったし、改めて聞いておくわ。季弥さんはフィドルマイアに行かないのよね?」
「もちろん。理由はさっき言った通り、どうでもいいからです」
「うん、分かったわ」
先ほど答えは聞いていたのだが、やはりりゃんと聞いておきたかったミアは尋ねるが、季弥の答えは変わらなかった。それに頷くミアは子供達を探しに行こうと店の外へと向かうが、季弥はそれを呼び止めた。
「あの、ミアさんはどうするんですか?」
「私? 季弥さん達が行かないなら行かないわよ。私とステラでどうにかなる相手じゃなさそうだしね」
「そうですか……ならよかった。僕はミアさんみたいな人の心を理解し辛い人間なので、一人で行くと言い出すんじゃないかって不安だったんですよ。だからそれが聞けてホッとしてます。……さぁ、探しに行きましょう」
そう言って店を出る季弥を見送るミア。季弥からそんな言葉をかけられるとは思っていなかったから呆然としてしまう。
なぜ自分の身を案じてくれているのかは何となく分かる。妻の友人であり、一緒に戦った仲間でもあるからであり、季弥は少しでも接点がある人間が傷付く様を見たくないお人好しな人間だからだろう。
だからと言ってそれを口に出すか……と、ミアは呆れたように立ち尽くしている。自分が分別の付く人間だったからよかったものの、少し頭のゆるい人間が相手ならば勘違いさせてしまうだろう。
ミアは季弥の言動に危機感を抱きながらも、頭を振って余計な思考を打ち消し、口元に僅かな笑みを湛えて季弥の後を追って子供達を探し始めた。
……ああだこうだ言っていても、やはり人に大切にされるのは嬉しいミアであった。
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夏蓮と季弥、ミアが喫茶店で談笑しているのが退屈だった冬音と春暁、ステラの三人は喫茶店を出て村の中で遊んでいた。鬼ごっこをしたり、かくれんぼをしたり、土魔法で土の城を作ったり、闇魔法で生み出す幻影で遊んだり……そうして遊んでいた。
だが、そうして仲良く遊び始める前に一悶着あった。それは喫茶店を出た直後の事だった。
「フユちゃん、ちょっとハルと二人で話したい事があるんだけど、良い?」
「分かった。私はここで待ってるから行ってきていいよ」
「ありがとうフユちゃん。じゃあ行こう、ハル」
「僕の意思は関係ないんだね……」
喫茶店の外壁に凭れ掛かる冬音は、春暁の手を引いて離れていくステラにひらひらと手を振って見送った。冬音が考えるのは先を越されたと言うものだった。私はまだ誰にも告白された事ないのに春暁が私より先に告白されるなんて……と言うような、ステラが春暁に話そうとしている事とは全く違うものだった。
拗ねるように足で地面をツンツンと蹴るようにして、冬音は視界から消えた二人の返りを待つ。
木造の建物が並ぶ村の道を曲がって人通りが少ない、所謂路地裏に連れてこられた春暁は、何をするんだろう、と首を傾げていた。
無愛想な態度で憎まれ口を叩いて、時折心を抉るような酷い事も言われた覚えがあるので少し不安に思ってしまう。
(ステラは僕を嫌っているはずなのにどうして二人きりになろうとしているんだろう?)
考えるが、答えは出ない。相手がステラでなければ答えは出ていたはずだった。これから暴力を振るわれるのだろう、と。暴力でないにしろ、ロクでもない事なのは確かだった。
しかし相手は春暁にとっての初恋の人。今でもそれは変わらずに、春暁はステラが好きだ。だから盲目になり盲信的になってしまっていた。そんな隙を作る春暁だったが、幸いにもステラに暴力を振るうような意図はなかった。
「……ハル」
「な、なに?」
薄暗い路地裏で、僅かに射し込む日差しを受けて春暁を真っ直ぐに見つめるステラ。否応なし緊張感を抱かせる状況に、春暁は動揺を見せる。
「ごめんなさい! 今まで冷たくしてごめんなさい! 嫌な事ばかり言ってごめんなさい! 傷付けるような事言ってごめんなさい!」
「……え……?」
「私が悪かったの……旅をしないといけないような辛い環境に置かれているから、平和な環境にいるハルが羨ましくて、嫉妬しちゃって、嫌な事ばっかりしちゃった……ごめんなさい!」
「どう言う事?」
困惑する春暁に、謝り続ける冬音。
「私、ハルに酷い事いっぱいしたから謝らないとって思ってハルを探してたの。土魔法で作った出っ張りに足を引っかけたり、落とし穴に落としたり、風魔法で強い風を吹かせて転ばせたり、水魔法でずぶ濡れにしたり、氷魔法で作った氷を服の中に放り込んだり……いっぱい嫌がらせをした」
魔法なんて言うものがあるが故の手段による嫌がらせ。幼い頃からたくさんの魔法が使えるようだった。国を追われる前は神童だなんだと言って持て囃された事が、中途半端に魔法への自信を付けさせ、ステラが魔法を悪用するに至った原因だろう。
「あぁ、あれの事ね。僕は別に気にしてないよ。ずぶ濡れにされたのは困ったけど、それ以外は特に嫌でもなかった。寧ろ、今日はどんな悪戯をしてくれるのかってワクワクしてたんだ」
何度も頭を下げて謝るステラに笑って返す春暁。土魔法の出っ張りで躓いたとしても怪我はしなかったし、落とし穴は足首まで沈む程度の深さだったし、風に吹かれて転ぶのも尻餅程度で済んだし、氷を服の中に放り込まれる悪戯もびっくりはしたがそれだけだった。……水でずぶ濡れにされた時は夏蓮への説明が大変だったのだが、どの悪戯も春暁はそこまで問題ではないと思っていた。好きな人に構って貰えて嬉しいとさえ思っていた。悪戯好きなんて可愛いとすら思っていた。
だから春暁は簡単に赦す。赦してしまう。
「話ってそれだけ? なら早くお姉ちゃんのところに帰って一緒に遊ぼう、ステラ」
「なんで赦すの……酷い事したのに! ハルにとって謂われない事で……自分と関係のないところで物事が進んだ結果による被害を受けているのに、なんで怒らないの!? なんで理不尽だって怒らないの!? ……私なら怒るよ……私は何もしてないのに私が被害を被ったら、理不尽だって、おかしいって。なのにハルはどうして簡単に私を赦すの!?」
理不尽によって暮らしを奪われたステラは、理不尽を簡単に赦す春暁に叫ぶ。理解できないものを拒むように、叫んだ。
「ステラはアイドラーク公国の王族で、ゲヴァルティア帝国から逃げてきた。自分とは関係のない戦争に巻き込まれて、ね。……それはとっても理不尽な話だと思うよ。だけど、僕が受けたステラからの悪戯はそんな大きなものと比べるに値しないんだ。戦争と嫌がらせ、どう考えても吊り合わない」
「そうだけど……私が言いたいのは、ハルはそうやって理不尽を強いられたら何でも赦せるのかって言う事だよ! 規模が違うからって、簡単に赦したらダメだよ。理不尽は理不尽なんだからさ、規模なんか関係ないんだよ」
ステラは春暁のためを思って怒っているようだ。ステラが……自分が体験したような理不尽を赦せてしまう甘い人間にならないように。
もちろん理不尽には大きさがあるが、理不尽は全て等しく理不尽なのだから、その規模で判断してはいけない。ステラが言いたいのはつまりそう言う事だ。
「だから僕に全ての理不尽を赦すなって? ……それは違うよステラ。僕だってどうしようもない理不尽に殺された事がある。当然理不尽は赦せないさ。……だけど、だからって全ての理不尽を裁いてしまえば、誰も理不尽を知って克服して乗り越えて強くなれなくなってしまう。弱い者から順番に奪われていくこの世界で、弱い事は罪とも言える。……だから理不尽に折られず理不尽に耐えられた僕達が、大きくてどうしようもない理不尽と戦って、程度の低い理不尽を、弱い者が成長できるようにのさばらしておかないとダメなんだと思う。……だから僕はステラが僕に強いた理不尽を赦すよ」
「……弱い人を強くしてあげるために敢えて理不尽を赦す……か。じゃあ、私とハルの間にある、赦された理不尽はどうするの? 誰が知って克服して乗り越えるの?」
「ステラだよ。理不尽を強いる事や、赦される事や、単純にただ赦される事だけが苦しい事も知った。他にも色んな事を知れたはずだよ。だからステラはそれを知って活かして、この赦された理不尽を知って克服して乗り越えればいい」
8歳同士とは思えない会話を繰り広げる二人。
「……うん、分かった……私頑張るよ。もうクヨクヨしない、理不尽を乗り越えたいから弱い姿を見せない! ハルに謝ってそれで関係を終わりにするつもりだったけど、そんなつまらない償いもしない!」
「え……そんな事しようとしてたの……? よかったぁ、止められて。ステラに友達辞めたいなんて言われたら泣いてたかも知れないよ……はぁ……本当によかった……」
「大袈裟だよハル。これで私の話は終わり、早くフユちゃんのところに帰ろっ!」
ステラ手を引かれて路地裏を出る春暁は小さく「大袈裟なんかじゃないんだけどなぁ」と呟きながらも、初恋の人に手を引かれていると言う状況が嬉しくて頬をゆるめていた。
そんな二人の手を繋いで元気にやってくる様子を見た冬音が、二人が結ばれたのだと勘違いして「おめでとう、よかったね二人とも」と言って手を叩いて祝福したのだがそれを、仲直りできてよかったね、と言う意味を持つ祝福だと解釈した二人が「ありがとう」と返した事によって勘違いはそのままになってしまった。




