第301話 怒りは神出鬼没
アルタがエルサリオンとナルルースだけを連れていったため、ゲヴァルティア帝国に残っていたサリオンとディニエルの二人。
その二人ももちろん【冒険王】とティオ=マーティの復讐に巻き込まれていた。
貴族街を焼き尽くし、その城下町すらをも焼き尽くし、そこにいる全ての人間の逃げ道を塞いで一人一人丁寧に殺していく。
そんな惨劇を目の当たりにした二人は、城に勤めている使用人の案内に従って皇帝の寝室へと向かっていた。寝室に隠された避難通路を求めて、明かりに向かって飛ぶ虫のように。
城の外では襲撃者らしき二人とアルタの配下だと言う全身に無数の口を宿した悪魔の戦いが繰り広げられている。
その悪魔は暗闇を纏った口のような姿に変貌しており、進む先にあるもの全てを見境なく喰らい尽くしている。
そのせいで発生した瓦礫はあちらこちらに飛散して周囲の建物を貫いている。かなり離れた場所にあるこの城の壁を貫くものもちらほら見受けられ、その度に城は大きな音を立てて傷付いていく。
そんな中で明かりに集う虫のように使用人とサリオン、ディニエルは寝室へと向かって急いでいるのである。
しかしそれは呆気なく叶わない夢となってしまった。外で繰り広げられる悪魔と襲撃者の戦闘によって飛び散る瓦礫が窓を突き破ってちょうど使用人の腕を穿った。
悲痛な悲鳴を上げて地面のたうち回り使用人は暫く落ち着く様子はなかった。
ここでこのまま使用人が落ち着くのを待つのは得策ではないと考えたサリオンとディニエルは使用人をおいて城内を走り出した。皇帝の寝室がどこにあるかなんて知らない。だが、行く先々にある扉片っ端から開けていけばいずれは辿り着けるだろう、そんな楽観的な思考をして走る。
そんな風に時間をかけていればいずれは自分達もあの使用人のようになってしまう事は分かってた。その理解は頭の片隅にしか存在せず、二人の頭を占めているのは混乱ただ一つであった。だから楽観的な、なんとかなる、などと縋るような思考しているのであった。
飛散する瓦礫によって崩れた城の残骸に何度道を塞がれただろう、飛散する瓦礫に怯えて蹲る使用人を何度見捨てただろう、後ろから聞こえる断末魔に何度振り返りそうになっただろう。
城内を走り回る二人はこの惨劇の中でたくさんのものを見た。……残骸に潰された人間の腕や足、残骸が放尿したかのように下から漏れている血液。
絶対に夢に出る、そんな確信を抱くディニエルの視界は水分で不鮮明だった。そもそも夢を見る事ができるのか、と考えてしまったせいである。
そんなディニエルの様子を認識したサリオンはディニエルの腕を引いて先導する。どこへ向かうのか分からないが、サリオンはとっさにそんな行動をとっていた。
「さ、サリオンさん……」
そんな熱を帯びた呟きは荒れる城内の喧騒に掻き消されてサリオンの耳には届かなかった。
そして外を見れば氷の女王と呼ばれる女の手によって悪魔は氷漬けにされ、そしてバラバラに砕かれてそれぞれのアイテムボックスへと収納されている様子だった。……なぜそんな事を? なぜ味方同士の悪魔と氷の女王が争っているの? と考える暇もなくディニエルはサリオンに告げた。
「さ、サリオンさん……! あの悪魔がやられちゃいました……っ!」
「なんだと!? あの悪魔が!? 信じられない、相当強そうに見えたのだが……ならば急がねば襲撃者がやって来ると言う事か……あぁくそっ! いつになったら寝室に辿り着けるんだ……!」
驚きで転けそうになるがなんとか堪え、顔を青くしてサリオンは再びディニエルの手を引いて城内を駆け回る。城の残骸があちこちに散らばっているせいで上手く進む事ができず、迂回し続けているせいで中々寝室に辿り着けない。その事に僅かどころではない焦りは徐々に苛立ちとなってサリオンを襲う。
暫くすると城内のあちこちで悲鳴が上がり始めた。それで襲撃者の到来を理解した二人はさらに焦って呼吸も荒く城内を駆け回る。どこに行っても残骸が散らばっていたり床が抜けていたりして進めない。
さっきから同じところをグルグル回っているようにすら思えてくる。
二人が抱くその感覚は正しいものであり、実際にサリオンとディニエルは同じところを巡っていた。倒壊した残骸がどれもこれも見慣れないものであるから同じところを巡っていると気付けなかったし、それに加えて焦っているのも原因の一つだった。焦って走り回り、周囲の景色をきちんと把握できなかったのである。要するに、頭が回っていなかったせいで同じところを回っているのである。
そしてとうとうやって来た襲撃者。それと出会した二人はその足を久し振りに止めた。振り返って逃げ出そうするが足を止めたその瞬間、津波のように押し寄せる疲労にサリオンとディニエルは否応なしに動きを封じられた。
終わった……もう終わった……ここで殺されてしまうのだ。あぁ、無意味で無謀で分不相応な志を抱いたまま、それを成し遂げれずに朽ちてしまうのだ。……そう考える二人に浴びせられた魔剣を持つ襲撃者からの言葉は「とっとと失せろ」だった。
その前に襲撃者の二人が話し合っていたような気がするが、それを思い出して見逃された原因を知る前に、二人はその言葉に従って、石のように硬い足に鞭を打って踵を返し、そして走り出した。
一度止まったおかげでサリオンとディニエルの止まっていた思考が回りだし、そしてそのおかげで城内をグルグル回る事はなくなった。
サリオンとディニエルが去った後、【冒険王】とティオ=マーティは言葉を交わしていた。
「エルフが人前に姿を現したのは最近。だからそれ以前にこの国に復讐心を抱いていた君の標的じゃない。そうだろう?」
ティオ=マーティの説得によって【冒険王】はサリオンとディニエルを見逃したが、どこか不満を抱いている様子だったので改めてティオ=マーティはそう説明する。
「そんな事は分かってんだよ。……ただ、この国の人間を皆殺しにするって心に決めて来てんのにそれをできねぇってのが腹立つんだよ」
「なるほどね。でも君が我慢する他ないよ。だってエルフとかの亜人はゲヴァルティア帝国とは無関係、寧ろゲヴァルティア帝国による侵略の被害者。君と同じでね。だから見逃すしかないんだよ」
「はぁ……」
深い溜め息を吐く【冒険王】は、その溜め息で気持ちを切り替えて城に残っている人間への復讐を再開していた。
……そして今では【冒険王】の復讐は成し遂げられ、ティオ=マーティと共に、自分の家族と親しくしている様子だった秋の捜索に乗り出していた。
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ミレナリア王国の王都ソルスミードからそう離れていない村。
今、その村は混乱に陥っており、駆け回る人々の悲鳴や怒号が飛び交っており混沌としていた。
その混沌の原因は村の中心部にある村の広場に佇む二人の悪魔のせいだ。
片方は大きく口を開けて空気を震わすほどの声量で咆哮しており、もう片方は口を横一文字に結んで怒りの形相をより恐ろしいものに変えてマーガレット達を睨んでいる。
その咆哮を至近距離で受けた村人は目から鼻から口から耳から血を流しており、睨まれた村人は白目を剥き下半身を濡らして倒れている。
そのおかげで周囲の混沌とした状況はだいたい収まったが、運良くそのどちらにもなれなかった村人は腰を抜かし、地面に尻をつけて後退りをしている。
先ほどまでの精力的で溌剌とした振る舞いをしていた姿から一転して村人達は誰もが暗い顔をしている。
それは旅人がいない時に見せる村人達の本当の姿と何一つ変わらなかった。
この村は栄えている王都のすぐそばにあるため、旅人が全く寄り付かないせいでとても貧相な暮らしを強いられていた。
そんな貧しい環境にある村人達が極限下で元気に振る舞えるわけがないのである。だがそうして元気に振る舞って活発な村だと思わせなければ旅人はますます寄り付かなくなってしまう。だから自分達の苦を胸に隠して旅人の前では明るく振る舞っていた。
外を駆け回る子供達が大声ではしゃぐのは腹の虫の鳴き声を掻き消すため、大人がそれを眺めるのはいつか子供達が空腹を満たす餌になるかも知れないから。
そんな酷く人間性が疎らな村の嘘に怒りを抱いたブリンドネスはこの村を更地に変えるためにこの村にやってきていたのだ。
「ウォオォォオオオアアァァァアアァァアァアアァアア!!」
轟くブリンドネスの咆哮は地を揺らす。立ち上がっていたマーガレット達をよろめかせるほどには大きな揺れだった。
「…おいどうすんだよあれ。一人でさえ手に負えなかったのに二人になっちまったぜ?」
「どうするって、俺達で片付けるしかねぇだろ」
困ったように呟くラモンにグリンがそう返す。そんな事は言われなくても分かっているのだが、どうしてもそう呟かずにはいられなかったのだ。
「相手が二人……となると私達も戦力を分散させた方がよさそうだな」
「一人の時もそれで敵わなかったんだぞ? 分散させずにどっちか片方をさっさと片付けた方がいいんじゃないか?」
ライリーの一言に言い返すジャンク。
実際にはどちらも得策ではない。ライリーの言うように戦力を分散させれば力で押し負けてあっという間にやられてしまうし、ジャンクの言うようにどちらか片方に集中攻撃を仕掛けたとしても手が空いているもう片方にやられてしまうだろう。
この場での最善の選択は逃亡だ。幸いにも二人に分裂した事によってブリンドネスの思考に変化があっので、マーガレット達はブリンドネスの眼中になかった。ブリンドネスは本来の目的を果たすために嘘で塗り固められた村に目を向けているのだから。
それを理解していないわけではないが、こんな化け物を放置しておく事はできない。いずれこの化け物は王都に向かって甚大な被害を齎すだろうから。
そんな正義感からマーガレット、ライリー、ブランなどのそれぞれのチームのリーダー格として振る舞っている三人は退かなかった。なのでそれに追随するラモンとエリーゼ、ジャンクとグリンとティアネー、ノワールとアジュールとルージュは退かないのだ。
「ふふふふ、ふはははははははは! 最高だ最高だ! 俺が求めていたのはこの止めどなく溢れる怒りだ! 腹立たし過ぎて笑えてくるほどの濃厚な怒り! 嘘にまみれたこの村も、俺に逆らうカス共も、この村の貧困の原因である王都も……全て破壊してやる!」
ブリンドネスが抱く怒りは既にその体を満たしていた。一つの体では溢れる怒りに耐えられないから……と、分裂したが、しかしもう二つの体は怒りで目一杯満たされていた。
ちなみに閉口している方が怒りの感情を多く蓄積している。つまり爆発的な攻撃力を誇っている一撃必殺型だ。その上、閉口している方は開口している方へ怒りを流し込めるので怒りの補給係のような役割も持っている。
そして開口している方が継続的に怒りを発散させる通常攻撃型だ。なので二人に分裂したとしても実際に戦うのは開口している方ばかりなのである。
閉口している方が出張ってくるのは打つ手がなくなった時だけだ。全ての怒りを消費して一か八かの一撃必殺を放つための役割や、怒りを補給するなども役割を担っているのだからそれを消費すると言う事は……そう言う事なのだ。
「秩序とか調和とかどうでもいいッスけど、とにかくあんたには何も壊させないッスよ! そのせいで人がたくさん死んだらウチの気分が悪いッスからね!」
「あたしもアジュールと同じでお前には何も壊させねーよ!」
アジュールとルージュが開口するブリンドネスに剣の先端を向けてそう言う。それをチラリと見たブリンドネスはそれに何も答えず、足元に落ちていた岩を投擲した。
その先にあるのは民家だ。二人の視線が追い付くよりもはやく民家の壁を破壊したその岩はその衝撃で砕け散った。
「おい、何も壊させないんじゃなかったのか?」
「何も見せつけるようにわざと壊す必要ないじゃないッスか!」
「お前とそこの赤髪の言葉が本当なのかを確かめたくなっただけだ。嫌がらせをしたかったわけじゃない」
「嘘吐くんじゃねーよ短気野郎! ニタニタ笑いながら言われても信じられるかよ!」
吠えるルージュに顔を顰めるブリンドネスはそこでクレーターから上がってきた。見上げるほどにあるその身長のせいでブリンドネスから少し距離を取らなければならなくなってしまう。
そしてマーガレット達がブリンドネスから離れている隙にブリンドネスは目や鼻から血を流している村人や白目を剥いて失禁している村人などを全ての踏み潰して殴り付けて確実に命を奪っていく。
そこに飛来するのは後ろ歩きのエリーゼとティアネーから放たれた魔法だ。雷を纏う暴風はブリンドネスの腹に直撃する。強烈な一撃のはずだったが、ブリンドネスは少し怯んだけで目立った傷にはなっていない。
「なんて硬さなんですの……皮膚を裂いてそこから体内に雷が広がるはずでしたのにそれすらもできないなんて……」
「もしかしてあいつ、魔法耐性が高くなったです?」
「弱い奴は退場していろ」
瞬く間に二人に肉薄したブリンドネスはその勢いのままにエリーゼを蹴り飛ばし、ティアネーを殴り飛ばした。
「「エリーゼ! ティアネー!」」
マーガレットとライリーがほぼ同時に叫ぶ。
二人はそれぞれ違う方向に飛ばされたが、やがてどちらも家屋にぶつかって止まった。
咄嗟に光魔法を使って体を魔力で覆い、衝撃を和らげるための盾としていたがブリンドネスの攻撃は盾が存在していないのではないかと思わせるような重い一撃だった。
しかしそんな一撃を受けても気を失うには至らなかった二人は聖魔法で体を治療しながらマーガレット達の後方へと移動した。
その間にもブリンドネスとマーガレット達の攻防が繰り広げられている。ブリンドネスの体の大きさを弱点と捉えたマーガレット達はちょこまかと駆け回ってブリンドネスを斬り付ける。スキルを使っていないせいもあるが、しかしそれでもエリーゼとティアネーの魔法と同様に、見て分かるほどの傷は与えられなかった。
そんなうざったい攻撃を続けたからか、どうやらブリンドネスの意識は村よりも再びこちらに向いてしまったようだ。
……いや、それでいいのだ。マーガレット達の目的は、ブリンドネスが大きな被害を出す前に倒す、と言うものなのだから、こうして時間稼ぎでもしていればブリンドネスの咆哮を聞き付けた王都の騎士もやってくるだろうから、決してこのうざったい攻撃が無意味なわけではなかった。
だがそれと同時にこれは危険な行動でもあった。なにせブリンドネスのスキル【加速怒】によって、このうざったい行動に苛立ちを覚えたブリンドネスのステータスが上昇していのだから。
だがやはり当たらなければどうと言う事はないのである。マーガレット達はブリンドネスの攻撃で発生した多少の風圧に動きを阻害されるが、それだけだ。ブリンドネスの攻撃は全てのただの一人遊びとなって終わっている。
「蠅みたいにプンプンプンプンとウザイんだよ!」
「…はっ! 蠅以下がプンプン怒ってるぜ!」
怒りを露にするがそれでも攻撃は当たっていないので騒いでいるだけの間抜けになってしまっているだけだ。
それを蠅以下と言って煽るラモンの一言に更に強い怒りを覚えるブリンドネス。さっきから自分の攻撃が当たらず相手の攻撃だけが当たっていると言う状況に腹が立っていると言うのに、こうして煽られてしまえばブリンドネスは冷静な思考ができなくなってしまい、その攻撃はさらに粗末なものへと変わっていった。
「あいつが短気で単純であるが故の対処法だな」
「あぁ。短気な奴はすぐに感情に呑まれてまともに思考できなくなる。だから短気な奴を相手にする場合はわざと怒らせて、単調な思考しかできないようにする。……これだけで致命的なのにその上あいつは単純ときた。簡単に煽りに乗ってさらに怒る。どれだけ間抜けなんだよ」
ライリーとジャンクがそう言って単調な攻撃しかけるブリンドネスを斬り付ける。怒りでステータス上昇しているために物防や魔防も途轍もない事になっており、ちっとも傷を負わせられていないが、ブリンドネスの気を惹くためにうざったい攻撃を続ける。
ブランの【昊天 巫女秋沙】でステータスの上昇値をゼロに変え、そしてノワールの【玄天 黒烏秋】でステータスを一時的に吸収して、このまま一気に畳み掛けてもいいのだが、そうしてしまえば急激なステータスの変化に驚いたブリンドネスが正気を取り戻す可能性があるので今はまだそれは実行しない。それを実行するのはすぐ近くにある王都ソルスミードからの援軍がやってきてからだ。
王都からやってきた援軍と共に死骸に集る虫の如くブリンドネスに向かって攻撃を畳み掛けるのだ。マーガレット達と比べてどれだけ騎士が非力だったとしても物量の前には意味を持たない。ブリンドネスが騎士達に集られて怒りを覚え、ステータスを上昇させたとしてもブランやノワールのスキルで先ほどと同様にゼロに戻せばいい。
そんな作戦を口で伝えずとも全員がそれを把握していた。
だが、いくらそうやって耐えていても王都からの援軍はやってこない。
おかしいな……ブリンドネスのあの咆哮は王都まで確実に届いていたはずなのに……と、マーガレット達がそれを不審に思い始める。
このままではこの状況に慣れてしまったブリンドネスが正気を取り戻してしまうかも知れない。僅かにそんな焦りを覚えるマーガレット達はそれでも攻撃の手を止めず、わざとブリンドネスを苛立たせるようにブリンドネスの視界に映って攻撃を加える。
「もういいか?」
そんな時、不意にブリンドネスが口を開いた。「もういいか?」と、たった一言だけそう発した。頭の中が真っ白になり、動きを止めてしまったマーガレット達は独楽のように足を振るうブリンドネスの蹴りをもろに受けてしまう。
蹴られた部位を押さえ、悲鳴をあげて血を吐いた。そんな怪我を負ったマーガレット達はこちらまで駆け寄ってきて聖魔法で治療を施すエリーゼとティアネーに礼を言いながら考える。
怒り狂っていたはずのブリンドネスが理性的に言葉を発した。怒っていなかったのか? ならなぜ怒ったフリをしてやられっぱなしになっていたんだ? もしかして自分達の作戦はブリンドネスに気付かれていた? それに気付いた上で様子を見ようとわざと怒ったフリをしていたのか?
幾度となく巡る思考の中で一番真実に近そうな思考の一例だ。
考えたところで悪魔の考えなど分かるはずがない。最終的にそう行き着いたマーガレット達は再び立ち上がって剣を構える。聖魔法で治療を終えたエリーゼとティアネーは再び後ろに下がっていつでも魔法を放てるように準備する。
「どうするのよブラン。あの化け物、私達で遊んでるわよ」
「いや……本当にどうしましょうかね……わざと怒らせてそこを叩くのも、王都からの援軍も期待できないみたいですし……私達だけでは敵わないのはスキルを使ってないとは言え、先ほどの攻防でよく分かっています」
ノワールの問いかけに考え込みながらもしっかりとブリンドネスを見据えるブラン。ブリンドネスは周囲への破壊活動を行っているが、既にこの村の人間は誰一人して生存していないので黙って見過ごす。先ほどブリンドネスを怒らせて正気を失わせている時に、飛散する瓦礫に巻き込まれて全て絶えてしまっていた。
「私の【昊天 巫女秋沙】でステータスの補正を消失させても良いのですけど、恐らくそれも無意味でしょうからね……」
「なんでそんな事が言えんだよ」
玉のような汗を浮かべながら呟くブランにそう言うのはグリンだ。【昊天 巫女秋沙】は相手のステータスの上昇値をゼロにするスキル。その効果はブリンドネスがまだ一人だった頃によく見た。なのでそのスキルが無意味などと言うはずがないのだが、なぜだかブランはそれを無意味と言った。
「後ろに控えている口を閉じている方……あれは一言も言葉を発しませんし、攻撃もしてきません。私にはそれが怒りを蓄積しているように見えて仕方ないのです。……それに、あれは元々は同一人物でしたので何らかの形で繋がりがあるのは確かです。……ならばその繋がりを介してステータスの共有や分配、思考の共有や感情の共有などもできるのではないかと思うのです。もしそうであれば私がステータスの補正を消失させたとしても、もう片方のあれに怒りの感情を注がれて全て元通りになってしまいます。ですから無意味なのです」
全て予想に過ぎないが、その予想は間違っていなかった。
その生物……例えばスライムが自身を分裂させて自分の数を増やす場合、増えたそのスライムを生命体として維持するために、最低限のステータスを分配して活動できるようにする必要がある。
さらに言えば自身を分裂させて生まれた分裂体と思考なども共有してスライム本体を仲間だと認識させなければ、分裂体に襲われてしまう事もあるので分裂体との思考の共有や、そして本体への親近感や仲間意識をより強く抱かせるために感情も与えなければならない。
そんなわけで分裂や分身などと言う手段でもう一人の自分を生み出した存在はもう一方とステータスや思考や感情を共有している事が多いのだ。
たまたま目にした書物に記されていたそれを覚えていたブランだからこそ考え付いた答えだった。
「ならどうすんだよ……」
「簡単だろグリン。怒り感情を補給されたくないのなら、その源を絶てばいい」
自棄になりそうな声色で呟くグリンにグリンの先生であるジャンクが答える。
「だがそうすれば空いているもう一方が私達に襲い掛かってくるぞ?」
当然の疑問を呈するマーガレットに、少々バツが悪そうにジャンクが答えた。
「一度これを否定した俺が言える事じゃないが……俺達が分かれて戦えばいいんだよ。まずはブランが口を閉じている方の化け物と戦い、ノワールが口を開けている方の化け物と戦う。そしてブランが口を閉じている方の化け物のステータスの上昇値を消したら、ノワールと交代して口を開けている方の化け物のステータスを消す。そうすれば補給用のステータスは完全に消滅する。後は交互にそれを繰り返して徐々に化け物を削っていくんだよ」
「一番確実なやり方だと思うが、しかしそれはブランとノワールへの負担が大きすぎないか? さっきのあれでさえかなり厳しそうだったんだぞ?」
「それを言われちゃ何にも言い返せないな。だが、これ以外俺達にはないんだしやってみるしかないだろ」
ジャンクの作戦に、それは厳しい、と言うライリー。それでも現状のジャンク達にはこれしかないのだ。誰もがそれを理解しているが、やはりブランとノワールの負担を考えれば厳しいものだった。
素早く交代して斬り付けて、そして素早く交代してまた斬り付けて……そう口にするだけならばとても単純な作業ではあるが……しかしとても単純であるが故にどこかで小さな綻びを積み重ねてしまうのであり、少し交代や斬り付けるタイミングがずれただけで精密に噛み合う歯車は狂ってしまうのである。……この作業がどれだけ生物の神経を磨り減らす作業かは想像に難くない。
「やってみましょう」
「えぇやりましょう。他人のステータスに多少なりとも干渉できる私達がやるしかないみたいだしね」
それを理解していながらもジャンクの作戦を耳にしたブランとノワールは勇ましい表情でジャンク達全員を見渡して言った。もちろん後方でいつでも魔法が放てるように準備をしているエリーゼとティアネーも見渡して、だ。
「自分で言っておいてなんだが、本当に良いのか? 俺達もあの化け物を削るのには加わるつもりだが、それしかできないんだぜ?」
「構いません。私達にしかできないと言うのなら悩みや迷いはありません。私達を必要とする声を無下にするなど到底できませんから」
「ブランみたいに堅苦しい正義の考えをしてるわけじゃないけど、まぁ私もだいたいそんな感じね」
剣を握っていない方の手の平に拳を作って言うブランに苦笑い気味の優しい微笑みを向けてからノワールはジャンクに言った。
「そうか。……なら、やるぞお前ら!」
「…おう」
「はい、先生!」
「了解した」
「分かった」
「はいッス!」
「任せとけ!」
「分かりましたわ」
「はいです!」
ジャンクが言うと、ラモン、グリン、ライリー、マーガレット、アジュール、ルージュ……そして後方にいるエリーゼとティアネーまでもがやる気に満ちた返事を返した。
そんなジャンク達に見向きもせず、ただひたすらに破壊活動を繰り広げている開口するブリンドネスには、改めて終わりが近付いてきていた。