第304話 濁流に流され、嵐を追い掛けて
魔法の王──魔王になる。そう言って譲らないクルトを呆れたような、諦めの目で見つめるラヴィア。そこでラヴィアは一つ疑問を抱いた。
クルトは魔王になるなどと宣っているが、具体的にどのようにして魔王になろうと言うのだろうか。
自分の魔法の限界を知っている癖に今から魔法を極めて世界に認められ称号を得て魔王となるつもりなのだろうか、それとも魔王を自称してそれで満足するだけなのだろうか……ラヴィアにはクルトが目指す魔王と言う像がよくわからなかった。
考えても分からないので直接尋ねようとクルトに視線を送って口を開こうとしたその瞬間、視線の先にいる人物から得体の知れない何かが迸る。
「クルトさんっ!?」
これはなんだろうか、何か……目に見えないものが風のようになって吹き荒れている。その風の正体を掴む事はできなかったが、全身が総毛立つような威を感じる。威に圧倒されるラヴィアがそれから一言も発する事ができなくなるほどの途轍もない威風。
その迸る威の中心で堂々と佇むクルトを見れば何が起こっているのかを理解する事ができた。
恐らくこれが魔王になると言う事だ。今、クルトは魔王へと至っているのだろう。ただ立っていただけのクルトが何をしたのかは分からないがこれが魔王化だと言う事は理解できた。そうでなければこの現象の説明がつかないのだから。
「これが魔王の力……凄い……これならアデルやラウラはもちろん、あの剣神ですら一人で倒せそうだ……」
呟くクルト。その表情はとても嬉しそうで、見ているラヴィアですら嬉しい気持ちになってしまうようなものだった。
もっとも、吹き荒れる威風に吹き飛ばされまいと踏ん張るラヴィアにそんな嬉しい気持ちを表現するような余裕はなかったが。
嬉しそうな笑みを浮かべるクルトはそれから周囲の惨状に気付き、新しく得た力を制御して威風を止ませた。力の奔流が齎した被害は周囲を荒野のような有り様に変えるほどの被害だった。草花は根から引き千切られ、地面は抉れ、岩すらも地面から持ち上げられていくらか転がってしまっていたようだ。
そんな中で無傷で踏ん張る事ができていたラヴィアも大概異常なのだが、そんな事にはクルトもラヴィアも誰も気付く事はなかった。二人の意識の方向は魔王の力だったからだ。
「クルトさんっ! い、今のは!?」
予想はついているが、それでも念のために確認しておく。クルトは全身に眩い光を宿しながら答えた。光魔法と聖魔法を合わせて使用し、呪いの解呪をしているのである。クルトの様子を見るに、解呪はあっさり終わりそうであった。
「魔王化の影響みたいですね。魔王になっただけで周囲がこんな事になるとは思っていませんでした。……その、魔法の試し撃ちもしてみたいんですけど、良いですかね?」
早く新しく力を試してみたい、玩具を買い与えられた子供のようにワクワクを隠しきれないクルト。そんなクルトを目にしてしまえばそれを妨げる事などできなかった。と言うかラヴィアも魔王が放つ魔法の威力に興味があったのでなおさらそれを止める事はできなかった。
「良いんじゃないですか? 周りはもう既に荒れ地になってますし……魔法の一発や二発試したところでそう大差ないですよ!」
「そうですよね! ……じゃあ、いきます!」
周囲は既に荒れ地だから何をしても構わないだろうと言うラヴィアに、呪いの解呪を終わらせてから頷いて、クルトは魔力を集束させて火の球を放つ。それが荒野に着弾すると同時にそれは爆発し、僅かな地響きを発生させる。
クルトが放ったのは初級魔法だったはずだが、中級魔法より少し強いぐらいの威力を持つ魔法のようになってしまっている。
「クルトさん、今のは?」
「初級魔法のファイアボールです……」
「え……どう考えても初級魔法の域を越えてましたけど!? はぁ……これが魔王の力ですか……」
「そうみたいですね。想像通りではありますけど、やはり自分の目で認識してしまえばビックリしてしまいます」
それから暫く魔法の試し撃ちを続けるが、どれもが通常より数段階上の威力を持っている事が分かった。聖魔法であれば治療速度が上昇しているし、わざわざ大怪我を負いたくないので試す事はできないが治療できる怪我の規模も大きくなっているはずだ。
恐らく今のクルトであれば、聖者や聖女にしか治せないと言われていた部位欠損も治療できるようになっているのではないだろうか。
魔王へ無事に至る事ができ、向上した魔法の威力に満足でき、さらに魔王がかけた呪いの解呪は苦もなくあっさり終わり……何もかもが上手くいっており、刑期を終えた囚人ような晴れ晴れとした気分のクルト。
荒野となった平原に寝そべってからグーっと伸びをしてから満足したように息を吐く。その隣にはラヴィアが腰掛けた。
知り合って間もないが、二人はそれなりに打ち解ける事ができていた。クルトを信用するまい、信用するフリをしておこうと考えていたラヴィアはクルトが見せる無邪気な隙や人間味に影響されて、もしかしたら善人なのではないかと気を許し始めていた。
「あーあ……失敗しました……」
「……え?」
空を仰いで呟くクルトに疑問を抱くラヴィア。クルトが何かを失敗した素振りがなかったのでそれが分からなかった。
「俺は魔王になって力を得て、無力感から解放されてとても満たされてます。……そう、満たされてます。だから何をする気も起きない……目的なんかなくてももう良いんじゃないかって、現状に満足してしまっているんです」
「……なんですかそれ……狡いですよ」
「えぇ、そうですよね。ラヴィアさんと目的を探す旅をするって言ったのに俺は一人で満たされて目的を探す気をなくしてしまいました。……だから失敗したんです……」
満たされれば気力を失う。気力を失った状態を満たされたと言って良いのか分からないが、それでも満たされればそれと同時に失うものも存在するのだ。だからクルトは失敗した。目的を探すための気力を失い、目的をも失った。力を得て満たされた代わりにそれらを失ってしまった。
「……じゃあ、私はどうなるんですか……?」
「……」
ただの村娘が頼る人間が存在しないなかで生き抜くなどほぼ不可能だ。しかも、奴隷商から逃げ出してきたので一文無しである。どう足掻こうとも一人で生き抜くなど不可能なのだ。
それを理解しているからこそクルトは自分の満足を失敗と言ったのだ。一緒に旅をしないか、と誘っておいて自分が満たされて目的を求める気力をなくしたからとそんな絶望的状況にあるラヴィアを捨てる……それは失敗以外の何物でもなかった。
しかしそれを理解したところで気力がなければどうしようもできない。気力なんて言うのはいつか回復するものだが、その回復するまでの間に気力十分なラヴィアをどうするのかと言われれば難しいところであった。
自分の気力が回復するまでの間、一緒に堕落していてくれと頼むわけにもいかない。自分の勝手な都合で人を堕としてしまえば、それは、賢者や愚者や魔王でもない……ただのクズでしかないのだから。
どうするべきか、クルトが考える間も隣に座るラヴィアからの困ったような視線は向けられ続ける。
それはクルトの思考を妨害するものである。クルトに縋りながらその癖に救済を妨げるその視線は物凄く煩わしかった。……仕方のない事なのだろう、自分のこれからの生活が、未来が懸かっているのだから。それを理解していても感情は理性的ではなかった。
思考を邪魔し、そして答えを急かす困り縋る視線は答えではなく怒りを募らせるばかりだ。
賢者の対の愚者。
勇者と賢者の対の魔王。
愚かな魔王へと至ってしまったクルトはやがて怒りに呑まれた。
自分の失敗による無気力が原因であるのに、自分の怠慢が原因であるのに、自分の満ちが原因であるのに……相手が縋るのを悪とし、相手が困るのを悪とし、相手が救いを求めるのを悪として……
「俺に救いを求めないでくださいよっ! 俺はどうしようもない愚者だ! 俺は人間の敵である魔王だ! 俺は聡明な賢者じゃない! 俺は勇者のように人間の味方をして生きる事もできない! 弱いから! ……忌むべき存在である俺に救いを求めるなっ!」
「ぁぐっ……く、クルトさ……っ! ……ぅ……くるしっ……!」
跳ねるように体を起こし、ラヴィアの胸ぐら掴んで揺すって、叫ぶクルト。それから勢いのまま膝を立ててラヴィアを押し倒して泣き叫ぶように怒りを露にする。
穏やかな平原が荒野となったのと同じように、クルトの心にあった穏やかさは眠り、荒んだ心が顔を出していた。
その姿はまさしく子供だった。魔王の力を得た時に見せた玩具を買い与えられて無邪気に喜ぶ子供のように、今のクルトはまるで癇癪を起こした子供だった。子供でしかなかった。
クルトは分からなくなっていた。劣等感と無力感と情けなさから解放されるために力を求めて魔王になったが、そのせいで満たされて気力を失い、こうしてラヴィアを困らせて癇癪を起こすようにラヴィアに八つ当たりをしている。
何が正しくて何が間違っているのか、苛まれる自分はどうするべきだったのか……それら全てが分からなくなってしまっていた。
「おち……っ、落ち着いてくださっ……ぃ」
「俺は人に頼られるような人間じゃない……人を助けられるような人間じゃない……頼って、助けられる人間だ……だから俺を頼らないでくれ……っ」
力を得て男らしく強く振る舞いたかったクルトは望むものと真逆の事を言う。頼られて助けて自分も他者も幸せにして生きたかったはずなのに、クルトに根付いた劣等感や無力感などの情けない自分としての生き様が、男らしく生きる事を妨げる。
そう、妨げられた……救いを齎すための思考を目の前の女に妨害された時と同じように妨害された。
「あなたが……っ! お前が……っ! ラヴィアがっ!」
「わ、わたっ……私……?」
言ってから気付く……ラヴィアは悪くないと。急かして思考を妨害したのは紛れもなくラヴィアだが、男らしく生きる事を妨害したのはラヴィアではないのだ。当然の事にも気付けないほどに混乱していて正常な判断ができなくなっていた。
「違う……違うっ! 分からない! 分からないっ!」
違うと分かっていても、川を流れる濁流のように押し寄せるあらゆる感情とあらゆる思考がクルトの思考を目まぐるしく塗り替えて、気付きを流す。理解したところで結局はなにも分からなくなってしまう。
やがてその濁流は堤防を越えてさらに広く被害を齎す。街だ、理性の街に感情と思考の濁流が溢れた。そのせいで胸ぐらを掴んで揺すると言う過激な行為はさらに激化しそうになるが、濁流の中で僅かに見えた理性がそれを抑え付ける。
ラヴィアから手を離したクルトは地面を転がって這うように移動してラヴィアから距離を取る。
理性の街が浸水し、濁流に浸され、死の街が生まれていく。自然……感情と思考の殺戮が繰り広げられ、暴力と敵意と殺意と……次々と人間が抱くべきではない感情が生まれていく。
ラヴィアから距離を取ってよかった。あのままラヴィアの側に居続けたら確実に殴打や蹴り、魔王になったおかげで強力になった魔法などをぶつけていただろう。
蹲り、衝動を抑えようと苦しむ。自分を抱き締め、過ちをおかさないように縛り付けて安心させようと悶える。
「けほっ……けほっ……クルトさんっ! 大丈夫ですか! どうしたんですか!」
咳き込むラヴィアは首もとを押さえて撫でるようにしてから離れた場所で苦しみながら蹲るクルトに駆け寄る。「来ないでください……来ないで……来るな! 来るな! 来るな!」そう叫ぶクルトに怯むが、すぐにその高圧的な言葉に怯えが含まれている事に気付き、怯えさせないように害さないようにゆっくりとクルトに歩を進める。
猛獣でも相手にしているかのような接し方に申し訳なく思わずににはいられないラヴィアだったが、実際にこの時のクルトは理性を失いかけていて猛獣と大差ない存在だったので、ラヴィアのこれは正しい行動だった。
「……大丈夫ですよ……大丈夫ですよ……」
悪夢に魘される子供をあやすように声をかけて、そしてそっと蹲るクルトの正面に移動して抱き締める。
ラヴィアの幼いようでそうでもない成長途中の微妙に膨らんだ胸がクルトに当たる。……別にそれに反応したわけではないが、クルトはラヴィアが抱き締めてくれている事に驚いたように少しだけ顔を上げる。
あれだけ自分を警戒し、信用していそうでしていない素振りだった、あのラヴィアが混乱に陥って狂いそうになる自分を落ち着かせようと抱き締めているのだから反応しないわけがなかった。
落ち着きを取り戻し、冷静に近付けたクルトはそのままの体勢でいる。動こうにも動けないのだ。覆い被さるように抱き締めているラヴィアがいるから。
「大丈夫ですよクルトさん。私にはクルトさんはどうしてそんなになっているのか分かりませんけど、きっと大丈夫ですよ」
「ラヴィア……さん……」
何の根拠もない「大丈夫ですよ」と言う言葉だが、しかしその言葉を誰かに言って貰えれば不思議と大丈夫な気がしてくる。洗脳のようにも思えるその言葉は確かにクルトを落ち着かせる。
「どうしてですか……俺はラヴィアさんにあんな酷い事を……八つ当たりをして怖がらせたのに……どうして俺に構うんですか……」
「……分かりませんよ。クルトさんなんかどうでも良い人のはずだったのに、気付いたら何とかしないと、って考えちゃってたんです」
「…………」
「あ、クルトさんがいないと私が生きていけないからでしょうか? それなら私が行動した理由になりますよね!」
何かに思い至ったような声をあげてクルトから離れるラヴィアは地面に膝を突いたままそう言ってニコニコと笑っている。出会ったばかりの頃を思えばあり得ないほどに変わったラヴィアの姿に少しの感動を覚えるクルト。気付けばラヴィアに釣られてクルトもニコニコと笑っていた。
クルトからは先ほどまでの混乱が嘘のように消え失せていた。ラヴィアと出会ってからそれほど時間が経過したわけではないが、誰よりも濃密な時間を過ごしたと言う自信がある。そしてなぜだか分からないが、クルトにとってラヴィアの存在は心の拠り所のようになっていた。
「……ごめんなさい、ラヴィアさん。……胸ぐらを掴んで揺すったり、地面に押し倒したりして……ごめんなさい」
「あれ、鬼のような形相で迫られて物凄く怖かったんですからね。……あと苦しかったです」
「本当にごめんなさい……」
「……いいですよ別に。クルトさんがいなければ私は生きていけませんし、仕方なくですからね」
冗談ではなく事実なのだが、冗談のつもりで責めるように言うラヴィアに、萎れる草花のように元気がないクルト。そんなクルトの額を人差し指で押してからラヴィアは優しい表情をしながら言った。
「なにかお詫びがしたいです……」
「いやだから別に怒ってな…………あぁ、じゃあ、クルトさんに目的を探す気力がなくても、私に目的ができるまで一緒に旅をしてください。それで許してあげます」
断ろうとするが、途中で自分のためになる事を突きつけるチャンスだと考えたラヴィアはそう言ってクルトが逃げられないようにする。
一人で生き抜く術を持たない村娘なのだから多少は強かに振る舞わないといけないのだ。
「分かりました。それでラヴィアさんへのお詫びになるんでしたら……」
「じゃあ決まりですね! よろしくお願いしますクルトさん!」
「はい、よろしくお願いします」
クルトがいつもの調子を取り戻せるようにとできる限り明るく振る舞うラヴィア。これほどに強かなのであればクルトがいなくとも一人でも生きていけそうな気もしてくるほどだった。
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アブレンクング王国、ランスフィーア魔法学校の寮、ラウラの部屋にアデルとラウラはいた。賢者であるクルトが失踪してからは暫く仕事を与えられなくなった。当然だ。
今までインサニエルから受けていた仕事は平和を保つため、そしてアデルとクルトとラウラの三人を成長させるために与えられていたものであり、この三人ならばこなせるだろうと判断されて与えられていたのだ。だからそこからクルトがいなくなってしまえば、こなせる物もこなせなくなってしまうので、アデルとラウラは暫く寮で待機し、学業に励んでいた。
しかしこのままでは鈍ってしまうと言う事でたまに王都シックサールから出て魔物討伐に向かうのだが、それも今日はできそうになかった。
通り雨と言うには過剰すぎるほどの大雨と暴風、頻繁に鳴る雷がこのアブレンクング王国を襲っていたのだ。だがその大雨と暴風と雷はすぐに去っていき、シックサールの付近にある森の方へと消えていった。
小規模でありながらも甚大な被害を齎す恐ろしい通り雨、いや通り嵐。
それが空を呑み込むように渦を巻いているのを、寮にいるアデルとラウラは窓を覗いて一緒に眺めていた。
「しかし意外でしたねー」
「何が?」
「アデルさんが雷が苦手な事ですよ。「うわぁっ! 雷だ! 助けてラウラぁ!」なんて叫びながら──」
「あーあー、聞こえないー!」
「あはははは、アデルさんは可愛いですねー」
「酷いよラウラ! 誰にだって苦手な事の一つや二つはあるでしょ! なのにそうやって人の事を笑うのはよくないよ!」
渦巻く嵐から視線を外して窓際で仲良く戯れる二人だったが、遠くで響く雷鳴は激しい閃光を伴って寮の窓を照らした。僅かに寮そのものが揺れているようにも感じる。
「うわああああああっ!!」
「きゃあ!」
遠くで轟いたはずの雷鳴は、雷が苦手ではないラウラすらをも驚かせ、二人はぴょんと跳ねて窓から少し距離を取る。
その後も暫く雷鳴は轟き続ける。それは不意に擘く轟音などではなく、ただの騒音と化していた。
そのおかげで二人は次第に雷鳴に慣れ、そして窓から外を覗いた。
断続的に走る閃光には窓から顔を出したばかりなので慣れなかったが、音には慣れたので些細な問題だった。
「森の辺りで止まってますね……」
「さっきここを通った時はあっさり過ぎて行ったのにね……」
森で動きを止めた嵐を眺める二人。そこで再び閃光が走り、瞬きをする二人の目に一瞬何かが映った。とても小さくて分かり難かったが、あれは確かに嵐の中心に存在していた……菱形の何かが存在していた。
「ラウラ、今の菱形のやつ見えた?」
「アデルさんも見えていたんですか……じゃあ見間違いとかじゃないみたいですね」
「あれなんだろうね」
「さぁ…………ただ、相当な大きさですよあれ。ここからでも小さく見えるほどなんですから……」
この王都シックサールから嵐がとどまっている森までは割と距離があるのである。それなのに寮から菱形の物体が窺えたと言う事はその物体が相当巨大でなければならないのだ。
「ねぇねぇ、見に行ってみようよ」
「え!? 危ないですよ!?」
「神器着ていけば嵐には耐えられるはず……ね、いいでしょぉ? このままじゃボク、気になって眠れないよ……」
上目遣いで懇願するアデルは同性であるラウラでさえもドキッとしてしまうほどの破壊力を秘めていた。
仕方なく受け入れたラウラは嵐に向かっていくと言う完全な自殺行為を了承した。しかしアデルの言う通り神器を装備していれば近づくぐらいならば耐えられるだろう。嵐に飛び込むとなれば一瞬でバラバラになってしまうだろうが。
それから神器を装備してから森へと走ったアデルとラウラ。馬車に乗っていけば楽だったのだが、遠くに嵐が渦巻いているのを知っていながら馬車を動かすバカはいなかった。
全力で走ったアデルとラウラだったが、二人が近付けば嵐は遠ざかっていく。先ほどまで止まっていたのが嘘かのように、まるで二人から逃げるように物凄い速度で遠ざかっていく。
「あぁ~! 嵐が行っちゃうよぉ! さっきまで止まってたのになんでぇ……?」
「タイミングが悪かったんでしょうね……もう少し早くあの物体に気付いて寮をでていれば間に合ったかも……」
ラウラが言うが、それはあり得ない。なぜならあの嵐は勇者であるアデルと、アデルと似た気配をしているラウラから逃げていたのだから。
あの嵐は最果ての大陸からやってきた、意思のあるものであった。
「うぅ……気になるよぉ……絶対今日は寝れない……」
「じゃあ一緒に夜更かしでもしましょうか」
「ほんと!? やったね、じゃあ寝れなくてもいいや!」
歩きながら、せっかく森の側まで来たのだから荒れ果てた森を見てから帰ろうと話し合った二人。その頃には空は青く澄み渡っていて、嵐があったなどとは思わせない模様だった。
倒れた木は殆どが風に吹かれて禿げていた。葉はそこら中に散らばっており、緑の絨毯となっていた。露になった木の根は邪魔だったが、時折アーチのように芸術的になっているものもあった。花は散って泥にまみれて汚されていた。枝はボキボキに折れて茨の道を作る。
生息していた生物達の血や肉が、それらの自然の惨状を鮮やかに彩っていた。
最初は凄いと言うような感動や感嘆……自然の胸囲と自然への畏怖を抱いていたが、ある時を境にそれらが急速に色を失っていった。惨状は惨状、芸術ではない。誰もそんな惨状に長時間見入ったりするわけがなかった。
「帰ろっか」
「そうですね」
興味を失った二人が荒れ果てた森から出ると、そこにはミレナリア王国にあるフェルナリス魔法学校でよく知った人物を見かけた。知っていると言ってもアデル達が一方的に知っているだけなのだが。
そんなフレデリカは息を荒くして両手を握ったり開いたりして、体の調子を確かめるようにしている。
その側では血塗れの女に男が覆い被さっているのだが、それに視線を向けたフレデリカはどうしたものか、とでも言うようにうーん、と悩み始めた。
フレデリカがフェルナリス魔法学校の生徒会長であり、生徒からの人望も厚い優秀な人物だと知っている二人はどうするべきかを相談し始めた。
「ねぇ、どうするラウラ……何やらただ事じゃない様子だけど……ボク達は出ていくべきかな?」
「そうですね……取り敢えず話しかけてみましょう。あの様子を見るに、魔物に襲われて逃げて来た後でしょうし、傷を癒すためにも人手が必要なはずです……フレデリカ生徒会長がなぜこんなところにいるのかも聞いておかないとダメでしょうし、行きましょう」
「うん、分かった」
神器を装備したままだと言う事を忘れているアデルとラウラの二人は、その格好のまま残骸の中から姿を現し、フレデリカとその足元で横たわっている男女の元へと歩を進めた。