第303話 絶望の到来、変化の到来
嗤うアルタに瓦礫を投擲するのはブリンドネスだ。
この場の戦況は拮抗したものであったが、それでもこの場での絶対的な存在感を醸し出しているのはブリンドネスだったのだ。
その存在感を奪われた事による怒りの瓦礫は回避をしようともしないアルタに直撃する。
こんなものか、と興味をなくしかけるブリンドネスだったが煙が掻き消されて無傷で現れるアルタに目を向けずにはいられなかった。
かなりの大きさでかなりの強さで投擲したはずの瓦礫の直撃を受けて無傷で堂々と、まるで何もされていなかったかのように立っているアルタに怖じ気を覚える。
「君は生きたまま僕の配下にするつもりだったんだけど、そんな生意気な態度でこられたら考えを改めないといけなくなっちゃうね。二度と逆らう気を起こさないほどに叩き折って抜け殻みたいにしてから支配してあげるよ」
「随分と上手に出たな。だがお前一人で何ができるって言うんだ。これだけの人数を相手にして二本足で立ってる俺の姿が目に入らないのか?」
狂気に満ちた笑みを浮かべて言うアルタに、怒りに染まった顔を少し苦しそうに歪めてブリンドネスは言う。
それを聞いたアルタはさらに笑みを深めて、そして堰が切れたように哄笑を上げた。心底おかしそうに、何も知らないブリンドネスを嘲るように。
「そんな大きな図体が目に入らないわけないでしょう。その上で言ったんだよ。……それに、僕はここにいる誰よりも強いよ。ここにいる人間の数よりも遥かに多くのステータスを持っているんだから。多分君達全員が一斉に襲い掛かってきても余裕で対処できちゃうよ」
アルタは【生物支配】で支配した生物のステータスを一方的に共有して自身を強化している。そしてその上、もし死んでしまったとしても、支配した生物の命を犠牲にして完全な状態で復活する事ができてしまう。
だからアルタには絶対的強者としての自信があった。
無論、何度も殺されて配下の命を犠牲にし続ければ次第に弱体化していくのだが、そもそもアルタを殺す事自体が困難なのでアルタはその事を全く心配していなかった。
「戯れ言を。たかだか人間一人がそこまでの力を保有していわけはない。勇者や賢者などであればそれも納得できるが、まさかお前がそうであるわけではないだろう?」
「うん、そうだね。僕は勇者や賢者なんかじゃないよ、絶対にね。それでもこれは戯れ言なんかじゃなくて紛れもない事実なのさ。僕はそれと同程度か、それ以外の力を持っているんだからね」
「そう思うのなら勝手にしろ。思うだけなら自由なのだからな。だがそう思ったところで、いくら事実だと言ったところでお前は勇者や賢者などと同程度の存在感ではない」
「君もそう思っていると良いよ」
ブリンドネスから視線を外したアルタは近くで地面を這っている騎士とその側で怯えたように佇むドロシーに目を向ける。
ドロシーがこの騎士を治療しようと駆け寄っていたのだが、聖魔法を使おうとした瞬間にアルタが現れたせいでその手を止めざるを得なくなっていた。
聖魔法使いとして王都で控えていたドロシーはアルタと面識があるわけではないが、そのアルタから漂う禍々しい雰囲気に呑まれていたのだ。
ブリンドネスをも凌駕する圧倒的な化け物の気配。それが人間だとは思えず、人間の姿をした別の生き物だとすら思えてしまう。亜人でも魔人でもなさそうなので紛れもなく人間なのは確かだが、それでもドロシーは目の前のアルタを人間だとは思えなかった。
「君はあいつより弱そうなのに見る目があるみたいだね。……いや、弱いからか。危険を察知する能力に長けているんだろうね」
顔を近付けて言うアルタに、恐怖のあまり涙目になるドロシーが発するのは断片的な一文字だった。
あ、あ、あ……そんな風な途切れ途切れの一文字を発するドロシーの後ろから聞こえてくるのは怒りに染まった叫び声だった。
ブリンドネスではない。それはマテウスが発するものだった。
「ドロシーから離れろぉっ!」
力一杯に剣を振るうマテウスの剣は後方に跳んだアルタには当たらない。だがそれでよかった。ドロシーと負傷した騎士を連れて距離を取るにはそれで十分だった。
「大丈夫かドロシー、何もされてないか!?」
「あ、は、はい……何もされてません……ありがとうございます、マテウス」
礼を言うドロシーを魔法使い達が集まっているところに下ろしたマテウスはブリンドネスとアルタの両方を見渡せるような場所に移動してどちらの攻撃にも対処できるような位置に立つ。
「ライリー、あいつが何者か知っているのなら教えてくれないか?」
「……あいつはゲヴァルティア帝国の皇帝だ。私やジャンク、グリンにティアネー……それに剣聖スヴェルグ様でも敵わないほどのやつだ」
「スヴェルグってあの……?」
「そうだ」
スヴェルグの事に詳しいわけではないマテウスだったが、それでも剣聖の凄さは十分に理解していた。剣聖とは長い時間を研鑽に費やしても至れるか分からないような場所にあるものだ。もちろんマテウスなどまだまだスヴェルグには敵わないし、剣聖を名乗るにはまだ実力が足りない。
そんな高みにある剣聖スヴェルグでも敵わないとなればマテウス達がとる行動は一つだった。
「どうやらあの悪魔と皇帝は敵対しそうな雰囲気だ。だから俺達は黙って静観しておこう。どちらかが片付けば出ていって止めをさせばいい」
「あぁもちろんそうするつもりだ。……卑怯はやり方だが、そうでもしなければ私達に勝ち目はないのだからな」
マテウスとライリーはそう交わしてから他の冒険者や騎士にそう伝えてブリンドネスとアルタから距離を取らせてそのやり取りを眺める始めた。
消えていく騎士や冒険者の気配を感じるブリンドネスとアルタ。そして増えていく自分達に向けられる視線。
その中で余裕綽々そうにブリンドネスを見つめるアルタの視線。どこまでも舐め腐ったようなその目に怒りを覚えるブリンドネスは、【加速怒】でステータスが上昇するのを実感しながらアルタに向かって拳を振り下ろした。
しかしその拳は地面を砕いただけで終わった。
アルタはどこに行ったのかと周囲を見回そうとするブリンドネスだったが、背後から向けられる濃密な殺気を察知し、咄嗟に回し蹴りを放った。そのまま振り返るブリンドネスは自分の足がアルタを捉えたのを視認した。だが、その感触が足に伝わってくる事はなく、そのアルタは煙のように消えていった。
それが幻だったと理解した時にはブリンドネスは横腹に強い衝撃を受けて吹き飛ばされた。【加速怒】によって物防や魔防のステータスもが上昇しているために現在のブリンドネスはそんな衝撃を受けるわけがなかったのだが、しかしブリンドネスは地面を転がり、地面を削りながら吹き飛ばされる。
地面に指を立ててその体勢から立ち直ろうとするブリンドネスには、高く跳び上がっていたアルタが見えていなかった。高く跳び上がったアルタはブリンドネスの無防備な背中に着地した。その際に踵から着地し、力を込める事も忘れない。
地面に沈むブリンドネスは大きなクレーターを生み、アルタはそのクレーターの縁に立つ。
そんなアルタはクレーターの中心に向かって期待外れなものを見るような失望の眼差しを向けていた。
アルタは期待していたのだ。こいつはグーラと戦った時のような高揚感を与えてくれると。だが、実際はこの有り様だ。クレーターの中心横たわり、アルタを睨むだけの無様な敵だったのだ。
面白い玩具だと思っていたら不良品だったのだ。これに失望しない人間などいるわけがない。
クレーターに埋まるブリンドネスは簡単支配できてしまったために、もうアルタにとっては敵ではなく玩具なのだ。それを知らないブリンドネス本人は未だにアルタを睨み付けているが、それすらも無様であった。
「弱いね、君」
「うるさい黙れ! なぜお前如きがこの俺をこんな目に遭わせられるんだ!」
「君が弱いからで、僕が強いからだよ。それと、君はもう喋らなくていいよ。さっきからずっとうるさいと思ってたんだよね。……でもまぁ、やっと黙らせられるようになって良かったよ」
「……っ! ……っ!?」
ブリンドネスはアルタの命令に怒りを露にして叫ぼうとするが、そこで声が出ない事に驚愕し、目を丸くする。なせ声が出ないんだ。そんな疑問を口にできずともアルタはそれに答えてくれた。
「君は僕の配下になったんだ。だからもう僕の言葉には逆らえない。……それにしても凄いね君のステータスは。補正値が物凄い事になってる。こんなステータスで僕に敵わなかったのはその大きな体のせいだろうね、あぁもったいない」
「……! ……!」
「何言ってるのか分からないや。でも反抗的な態度はまだ直ってないみたいだね。僕の配下として生きてもらう以上、従順になって貰わないと困るから……僕が躾をしてあげよう」
愉悦に満ちた笑みを浮かべるアルタはクレーターを滑るように下りて、クレーターの中で土や瓦礫に埋もれるブリンドネスの目の前に立ち、そしてその顔面を蹴りつけた。それだけで埋もれていたブリンドネスは地上まで吹き飛び、地面に落ちて地面を揺らす。
ブリンドネスは小さな呻き声を上げる事すらできないようだった。
痛みに呻く事も、痛みに叫ぶ事も、助けてと懇願する事も、助けてと願う事もできないでいる。
生々しい音が夜の静寂に響く。ただ一人の男の嗤う声と共にブリンドネスの体から発せられる水気を帯びた音が響く。血を流しているブリンドネスはただの一度も口から音を発する事はなかった。殴られ蹴られ、抉られ裂かれ潰され……見るも無残な姿へと変貌していた。
閉口するブリンドネスはそんなもう一人の自分の姿ただ眺めている事しかできなかった。元々は一人の悪魔であるので、その半身がアルタに支配されたとなればもう半身もそうなってしまうのだった。だから主であるアルタに逆らえず、ただそれを眺めている事しかできなかった。
自分が酷い有り様になっていくのをただただ傍観するしかなかった。
「見ていられません!」
「「ブラン!」」
ひたすらに暴力を振るわれるブリンドネス。それに哀れみを抱いたブランがアルタに向かって飛んでいく。それを止めようとライリーとマーガレットが手を伸ばすが、空を飛ぶブランに地で生きる人間のその手が届くわけがなかった。
駆け出そうとするライリーとマーガレットを引きとめるのはマテウスとラモンだった。アルタと言う化け物に突っ込んでいったブランを追わせるわけにはいかなかったのだ。……見ればノワールも飛び出しそうになっているが、なんとか堪えている様子だった。
「やめなさいっ!」
叫び、ブランが剣を振るうがそんな攻撃は、自分達が倒せなかったブリンドネスを倒したアルタに届くわけがなかった。
ブリンドネスとアルタの間にあった絶対的な壁よりも、さらにさらに高く強固なその壁は、ブランの翼では飛び越える事ができなかった。
「どうしたんだい? いきなり攻撃してくるなんてさ。僕は君達を襲っていたこいつを倒して甚振っているだけだよ?」
「それがダメなんですよ!」
「悪人を甚振って何が悪いんだい? こいつはそうされるだけの事をしてきた。そうだろう? この村を滅ぼし、この村の人々を皆殺しにした。だから僕はその分の敵討ちをしているんだよ。……まさか甚振られるこいつに情が湧いて正義を執行する僕を止めた……なんて事はないよね?」
そのまさかだ。ブランは悲鳴を上げる事もできずに嬲られるブリンドネスを可哀想だと思ってこうしてアルタに剣を向けていた。いくら村を滅ぼした悪魔とは言え、ここまでする必要はないだろうと考えていたのだ。
庇ったはずのブリンドネスに、悔しそうな感情のこもった目で睨み付けられようともブランは退かない。
「あなたのそれは、正義を振り翳して自分が求めている暴力の快楽に浸っているだけにすぎません。そんな偽物の正義で誰かを傷つけるのは間違っています!」
「バカだねぇ君は。正義なんて言うのは全て自分のためにあるんだよ? 誰かを救って満たされたい、それが正義だ。人が不幸になるのを見ていられない、人が傷付くのを見ていられない……それって結局はそれを見た自分が不快に思ってしまうから行動しているわけだろう? それが正義の本質なのに
君なんかに僕の正義が間違っているなんて言われたくないねぇ」
「そんなのは正義じゃないですっ!」
「まぁ何が正義かはどうでもいいさ。正義なんてのは人の価値観で常に変わるんだからね。……僕が一番気に食わないのはね、僕にこいつの始末を押し付けた癖に一丁前に吠えている君のその性根だよ」
「……っ!?」
もっともだ。自分達では敵わないから、と。脅威となる存在が争いを始めるのだから傍観していよう、と。そんな意地汚い考えで成り行きを見守っていた癖にどうしてそんなわがままな事が言えようか。
間違っているはずだったアルタにそれを指摘されたブランは俯いて拳を握り締める。白髪に隠れて窺い辛いが、恐らくは唇も噛み締めているのだろう。
「……ぅ……そ、それは……」
「分かったらいいんだよ。さぁ、向こうへ行って仲間と一緒に見物してなよ。それが一番賢い判断なんだからさ」
しっし、と手であしらうアルタだが、しかしブランは動かない。そしてブランは言葉を発した。
「確かにあなたが言っている事は正しいです。……ですが、だからといって目の前で行われる非道な行いを見過ごす事はできません!」
「話が分からない奴だね君は……」
「分かっていますよ。私達はあなたにその悪魔を押し付けてそれを眺めていた。だからその悪魔をどうするかはあなた次第です。……ですが、それだとしても度を越えた非道な行いは見過ごせません。どれだけあなたが正しかったとしても、その正義を振るう手段が悪であればそれは紛れもない悪なのです。だから私は止めなければならないんです、あなたが完全な悪に染まってしまう前に」
やっている事や言っている事が正当なものでも、それが間違ったやり方に影響されてしまえばそれは悪になる。だからアルタが悪に染まってしまう前にそれを止めなければならない。
ブランはブリンドネスの心配をしなはらも、アルタのためを思ってそう言っているのだ。
悪は悪、正義は正義……間違った正義は悪であり、正しい悪も悪である。
この世は正義よりも悪で溢れている。
だからブランは貴重な正義の芽を摘み取ってしまわないように、正義の芽が害虫に食われてしまわないようにこうしてアルタに言うのだ。
「僕のために言ってくれてたんだ、ありがとう。でも余計なお世話だよ。色々言ったけど、僕はただブリンドネスを甚振りたかっただけなんだ。だから悪に染まるとか意味が分からないし、正義を振るった覚えもないよ」
「なっ!?」
いい加減にブランの相手をするのが面倒臭くなってきたアルタは適当そう言ってブランへと火魔法を放つ。
驚いたものの、それを躱す事ができたブランはもうアルタの説得を諦め、剣を構えて走り出した。正義の芽を摘み取らないようにと思っていたが、そもそもアルタには正義や悪だのと言うものは存在していなかった。ただ単純にブリンドネスを嬲って自分を満たしたかっただけなのだ。……それを理解したからにはもう躊躇いはなかった。
ブランは殺すつもりでアルタに斬りかかる。ブリンドネスを殺せなかった自分達とはあまりにも力に差がある相手にだ。正気の沙汰ではないが、秩序や調和を重んじるヴァルキリーであるブランはそんなアルタを見逃す事ができなかった。
本人に正義や悪の意識がなくとも、実際にアルタが行っている事は非道である悪だ。それを正すために行動したいところだが、アルタ本人が悪だと認識していないのでどうしても正す事はできない。……だからブランはアルタを裁くためアルタを攻撃するのだ。ただの騎士であって、処刑人でも裁判官でもないブランがアルタを処せるわけがないのだが、今回は特例だ。騎士の役目であるその悪人の捕縛ができないのだからこの手でアルタを裁くしかないのだ。
「【昊天 巫女秋沙】」
ブランが使用するこのスキルは、斬り付けた相手のステータスの上昇補正を消失させるものだ。先ほどのブリンドネスとの戦闘ではブリンドネスが勝手に自身が使用するスキルの効果を説明したので、これ幸いと使用できたが、保有するスキルが一切不明な目の前の相手に効果があるかどうかは分からない。
だが、人の身でありながらブラン達全員と対等に渡り合える怒りの悪魔を叩き伏せる事など異常としか言えない。なのでなんらかの効果によってアルタのステータスに上昇補正がかかっていると考えたブランは、【昊天 巫女秋沙】を使用してアルタにかかっているであろう補正を消失させようと考えた。
正直、意味があるかどうか分からない勝負だ。これでもしアルタのステータスに補正がかかっていないのなら、一瞬でブランの望みは絶たれて絶望に落とされてしまう。
白いオーラを纏った剣を振るうブランは、ふと、ノワールが持つ【玄天 黒烏秋】の方が使い勝手がいいのだろうと考えてしまう。
一瞬でも目の前の光景から思考を逸らして油断をして隙を見せたからだろう。【昊天 巫女秋沙】を発動してから最初の一太刀を繰り出したブランは、その一撃が躱されるのを視認すると同時に、自身に迫る無数の一撃に目を奪われていた。
それは【散撃】と呼ばれるスキルだ。使用者が繰り出したたった一撃の攻撃が、そのスキルレベルと同じ数だけ増えると言う惨劇のような効果を持つスキルである。
顔面へ、肩へ、心臓へ、太ももへ、脹ら脛へ……至る所に迫るその拳を前に、ブランはまたもや意識を逸らしていた。……いや、それが勝手にブランの気を引いたと言うべきか。
ブランの脳を過るのはブランのライバルであり、かけがえのない親友でもあるノワールだ。先ほど【玄天 黒烏秋】と【昊天 巫女秋沙】の優劣に気付いてしまったからそんな事が過っているのだろう。
ブランとノワールは幼い頃から一緒にいるためにお互いへの理解はとても深い。だからこそ相手の優れている点に気付く事ができ、自分の劣っている点に気付ける。そうして抱く劣等感はブランを苛むものにはならず、対抗心へと変わって、親友でありライバルと言う関係を作り出す。
そのおかげで親友と自分の優劣に気付け、それに対抗しようと自身を研鑽する向上心を得る事ができた。
そして至ったのはとある一部隊の隊長と言う地位だった。ライバルであるノワールは部下となり、ブランは複雑な思いを抱く。
どう考えてもノワールがブランの部下などおかしい。二人の実力は同等だったはずだ。なのにどうしてブランだけが隊長となり、ノワールがその部下となったのだろうか。
上司である金髪で隻眼の濃緑の瞳を持つ女神に理由を尋ねてそして返ってきたのは、『秩序や調和の維持を望まず男を嫌わない異端のヴァルキリーだとかは関係なく、ノワールの人格そのものに問題があるからだ』と言うものだった。
異端の寄せ集めである部隊なので、ノワールが異端であるから、と言う可能性は低いだろうと思っていたが、まさか人格に問題があるからだとは思わなかった。
だが、確かにノワールの人格には問題があった。相手が善人だとかは一切関係なく、自分と同等かそれ以上の生物であれば容赦なく勝負を挑んでいくような戦闘狂のような人物だったのだ。
……なるほど確かにそれでは隊長になど任命できるわけがない。諦めるように溜め息を吐いてライバルが部下となった事を受け入れたブラン。
そんな対等ではなく、上下がある関係となったブランとノワールの間には気まずい雰囲気が流れていた。
これがただの親友同士であれば以前と変わらずに……それよりもっと仲良くなれていたのだろうが、しかし、ライバルという今までお互いに競いあってきた関係でもあったので、その関係が終わってしまったような気がして気まずかったのだ。
眼前……いや、全身に迫る拳の嵐を前に、ブランはそんなノワールとの関係や今までの思い出に耽っていた。
これが走馬灯と言う奴なのか……のんきに、そして悠長にそんな事を考えるブラン。拳が到達するまでの刹那の間であるはずだが、横目でノワール達を見やる事はできた。きっと途轍もない速度で瞳が動いているにだろう、きっと途轍もない速度で脳味噌が回転しているのだろう。
こうしてじっくりみんなを見ている間に、体を動かしてアルタに反撃できればよかったのだが、途轍もない速度を誇る視界と脳と反対に、その体は死体のような有り様だった。ブランはまだ死んではいないはずだが、脳がもうすぐ死んでしまうと理解してしまっているので、諦めて既に動きを止めているのだろう。
「ブランっ!!」
手を伸ばして自分の名を叫ぶノワール。
初めてだった。ノワールがあれほどに真剣な眼差しで表情で自分の名前を呼んでくれるのは。嬉しかった。……だけど、ノワールの叫びと同時に自分が陥っている状況がどう言うものなのかを嫌でも理解させられる。
死を直視したくないから視線を逸らしたというのに、こうして無理やり認識させられるなど堪ったものではない。
もう逸らす場所は存在しない。反対側に視線を向けようにも、もうそんな時間もないだろう。
仕方ないからかけがえのない親友を最後に見つめながら逝こう。最後の最後に大切な人を眺めながら死ねるのだからもうそれでいいだろう。
体の動き停止させた脳味噌と同じ諦めを抱いた心のままにブランは受け入れた。崩れそうになるを感じる。諦めただけなのにたくさんのものにヒビが入っていくのを感じる。思い出や記憶、精神や心、意識や意思、自我。大切なものが全て崩れていくのを感じる。
最後の視界に映る大切な人ですら、自身の情けない視界のせいで霞む。
もう終わりだ。
拳を直視したわけではないが、もう拳が触れるのを理解できた。どこまでも歪な感覚だ。体は死体のように動かないのに、視界を動かす速度や五感などは異常なまでに冴え渡っている。不思議な感覚だった。
それももう過去の感覚だ。現在の自分は泣き叫ぶ大切な親友に抱き抱えられている。
……死んだはずじゃ……? そんな疑問を抱くのは当然だった。なぜならブランはノワールの体温を知り、ノワールの鼻水や涙に顔中を濡らされているから。生きている生物にしか味わえない感覚に何度も瞬きを繰り返してしまう。
そんな瞬きを繰り返しているうちにノワールの涙がブランの目に落ちたのか、再びブランの視界は霞み始めた。呆気に取られていたせいで消え失せていた涙が再び溢れ出してきた。
霞み行く視界の中で、ブランは誰が自分を助けてくれたのか知ろうと顔を動かした。
そこに転がるのは先ほど自分を窮地に追いやっていたアルタだ。
それを少し離れたところで見ているのは金髪の美少女だった。
金髪の美少女が宿す瞳は星空の明かりを全て吸い尽くし、喰らい尽くし、奪い尽くしたかのように煌々と、それでいて燃え盛る炎のように赫赫と輝いていた。
 




